1・ザタール帝国園遊会

  ザタール皇帝の宮城内に設えられた庭園には、大勢の招待客で溢れ賑やかで盛況な様子だった。この日は、皇帝陛下の在位二十周年と並びにザタール建国記念式典が取り纏めて行われ、庭園での園遊会には皇族や貴族だけではなく、国内外の大商人や声楽、舞楽、各分野における芸術家なども招待されていた。
 園遊会における彩りは、多くの貴婦人達であり、歌手や俳優や舞踏手などであった。
 それぞれが贅を凝らし、奇をてらい華やかな装いを競い、人々の目を楽しませる。特に華やかな一団は、若い貴婦人達である。はじめて社交界へ出席を許された少女や、婚礼の準備を整えようとする娘、そして新妻となった妙齢の女性達の回りには姉妹従姉妹への紹介をあてに、とりわけ多くの殿方達が集い笑いを集めている。
 会場のあちこちに美しい花々が飾られ、ちょっとした食べ物やお菓子が盛られた小卓が並び、この日のためだけに雇い入れられた給仕達は、飲み物の杯を満載した盆を掲げ客人達のあいだをすり抜けてゆく。
 それぞれの場所で見合った階級同士が取り留めもない話を交わしながら、皇帝陛下のご来臨を待っていたが、やはり一番の注目となる話題は新しい精霊使いのことである。
ザタール帝国は精霊神を信仰する国家であるが故、その精霊神の巫覡や精霊の使い手には並々ならぬ関心がある。
 炎、水、大地、風、光、闇、六つの精霊神に祝福を受けザタールは興った。どれ一つ欠けていても国を興すことは出来なかったと建国神話にある。ザタール王国がザタール帝国となりおよそ三百五十年、ザタール王国の起源から数えて一千年に及ぶ歴史はドアーナ大陸図一を誇る。砂漠の中に生まれた町が巨大な帝都となるまでには十分な時間だが、精霊 神達の祝福がなければここまでの繁栄はあり得なかった。
 故に近年精霊使い達の数が減少傾向にあることで帝国の繁栄に暗い影を落としていたが、数年ほど前に新しい精霊使いが誕生したとの知らせが上がった。
 しかも、めったに守護されることのない闇の精霊に守護を受けた使い手だと言うことなのだが、この五年誰一人としてその姿を見た者が無く、その存在が疑われ続けていた。
 今日の園遊会に、その新たな精霊使いが出席するとの噂は早い内から流れていて、わざわざ式典庁に確認を取る者が後を絶たなかった。あまりの確認の多さに音を上げた式典庁では、出席者の名簿を公開する羽目になったが、「確認は問い合わせた各人でご自由に」とはほんのご愛嬌と言うものだろう。
 名簿に記された名前は聖闇神殿精霊士メリーナとされ、そのほかの記述はいっさい無く人々の好奇心をかき立てた。普通なら出身地と位や係累が記されるものだが、精霊士メリーナには真実外の記述はされていなかった。
 しかし、出身地や係累が記されていなくとも帝国の人間ならば決して見誤ったりはしない。なぜなら精霊の守護を受けたるものは、その精霊の示す色を身に纏うのが常であり、その守護が強ければ強いほど精霊士自身がその色に染まるからである。
 新しい精霊使いは闇の精霊の守護を受けたものだからその色は当然黒である。
 庭園内は鮮やかな色に溢れている分、黒の装いは随分と目立つだろう。そして、髪の色、瞳の色さらに変わったところで爪の色である。人々は穏やかに歓談しながらも、抜かりなく庭園のあちこちへ視線を投げている。何時、どこから精霊士メリーナが現れても良いように。

 園遊会の会場となった庭園の外れには用水地がありその池には橋が架かり、中程には四阿があった。本来ならば静かなたたずまいを持っていたが、今日は些か違っていた。ザタール帝国第二皇子ファリク殿下とその取り巻き達に占拠され、常になく騒がしくなっている。
「くそぅ、面白くない。面白くないぞ!あの陰険気取り屋め。一度絞め殺してやりてぇ」
四阿の中に据え置かれた長椅子に、これ以上はなくだらしなく寝そべった青年はつぶやいた。今日の式典のために新調された衣装は既に見る影もなく皺だらけになっていた。
 ザタ−ル帝国第二皇子は、何処かまだ幼さの残る顔をしかめながら衣装に付いた房飾りを引きむしり、池の中へ投げ込んでいる。体つきは既に充分なほど成長しきっているようだが、  精神面では身体面ほどの充実した成長ぶりは見られない。
「どの様な回想も結構ですが、そんな事は口にはしないで下さい皇子。」
長椅子の後ろでファリク殿下を諫めるのは、内務庁長官のダキーヴ子爵の子息でイレウス卿。金銭で身分を贖った成り上がり貴族と蔑まれることより、ファリク殿下の腰巾着と呼ばれることに怒りを覚える生真面目青年。そのイレウス卿から顔を背けた反対側から
「そうです、ひょっとしたらこの池の中にだって間者が潜んでいるかもしれませんね」
同意を表したのは、検察庁長官のマグリブ伯爵の子息レクサンド卿。代々犯罪者を取りし舞う家系にありながら、違法でなければ合法と嘯く大胆不敵な遊び人。
 ファリク殿下は長椅子の上で上手に寝返りを打つと頭を抱えて俯せになる。それを目前で目にした近衛軍総帥バリム侯爵子息ダレン卿。武門の名家に生まれながら神殿勤めがしたかった本の虫は、大きな掌で顔を覆い盛大なため息を付いた。
 縦方向に大きくのびた四人の青年を後目に、水菓子を咀嚼し終えた小柄な青年は、
「そこまでご機嫌取りする必要がある?今回に限って言えばファリクの自業自得。ジェニス殿下につけ込ませたりするのが悪いんだから。」
容赦なく断言した。イレウス、レクサンド、ダレンの三人は一様に顔をしかめる。
「何で、俺が悪いんだ!」
「そんな事当たり前でしょう、ファリクからばれたに決まっている。」
 ファリク殿下の反論をあっさり封じた小柄な青年は、ザタール帝国で三本指に入るブレイス商会の次男坊でキャリアルマ・ブレイス。最も小柄で大人しそうなこの青年は、この五人の中で最年長であり、ファリク殿下の乳兄弟だった。
 生まれも育ちもまるで統一性がないこの五人組は、どう言う訳か気の合う仲間であった。
そしてキャリアルマを除いたイレウス、レクサンド、ダレンは、身分や家柄と言う物を全く気にしない変わり者で破天荒な第二皇子が何よりも気に入っていた。
 ザーム三世陛下には三人の皇子がある。
世継ぎの君たる皇太子ファンダム殿下、同母弟第二皇子ファリク殿下、異母弟第三皇子ジェニス殿下、本来であるならば三人の皇子を持ち次代の治世に不安なしと言ったはずなのだが、この三人の皇子達のあいだには奇妙な不協和音が存在していた。
 それは、概ねファリク殿下の本質に原因を発していた。ファリク殿下は良く言えば大らかで素直、悪く言えば単純で品がないと言うことになる。「ザタール皇帝の皇子らしく」と言う言葉ほどファリク殿下を滅入らせる物はこの世に存在しない。
 最もザタール帝国の長い歴史の中でもファリク殿下ほど破天荒な皇子はいなかった。兵舎や厩舎での寝泊まりならともかく宮城の庭で野宿をする、粗末な着物に着替えお忍びで帝都を散策する、しかも高貴な人々が決して近寄りはしない場末の酒場や賭博場に出入りをし、水夫や人足と気軽につき合う。こんな事が十歳になるやならずの内から繰り返され、侍従や女官達を呆れさせる。
 皇帝の息子ではなく将軍の息子に生まれていれば回りにとっても本人にとっても幸せであったのだが、残念なことにファリク殿下は第二皇子としてこの世に生を受けた。 ザタール皇帝ザーム三世の第二皇子は風の時に生まれ、誰よりも自由奔放に生きてきた。 その生まれに関して、本人よりも不満を持っていたのが第三皇子ジェニス殿下である。
 ジェニス殿下は長兄ファンダム殿下を何よりも尊敬していた。そのファンダム殿下の同母弟でありながら似てもにつかないファリク殿下が心底嫌いだった。
 ファンダム・ファリク両殿下の生母は皇后、ジェニス殿下の生母は妾妃の一人である。皇子といっても皇位継承権を持つ皇子と持たない皇子では大きな差がある。第二皇子と、第三皇子は僅か三日違いで生まれてきた異母兄弟。何かにつけ比べられることが多く、お互いに張り合わずに入られなかった。その張り合いも、長兄のファンダム殿下が在れば事たあいのない意地の張り合いで済んでいる。
 しかし、どれ程回りが第二第三皇子を比べても最初から勝負は付いている。
 それこそがジェニス殿下最大の不満だった。
 我慢することの方が多いジェニス殿下にとってファリク殿下の勝手気ままな振る舞いは許せないことだったので、事何かある毎にファリク殿下に対して当たりがきつくなる。幼い内はそれでも良かったが、それぞれが成長し次代の担い手として立つ時が迫り、ファリク殿下とジェニス殿下の諍いは、笑い話では済まなくなってきていた。
 ファンダム殿下にしてみればどちらもかわいい弟なのだが、二人の意地の張り合いについてはどちらの味方もしなかったため、特にジェニス殿下の不満をあおってしまった。
 その不満はそのままファリク殿下に降り注ぎ、少々所でなくまずいことを父帝に余すことなく報告され厳重な注意を受けてしまい、国中上げてのお祭りの時期宮殿内で軟禁生活を余儀なくされていた。軟禁状態のファリク殿下にとってこの三日というもの災難続きで、最たるものが園遊会への出席だった。
 今回ばかりは直接父たる皇帝に言いつけるという大業を繰り出したジェニス殿下のおかげで、ファリク殿下は些か所ではなく、ご機嫌斜めになっていた。

「だいたい、ジェニスの奴はどうして俺ばかり目の敵にしやがんだ?なあ、キャリ」
 ファリク殿下は長椅子の上に起きあがり、胡座をかくと乳兄弟に向かって真面目に問いただした。四阿の中に持ち込んだ食べ物の山を物色していたキャリアルマは
「なあ、キャリって。今更どの口がそう言うばかなことを聴くのか、僕の方こそどうして?と聴きたいね。」
冷たい眼差しを送りながら訪ね返す。
 さすがのファリク殿下も、乳兄弟の機嫌が自分に勝るとも劣らず悪いことに気が付くとこれ以上キャリアルマの神経を逆なでするよりは、別の話題に替えた方がいいと考えたが、すぐには別の話題など思いつけず、他の三人へそれとなく目をやった。 ファリク殿下の視線を受け、仕方がないとばかりに一番口の軽いレクサンドが助け船を出す。
「そう言えば、噂の精霊士が登場するんだよね。ダレン、新しい噂は聴いていないかい?」
「俺の所まで、うわさ話が届くと思うのか?」
「勿論、下々のうわさ話なんて君の耳に届くわけがない。無いけど、お偉方の噂ぐらいなら耳にしそうな物だろう。何しろ我々は上の方にとんと縁がない。」
「内の親戚連中よりも、内務庁の方が早いんじゃないか。」
 話を振られたイレウスは、
「早いことは早いが、うちの父に一商売されたらたまらないとばかりに、式典庁の者達はみんな貝になっているよ。内密とか、秘密とか父に掛かれば意味がないから。」
 身内の恥をさらす羽目になった青年は決まり悪げにそう言った。
「本当に徹底しているよね今回は、シラス学院と、聖闇神殿が固めているから。」
 少々大人気ない真似をした自覚のあるキャリアルマも話題にのってくる。
 五人はかおをみあわせると、
「今度、神殿に行ってみるか?」
 ファリク殿下が瞳を輝かせながら悪戯気に囁くと、皆満足げな微笑みをうかべ頷いた。宮城内に足止めを食らった、皇子に付き合い閉じこもってばかりには既に飽き飽きしていたのだ。五人の頭の中では、如何にお目付役を監視かいくぐり外へ出ていくのか検討中であった。
その時、四阿の下で涼やかなざわめきが起き水面を揺らす。五人の耳にもその音が届きそれぞれが顔を見合わせる。
「あっ」
 キャリアルマが奥宮へと続く橋の先に目をやれば、残りの四人もつられてそちらを向く。
 重なり合うなり合う木立の中に突然人影が現れる。宮城内で目にするには余りに異様な姿の二人組であった。
 一人は背の高い男のようで、カトゥールと呼ばれる外套で首から下を完全に覆っているが、その下の膨らみは明らかに武装していると思える。頭にはきっちりと布が巻かれ、砂漠の民がよくつけている額当てをし、裾から除く足下は帝国製の長靴を履いている。肌は浅黒く、上から下まで黒一色の拵えはまるで渉り戦士のようである。
 今一人はその男の肩口あたりまでの若い女。男とは正反対に肩も腕もむき出しであっさりとした筒形の服を腰帯できつく締め上げ体の前で結び、むき出しの腕には肘の上まで黒い手袋をはめ、薄手のショールを纏わせている。黒髪が複雑な形に結い上げられてまるで帽子でもかぶっているように見える。
 二人組は若い女を先にして橋の方へと近づいてきた。

「そろそろ機嫌は直ったか?」
 張りと深みのある声が何処か面白そうに訪ねる。
「どう、直しようがあるの?ある訳がないじゃない」
 いかにも腹立つといった風に言い返した高い声は、まるで拗ねきった少女そのまま。
「そうはいっても、もう時間がないぞ。お師匠様の顔に泥でも塗るか」
 男は穏やかにいい聞かせる。
「嫌だと思ったら、嫌だと言え。そう教えたのはあなたよ、グラン」
 若い女は答えながら、勢いをつけて橋を駆け上がった。
「メリーナ!!」
 グランと呼ばれた男もあわてて後を追った。
 メリーナは橋上を駆けてゆくが、中程の四阿の脇を通り過ぎようとして突然足を止めた。人影に気づいたため振り向いた。凝視とも言える、少女の強い視線を浴びてファリク殿下とその友人達は、唖然として硬直した。
今日この宮城の中で、メリーナという名を持つ者は一人しか居ない。
【暗黒精霊士メリーナ】が少女と言っても可笑しくないほど若かったとは、思いも寄らない青年達だった。

          


present by nadesiko-yasima