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あ れ こ れ 考 え る 46
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 『捕虜収容所の死』 2003/5/31(土)

 1軒だけ古本屋に寄ったが買いたい本はなし。ちぇっ。
 新刊書店では、
『ブラッディ・マーダー 探偵小説から犯罪小説への歴史』ジュリアン・シモンズ(2003年5月新潮社)を購入。
 1972年刊行、85年及び92年改訂のジュリアン・シモンズ"Bloody Murder, From the Detective Story to the Crime Novel: A History"の翻訳。
 試しに今日読んだ『捕虜収容所の死』を調べてみたら、「彼の傑作の一つと見なされている『捕虜の死』Death in Captivity米版名The Danger Within(1952)では、捕虜収容所の実情が、」(P321)と紹介されていました。私には少し不満が残った『捕虜収容所の死』ですが、そうかやっぱり傑作だったのか。いや、おもしろかったんだけどね。

『捕虜収容所の死』マイケル・ギルバート(2003年5月創元推理文庫)読了
 捕虜の将校が探偵役であり、事件の捜査とともに収容所の大脱走計画が進行していくというオリジナリティに富んだ作品。そのため探偵が真相をつかんでからの展開も通常の探偵小説とはかなり違ったものになる。
 読書中はその探偵に好感を持てたし、物語世界も心地よかったのだが、真相が明らかになった場面で「あれっ、おかしいな」と思い、ページをめくり直してみた。
 真相をつかんだ後の探偵役の行動には理解できないところがあるし、さらに。
 この作品は多視点で書かれているため、様々な登場人物について内心まで立ち入った描写がされているのだが、登場人物の中で、真相から見て、その内心描写がアンフェアだと思える人物がいるのだ。その人物については、そこまでの行動とラスト場面での行動にもちぐはぐさを感じる。
 与えられた任務を果たしただけということなのだろうが、この物語は大脱走計画が成功するか否かで進んでいくのだから、イタリア側に、それよりもさらに重視する任務があったとするなら、それを読者に納得できるように書ききらないと、気の抜けた、あたかも捕虜側の一人相撲のような話になってしまう。
 歴史的にはそれが当時の常識だったのかもしれないが、これは小説なのだから、事実にもたれかかるのではなく、あくまで小説内で説明しきる必要があるのではないか。さらにいえば、歴史的にはどうあれ、ここでは捕虜側とイタリア側の大脱走計画を中心にした駆け引き、応酬をもっと見たかったところだ。


 久しぶりのNIFTY接続 2003/5/28(水)

 ハードディスクがクラッシュして以降、パソコン通信ソフトの設定をしていなかったため、NIFTYには行っていなかった。インターネットはBIGLOBEをプロバイダーにしているので、NIFTYには毎月2000円の基本使用料を払っていただけということになる。
 こんなことなら退会してもいいのだが、そのためには一度はNIFTYに接続しなければならない。そこで意を決して通信ソフトの設定をやり直してみた。
 で、つないでみたら、噂どおりフォーラムはみんな閉鎖されているんですね。これだったらやっぱり退会してもいいかもしれないけど、どうしようかな。

 今日の新刊購入は、
『神のロジック 人間のマジック』西澤保彦(2003年5月文藝春秋)
 西澤保彦の新作。文藝春秋の本格ミステリ・マスターズの一冊。
『ホラー・ジャパネスクを語る』東雅夫編(2003年6月双葉社)
 ホラー・ジャパネスクをテーマにしたインタビュー集。岩井志麻子、加門七海、京極夏彦、津原泰水、福澤徹三、宮部みゆき。聞き手は東雅夫。
『定本物語消費論』大塚英志(平13年角川文庫)
 89年に新曜社より刊行された『物語消費論』を加筆・訂正したもの。

 『捕虜収容所の死』を読み始めましたが、登場人物の多さに辟易。私はそこまでする気はないけれど、しっかり読もうと思ったら、登場人物表にエピソードのメモでも付けながら読むしかないのでは(^_^)


 『俳優パズル』 2003/5/26(月)

 古書店への払い込みのため郵便局に寄る。
 その窓口で、
「○○さんは本を集めていらっしゃるんですか」と、声をかけられました。
 最近、書店への振込みはこの郵便局を利用しているので、それでわかってしまったのだろうと思い、
「ええ、古本を少し」と、お答えしました。
 ところが、
「実は私も○○区に住んでいるので、何度か古本屋さんでお見かけしてるんですよ。ブックオフとかで......」
 げげっ!そんなことかよ。どんな本を買ってるときに見られたんだ?なんだかとっても、はずかしいぞ。


『俳優パズル』パトリック・クェンティン(1961年創元推理文庫)読了
 アルコール依存症回復期の劇団プロデューサー、ピーター・ドルースの視点で語られる本格推理。

 ピーターは、すぐれた脚本『洪水』を手にし、ブロードウェイで演出家としてのカムバックを期する。しかし、たび重なる事件のため、いつなんどきアルコールに手を出すかわからない状態にある。
 劇団の俳優たちも、この舞台に再起を賭けているが、各々トラブルをかかえている。主演男優は飛行機事故による後遺症から鏡を怖がるようになり、またその弟は同じ事故にあって以来、自分がその名優の兄だと思い込んでいる。ヒロイン役の女性は前夫の精神的肉体的苦痛による病院治療から退院したばかりで、リハーサル中もたえずブランデー瓶を所持しており、ピーターの恋人アイリスは演劇初心者、少年役の俳優はハリウッドから引き抜きがかかっている。
 そんな中で老優が劇場で幽霊を見てショック死する。さらに登場人物の何人かを脅迫しながらその代役を買って出た男も怪死する。

 登場人物たちがこの舞台の成功に自分たちの再起を賭けており、そのため全編に緊張感が漂っており、容易に感情移入してしまう。
 彼らは舞台の幕を上げるため、事件を警察に隠蔽しながら、トラブルの解消を試みるのだが、その中でそれぞれの思わくと真実が徐々に浮かび上がってくるところが見事。
 さらに初日が、一日、一日と近づいてくる中で、また起こる新事件。果たして、ピーター・ドルース劇団は、無事『洪水』の舞台の幕をあげることができるのか。緊張が高まる。 そして......
 ラスト場面がそのまま真実を明らかにする場面にもなっているという趣向が秀逸。さまざまな伏線の意味が単純な真実に早変わりし、本格推理のカタルシスを存分に味あわせてくれます。傑作。


 幻の作品候補 2003/5/25(日)

 集英社文庫から東野圭吾『おれは非情勤』が刊行されたことにより、この作品が『5年の学習』及び『6年の学習』で連載されていたことを知ったので、現在はどんな作品が連載されているのか確認してみた。
 その結果、現在『6年の学習』では、4月号から芦辺拓の「妖奇城の秘密」が連載されていることが判明。さらに昨年には『5年の学習』で、11月号から芦辺拓の「電送怪人」という作品が連載されていたこともわかりました。
 とはいえ、その作品だけのために『6年の学習』を買う気もしないし、こういうのはどうしたらいいんでしょうね。単行本化されなかったら、そのまま幻の作品になってしまうわけだしね。


 猫又文庫さんで、
「ブルータス見ましたよ」
「取材の時に、100人取材する予定だと言っていたけど、ほんとだったんだねえ。手間かけてますわ」
「それでどうですか。雑誌を見て来たお客さんなんかもいらっしゃるんですか」
「全然!」
 BRUTUS購入層と古本購入層はあまり重ならないのでしょうか。
 ここでは次のものを購入。
『暁のビザンティラ 上・下』菅浩江(1993年アスペクトログアウト文庫)2冊400円
『廃流』斎藤肇(平12年廣済堂文庫)250円


 また、別の古本屋で購入した本は、
『お楽しみの埋葬』エドモンド・クリスピン(昭54年ハヤカワ・ミステリ文庫)200円
『フランケンシュタインのライヴァルたち』マイケル・パリー編(昭56年ハヤカワ・ミステリ文庫)160円
『メリー・ウィドウの航海』ニコラス・ブレイク(昭53年ハヤカワ・ミステリ文庫)100円
『女狩人は死んだ』ベン・ベンスン(1962年初版、1976年4版創元推理文庫)150円
『追跡者』パトリック・クェンティン(1962年初版、1977年6版創元推理文庫)150円
『こちら殺人課!』E・D・ホック(昭56年講談社文庫)200円
『さらばいとしのローズ』ジャン・ポッツ(昭54年講談社文庫)150円
『ビデオ血眼ウオッチング』ビデオクラブ・ザナドゥ(昭63年実業之日本社)100円
 ビデオのアラ探し本。映画『シェーン』にバスが映っていたり、『スター・ウォーズ帝国の逆襲』で、ロボットC-3POの体にカメラマンが写っていたりというミスの指摘や、監督が映画内に登場するシーンの全カット紹介など。
『GO Japan 2001年9月号』(嶋中書店)350円
 特集は、「ミステリー万歳!」
 筒井康隆の「おれがハマった極上ミステリー」で挙げている作品は、『そして誰もいなくなった』と『血の収穫』
 衆議院議員石原伸晃が好みの作品として挙げているのは、『千尋の闇』(ロバート・ゴダード)、『フロスト日和』(R・Dウィングフィールド)、『レベッカの鍵』(ケン・フォレット)、『とうもろこし畑の子供達』(スティーヴンキング)、『真夜中のミュージシャン』(デビッド・ハンドラー)、『活動寫眞の女』(浅田次郎)、『マークスの山』(高村薫)、『高野聖』(泉鏡花)、『夢十夜』(夏目漱石)と幅広い。さらに、『聖餐』(石原慎太郎)まで挙げているのはご愛嬌


 『ぬしさまへ』 2003/5/24(土)

 某古書店で、女性のお客さんが店員に尋ねていました。
「うちでも、要らない本があるんだけど、1冊どの位で買ってくれる?」
「どんな本ですか」
「だいたいでいいのよ。1冊いくら位?」
「本によって違いますから、それだけじゃあわかりません」
 はたから聞いていても、そりゃそうだよなと思いましたが、そのお客さんはさらに、
「普通の本だといくら位なの」と尋ね続ける。
 ついに店員も、
「家庭で普通に要らない本ということですと、うちでも要りませんね」と、そっけない返事を返す。
「ちょっと前に7冊組みの絵画の本を買ったんだけど、それだとどうかしらね」
 ようやくそのお客さんも具体的に話を始めましたが、
「今は大型本は売れないんですよ」と、とりつくしまがない。
 それでもお客さんは、店内の大きめな本を指差して、
「でもこういう本だって探している人はいるわけでしょ」
 まだ、がんばるのか......

 今日の古本購入は、
『木村奈保子流キョーフの愛し方 〜愛と悲しみのホラー』(1995年ヤマハミュージックメディア)750円
 木曜洋画劇場の解説者、木村奈保子によるホラー映画解説。
『凶笑面』北森鴻(2000年新潮社)200円
『開花殺人帖』加納一朗(昭62年青樹社)100円


 新刊購入は、
『テンプラー家の惨劇』ハリントン・ヘクスト(2003年5月国書刊行会)
 イーデン・フィルポッツのハリントン・ヘクスト名義の作品。巻末の30ページにもわたる真田啓介氏の解説「フィルポッツ問答」も素敵。なお、横書きだとわかりにくいけど、タイトルは「テンプラー」家の惨劇です。「テンプラ」一家の惨劇ではありませんので念のため(^_^)

『中国科学幻想文学館 (上)(下)』武田雅哉/林久之(2001年大修館書店あじあブックス)
 帯には、「本邦初!中国SF小説史」
 こんな本が出てるとは知らなかった。
 内容は、清朝時代の月世界SF、中華民国時代のナンセンスSF、スカトロジー小説や透明人間もの、ドイルやターザン等の翻訳ものの人気沸騰、中華人民共和国成立時の太陽系SFもの、文化大革命時のSFスパイミステリーやスペースオペラ、現代のSFファングループの誕生など。
 中国SF史を知るには便利な1冊。もっとも、知る必要があるかどうかはわからんけど(^^;

『ミステリマガジン 2003年7月号』(早川書房)
 特集は、フランス・ミステリの復権。ボアロー=ナルスジャック「一時間の誤差」、フレデリック・ダール「玄人はだし」、ポール・アルテ「コニャック殺人事件」などを収録。


『ぬしさまへ』畠中恵(2003年5月新潮社)読了
 前作『しゃばけ』の続編にあたる痛快人情推理帖、6編収録。
 長崎屋の若だんな、一太郎は幼い頃から体が弱く寝込みがちで、廻りの妖達に守られ、甘やかされて過ごしている。そこへ相次いで起こる難事件。一太郎は、妖達の捜査に基づいて謎を解く。
 ほのぼのとしたミステリーを読みたかったらこれだ。怪達が一太郎を守ることをすべてに優先させる姿がおかしいが、その率直さが清々しい。
 本書では妖と一太郎との関係についても明かされるが整合性がとれているかは微妙だ。今後説明が付くのだろうか。まあ細かいことは言わないけれど、続編はぜひ読みたい。


 あなどりがたしブルータス 2003/5/23(金)

 ネット古書店から本が届きました。
『俳優パズル』パトリック・クェンティン(1961年創元推理文庫)5000円
 帯付とはいえ5000円!この価格は創元推理文庫購入の最高価格にあたります。買える時は100円で買える創元推理文庫ですが、創元でほしかった本はこれが最後だし、何度も抽選ではずれた縁の薄い本ということもあるので、値段については一応納得しています。なお創元で2番目の価格の本は、やはりネット古書店で買った『殺すものと殺されるもの』の3000円。


 新刊書店で、ようやく王様が載っているという『BRUTUS 2003年6月1日号』を手にとる。なに、この写真?せっかく変装しても王様の日頃の顔とそんなに大差ないじゃん。
 期待していた古本まゆさんと猫又さんについては店主近影はなく、店の写真のみでした。残念。
 それにしても最初に企画を聞いた時には、どうせ数人を取材するだけだろうと思っていたので、100人の取材というのにはびっくり。1人あたり3軒の書店を取材するためにはほぼ半日は要するはずだし、取材は編集者とカメラマンと2人がかりなので、およそ取材の延べ日数は、2人×半日×100件=100日。
 うーん、かなり手間かけてるなあ。あなどりがたし>ブルータス。って、最近そればっか(^^;


 あなどりがたし学習雑誌 2003/5/22(木)

 最近ネットで、王様が『BRUTUS』に載っていることを知ったのだが、それって王様が猫又文庫さんや古本まゆさんを紹介した企画のことなのだろうか。するとその雑誌には、まゆさんや猫又さんの写真も載っているのかな。
 興味があったので帰りに新刊書店に寄ってみたのだが、案の定、その雑誌のことはコロッと忘れて帰って来てしまったわ(^^;

 購入した新刊は、
『阿弥陀ケ滝の雪密室』黒田研二(2003年5月光文社カッパ・ノベルス)
 ようやく買えました>くろけんさんの新刊。ふたり探偵シリーズの第二弾。
『おれは非情勤』東野圭吾(2003年5月集英社文庫)
 東野圭吾のジュブナイル
『手塚治虫COVER エロス篇』(2003年5月徳間デュアル文庫)
『手塚治虫COVER タナトス篇』(2003年5月徳間デュアル文庫)
 現代作家による手塚作品のリスペクト小説。『SF Japan Vol.03』に掲載された作品を上記2冊に編集して収録したもの。
『ぬしさまへ』畠中恵(2003年5月新潮社)
 長崎屋の若だんな一太郎と、その若だんなを守る妖怪たちとの物語。前作『しゃばけ』の続編にあたる連作短編集、6編収録。


 まだ時間があったので鶴舞にも寄ってみたが、まったく買いたい本がない。それでも無理して買ったのは、
『こちら美少女探偵団!』喜多嶋隆(1995年コスモノベルス)100円
 著者は81年の第36回小説現代新人賞受賞者。本作は長編ミステリー・アクションと書いてあるけれど、看板に偽りあり。何がミステリー・アクションだよ、中身はキャピキャピ学園ものじゃないの。もっとも表紙を見りゃ一目同然なのでほんとは怒るほどのことではないんだけどね(^^;


『おれは非情勤』東野圭吾(2003年5月集英社文庫)読了
 東野圭吾のジュブナイル。『5年の学習』1997年5号〜98年3号、『6年の学習』98年5号〜99年3号に連載されたシリーズ作品「おれは非情勤」を加筆修正したもの。非常勤講師を探偵役にした連作短編集、6編収録。
 さらに、「放火魔をさがせ」(『学習・科学 5年の読み物特集(下)』1994年1月)、「幽霊からの手紙」(『学習・科学 6年の読み物特集(上)』1995年7月)を併録。
 「おれは非情勤」は小学校の教師ものながらハードボイルド。学園ドラマとは一線を画し、主人公が、教師稼業は金のためとドライに割り切っているところがかえって心地よい。もちろん本格もしているしね。 
 それにしても、学習雑誌に東野圭吾が連載しているとは知らなかった。学習雑誌を読むのは、通常、ちょうどその学年の生徒に限られるので、今回文庫化されなかったら、東野圭吾のこの作品を読めたのはその生徒たちだけだったわけだ。ああ、文庫化してくれてよかった。
 でも東野圭吾が書いているということは、学習雑誌には、他にも多くの作家たちが執筆しているということではないだろうか。一度調べてみたいところだ。あなどりがたし>学習雑誌


 『歌の翼に』 2003/5/20(火)

 先日、葵さんが書かれていた『俳優パズル』の感想を拝見して、むしょうに読みたくなったのだが、いまだに『俳優パズル』は手にしたことがない。今までにも、2000円〜3000円位の値段で目録に載っていたときに何度か注文したことはあるんだけど、当たったことがないのだ。縁のない本だと思っていたのだが、昨日ネット古書店から届いた目録メールの中に、この本が!
 5000円だったが、ちょうど読みたい時に出現したので何かの縁と思って注文してみました。で、今日そのお店からメールが届いて私に送っていただけるとのこと。ラッキー。5000円だけど。


『歌の翼に』菅浩江(2003年5月祥伝社ノン・ノベル)読了
 楽器店の音楽教室でピアノを教える主人公亮子と、それを取り巻く人々との、癒しのミステリー連作集、9編収録。
 特筆すべきは探偵役の主人公が心に傷を持っていること。癒しのミステリー連作といえば、探偵役が各々の事件を解決し、その関係者の心を次々と癒していく物語と思いがちだが、この主人公の設定のため、そういう一方的な話にはならない。主人公とその関係者たちが、癒したり、癒されたりを繰り返していく中で、感動の大団円を迎えるという話なのだ。
 音楽ミステリーという目新しさもある傑作なので、何十年か先、絶版になったあかつきには、必ず探し求める人が後を絶たないはず。素直に今買って読みましょう。


 どこにでもある本 2003/5/18(日)

 いつのまにか、どこの古本屋でも見かけるようになる本がある。成甲書房の『ミステリの美学』がそうだし、原書房の『鮎川哲也読本』なども、ほとんどミステリーが並んでいない店でもポツンとそれだけ置いてあることが多い。勁文社の『全怪獣怪人』や、最近では写真時代の復刻版みたいな本もよく見るね。
 おそらく出版社から問屋経由で直接、古書店業界に流れ込んでいるのだろうけど、いかにも自転車操業のようで苦しそうだよね。

 今日の古本購入は、
『純文学殺人事件』布施英利(1999年集英社)960円
 純文学に描かれる「殺人」を解読する。対象は、ウンベルト・エーコ、ミラン・クンデラ、G・ガルシア=マルケス、村上春樹、村上龍など。
『永井豪けっこうランド』(1998年サンマガジンムック)500円

 東浩紀『動物化するポストモダン』を読み終えたので、続いて菅浩江『歌の翼に』を読み始めました。音楽ミステリーと聞いただけで読みたくなるものね。将来絶版になった時には、「えっ、音楽ミステリー?欲しい!」と思うたぐいの本でしょう。って、気が早すぎるって(^^;


『動物化するポストモダン』東浩紀(2001年講談社現代新書)読了
 東浩紀のオタク系文化論。東は、概ね時代を次のように3つに分ける。
1970年までの、「大きな物語」がそのまま機能していた時代=「理想の時代」(大澤真幸)
 近代。ここで「大きな物語」とは、思想的には人間や理性の理念として、政治的には国民国家や革命のイデオロギーとして、経済的には生産の優位として現れてきたそれらシステムの総称をいう。
1970年〜1995年の「物語消費」(大塚英志)の時代=「虚構の時代」(大澤真幸)
 ポストモダンの時代。石油ショックと連合赤軍事件を経て、高度経済成長と「政治の季節」が終わり、「大きな物語」が失墜し、その空白がサブカルチャーで埋められる。そこではフェイクとしての「大きな物語」が用意されるが、実際に商品となるのはその断片としての「小さな物語」である。
1995年以降の「動物の時代」(東浩紀)=「データベース消費」(東浩紀)の時代
 動物化するポストモダンの時代。フェイクとしての「大きな物語」も不要となり、それに変わり「小さな物語」の背後にあるものはデータベース(=「大きな非物語」)として意識される。そこでは人間的「欲望」は動物的「欲求」に変わる。ここで、人間的「欲望」とは他者の欲望を欲望するという構造を持つもの−他人が欲しいと思うものを手に入れようとすることであり、際限のないものであるのに対し、動物的「欲求」とは、空腹な時に食物を食べることで完全に満足するような、他者を必要としない文字通り動物的な単純な渇望のことをいう。動物化とは「小さな物語」=商品を動物的な欲求で消費していくことを指す。

 オタク系文化論としてこの分析は説得力があるように感じるし、「大きな非物語」、「動物の時代」、「萌え要素」などが、筆者にとって「リアル」な言葉であることも理解できたように思う。
 『動物化する世界の中で』において、東が、思想や文学の伝統的な言葉が現代に通用しなくなったとき、それでも思想や文学がなんらかの役割を果たすとしたら、思想や文化の言葉はどう変わって行くのかと問いかけたときにも、あるいは、ここで用いたように、現代の状況に適した「リアル」な言葉を使うことを自負していたのかもしれない。

 しかし、東が、このオタク系文化の分析を、現在の文化一般を分析するうえでも有益なものと信ずる(P144)と、この分析を文化一般に拡大して適用しようとするところについては、やはり疑問を呈しておきたい。
 以下、著者が批判している「思想の伝統的な言葉」も用いることになる。ご了承願いたい。

 この分析をそのまま文化一般に適用することが困難だと思うのは、著者がこの分析を意図的に「生産」概念を捨象して行っているように感じるからだ。ポストモダンの特徴を「物語消費」とそれに続く「データベース消費」と、「消費」の形態で表していることによく表れている。
 もちろん本書はオタク系の文化を分析しているのだから、それを「消費」の形態で表すことには問題はないだろう。問題なのは、それを文化一般にまで普遍化していいかということだ。
 文化一般について分析するなら、人が自然や社会に対して働きかけ、作り変えることによって、自らを作り変えていくという、人間の能動的な活動を無視するわけにはいかないと思う。それが人間の文化の本質だと思うからだ。人間の文化一般を論ずる局面では、この「生産」−「労働」という要素は無視できないのではないか。
 東が、他の領域にも自分の分析と同じ傾向が見られるとして、その例を宮台のコギャル論という比較的「生産」を捨象することが可能な分野に求めたのは偶然ではない。

 さらに「大きな物語」と、フェイクとしての「大きな物語」という区別をつける必要はあるのだろうかという疑問もある。そもそも、社会の成員のすべてに対して機能する「大きな物語」というものなど、もともとあったのだろうか。もし「大きな物語」というものがあったように見えるのだとしたら、それはやはりフェイクとしての物語だったのではないだろうか。
 それが物語として機能していたように見えたのは、その物語に根本の原因があったのではなくて、その社会が傾向として拡大再生産を続けていたからではないか。それによって、自分の生産活動が社会の発展につながる。そして社会はますます豊かになり進歩していく、というような物語が、これはひとつの例だが、機能していたとも考えられる。それと比較して、現在のように拡大再生産が失調し、就職難、リストラ、失業が蔓延し、個人の「生産」が社会から拒絶されていると感じられる時代では、そのような物語を持つことはできないだろう。
 「大きな物語」があるかないかは、その社会の再生産のありかたの結果に過ぎないとも言えると思うのだ。
 まあ、そんなことをつれづれと考えさせてくれる良書ではありました。


 『動物化する世界の中で』 2003/5/16(金)

 久しぶりに新刊書店で本を買う。
『伝奇ノ匣5 夢野久作 ドグラマグラ幻戯』東雅夫編(2003年5月学研M文庫)
 『ドグラ・マグラ』のガイドブック。もちろんデフォルト買い。内容は、猪瀬光の連作写真「1982-1991」<ドグラ・マグラ>シリーズ、夢野久作の未発表原稿『ドグラ・マグラ』草稿、映画『ドグラ・マグラ』脚本、西原和海特別寄稿など。ああ、このスバラヤしさ!

 その他には、次のものを購入。
『ルーキー 呪禁局特別捜査官』牧野修(平15年5月祥伝社ノン・ノベル)
 『呪禁官』の続編!もっとも前作については、おもしろかったという記憶しかないんだけど。
『歌の翼に ピアノ教室は謎だらけ』菅浩江(平15年5月祥伝社ノン・ノベル)
 ピアノ教師が探偵役の連作短編集、9編収録。音楽ミステリーというキャッチフレーズが目新しい。
『感染夢』明野照葉(2003年5月実業之日本社)
 明野照葉はおもしろい。本作は、悪夢が感染するホラー物語のようです。

 さらに、『動物化する世界の中で』を読み終えたので東浩紀を読んでみようと、試しに
『動物化するポストモダン』東浩紀(2001年講談社学術文庫)を買ってみる。
 でもそのついでに、関連しそうな本として
『自由を考える』東浩紀/大澤真幸(2003年4月NHKブックス)
『虚構の時代の果て』大澤真幸(1996年ちくま新書)
『ナショナリズムと戦後民主主義』福田和也/大塚英志(2002年PHP)
まで買ってしまう。しかも今考えてみると、大澤真幸『虚構の時代の果て』は持ってたはずだ。うーん。まっ、いいや。


『動物化する世界の中で』東浩紀・笠井潔(2003年4月集英社新書)読了
 東浩紀に同意できるというわけではないが、笠井潔の失点が多すぎるために、東の主張が正しく見えてきてしまうという困った本です。
 東が、テーマを明確に打ち出しわかりやすいのに比べ、笠井は最後まで主張を絞りきれず、漠然とした印象しか与えられていないことが致命的だ。
 東が、正確な状況認識は世界をより良くするために必要なものだ、と率直に主張するのに対し、笠井は「世界をより良くする」という発想は僕とは無縁だ、と答える。さらにそれは「オヤジ化」の方向とまで見なされているようだ。しかし、それでは笠井にとって、社会を批評する意味は何なのだろうか。それがストレートに伝わってこないため共感することは難しい。
 東が提出しているテーマは、「思想」や「文学」の言葉が現実の社会と乖離した現代において、それでも20世紀の伝統を引き継ぐ「思想」や「文学」には何らかの役割があるのか、あるとしたらそのとき「思想」や「文学」の言葉はどう変わっていくのかという問題だ。
 これに対しては、一応、「思想」は現実の社会に生じた新しい状況に応じて、新しい言葉、概念を用意すると反論しておきたい。(「文学」にも共通な点はあるが、「思想」と「文学」を同列に並べることはできないように思う。とはいえ、東がポストモダニズムとオタク系文化をパラレルに扱うことについては、おもしろく感じるところもあるので保留しておく)
 笠井は、東の立てた理論をあまりにも自分に引き付けて解釈してしまい、東の主張の根本を無視してしまっている。
 例えば、笠井は「物でも人でもない動物という第三のカテゴリーに着目する東君の意見を、もう少し知りたいところです。」(P115)などと言っているが、これでは、東の「動物化」という言葉を、人のことではなく動物のことを表す言葉にしてしまっているようではないか。「動物化」だぜ。普通に考えてもそんなわけないだろ。
 それどころか、ハイデガーの「頽落」はかならずしも「動物化」を意味しないなどと自明のことまで言い出し始める。それはそうだろう。東は「動物化」という言葉を、90年代以降に現れた新しい状況を表すために用いているのだから。それを笠井は、その状況は実は70年代からすでにあったのだと、鈍感に、東の立論の根本をなし崩し的につぶしてしまうことで東の怒りをかっている。
 その時代認識の差を、「笠井さんは大塚氏の政治的発言をイデオロギーとして解釈し、非難しているのだけれど、僕は同じ発言をサブカルチャーとして解読し、応援しているのだ」と突かれているのだ。
 いや、この東の発言には同意するわけではないけれど、笠井への反論として書かれているから、妙に説得力が出てきてしまうんだよ。いや、ほんとに困ったものだ。

 

 『桜宵』 2003/5/13(火)

 くろけんさんの新刊発売が間近と知り新刊書店に寄ってみましたが、残念ながらまだ売ってませんでした。代わりの新刊購入は、
『「探偵実話」傑作選 甦る推理雑誌6』ミステリー文学資料館編(2003年5月光文社文庫)
 読む気はほとんどないのだが、とりあえずデフォルトで購入。
『本の雑誌 2003年6月号』(本の雑誌社)
 特集は「われらSF者宣言!」。でも、特集というほどのページ数はなく、ちょっと拍子抜け。
また、注文していた本も届いていました。
『生存権・平等・エコロジー』村岡到(2003年5月白順社)


『桜宵』北森鴻(2003年4月講談社)読了
 ビアバー香菜里屋(かなりや)を舞台にした連作短編集、4編収録。
 帯には「今夜も《香菜里屋》で、ひとつ謎が明かされた」という惹句。一般的に「日常の謎」系の作品の方がテーマ的には重い場合が多いが、本作品もその傾向が強い。
 しかし、店主の推理もさることながら、彼の店で次々と出される創作料理が実にうまそう。こんな料理を日常的に食べることができる店の常連たちがうらやましくもなる。
 またこの店に寄りたいという読者の願望を満たすためにも、続編を期待しています。


 続いて、東浩紀・笠井潔の往復書簡、『動物化する世界の中で』(集英社新書)を読み始めた。インターネットで公開されたものとのことであるが、そちらは見ていないので今回が初読。魅力的な議論だが、その前提にちょっと引っかかった。
 東浩紀が問題提起として、思想家や文学者が使う言葉と、携帯メールやチャットで交わされる言葉のあいだのどうしようもない乖離、というテーマを提出するが、はたしてそれはそんなに問題なことなのだろうか。
 東は、「思想」や「文学」が伝統的に用いてきた言葉と、冷戦以降、グローバル化と情報化とポストモダン化の大波のなかで急速に変貌を遂げつつある社会的現実とのあいだの、あまりにも大きな乖離、というものを強調する。思想家の伝統的な言葉ではもう現在の世界は語りえないといった意味なのだろう。
 しかし、思想家の用いる伝統的な言葉、という前提自体が一面的な見方なのではないか。笠井潔がヘーゲル=マルクス主義をブラックホールと擬しているが、そのヘーゲルも、フランス革命、ナポレオン軍によるドイツ占領という現実の中で自らの思想を形成していった。思想家はもとから存在する思想に基づいて世界を認識するのではない。その生きている時代の中で思想を形成するのである。そして、世界の新しい状況に応じて、思想の中にも新しい言葉が、概念が、生まれていくのである。思想家は伝統的な言葉に固執はしない。たとえ同じ言葉であってもそのパラダイムは異なるものに作り変えられる。だからこそ思想家たり得ると言いかえてもいいだろう。
 思想に対するこのようなオプティミズムなしでは、思想についていくら論じても光明は見えてこないのではないか。とはいえ、二人の議論自体には惹かれるものがあるので、とりあえず読み続けてみるつもりです。


 『被害者は誰?』 2003/5/11(日)

 久しぶりに猫又さんの店へ。おお、かなりの本の山が。
「金曜日が業者の市だったんですよ。セリ方式だったのでちょっと高く買いすぎたかも」
 なるほど、ヤフーオークションの例などを見ても入札方式よりセリ方式の方が高くなる傾向があるかもしれませんね。
「無理に高値で買っても、売るときにはそんなに高い値段は付けられませんからねえ」

「そうですか。でも○○というお店では、インターネットの目録で『燃える導火線』を3000円位で売ってるそうですよ」
「ええっ、それは何かの間違いでは?」と言われ、私もあまり自信がなかったので、いっしょにインターネットで確認してみることにしましたが......
「ぎょえー!」
 確かに『燃える導火線』が3000円というのは私の間違いでした。ほんとは25,000円(!)なのでした。ちなみに『失踪当時の服装は』や創元のガードナーあたりも軒並み20,000円。小野不由美の『バースデイ・イブは眠れない』や『悪霊なんか怖くない』までもがやっぱり20,000円。もうあいた口がふさがりません。
 よそはこんな値付けをしているけど、どうする?>猫又さん


 今まで古本屋ではマンガの棚はほとんどパスしていたのだが、先日、ミステリーコミックスを買った時に、これからはできるだけマンガの棚もチェックしようと思ったのだ。でもやっぱり、うっかりチェックを忘れて店を出てしまうのだが。
 購入したのは、
『復刻版少年マガジン大全集第3巻』(1991年講談社コミックス)1200円
『ガダラの豚 1〜3』原作中島らも/構成森高夕次/作画阿萬和俊(2000年〜2001年双葉社アクションコミックス)3冊900円
 ガダラの豚がコミックスになっているとは知らなかったな。それにしても収穫がマンガだけとは情けない。


 新刊購入は、
『捕虜収容所の死』マイケル・ギルバート(2003年5月創元推理文庫)
『動物化する世界の中で』東浩紀/笠井潔(2003年4月集英社新書)


『被害者は誰?』貫井徳郎(2003年5月講談社ノベルス)読了
 小説家吉祥院慶彦を探偵役とする連作短編集、4編収録。これは傑作。
 安楽椅子探偵との紹介になっていますが、実際には読者をだましにかかる作品群で、各編ともに趣向が凝らされています。
 表題作の「被害者は誰?」などは、いたるところに伏線がはられているのにもかかわらず、見事にだまされました。そして最終話の「名探偵は誰?」で、まただまされた(^^;


 なぜ今『小栗虫太郎集』 2003/5/9(金)

 ゴールデンウィークも終わったので新刊が出ているかと思ったのだが、あまり読みたいものは出ていない。
 まず目に付いたのが『小栗虫太郎集 完全犯罪』日下三蔵編(2003年5月ちくま文庫)だが、目新しい作品は収録されていないようなのでパス。
 記憶だけで書くので正確ではないかもしれないが、巻末の日下氏の解説では、もともと入手が容易な小栗虫太郎の作品集を出す予定はなかった。しかし社会思想社の営業停止という予期しなかった事態が起きたため、その補完の意味も込めて、急遽ラインナップに加えたとのことだ。
 しかし、社会思想社の営業停止の直前まで小栗虫太郎の本は5冊とも現役だったはずだし、日下三蔵氏が編集する本の購買層の多くはこれを所持していると思われるので、この本を買う人はさらに限られるのではないか。この時期にあえて作品集を編んだことには疑問を感じる。

 講談社ノベルスも発売されていたが、今月は読みたいと思うものはない。でも何も買わないのもさびしいので1冊だけ購入。
『被害者は誰?』貫井徳郎(2003年5月講談社ノベルス)
 貫井徳郎は『神のふたつの貌』を読んでそのあまりのひどさにあきれて以来、読むのをやめていた作家です。

 他に購入した新刊は、
『不在の鳥は霧の彼方へ飛ぶ』パトリック・オリアリー(2003年5月ハヤカワ文庫SF)
 マイクとダニエルの兄弟が空飛ぶ円盤を目撃。それからほぼ40年後兄弟は二人とも死んでいた。しかしどちらも死んでいることを自覚していない。そしてマイクとダニエルは死の世界という虚構で真実を得る。解説は神林長平。
『希望のシナリオ』宮崎哲也・林芳正他著/日本テレビNNN24・青山和弘編(2003年3月PHP)
 NNN24デイリープラネット〜金曜発言中〜『次世代日本の構想』全7回。2002年5月31日〜11月29日放送。レギュラー宮崎哲弥・林芳正、司会木村優子・青山和弘。


 古本購入は、
『おあついフィルム』リチャード・プレイザー(1983年中央公論社C・ノベルス)100円
『黒鷲死体宅配便1』大塚英志作/山崎峰水画(2002年角川コミックス・エース)300円


 家に帰ると『新青年』研究会から、
『『新青年』趣味\』特集海野十三(2001年『新青年』研究会)
『『新青年』趣味]』特集医学と探偵/横溝正史(2002年『新青年』研究会)
が届いていました。10号の発行についてはハガキによる通知までしていただきました。どうもありがとうございました。
 でも9号は2001年の発行。とすると、9号の方はひょっとしたら持ってたかも。


 あなどりがたし主婦の友社 2003/5/5(月)

 祝日といっても別にすることはないので古本屋へ。

 鶴舞の古本屋では少年倶楽部文庫がかなり並んでいたが、田川水泡、島田啓三、横溝正史、森下雨村などはしょっちゅう見かけるのでパス。厳選して次のものを購入。
『知恵くらべクイズ集』少年倶楽部編(昭51年少年倶楽部文庫)400円
『奇問奇答滑稽大学』学長メチャラクチャラ博士(昭51年少年倶楽部文庫)400円
『トム君・サム君』佐々木邦(昭51年少年倶楽部文庫)400円
 佐々木邦も『村の少年団』はよく見かけるけど、『トム君・サム君』は比較的見かけない本だよね。

 ブックオフでは、
『戯曲 半神』原作萩原望都/演出野田秀樹(昭62年小学館)600円
 萩原望都の『半神』を野田秀樹が演出。劇団夢の遊眠社による舞台写真も豊富に収録されています。
そのほか、『誘惑者』久美沙織(1996年ワニノベルス)100円も購入。

 マンガ専門店にも寄ってみる。
『オモチャ屋殺人事件』原作エドモンド・クリスピン/劇画小島利明(昭53年主婦の友社TOMOコミックス)500円
 原作は『消えた玩具屋』。この名作ミステリーシリーズは他にも、ジョンストン・マッカレー『地下鉄サム』1500円とか、ピーストン『運命の階段』2000円など数冊置いてありましたが、自重。
 そのかわり、『悪霊島 (上)(下)』原作横溝正史/作画前田俊夫/構成橋本一郎(1981年双葉社)2冊2000円を購入してしまう。(上)(下)で800ページの大作です。

 それにしても『オモチャ屋殺人事件』の巻末リストには、TOMOコミックス名作ミステリーとして、桑田次郎『完全脱獄』、日野日出志『牡丹燈記』、わたなべまさこ『幻の女』、望月三起也『夜歩く』を始め、30作の作品があげられている。うーん、錚々たる作品群だよな。
 あなどりがたし>主婦の友社


 名古屋古書即売会報告 2003/5/3(土)

 今日は名古屋古書会館即売会の2日目。目録に掲載されていたクライム・クラブは1冊も見当たらない。2000円という微妙な値付だったので私は注文しなかったが、函付だったし、やはり注文した人がいたということか?
 購入したのは、『コンプリート スティーヴン・キング 増補改訂新装版』奥澤成樹・風間賢二編(1991年白夜書房)2000円。1988年に出版された同書の増補改訂版とのこと。

 新刊書店にも寄ってみるが、ゴールデンウィーク中は新刊もあまり出てないようで、買ったのはコミックスだけ。
『HEADS 3』原案東野圭吾/作画間瀬元朗(2003年6月小学館)
『浪花少年探偵団』原作東野圭吾/作画沖本秀子(平15年5月秋田書店)
 2冊とも原作では読んでいるので、コミックス版まで読むかどうかはわからないんだけどね。

 これだけではやはりもの足りないので、例によって古本屋を廻る。
 購入した古本は、
『少女探偵夜明 魔少年〔X〕』北村想作/とり・みき絵(1999年小峰書房)300円
『アルミちゃん』北村想文/とり・みき絵(1997年小峰書房)100円
 ネットで調べてみたら、北村想/とり・みきコンビの『少女探偵夜明』はシリーズ物でした。1冊読んでみて、集めるかどうか決めようと思います。
『覆面レスラーぶるうす』正木亜都(昭60年サンケイノベルス)250円
 この本、最近1000円も出して買ったばっかりだぜ。ちぇっ。
『毒殺は完全犯罪をめざす』和田はつ子(1994年三一新書)100円
『暴走妄想空間』岬兄悟(1989年大陸ノベルス)100円
 岬兄悟のショート・ショート集、23編収録。
『プロレススーパーゲーム列伝』馬波レイ/大地将(2001年ソニー・マガジンズ)700円
 ファミコンやプレステなどの家庭用ゲーム機用に発売されたプロレスゲーム全112本をレビューするというとてつもなくくだらない本。売れるはずもないのに、よくこんな本を出す気になったもんだなあと感動して購入。
『『ヒカルの碁』の秘密』ヒカ碁研究会(2002年データハウス)500円
 よくある謎本の一種だが、『ヒカルの碁』の連載の方はまた終わってしまったことだし、これでも読みながら次回シリーズの連載を待っていよう。
『ユートピアの冒険』笠井潔(1990年毎日新聞社)700円

 まあ質はどうあれこれだけ買ったんだからよしとしようか(^_^)


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