湘南のチョイワル親父の奮戦記





  2012年10月 アップルマラソン

   2012年3月 板橋シティーマラソン

  2011年11月 大阪マラソン

  2011年9月 佐渡トライアスロン大会

  2010年12月5日 那覇マラソン

  2010年9月5日 佐渡国際トライアスロン大会

  2010年3月7日 三浦マラソン

  2009年12月6日  那覇マラソン

  2009年11月8日 湘南国際マラソン

  2009年9月6日 佐渡国際トライアスロン大会

  2009年3月15日 荒川マラソン

  2009年3月1日 三浦マラソン

  2008年12月7日 那覇マラソン

  2008年9月21日 由比ガ浜OWS大会











































































OWS終えて  

由比ガ浜OWS大会終えて、
男前とセクシーなライフセーバーに見守られて安心と安全とチョピリセクシーな気分に気合いが入った。
勇気を貰ったレースでした。
また、管理人さんやまぼうさんナカムラ家族に応援を背に元気をいただいた。



思えば、30分前から空に黒い雲がちらほら現れていた。
受付まで悩んだ6Kの選択少しでも長く海に揉まれ様と思った。
スイムに気合が入ったのは、1ヶ月半前のことだ。原点に戻りつかみかけてた自分の泳ぎで、迎えた。

さぁ〜スタートトラブルはもう始まったのだ、ゴーグルが右目に海水入る。
なんだかんだもたもたしながら1周目片目で泳いだ。前が良く見えない、うねりもあろう。
2周目ゴーグルを直していたらShiggyさんが寄ってきた、
弱音をもごもご言っていた。さぁ〜行こうぜ。と、後にした。



右手にブイ見るように確認しながら2周目をリズム良く終えた。
3周目の沖へトラブルは起きた2番イヴが擦れて良く見えない。
200M泳いだところで分かった、周辺が大粒の雨で見えなかったのだ。

岸へ暖・寒の潮の川で身体が身震いヤバイやばい流されている3番イヴが右から左に泳げど左へと回転した。
4周目の沖は大粒の雫雨舞台だった。
背中を打つ?叩き付ける雫。うねりはおさまったようだ。リズム良く泳げる。

2番ブイコーナーでバトル足を蹴られた。
その前に手前30Mでなかなか泳げど寄れないまた、流されてる。
5週目へ沖舞台はうねりが頬打つように何度も来る大粒の雨は止まずされど2番イヴは泳げどなかなか寄れない。
面白い勝負だ。なんてさ。

ゴーグルに海水がまたもや入る。
我慢の泳ぎ岸で最後のゴーグルを直すがもたず、ラストスイムセーバーにラストの合図をして、泳ぎ始めた。
なんと、ペケだったんだ。
いい思いしましたよ。
最後まで、セクシーなライフセーバーに見守られて気合を入れなおして泳いだ。
しかし、ゴーグルは持たなかった。
両目に海水が入る。

3番ブイに向かう途中ライフセーバーに2度寄りゴーグルを直しやっとフィニュした。
足は右足がつったせいか立てた歩けた。なんだかんだ2時間30分も海にもまれた時だった。
完泳出来たのが不思議なくらいだ。
これほどトラブルが出てよくやったと思う。自分で自分を褒めようと思う。
トラブルを次回の反省材料としておきましょう。
雨模様の海舞台を泳げた事は素晴らしい体験だ。
また、出会いたいもんだ。

























































2008年12月7日 那覇マラソン

エントリーナンバーの最終ナンバー見てビックリ30800番がある。
もしかしたら、3万規模の大会になるのでは、
当日発表によるとエントリー33216名に対し参加26973名で完走18654名完走率68%です。
東京マラソン並の多きのジョッカーと走れて良かったです。
いずれ、東京マラソン走りたいです。

沖縄現地に入ってもう、街が那覇マラソンでお祭騒ぎまさに沖縄がひとつになる日ですね。
太鼓もちろん、音楽が盛んな街です。
それは、驚きました。



結果は、ネットタイムで4時間18分00です。
3092位でもう少しで2000位台でした。残念。
キロ6分ペースを崩さないで走れたのが最大の喜びでありサブフォー目標に走った。
途中で30K辺り4時間ペースから15分遅れでしたのでリタイヤしようと思いました。
しかし、ここまで6分ペースで来てるんだから最後まで走ろうと思い直し重い足を我慢して最後の長い4kあるハイウェー独特の流れるようななだらかな登り坂しかも、
向かい風他のジョッカー気にせずマイペースでこつこつ走れました。

登り終えたら、また、2Kほどの下り坂が待っていた。たまりません。
背筋伸ばして足を前に前に思いながらやっと残り1Kとなった。
沿道の応援に支えられながらのゴール。地元の子供達や高校生にハイタッチしながらやっとフィニュでした。
天気快晴で暑かったよ。おかげで季節外れの日焼けしてしまいました。

攻略ーコースマップを見て中間点までの最大の難所は、
11K過ぎからの急な登り2ヶ所下り1ヶ所をいかにして乗り切るかにあった。
22K〜28Kまでの長い下り坂で注意。
その後は長いフラット市街地だ。



後半のヤマ場は、36K〜40Kまでの4Kの緩やかな登り後の1Kの急な下りが待っている。
前半のヤマ越えたとしても魔の35K後の4Kに及ぶ緩やかな登りがどのような道なのか分からない。
初めからキロ6分ペースで我慢の走りをしよう。
練習で走るペースで行こう。後半魔の35Kでペースアップ出来ればいいかな。
光が丘公園公認コースのあけぼの橋だけ6往復した。

初めにーフルマラソン今回が2回目初のロードフルマラソンである。
街は那覇マラソンでお祭ムードでいっぱいです。

朝5時には目が覚めた。
空はまだ夜明け前の静けさだ。
5時30分からホテルの朝食を十分に取り
6時30分会場までの往復1Kのランニング会場は露店の準備が始まっていた。

テレビ局の職員達も忙しく今日の天気を聞いた。
今日は暑くなりますよ。の声に、煌めいた。紫外線がまだ強い?
会場にあるスポーツ店でスポーツサングラスを買いました。



8時10分スタート前整列が、始まりいよいよです。
前日知り合いになった神戸から来た年配の3人と東京、千葉からの20代の女性達と気合注入で完走を誓った。
ガンバロー。

9時スタートの鐘が鳴り響く。
国際通りを過ぎ330号線に入る東バイバス507号線と17K辺りまで人の帯が、延々と続く。
沿道には、太鼓や音楽・歌等で応援の人たちで途切れる事がない。
前半の最大の難所険しい登りが始まった頃にはランナーの数が減り始めてました。
登りきった頃さらに減り1車線の道でも3列で走れる状態でした。

中間点の平和祈念公園に差し掛かった。
ボランティアの方たちの励ましで元気がでる。
地元の高校生で埋めつくされていた
公園内の急な短い登りが、後半の厳しさを物語っているように思えた。
天気は快晴サングラスが素晴らしく我の集中力を高めてくれた。時間は2時間1分で前半を終えた。
 

前半終えてー2時間1分は、上出来きかな?
後半に備えて沿道の応援ボランティアからバナナ・飴・水等欲しい時に貰えたのは
素晴らしくありがたく感謝でいっぱいです。
とにかく、バナナを沢山食べました。

4時間ペースでは、1分の遅れです。
サブフォー狙うには、3分の遅れです。
キロ6分ペース4時間14分では、5分の貯金があります。

元気貰って後半へGO−
平和祈念公園を後にして、331号線をひめゆりの塔めざして急な下り坂を注意を払いながら下った。
さらに、緩やかに下りが続く
サトウキビ畑横目に琉球ガラス村を左に見て左へとコースはフラットを見る。

サトウキビ畑はなおも見渡す限りである。
名城ビーチ入り口に差し掛かる。
空は相変わらず快晴素晴らしい青空だ。
やがて、目に飛び込んできたのが、コバルトブルーしなやかな海の色と空が眩しかった。

そうか、サングラス掛けてたんだよね。
このような風景は、25K付近で見ていました。
やがて、28Kでももっと素晴らしい風景がここ名城ビーチです。


名城ビーチの坂を右に下りやがて左へと曲がり緩やかに下って行く、
そのコバルトブルーの海と空を左後方から低飛行して
那覇空港へ着陸飛び込むジャンボ機が、動く油絵と変えてしまったのだ。
感動して身震いする我の心の目に焼き付いて離れない。

まもなく、29Kを過ぎ
やがてフラットが続く市街地へとどこまでも真直ぐな道が1列に長いランナーの帯が見えた。
沿道には、途切れる事無く応援ボランティアの姿が
疲れが見え始めたランナー達のエネルギー源と甦らせてくれた。

331号線なおも走り続ける。
後半に入り水と飴だけで止まると、もう走れないのではないかという思いが心をよぎった。
止まらずに下すら前を見て走りました。

本当にここで止まればおわりだと思ってました。
30K越えやがて、35Kの大看板を見つけた。

時間は、3時間34分になろうとしていた。
4時間ペースでは、15分の遅れサブフォーどころではなかった。

荒川マラソンの時はここからペースアップが始まった。
しかし、目に見えない長くて緩やかな登り坂の入り口だったんですね。
走る左右とコントロール出来ない状態でした。

コースは、331号線を左に進路を変えた・
そこには、4Kにわたる緩やかなハイウェーィロードバイバス
風はこれまでの追い風から向かい風に変わり、
40K看板めざしてセンター寄りに道を取りただ前へ前と重い足を運んでいました。

6分ペース走るリズムを崩さず前へ。
GO&GO

残り3Kの看板となっていた。
バイバスをしばらく走ると正面にゆいレールを見て右折する。
1Kの下りが、顔を覗かせていた。
まだ、向かい風だ。
この1K下りが長かったような気がします。
勘弁してよ。と叫んでいました。
そして、道は山下橋交差点を左折



残り、.195Kボランティア高校生達にハイタッチ交わし、
最後の走るエネルギーを振り絞り猛然と走り抜いた。

フィニッュ手前で左足付け根に痛みが走りそのままゴール。
その場をしばらく休んでしまいました。
動けないんです。

時間を確認すると、なんと4時間18分ほぼキロ6分台かな?

早めに着替えホテルに戻り、入浴後ベットにしばらく横になりました。
こんなの初めてホント身体のエネルギーが全て抜けてしまったものでした。

最後にーゴール出来たのは、やはり沿道で応援してくれた沖縄の市民のおかげです。
元気がでるんですね。
改めてボランティアやっていた自分を褒めたいです。
































































雨の中の三浦マラソン

横浜で京急に乗り換えて、しばらくすると雨がポツポツでなくサラサラと時には激しく降ってきた。
風邪をやっとの思いで治ったのに、やばい予感が頭を過ぎった。

三浦海岸降りたら、もはや本格的な雨模様となった。
海も灰色に見えて最悪でした。

そんな中でも、スタート前のウォーミングアップ裏道で周回終え9時37分ハーフスタートの号砲がなった。
冷たい雨の中震えながらのスタートとなった。

海岸線をしばらく走り右へ霊園の中へ登り道がしばらく続く下ったかと思うと
また、登るアッここは昨年ヤマザキさんに声掛けられたところだ。
フラットが延々気がつくともうすぐ城ヶ島桟橋が見える。

コースを知っているせいか意外と早く来たようなハーフの折り返し、雨は頬をたたく様に痛かった。
向かい風が強く走り辛い。
緩やかなアップダウンが延々続く大きなプロペラ3基が、見えた。

海は太陽が顔出してくれないので、怖い荒く激しく白波を立てている。
長い下りそして、長いトンネルを越えると海岸線に出た
チョイトの登り我慢してゆっくりと登り終えると遥か先にフィニュ会場が見えた。

なおも雨は止まず冷たい雨だった。
向かい風は時より強く吹いた。残り5K看板30分で終わる。

頭の中は、はよう帰ろう。

風邪引かないか心配でした。
時間は、公式タイム1:57:29
   ネットタイム1:56:14
総合2125位/6047人中
種目1970位/5098人中
天気別として、昨年より10分も遅くなっている。
年かな?
走っていて、このコース何度走っても飽きない、那覇マラソンに似ていました。
雨の中のレースはつらいよ。
 



























































荒川マラソン

朝目覚めたら、雲ひとつない好天の予兆だ。

会場に着く。
昨日の水溜りの路面が見事に乾いている。
まずは、心配ない。

スタート位置は、指定のブロックでなくワンランク上のブロックに入った。
目標タイム4時間切るサブフォーと定めた。
快晴の中スタートの号砲が鳴る。

4時間ペースで、順調に10K15Kと急がずマイペースで走り続けた。
キロ6分ペースは、去年の出だしだ。
今年は、谷川真理のドリルよりフォームチェックしながら時より足元を見てつま先が真上に意識せずに出ているか?
肩の力を抜いてリラックスした状態余分な抵抗はなく前へ、リズミカルに省エネ走法で走った。
ハーフ地点で1時間51分で通過。

折り返してから、向かい風時より強い風が吹くが、気にせず同じリズムで走りぬいた。
25K辺りでキロ6分ペース練習通りの走りに変えた。
32Kを過ぎたところで気の緩みか?
後10Kや〜。時間は3時間ピタリ。

去年は、ここからピッチが上がった37Kから4時間切る思いでゴールまで駆け抜けて行った。
今年は、33Kでピタリと足が止まった。
自分でも驚いた。

無理せずウォーキングに切り替えた。
時より走ろうと足を前に。
だが、走れない。

サブフォー目指してここまで順調に来たが、墓穴となった。
2回も左足に痙攣に襲われた。
はじめて見る足の心臓には感動した。
これのことか。
苦しいが、生きてるんだ。
ゴールは、4時間40分でした。
曇っていたらどんな展開になっただろう。
残念だけど、前半の走りは収穫があったと考える。









































































佐渡国際トライアスロン大会  Bタイプ

佐渡のレース終えて(その1)

管理人さんとの会話で、普段通りの事をやれば良い。
周りを見て思って、管理人さんに相談した。

また、森野さんにトップ選手は裸足だが真似たほうが良いか?
靴擦れがしないなら良いが、長距離だから靴下は履いたほうが安全です。と、答えてくれた。
普段練習でやっている事をレースで思いがままに判断し実行する。

レースとなれば、一瞬の判断と集中力及びちょいと先を読む事が大切だと思う。
体験者からの話を参考に今回はバイクのコースで小木から村山登りは半端じゃないよ。
耳にタコが出来るくらい聞かされた。

レース前に思うこと
1.スイム・バイク・ランをこなす。バイクをいかに無事に終わる事を祈っていました。
  最後のランは、足が前に前に出てくれたらと思っていた。
2.スイムは、後のことを考えキックはほどほどにしよう。
3.足のリズム感と思ったら、レース前日前前日バイク30分ぐらいだろうか?繰り返し乗り回していました。
   
レース終えて思うこと
1.スイム肩の力を抜く前へ大きくゆっくり掻き揚げる時に押し出すように力を加える。
2.潜ってジャンプの繰り返しで沖へ岸へ早く前に行ける。
3.バイクでの事故付き物先行きの状況判断を誤るな。迷うな。安全第1です。
  3回危ない場面に出会った。エイドステーションと急な長い坂道の途中で追い越しを何度もやっていた。
4.小木から村山・豊田の登り下りは、苦しかったので声を出し気分転換をはかった。声は出した方がいいかも?
5.バイクで、管理人と競いあったのが良かった。それこそ、練習会通りで張り合いがあった。
6.最後のランは、暑かった。周りを見て真似した。
  冷たい水を何度も浴びる。冷たいスポンジは首筋に挟んでおくと良い。
7.確実に前へ1歩1歩焦らずリズミカルに運ぶ。
誰かが、言っていた。スポーツはハートだと思う。あとに続くおやすみ。

  

佐渡のレース終えて(その2)

レースの朝が、やって来た。

色々な大会でスタートするまでの身体のコンデション及び御通じが上手く行くかでレース状況は変わる。
朝3時30分目が覚め4時の朝食。
昨夜の食事食べ過ぎた為かいつもより少なめに済ました。
なぜなら、御通じが心配だったからです。
みんなと、会場へ行く。
もう、すでに2回御通じを済ませた。

会場に着くと、やはりトイレは人で溢れていた。
気分転換に管理人さんと過ごす、
補聴器をどうするかで関係者と相談していた。
そして、スタート前の準備に入る。
ウエストスーツを着る頃最後の御通じを終えた。

スイムスタートの合図、
身体全体にエネルギー(電流)が流れた。
位置はアウトコース左側やや真ん中辺り、
人波を避けて潜ったり跳ねたりで前へ前へドンドン行く。
アウトコースロープ沿いに泳ぎ始めた。

意外とバトルは避け無難に第1コーナーをやや大きくカーブ描いて周りそのまま第2コーナーまで来た。
スタート地点から第2コーナーまでバトル無くロープ便りに泳いだのでほぼストレートに泳いだ感じでした。
第2コーナー地点を見て、右へ45度転回身体を折るように周った気がする。
ゴールまでストレート途中うねりがあり前方を確認した。
アウトコースで泳いでたにもかかわらず、左右から物凄いバトルに遭遇した。
負けじとやり返した。
辛抱後、前方が開けた。
大きくリカバリーを繰り返し水玉を押し出すように身体を前に前にやがて、
浅瀬へ再び跳んだり潜ったりしてゴールへ急いだ。

森野さんを見て、バイクスタートへとシャワーを浴び水分を取りウェストスーツを脱いだ。
なんとなく腹が空いている感じがした。
無難にスイム終え、課題のバイクスタートが、始まった。
パンクするなよとバイクに話しかけたのだった。

  

佐渡のレース終えて(その3)

いよいよ胸の鼓動が小波のように高鳴る気持ちを抑えバイクに跨ると同時に体感時計がスタートを切る。
0メーターも無い。
時計も無い。
補聴器も無い。
あるのは、熱いハートと集中力だけである。

スタートして気持ち良く町の中を両津港に向かう
島民の応援を受け手を振りながら嬉しいバイクレースである。
まもなく、海岸線に出た向かい風が吹いていたが、ペダルは軽く前へ進んだ。
やがて、道は狭く細長く緩い登りが続く時より、海の風景が御出迎えしてくれる。
気持ちはほっとする。

ヘアーピンカーブとスリル実に遊園地のようで楽しい。

あるところに差し掛かった。
一瞬時空越えたのかと思った。
湘南の風景か?トンネルを出る手前の向こうに良く似た風景があった。
江ノ島か???ここはここは多田か?54K地点

レースの前半を終えた。
さあ=後半スタート気持ちはどうか? 絶好調だ。
体感時計は分からん。
再び島民の応援を受ける。 嬉しい。
沖縄とはまた、違っていいもんだ。

走っているうちにチップバンドを嵌めていた左足が痛みだした。
バイクを止めチップバンドを緩めた。
危なかったかも?頭を過ぎった。
エイドステーションでは、学生達が列を作ってボトルを渡してくれた。
これもゲーム的で面白い。
バナナをほうばった。 美味しい。

道沿いにはいくつかのトンネルを過ぎちょいと怖かった。
上り坂なのか下り坂なのか?
76K地点小木である。
120M・140M急な上り坂自然と声が出てしまつた。
自分への渇を入れるためである。

登り半ば、なんと管理人のバイクに遭遇ビックリした。
なおも、声を上げ登り切った。
しばらくすると、村山辺りかまた登り坂である。
苦しいが、声出して乗り切ろう頂が見えた。
そして、一気に下った。
周りのバイク見ながら真似てみた。なるほどね。

風になった気分や。
84Kの看板を見て来たな。
パンクせず体感時計は壊れてなく順調だ。

真野湾の海岸線に出た。向かい風を感じた。
しばらく走ると90Kの看板100Kの看板確実にゴールが近くなる。
足が唸るエネルギーが爆発したようにバイク速度が上がる。
豊田辺りか?町中に差し掛かった。
川の橋を渡った。]

すると、後ろから管理人の声が聞こえた。
身体に電流が流れた。負けられない。
管理人も元気溌剌なによりだ。
ゴールまで管理人に付いて行った。
体力の限界を感じながらも物凄いエネルギーを貰った。
ゴール。
嬉しかった。
体感時計もいいタイムを弾き出したようだ?バイクよありがとう。
いいドラマを見せて貰いました。
いよいよ最終レースランへスタートを切る。

佐渡のレース終えて(千秋楽)

バイク終えたユニフォームは、身体にへばりついてなかなか言う事を聞かない。
厳しいバイクレースを物語っている。
やっとの思いでランニング用に着替えたものの足がチョイト興奮状態だ。

とりあえず、先を急がずエイドステーションで十分なエネルギーを蓄えよう
梅干を3ヶバナナを2本レモンを3切れスポーツ飲料を3杯済ませ、
どこからスタートなのかとにかくスタートをした。
歩いたウォーミングアップだ。

みんな走り始めている。
前に年配の選手が、足を引きずっているが走ろうと懸命である。
私は、その人に最後まで走りましょうと言いお互いに健闘を称えあった。
しばらく、足が走りたいと思うまで歩いた。

商店街の鳥居辺りから、ぽちぽち走り始めた。
足は前に出るが思うように走れない。
もっと早く走りたいのにと思いながらこれが、トライアスロンか。

周りを見ることにした。
空はかんかん照りの太陽が風はない。
他の選手はやはり同様だった。ジョギングである。
走ろうと思う気持ちだけはもとう。

畑の小道走っていると前に見たことのあるランニングスタイルまさか良く見ると管理人である。   
また、元気が出て私は管理人にマイペース・マイペースと伝え我管理人を後にした。
5Kの看板を過ぎた頃向かいに折り返して来た大野さんを見た。
大野さんが何か言っていたようだ。分からない。
ペースは相変わらず遅いが確実に前に足が向かっている。
折り換え地点を過ぎた。

たった10Kがこんなに遠く感じたのは初めてだ。
体感時計はおそらく2時間は遥かに過ぎただろうか?
後半は、見慣れた来た道を帰るのだからまた違うだろう。

折り換え地点から目に付いた前を走る女ランナーが気になった。
スタイルはいいし、足は長いし、身長は我よりでかいし、ヒップはバランス良いほどにでかい。
髪の毛は二十歳ぐらいサラサラで健康な髪だ。
それを見ながら、追いつこうと思うがなかかなである。

相変わらず、暑いまなざしの太陽が照りつける。
エイドステーションで冷たい水を浴びるように3杯かぶった。
他の選手も同様である。

追いつけど追いつけなかったランナーは、おかまいなくトットト走り去っていった。
ただただ驚くばかりでした。
畑の小道通り終え再び冷たい水を3杯浴びたバナナと梅干とレモンをほおばった。

T字路地点のエイドステーションでまたまた冷たい水を3杯浴び梅干を2つ食べた。
右足の膝が痛む。
体感時計は40分ぐらいかと感じていた。

競歩に切り替えた。
前方には小太りの男が走ったかと思ったら歩きの繰り返しだ。
追いつける最後の獲物をこいつに決めた。
商店街が500M先に見えたところで、
家でシャワーを出している場所で十分に水を掛けてもらい。
挨拶して、いざ最後の獲物を追いかけた。

いつもの走りがここで甦った。
自分でも驚いていた。
獲物は、遥か後ろへ消えた。
まさか、走りは衰えずそのままゴールまで走りぬいた。

その間に、森野さん、やまぼう、中村ファミリーの応援を受けていたのだ。
不思議な力が生まれるんだな。
最後は、達成感でいっぱいでした。

体感時計どこかに置き忘れてしまったようだ。
後で聞くと7時間34分不思議です。
なぜ、最後の20Kのランニング3時間以上はかかってる気がするからである。
応援のみなさんありがとう。
今は、思い出すたびにフラッスュパック甦ります。
来年も来たいです。
美味しいお酒飲みたい。
さよならアイランドサマー佐渡今年の夏は終わりです。
ありがとう。サド〜



























































那覇マラソン終えて

行きの飛行機で見事な雲海をどこまでも限りなくカーテンのように出迎えてくれた。
あるところでは、ナイアガラの滝の川のように、場所変わればグランドキャ二オン?
山脈?感動ある自然のスクリーン。
雲が切れたらそこは、もう沖縄上空だった。

さて、那覇マラソン見事に昨年同様完走はしました。
今回は、1ヵ月に2回のフルマラソンにチャレンジ見事制覇した。記録より意味あるかな?

那覇においては、昨年の記録更新。今年の荒川マラソンの恐怖。
1ヵ月前の湘南マラソンの32K付近のエネルギー不足腹が空いた事。
佐渡トライアスロンでのランの恐怖。
色々考えて、シュミレーション。

ペットボトル自分用を後半24K地点置かしてもらった。
ポケットの付いたランニングシャツ着た。ボトルを入れるため。
坂登りは抑えた。下りに勝負を掛けた。
24K地点まで4時間ペースでした。



ところが、27Kからまさに恐怖が始まろうとしてた。
下りを勝負した為に、左足に体重が乗らないのです。
膝から股にかけて上手く体重が乗らず走れないのです。
走りたい気持ちは、あるが走れない。

競歩とランの繰り返しながら残りの15Kを走りぬいた。
ゴール2K手前から右足で左足を庇いながら思い切り蹴り先を急いだ。
湘南の記録よりは更新したい。
くみ上げたストーリーが無駄になるからだ。

走り終えて4時間33分24秒あ〜良かった。
完走メダル貰える。
今年はホワイトに泡模様いいね。

とにかくホテルで体をほぐそう。
そればかり考えていた。
サブフォーはまだ遠い夢?佐渡トライアスロンより疲れるのは、なんだろう?
昨年もホント疲れたばー。
コースが半端じゃないことだね。

今回は、太陽が雲に隠れてくれたのが、命取りでした。
みなさん応援ありがとうございました。
応援してくれる方がたくさんいることが、なにより励みになります。
今年度最後のメインレース完走出来た。いいしめっくりでしょう。
お昼の飛行機で帰ります。

那覇マラソン終えて2

いよいよ待ちに待った朝が来た。
東京上空曇り空天気図見ても低気圧に覆われているようだ。
羽田発沖縄行き13時15分のジャンボに乗る。
飛行機は雲を切るように大空へ舞い上がる。
昨年は、好天、富士山もよく見え地図を見ているかのように海岸線がよく見えた。
浜松上空で新幹線が走ってる。東京行きの飛行機との交差。いかに速いのかが、実感した。

今回は、東京上空から雲海が歓迎の出迎えだ。
日本列島をカーテンのようにどこまで行っても見えない。
流れるような雲の芸術自然のスクリーン。
ナイアガラの滝の川のように場所変わればグランドキャニオン?山脈?ただただ感動した。

窓に太陽の光が入って来た。
飛行機は南西に向きを変えた。
しばらくすると雲が切れた。
奄美諸島群れその先には沖縄が見えた。
右側に海岸線を辿り右回転を開始した。空港が見えた。
ジャンボは静かな足取りで舞い降りた。
1年振りの2時間45分の空の旅だった。

時間は、16時遥か廻っていた。ユイレールで街に出た。受付を済ませた。
人の波が途切れることなく溢れていた。
歩いて国際通りへホテルへと向かった。
関係者が明日の準備に忙しく動いていた。

パームロイヤルホテル国際通りほぼ三越の先である。今回の宿である。
部屋は、シングルなのにチョイト贅沢な広さです。
ベットも大きい。バスとトイレは別である。言う事なし。

明日に備えて準備を終えた。
今夜は我前夜祭ビフテキコースにオリオンビール2杯で5512円です。
肉の大きさは言う事なし。
21時に眠りに・・・

朝5時ホテルのレストランで食事ご飯を大盛り3杯食べエネルギー万全である。
身体解す為散歩、通りには清掃に余念関係者がゴミ拾いをしていた。ご苦労である。
7時半会場へ自分用のペットボトルを案内所へ出しに行った。
そこには、驚くほど沢山ありみなさん真面目に走るんだなと関心しました。
いよいよスタートの時を待つ間、アナウンスが流れた。
3万7千人との発表です。聞いてビックリです。3に続く


那覇マラソン3

新聞記事によると、正式には30081名のジョカー
制限時間までゴールしたのは、20860名完走率69.35%です。

午前9時スタートの鐘と花火が鳴り響く
プロゴルファー諸見里しのぶ選手に見送られランナー達が横を通りゴールへ帰って来る。
我も横を通りテレビで見るよりも色気のあるまさに女盛りみんな見とれていましたよ。
さて、ゲームいやレースに戻りましょう。
昨年の中間地点での4時間ペースのロスのひとつにエイドの受け取りに時間を少なからずあったと思う。
なぜなら、そこまでに4回あり県民の協力でのエイドも3ヶ所ある。計7つ。

1分として7分のロスと考える。
自分用のペットボトルを中間点と予備の為24.7K地点に設けてもらった。
ボトル入れポケットが付いているシャツを着ることを思いついた。
ユニフォームの下にそのシャツを着る。ボトルを入れ、マメに飲み干した。

ポイントごとにまた、飲みたいときに飲むロスが出ないように走った。
5K・10K・20Kとほぼデーター通り時間をこなした。
空は太陽が雲にかくれんぼしてくれたので命取りにならず良かった。

20K地点まさにコース最大の山。
100M山頂であり中間点までの長い下り直線コースである。
ここまで来るまでに、登り下りを幾度も繰り返しながら10Kから中間点までは大きな波があります。

坂道勝負地点12K地点伊覇バス停からの1Kの坂と
16K地点JA給油所約2Kの坂と20K地点〜中間点までの2Kの坂の3ヶ所です。
時間は、まさに1分遅れで通過した矢先自分用のペットボトルが無い。
さらに、右脇腹が痛みだした。
様子を見ながら24.7Kに設けてあるペットボトルがある事を祈りつつ
1Kに及ぶ坂道を廻るように急坂を下った。

24.7Kエイド地点探していたボトルがありました。
痛かった右脇腹も消えた。
シャツのポケットに入れ後半に向け気合を入れなおした。
25K辺りひめゆりの塔前で挨拶を交わしトラブルがないことを祈り見守ってくれる事を信じ、
昨年同様動く油絵のような飛行機を見ながら
28K名城ビーチまで軽い足取りで走った矢先恐怖が始まろうとしていた。4に続く

那覇マラソン4

恐怖の始まりは突如とやって来た。
やがて繁華街へと向かう29K付近直線道路フラットである。
応援の人波は途切れることなく色々な方が応援してくれている。
元気が出る。

ロックの音楽が最高にいい響き。左足に体重が乗らない。
やがて、足が止まる。走ろう走れん。無理するといかん。
今までのレースが無駄になる。
完走は勿論気を抜かず最後まで走ろう。

物は考えようだ。
このトラブルの為に今までどのような工夫をして来たか?
そのひとつにプールの中で走るトレーニングとただ歩くんでなく競歩を普段から取り入れたことだ。
そのヒントは佐渡にあった。
最後のラン走るが痛い左足。競歩することで痛みが無くなることだ。

レースに戻りましょう。左足の恐怖。競歩とランを繰り返した。
時より、マッサージの看板ジョカーが沢山順番待ちなんだろうか?そんな様子だった。
受けようか迷った。

受けた事で元通りに走れるのか疑問だった。
我慢して、競歩で行けるところまで行こう。
時間のロス考えたら、受けないでGOだ。競歩=ジョなのだ。
そんなことを考えながら35Kを過ぎ、
左にまがりやがて右へ緩やかにハイウェイ独特のなだらかな坂道が待っていた。

40Kを過ぎたところで、ゆいレールが迎えてくれた。
ここまで来たが、今回はサングラス掛けずに居た。
レースの前にどこか落とした。
応援してくれる人から痛み止め用のスプレーを掛けてもらうジョカーの粒が
風に乗り後から来る各ジョカーの目に入る。
我も何度となく体験した。
気力が途切れる。どんな条件にしてもサングラスは必要なんですね。

最後の下り坂、限界を超えている左足に最後の力を注ぎ坂を下りた。
もうすぐゴール
そこにはボランティアの高校生達が左足を引きずりながら走る我に向かって
ガンバレーのコールとハイタッチで迎えてくれた。
元気が再び出てきた。

しかし、残り300Mが長く感じた。
左足をかばい右足1本で後200M.
後100Mゴールした。
我慢できずに、ボランティアに頼みコース脇に横になり
高校生から痛む左足をマッサージしてくれた。

膝から腿にかけ硬くなっていた。
解してもらった。
しばらく横になり、後からゴールするジョカーの様子を見ていた。

我のように倒れこむジョカーが沢山いました。
真面目に走っている証だなとつくつく思いました。
完走証を受け取りいよいよ御目当ての完走メダルを受け取った。
嬉しかった。
今年は、ホワイトに泡模様素晴らしい琉球メダルだ。
身体が早くホテルへ帰ろうと叫んでいるようです。
足早に会場を後にした。
今夜は泡盛飲んで軽くおにぎり食べ深い眠りにどんな夢の世界が待ってるのかな?
ぬるま湯で何度も解しました。
眠りは、深く深く・・・・・
また、来年も参加したいです。
美味しい安い大きいビフテキとオリオンビールと泡盛で・・・

































那覇マラソン

 投稿者:ヒラサワ  投稿日:2010年12月31日(金)11時50分50秒
旅立ちの朝
今年で3回目の那覇マラソン旅立ちの朝が来た。
快晴気持ワクワク真新しい羽田空港思いもよらず、
新滑走路から上空へ景色も真新しい
いきなり富士山上空を半周いつもなら、大島上空のはずが???
浜名湖新幹線がよく見えた。
名古屋横目に三重上空その先には四国・種子島・奄美諸島。
沖縄那覇空港へ海・海・海。
見えてきた那覇の滑走路滑り込む様に舞い降りる。
眩しい太陽が、お出迎えだ。暖かい。気持ちいい。
マラソンコース下見バスへと乗り込む。
フルコースのチェック開始。データーは揃った。明日の号砲を待つばかりだ。
いざ戦闘開始
9時スタートの号砲が響き渡る。花火も上がった。

那覇マラソン

 投稿者:ヒラサワ  投稿日:2010年12月31日(金)15時41分58秒
今家内から京都の実家出ます。物凄い大雪です。の、連絡あり。
いざ戦闘開始
9時スタートの号砲が鳴り響き渡る。花火も上がった
26973名のランナーがスタートした。マイボトル2本持ち、バックにはジェルを詰め込んで1・2・3のリズムでマイペース守りGO/GO/GO
国際通り過ぎ首里城公園・南部商業高校過ぎ11Kエイドは物凄いランナーの奪い合いだ。
しばらくランナーの群れが延々と続く、マイボトル・ジェルを持っていた私は、その場を後にした。15K手前の緩やかな下り坂をチョイと加速じみに、平和記念公園までの折り返し地点は緩やかな登りがあり、階段登りの姿勢でこつこつ走りぬいた。
マイボトルを中間地点で蓄えた。この地点で2時間10分昨年より5分遅れ。
でも、足は軽かった。ランナーの群れはT列の帯と化していた。
25Kまで長い下り坂ゆっくり下りた。ひめゆりの塔を過ぎあるランナーはお参りする為門を潜っていった。私は今回も門の前で一礼した。しばらくすると、名城ビーチを下る。
飛行機が舞い降りる準備航路である。見えました。すばらしい景色です。
糸満郵便局辺りから30K過ぎ、足は大丈夫だ。このフラットが続く広い道、そろそろ
ギアを入れようか?決めかねていた。ここをどう走るかでサブ4も見えてくる。
しかし、休まず走り続けたが。
35K地点でまもなく4時間になる所でした。昨年このあたり歩いていたことを思えば、
この走りは、上出来ではないかと思い。ここまで休みなく走り抜いていた。
これからが、長いようで短い那覇空港までの緩やかな登りハイウェイ苦しい。
ユイレールがなかなかお迎えに。残り3K。またもやアップダウンがワン・トュー。
残り1K。最後の下り坂を、余るエネルギーを振り絞りゴールまでトップギアで走り抜いた。
気持良かった。最高だ。
最後まで走り抜いた。これがマラソンだ。歩かない。休まない。トントンと走る。
昨年の湘南・那覇歩いたが、今年この那覇で全て走り抜いた。僅かながらの進化です。
また1歩1歩前へ。4時間44分45秒。
また、出たいです。沖縄最高。


























佐渡B定食

 投稿者:ヒラサワ  投稿日:2011年 9月10日(土)23時55分6秒
スイム編
今年もやって来ました。昨日一昨日と夜空を見ていたら、流れ星を見た。見たんだな。
イイ事がある予感を確信しました。
台風の進路が、足踏み状態しかも西に逸れる。
みんなの願いが天に通じたんだ。
大会当日朝4時30分開催しますの情報流れる。B定食は、予定通り7時スタートだ。
日は昇った。気合いが入る。会場へGOみんなで
7時スタート。号砲鳴る。昨年と同様前方左にポジション取る。
イルカ飛びで前へ前へ。
泳ぎ始めるが、しばらくするとバトルの渦の中にいた。両脇に感電が走る。
クラゲの群れの中に?
いやな予感が。私は左から第一コーナーのブイインコースを取った。
しかしながらバトルは終わらなかった。
第二コーナーへロープ際に位置をキープ泳ぎ続けた。今度は、右手腕に感電が走った。
やばいかも。このままレースを続走出来るのか?
思っているうちに第二コーナーブイに向かいインコースを取った。さらにバトルは激しくなる。

ここからが、昨年コースを外れた苦い想いが過ぎった。ここだ。ロープから離れるな。
バトルから解放されたかな?だが、今度は外側にはぐれたスイマー達が寄って来たんだ。
もはや、思うように前には進めない。時間はどうなのだろう?
再びバトルが始まると同時に、クラゲの群れに突入か?
今度は、左頬に狙いをただめたか。
スクスクピリピリ顔に来た。さらに、海のうねりに突入だ。海も怒ってるのかな?
昨年とは、まったく違う。海のささやかなご褒美か?
バトルの中ゴールが見えてきた。みんな先を争うように前へバトルも終わりかな。
と、思ったがゴール手前100Mでしょうか?再び左側から寄って来るものが、現れた。
もう。いい加減にしてよ。思いながらゴールを前に再び喧嘩を狩った。
うまい具合に相手の足首にタッチ。しばらく相手を見たら、ゴーグルに見覚えが。
もしかしたら、姫か?お方様だった。なんてこっちゃ〜。
ゴメン。と、言いながら仲良くゴールを潜りバイクへトランションに向かった。
今回は、2K延々とバトルの渦の中とクラゲ軍団に狙い撃ちされたレースだったな。

佐渡Bバイク編
ウエットをボランティアに手伝ってもらい。脱ぐことが出来た。
気持を落ち着かせながら、ちょうと時間かけバイクスタートした。
しばらくすると、ヤマモト先生に追いついた。両津港辺りまで、先生が前に後にの繰り返しでした。
向かい風が強く感じていたので軽いギアでいいのかな?
ほとんどそのままで行きました。後半になると、いつの間にか先生は私を置いてきぼりにされました。どんどん先生の背中が小さくそして、消えました。
いくつかのトンネルでは、迷わずスピードを上げて飛ばしました。サングラスのお陰です。
話題の上り坂、思い出の坂。今日は風なくすいすいと登れたよな気がします。
昨年Aで、係員に諦めないで最後まで行けますよ。声を掛けられた場所に来た。やはりペダルが重い。ここは不思議な道だ。
やがて、ふたたび海に出た。風は気にしなかった。自然とパワーが足に伝わりゴールまでトップギアのまま飛ばしていた。
ゴール前で、足を着いた時横には、ヤマモト先生出会った。

ラン編
またもや、こころ落ち着かせながらランへスタート。
あれれ?足が軽い。バイクでラスト距離を飛ばしてきたばかりなのに?
いままでなら、しばらく歩くのに20Kテンポよく走ることが出来た。
普段通りの走りだ。驚くばかりだ。いくつか仲間と連れ違いハイタッチ。
途中ヤマモト先生が、折り返しは?と、聞かれ。この先だ。ガンバレー。
西坂さんにも折り返し手前で確認。もしかしたら追いつくかな?と、思いこつこつテンポよく走り続けた。
アナウンスが流れる。私の名前を読み上げている。アナウンサーに向かい手を振り応えた。
もう終る。ゴールまでどんなポーズで行こうか考えていた。
ゴールが近くなる。前後にランナーが居ないことを確認。今だ。
サングラスをウルトラマンの変身具に見せてハートからウルトラマンのポーズを取りゴールした。
アナウンスが、平澤さん2年ぶりのゴールです。おめでとう。感動した。
佐渡はハートが熱い。嬉しい。

















大阪マラソン

 投稿者:ヒラサワ  投稿日:2011年11月19日(土)18時24分9秒
2011・10・30の朝が来ました。
しかし、天気は時より雨が降る最悪な予感。
天王寺のホテル周辺を30分軽くジョジングした。
やがて、日が昇る雨は止んだ分厚い曇り模様。
みんなで大阪城へ向かう。
会場に着くころは時より、雲の切れ目から太陽が顔を出してくれた。

午前9時府庁前スタートの号砲が鳴ったかな。
花火が上がらない。
分からないまま20分掛けてスタートラインを通過した。
真新しい時計にON。行くぞ。
サイド側をマイペースで走り始めた。仲間はどこか分からん。
森の宮駅を見て右に曲がると玉造筋3K走ったところでまた、右へ大通りに出た。
千日前通りだ。

記憶にある大火災のデパがあった場所を走り抜けた。
広々とした道ですね。気持がいいです。
難波の交差点を右へ曲がるとあの雨の御堂筋に入る。
前が遅く走りにくかった。道の中庭に並木道が邪魔だった気がする。

ごった返しする前後を、目に着いたランナーの後ろに付きうまくかき分けるように走った。
相手の走るリズムに合わせやがて、チャレンジランのFINISH淀屋橋を横目に右へ曲がる。
道が再び広くなった。ランナーもチョイと散らばったようだった。
トイレをどこでしようか?
走りながら、様子を見ていた。10K過ぎた辺り奥にトイレがあり向かった。
ここで、トイレよほど気温が不安定なんだと思う。
待つ列に並ぶ、どの位時間のロスかな?

様子を見てると、立ちションしてるランナーが沢山見かける。地元のランナーかな?
そばに川が流れていたかな?時間考え真似した。
そこへ警察の車が止まった。やばい。けど、平気?
足早にコースに戻った。すると、カメラの集団に出会った。
誰か分からないが、太った芸人のようだ。
暫くすると片町の折り返し点に差し掛かった。

大阪市役所・中央公会堂横目に流れるように
走り抜けた。今度は、左に曲がる?
何か映画のスクリーンでも見ている様な場面に目を疑った。
淀屋橋を渡る。再び御堂筋を走る。今度は並木道がない。広々とした道だ。

ランナーが、再び散らばったので走りやすくなる。
15K過ぎたころだった。どこかで見たことのある一人のランナー を発見様子を見た。
すぐ分かった。隊長タケヤサンに追いついたのだ。
一緒にいた大野さんは、と、聞くと離れ離れになった。
真っ直ぐに伸びた御堂筋の道を、二人並んで暫く走った。
いいですね。仲間が居るから出来るスクリューンですね。

再び、難波の交差点に出会う。右へ曲がる。気分良く足は軽い。
やがて、大阪ドームを拝見。
UFOのようだ。東京体育館かいな?
松島公園折り返す。中間点を通過する。
隊長はどこだ?見当たらん。チョイ後ろを確認。25M後方に隊長発見。

再び難波交差点に向かう。
来た道御堂筋を左に見て、右へ曲がる。
緩やかな登り下りの後左へ曲がる。
24kを過ぎると通天閣が、見えたような見えなかったナ?折り返し点を通過。
再び来た道へ戻る。交差点を今度は、戸原橋駅に向かって緩やかに下る感じだった。
T字路を左に曲がった。
駅のホームでランナーに向かって手を振る応援者を上に向かって答えた。
いい風景だ。嬉しいね。

脚が、何となく重く感じ始めたころ国道26号線に再び入った。
27K過ぎかな?沿道に応援者で並んでいるではないか、
あるランナーが沿道の方達とハイタッチしてる光景を眼にした。
30K辺りまで延々と応援者の帯。元気を貰おうと思いハイタッチに参加した。
脚の痛みは、いつの間にか消えた。
沿道の方達にありがとう。と、声を掛けながら快足に走り抜いた。

そして、30kの看板を見て
30kだ。と叫んだのだ。後12K程なんだと。
十分過ぎるほどの元気を貰うことが出来て良かった。
思う。やりたかったんだよな。嬉しい。

国道26号線にサヨナラした。
右へ左へと思ったら33K地点交差点をまた、右へ曲がったよ。
何ぼ曲がりゃ気が済むんじゃ?と、思ってるうちに前が詰まり始めた。何だろうか?
最後の山があった。
前から思っていた場所にたどり着いていたんだ。
おそらく地獄の登り坂なんだろう。
歩かんぞ絶対と言い聞かせ。ここからが練習通りのジョジングペースで行こう。
思えば、38K地点だもの良く頑張った自分を奮い立たせ。
山を下った。左に曲がったその時、捻った左足だ。痛い。
道の段差に足を捕られたか?
痛みを堪えながら、ひたすら練習通りジョでこつこつゴールへ向かった。
時間は、4時間15分になろうか?40K手前です。
痛い足痛い時間。那覇とほぼどうタイムだ。
4時間41分でFINISHゴールテープ潜る。
終わった。走ってきた道に向かって、一礼。

ありがとう。OSAKA。大阪の街。沿道の応援隊達。
また、来年走りましょう。OSAKA。
淀屋橋の風景が未だ映画のスクリューンのように蘇る思い出しているこの頃です。
管理人殿よろしくお願いします。ョ。













2012/3/18板橋シティー荒川

投稿者:ボラノブピュラ 投稿日:2012年11月25日(日)16時24分17秒
2年ぶりの荒川マラソン天気は曇り気温やや低い、昨日の雨が心配でした。
朝みんなと池袋のホームに集まり、荒川マラソン会場に向かう。大阪マラソン以来の大会である。
いつものように9時スタートした。いつものようにサイドから前に前にマイリズムで前へGO。
15Kは、ランニング練習距離なので楽に抜けることが出来た。ここまで、いいペースで来た。
その先もいいリズムで折り返しまでベースメーカー見つけては付いて来た。時間は、2時間を超えることはなかった。
25K越えてから、後ろからタケヤさんが追いついてきたのだ。ペースは私より早く感じられたので、ベースメーカーとして、どこまで付いてこられるか分からなかったが、タケヤさんから、(俺のペースに付いてきたらいいよサブ4間違いないからと)タケヤさんのペースリズムで付いて行った。
しかし、35K手前でタケヤさんのペースに付いて行けなくなり、ひとりになり残りの約10Kをジョジングペースキロ7分でなんとかゴールを目指した。
残り2Kで15分を切っていた。ここから、時計を見ないで走ろう。1・2・3・・・1・2・3
やがてゴールが見え前に足を急がせた。
時計にストップを掛けるのを一瞬忘れ止めた。4:00:30で止まっていた。
残念。また次回のお楽しみと気分を切り替えた。
だが、その後の大会で35Kからのペースダウンになるとはまだ知らぬ私がいた。




















2012・10・7アップルマラソン

投稿者:ボラノブピュラ 投稿日:2012年11月25日(日)17時46分57秒
いよいよ東北新幹線E5系に乗る日が来た。
新宿から中央線で東京駅へ高いホームの神田よりから人が集まっている。
新幹線乗るまで時間があったのでこれから乗る新幹線ホームを見ていた。
やがて、人が沢山ホームにあふれだした。SPや警官の姿が多くなった。いつもと違う空気であった。
足早に後にして、東北新幹線に乗りました。終点新青森なのでグリーン車です。
上野を過ぎ大宮を過ぎてから、スピードが上がった。速い揺れなく日ごろの疲れが取れ気持良かった。新青森に着き在来線で弘前に向かいました。のどかな田園風景がひろがっていました。
弘前駅に着くとなんとビックステーションビックリです。お岩木山がお出迎えてくれました。
次の日スタートの時間が迫ってきました。みんなウォーミングアップを始めていた。
9時の号砲と同時に走り出した。すぐ急な坂道を下る。しばらくロードを走るが自分のスペースが取れるくらいマイペースで走れました。練習通りに1・2・3リズム取りながら10K過ぎた辺りから
農村地帯の細い道路を通り抜けお岩木山とお別れする。
やがて、山岳地帯入口で川の上流と出会う私はしばらくその風景に数分眺めていました。その風景に向かって無事に完走出来ますように祈りを捧げました。
川沿いをしばらく走りました。川を離れ道は登ったかと思ったらまた、下りの繰り返しでした。
広いロードに出た。1本道でどこまでも緩やかなカーブ分からないが、登り坂なのです。
トップランナーが、折り返しから帰って来た反対側の道、速いですね〜。
私も、折り返し点に着き、今度は来た道を下る。楽でした。ここで、ペースを上げたいと思い走りのいいランナーの後ろに付き前に、その一人に若い女性ランナーの後に付き付いて行きましたが、やがては、知らないうちに離されてしまいました。速い???
川沿いに戻り天気が良くなり気温が上がり始めていました。
みんな日陰に寄りに走っていました。私も自分のスペースを取りマイリズムで先を急ぎました。
山岳地帯から農村地帯へ抜けた。何度となく見覚えのあるランナー数人と抜いたり、抜かしたり追いついた。いや、離された。の繰り返しでした。
再び、お岩木山と出会う。広いロード1本道ペースダウンせず、35K過ぎまでいいペースできた。
後2K地点で、左足に違和感が走る。一気にペースダウンだ。先を見れば心臓破りの登り坂が見える。
その坂を登る途中で、走り終えたランナーから頑張れ―ゴールはすぐそこだ。と沢山の走り終えたランナーに声をいただいた。
元気が出た。もう他のランナーにここからは抜かれまいと約500Mの距離をゴール目指して痛みを忘れて前へ前へ足を走らせた。
時間は、4:07:40かな?
残り2K付近での大失速が、残念でたまらない。ロスなし、歩かないできたので悔しい。
振り返って、いいコースですね。