勇士のアルバムから…その5
02.6.1

浜松 三方原飛行場の準備線に居並ぶ駿翼たち

昭和19年末または20年1月初頭、浜松 三方原飛行場の準備線。これは出撃シーンではなく、定時の試運転と思われる。戦隊長機24号は、機付が転把を回している最中。
機番は、24、45、44、07、80、16と続くが、このうち、本部小隊の機体は24、45の2機だけで、44以降は「そよかぜ」の機体と思われる。16号については、16号は誰の乗機か を参照。

安藤機45号は、1月9日の戦闘で損傷し配置換えになっている(体当りは別機)ので、この写真が撮影されたのは、どんなに遅くとも
1月9日昼以前である。また、本機の迷彩が左右で大きく異なっている点を、正にプラモ感覚で疑問視した本があるが、これは左右の塗装作業者が違っていただけのことであろう。

私がこの写真を初めて見たのは、1964年。叶わぬ夢とは知りながら、一度でよいから、大地を揺るがすこの轟音の中に身を置きたいと願ったのが、今日の原点でもある。


浜松における戦隊長機4424号と機付兵たち


浜松飛行場における小林戦隊長機4424号と機付兵たち。
この中には、川崎航空機からの派遣工員も含まれている。
浜松に転進したばかり、昭和19年12月下旬の撮影。


戦隊長機3295号と頼田克己少尉
戦隊長機3295号とョ田克己少尉。
昭和19年12月中旬、戦隊が浜松へ移動
する頃の1枚。

ョ田氏と無二の親友だった佐々木少尉
両者は、後に沖縄特攻に散ったが、二人
一緒のときは、いつも冗談ばかり、まるで
漫才でもしているようだったと聞く。





47戦隊の2単 71号機

アルバム3 と同じ、47戦隊の2単 71号機。40ミリ砲が厳めしい。


零式輸送機11型

場所は不明だが、零式輸送機11型。昭和18年頃。



知覧へ向けて発つ直前の小林戦隊長

昭和20年5月17日、知覧へ向けて発つ直前の小林戦隊長。
バックの5式戦は知覧到着間もなく、誘導路を滑走中に破損
して、リタイアしてしまった。

知覧へ向けて調布を飛び立つ244戦隊の5式戦

昭和20年5月17日午後、知覧へ向けて調布飛行場を飛び立つ244戦隊の5式戦。独飛17中隊
隊員が滑走路西側から写したもの。5式戦の胴体には、特攻機が敵艦に突入する光景の絵
が描かれ、操縦者の名前なども記されていた可能性が高い。


この4名のうち、3名が戦没した

昭和20年2月下旬、菊池俊吉氏の撮影と思われる写真の一枚。当時、お礼の意味あいで
戦隊員に贈られたもの。この4名のうち、3名が戦没した。


山王ホテルで催された壮行の宴に出席した244戦隊の将校操縦者たち

昭和20年5月15日夜、赤坂山王ホテルで催された壮行の宴に出席した244戦隊の将校操縦者たち。
(軍服姿のみ)前列右から古賀中尉、市川中尉、生野大尉、竹田大尉、師団副官、小林大尉、藤沢中尉、
中右から平沼、生田、小川 各少尉、川田中尉、後右から芝山大尉、白井大尉、小原中尉、斎藤少尉。
この宴は、小沢専七郎
(大日本防空食糧社長)主催によるものだという。因みに「防空食糧」とは、陶製の
専用容器を用いた真空パック保存食品のようである。


20年7月、特攻諸隊の下士官隊員たち

昭和20年7月、調布特攻諸隊の下士官隊員。前左から2人目 松田伍長(163振)、
後左から4人目 山口伍長(232振)両者は、この後間もなく殉職した。



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