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登場人物紹介
【二章】


厩へ愛馬を戻し、手足を拭って城塞の中へ戻ったデイ・アナを待ちかまえていたのはさらに
気の滅入ることであった。オー・タンは騎馬の民であり遊牧の民である、故に子供達の数が
多い。多いとはいえ全部が無事に育つわけでもなく、半分は大人になることなく天から迎え
が来る。差し引き数は合うのだろう。
イルクーツクも草原の男にもれず四人の后に十七人の子供がいる。
草原では、大人達は忙しく働いているため、子供の面倒を見るのは年長の娘の仕事となる。
当然イルクーツクの子供達も同じように、幼い兄弟姉妹の面倒を見るのは年かさの娘なのだ
が、この三年ばかりその仕事はデイ・アナのもとされていた。
デイ・アナには五つ違いの姉がいる。しかしその姉は弟や妹の面倒を見たりはしない。
さもめんどくさそうに、デイ・アナに押しつける。ロリ・アナは、美しく生まれてきた自分
に子供の世話など相応しくないと言う考えの持ち主だったから、より相応しい者に任せたつ
もりだった。
父親のイルクーツクがロリ・アナを溺愛し、何でも肯定して見せた所為で自分の言い分が正
しい筈だと誤認していた。この世が思う儘だとロリ・アナが錯覚したのは彼女の所為ではな
い、しかし他人から言われたことを信じるだけで,自ら考えようとしないロリ・アナは愚か
な少女でもある。妹だといえデイ・アナが、世の中が儘ならない物だと理解しているのにく
らぶべくもない。
デイ・アナを待ちかまえていたのは、ロリ・アナの嘘といい加減な真似に振り回されお腹を
すかせた弟妹達と不機嫌を顕わにした成人前の兄たちだった。子供部屋はひどい有様になっ
ていた。弟たちは駆けずり回り、一番下の妹イラ・カナは大声で泣いている。部屋の入り口
では三人の兄たちが不機嫌そのままに年かさの妹たちを睨み付け、鳴き声がさらに増えそう
になっていた。

「いったい何事なの、ロリ・アナ姉上はどうしたの」

デイ・アナは、素早く部屋に入り込み泣き続けているイラ・カナを抱き上げあやしながら尋
ねた。三人の兄たちは直ぐさま噛み付くように答えた。

「どうしたじゃないだろ。お前こそ何処にいたんだ」
「いったい今まで何をしていたんだ」
「大声を上げるな、脅かしてどうする」
デイ・アナを責めたのは、四男のカラグイルと五男のテドライルで、その2人を諫めたのが
三男のクリグイルである。
クリグイルは、2人の弟を黙らせると改めて、デイ・アナに尋ねた。

「いったい、この部屋はどうなっているんだ?それに、お前は今まで何をしていた?」

カラグイルもテドライルも不満げではあったが、兄に反抗するわけにもいかず口を閉じてデ
イ・アナを睨んでいる。部屋を見回し、更にため息を一つ付き
「この部屋がどうかしてるなら、その訳はロリ・アナ姉上に聞いて欲しい。私は、姉上が代
わりにやっておくと言うから、姉上の羊を集めに一日中外にいたんだ」
「どうしてと聞くのも愚問だな。父上もロリ・アナを甘やかしたりしなければいいのに」

クリグイルは、呆れた顔をしながらも父親を批判した。父親の依怙贔屓がひどいのは今に
始まったことではないが、ロリ・アナとデイ・アナの扱いにはあまりに差がありすぎると
常々思っていただけに、今日ばかりはこの妹が気の毒でならなかった。

「そんな事、どうでも良いよ。俺達の湯浴みは・・」

我慢しきれずにぼやいたのはテドライルだったが、クリグイルは一睨みして弟を黙らせる。
兄弟の中でも、クリグイルは長兄ザイナイルに次いで穏やかな性格だが、怒らせれば長兄よ
りも次兄よりも怖い存在であると弟たちは理解していた。

「湯浴みがしたければ自分達で用意しろ、これ以上デイ・アナに負担を掛けるな。ザンダイ
ル、ボリクイル暴れるな」

駆け回る末の弟達をひょいと捕まえ、担ぎ上げデイ・アナに提案をする。

「取り合えず、このやんちゃ小僧どもの相手をしておくから、先に食事をさせよう」
「そうしてもらえれば助かります、クリグ兄上。ひょっとして、兄上達もまだ食べていない
んじゃありません?」

デイ・アナが心配そうに尋ねると

「その通りだけどね、我慢が出来ない訳じゃない」

クリグイルは笑いながら、カラグイルとテドライルを見ながら圧力を掛けた。
デイ・アナはクリグイルに感謝の眼差しを向け

「サラ・カナ、イラ・カナを見ていてちょうだい。タタ・サナとマラ・カナは私と一緒に来
て食事を運ぶのを手伝って。テドラ兄上、その後で良ければしたくをするけど?」

最後に、すぐ上の兄に向かって尋ねる。
テドライルは、クリグイルを見てから諦め顔で答えた。

「明日で良いよ」

賢明にも黙っていたカラグイルも、同意を示すように頷いた。食事を済ませ弟妹達を全て寝
かしつけると、デイ・アナは兄たちのためにお茶の支度を整え
た。たっぷりと沸かしたお湯の中にお茶を削りだし、今日作られたばかりの酪を多めに入れ
れば癖の強い茶の香りが酪と混じって柔らかな香りになる。
大ぶりの茶碗にお茶を注ぎ、兄たちに渡すと漸く一息がつけた。
小麦を蜜で焼き固めたお茶請けをほおばりながら、テドライルがデイ・アナに

「何だって、ロリ・アナ姉上はああも自分勝手なのかな?」

不思議そうに尋ねるが、デイ・アナには答えようが無かった。
普段から口数の少ないカラグイルが妹に変わって弟の疑問に答える。

「ロリ・アナ姉上が自分勝手なのは父上の所為だろ」
「どうして、父上の所為なんだ?」

真剣に聞き返す弟に、呆れながらもカラグイルは答えてやった。

「決まってるじゃないか。父上は、姉上が仕事をさぼっても怒らないからさ」

カラグイルの身も蓋もない言い方に、クリグイルもデイ・アナも苦笑をうかべるしかない。
事実、彼らの父イルクーツクはロリ・アナに甘い父親だった。

「それって、ずるくないか?」
「ずるいなんてもんじゃない。そのくせ口だけが上手いんだ、他のことは何にも出来ない
のに。父上は依怙贔屓してるんんだ」
「えこひいきって?」

次から次へと疑問を出す弟にカラグイルが無視をすると、クリグイルが変わって答える。

「父上はロリ・アナが可愛くってしょうがないんだ」
「だから、さぼっても怒られないんだ」
「良くないことだけどね、本当はロリ・アナだって自分のことは自分でするべきなのに、
父上が簡単に許してしまうから・・何も出来ないままなのさ」

納得しかねるという顔でお茶を飲むテドライルを見ながら、クリグイルはデイ・アナに何と
声を掛けようかと迷っていたが

「お前も苦労するね」

結局ありきたりの慰めにしかならなかった。
デイ・アナにはクリグイルが何を言おうとしていたのかが解って、そのありきたりの慰めに
今日一日の疲れが癒されていく思いがした。

「でも・・どうにか出来ないのかな?ザイナ兄上に注意してもらうとか?」
「誰が注意したって同じだよ、父上じゃない限り」
「だけど、デイ・アナが可哀相だと思う」

今日は驚かされることばかりだと思いながら、デイ・アナはカラグイルに

「ありがとう、カラグ兄上。でも、別に私は可哀相じゃない。ただ、姉上は何か言われれば
それを恨みに思う人だから下手なことは言わない方がいい」

感謝と、忠告を言った。デイ・アナのそんなもの言いに、クリグイルは物の道理が解りすぎ
て不幸な妹の未来が不安になる。天はロリ・アナに美貌を与え他には何も与えず、デイ・ア
ナにはそれ以外の物を全て与えたような気がしてならなかった。天は公平だと皆が言うが、
この姉妹に関して言うなら何故全てを公平に与えてくれなかったのだろうと不思議に思う。
デイ・アナは黙ったままで、微笑む。少なくとも兄達が自分の心配をしてくれていると
解っただけで、十分幸せな気分になれたと

「さて、私はこれから少し、姉上に文句を言ってくる。兄上達はもう休んだ方がいいと思
うな」
「平気か?デイ・アナ」

テドライルまでが、心配そうに着てくる。

「大丈夫、姉上に恨まれるのはいつもの事だし。それに今日は流石に父上も黙っていられ
ない事があるから。伯父上達も集まってるから良い機会だわ、姉上には気の毒だけど」
「気を付けろよ」

カラグイルが励ますと、

「無理はしないで、お前も早く休むんだよ」

クリグイルがまだ心配そうに付け加えた。デイ・アナは戯けて肩を竦めると笑って見せた。

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