- Aug.11,12 (sat,sun.)
- The 32nd YAMANO Big Band Jazz Contest
年に一度の全国学生ジャズの祭典!そんなわけで山野レポート。
今年も強行してまいりました、0泊3日の死のツアーin東京。運転手は私。金曜深夜に出発-
月曜朝に帰宅、睡眠時間無し、高速道路愛車キャロルで4人窮々往復1000キロの過酷な旅。
何故そこまでして見に行きたいのか?直接関係者でない私をそこまで駆り立てるものは何か?
まあ大した意味のない私的前振りは置いておくとして、山野は今年も多くの感動を生んだ。
コンテストに出場してくる大学生達は、当然このステージの為にひと夏を賭けてくる。
斯く言う私も現役当時はそんな学生の一人だった。人生で一番頑張っていた瞬間だろう。
この大会がコンテスト形式をとっていることで、出場団体の演奏レベルは相当高い。
ただ、ここ近年の傾向として学生の意識下に於ける本末転倒現象が起こっているように感じる。
「表現力を豊かにする為のアンサンブル精度の向上」ではなく、「高得点を獲得する為のアンサ
ンブル精度の向上」に意識が変わってきているように感じる。
つまり、伝えたい事、表現したい事や感動を与える為に演奏するのではなく、何はさておき精度
の高い演奏を心がけるという意味のない、あるいは内容のない演奏が年々増えている。コンテ
スト形式をとっていることで生じてしまう落とし穴なのだろう。
約50もの団体が思い思いの曲を演奏する訳で、審査基準は審査員の好み(若干は入るだろう)
ではなく、結局は精度の高い演奏に高配点が付く。よっていわゆる名門校また上位入賞常連校
でさえそんな精度に拘る演奏になってしまう年もある。今年も幾つかはそうだったように思う。
同じ上手な演奏でも、カッコイイだけの、あるいはテクニックをデモンストレートするような審査員
対象の選曲をしてくる団体と、あくまで前進しようとしている、あるいは感動を与えようとしている
観客対象の選曲をしてくる団体の演奏とでは、聴き応えなども全く違うし素人が聴いても瞭然。
手前味噌になるが、我々の後輩(同志社大学The
Third Herd Orch.)の演奏は素晴らしかった。
何よりも15分間の中に起承転結しっかり効いたドラマを構築し、何らかのカタルシスを与える。
それは奇を衒ったものではなく、自分たちの表現したいものを「観客」に向かって発信していた。
相当多くの大学が精度の高い演奏を繰り広げた中、4位獲得はそういう意味に於いて非常に
価値がある。そんな表現力重視の姿勢が認められたということだ。
観客から「感動No.1」と呼ばれる演奏を、やはり大切にして欲しい。あくまで「音楽」なのだから....。
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