終戦後の芦屋飛行場で撮影された3式戦について
02.3.25

 159振武隊西野伍長機に描かれていたとされる絵は、果たしてどのようなものであったのだろうか。それを類推する材料にも、あるいはなり得る1枚の写真が、終戦後の芦屋飛行場で撮影されている。
 本件が、どこまで関連しているものか定かではないが、この3式戦に描かれた絵については

1.
炎上する敵戦艦?(西野機では空母)に、更に特攻機が突入せんとする図柄
2.絵の特攻機が、防空識別帯を付けた内地防空戦隊の3式戦をモデルとしている

 写真の3式戦については
3.
日の丸の防空識別帯(白帯)を塗りつぶした痕跡がある
4.空中線支柱が撤去されている
5.調布から知覧に向かった3式戦の特攻隊は皆、芦屋を経由している

 これらの条件から、写真の3式戦が調布で編成された特攻隊の1機で、故障等によって芦屋に取り残された機体である可能性は、ある。また、やはり調布で編成された56振武隊の1機が、戦後の芦屋で撮影されていることも、この可能性を高める傍証となり得る。
 特に、「絵」に描かれている3式戦は実に写実的で、斑迷彩に白帯付き日の丸という、244戦隊機の標準的塗装になっていることに、私には、この絵が244戦隊機を写生したように感じられてならないのである。

 だとすれば、知覧へ向かう際に244戦隊の5式戦に描かれていたと推察される絵も、本件と類似の本格的なものであった可能性が高まるのだが、証言等は皆無であり、確かめる術は得られていない。

 結局、想像しか手はないのだが、調布は東京に近く小林部隊も有名であり、慰問や奉仕は多数あったので、その中に本職の画家で組織した、「美術奉仕隊」とでも言うべき団体があったのではないか。
 
 当時、各特攻基地には、写真館主らで組織された「報国写真隊」が配置され、隊員の写真を撮影して家族に贈る活動をしていた事実もあり、画家らが特攻隊員の肖像画を描く目的で飛行場を訪問していたことは、考えられる。その際、隊員らの希望で肖像画ではなく、飛行機に絵を描くことになったのではないか…とも考えられるのだが、想像の域を越えるものではない。



20年10月、米海兵隊カメラマン、ジョー オダネル氏が撮影した問題の3式戦。
説明役の陸軍将校は、芦屋飛行場の管理隊指揮官と思われる。


ペイントで描いたとは思えないほどの絵

ペイントで描いたとは思えないほどの絵。


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