勇士のアルバムから…その3
02.4.29

19年12月17日頃の小林戦隊長と3295号機

昭和19年12月中旬の小林戦隊長と3295号機。迷彩は、この時期、浜松への転進が命ぜられ
急遽実施されたもので(浜松には戦闘機用掩体がなかったため)、正に塗りたての状態。
まだ尾翼赤塗装も白帯もなく、ブルーのラインだけの、おとなしいものである。


体当り前日、20年1月26日の撮影と推定される3295号の写真

体当り前日、20年1月26日の撮影と推定される3295号の写真。本機は浜松へは行かず、
予備として調布に待機していたと推察される。
同時期の4424号に比べて、白帯にもオイルやカーボンの汚れもなく綺麗なのは、あまり
飛んでいない証であろう。胴体砲は撤去され、砲口は皮革様のカバーで塞がれている。


調布飛行場の滑走路脇に駐機する47戦隊の2単

昭和19年秋、調布飛行場の滑走路脇に駐機する飛行第47戦隊の2単(鍾馗)。
おそらく、調布での会議に出席のため、戦隊長や飛行隊長が乗ってきたもの。



上と同じ47戦隊の2単と1式戦。2単は40ミリ砲装備。左端は高練のピトー管。


熊本乗養の95式1型練習機

熊本県黒石原飛行場 熊本地方乗員養成所の95式1型練習機。


黒石原飛行場の格納庫にあった95式戦闘機

同じく黒石原飛行場の格納庫にあった95式戦闘機。昭和17年頃には既に
現役引退していたので、教材として保存されていたものと思われる。


飛行第4戦隊の97戦

着陸する飛行第4戦隊の97戦。場所は雁ノ巣飛行場では?。


出丸一男見習士官

17年12月、244戦隊野崎隊に配属された出丸一男見習士官。
後に特攻靖国隊長となった彼の悲劇的最期は、高木俊朗著
『陸軍特別攻撃隊』に詳しい。


熊谷飛行学校へ派遣された244戦隊の陸士56期生

操縦要員として熊谷飛行学校へ派遣された244戦隊の陸士56期生(総員10名)。★=戦没
前左から ★出丸、★早川、★遠宮。後左から水越、奥平、★小野、永野、白上 各少尉。
出丸氏の美男ぶりが際だつ。


所沢へ派遣された244戦隊下士官と教官 白井中尉

18年秋、3式戦未修教育のため所沢へ派遣された244戦隊下士官と教官 白井中尉。★=戦没
前左から ★関岡、★星、★沢谷、白井、★鈴木、後左から★小林、★吉田、石岡、★玉懸、工藤


尾崎伍長と本多、坂木、新居

同じく 少飛9期 尾崎伍長(後左)と10期の本多、坂木、新居(全員戦没)。
10期生は17年11月、22名が244戦隊に配属され、戦闘戦技教育を受けた。
この22名のうち、15名が後に戦没している。


昭和20年春、目達原飛行場

特攻隊へ転出する同期生を見送る特操2期生たち。
昭和20年春、目達原飛行場 第11錬成飛行隊。



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