2.青年達の災難 

四阿の中で呆然とする五人の青年達をメリーナはしげしげと眺めていた。用水池の水は更に沸き立ち理を忘れて雫となり、四阿の周りを飛び回る。 
「な、なんだ!」
「つめたい!」 
四阿の中で悲鳴が飛び交ったのは、飛び回る雫がファリク殿下とその一党を襲撃したにほかにならない。メリーナを追いかけてきたグランは、間一髪でカトゥールをの裾を広げて襲撃を防いでいた。 
「ねえ、グラン。この方達だって園遊会を抜け出してるみたいよ」 
苦笑をこらえながら、少女がのんきなことを言う。 
「そういう問題じゃないだろ」 
呆れたように言い返しながら四阿をのぞき込み、頭から水浸しとなった五人にいかにも拙いと顔を顰めた。 勿論、ファリク殿下達も黙ってはいない、茫然自失の体を晒してしまった分、その声には隠しようもない棘が出ていた。 
「おい、何だって俺達が頭っから水を被らなきゃならないんだ!」 
とても帝国の皇子とも思えない下品な口調で、メリーナを怒鳴りつけた。 怒鳴られた当のメリーナは少しも慌てることなく 
「まあ、ファリク殿下。私が水を掛けたわけではありませんわ。いくら殿下であってもそれは言い掛かりというものではございませんか」 
自分の無罪を主張して微笑んで見せた。その微笑みにまたもや唖然とさせられた一同だが、今度はキャリアルマの方がいち早く口を開いた。 
「手も触れずに水を動かせる人間は多くないでしょう、この場においてあなた以外の誰にこんな真似が出来るんですか?是非、お聞かせ願いたいものですね、精霊士殿」 
キャリアルマは実に丁寧にメリーナへと質問するが、他の四人の青年達はそれが怒りのためであると正確に理解したが、質問を受けた方は気にも止めずに 
「ブレイス商会のキャリアルマ様、私には水精を自在に操る術など持ち合わせてはおりませんわ。もしお疑いでしたら勉強家のご友人、ダレン卿にご確認下さいな」 
突然お鉢を廻されたダレンも驚いたが、キャリアルマの方はもっと驚かされていた。イレウスやレクサンド、ダレンは良くも悪くも高名な貴族の子弟であり、精霊士たるメリーナが彼らのことを知っていたとしても不思議ではない。しかし、キャリアルマはファリク殿下の乳兄弟というだけで、彼自身は何の位階も身分も持ち併せてない。ましてやこの少女が、自分の顔を知っている筈もないと思っていただけに、メリーナの指摘はキャリアルマをたじろがせるには充分だった。 知恵も、舌も良く回るキャリアルマが黙り込むという珍しい現象に首を捻りつつ 
「私たちのことを知っているのか」 
とイレウスが尋ねた。 
「勿論ですわ、皆様方は有名でいらっしゃいますもの」 
澄ました声でメリーナが答えると、いつの間にか彼女の後ろに立ったグランが堪えきれずに吹き出した。 
「何なのよ、グラン」 「何が可笑しい!」 
メリーナとイレウスは同時に声を上げる。それが更にグランの可笑しさを誘ったのかとうとう大笑いを始めた。 
「相変わらず、失礼な人よね。そう思わない」 
誰にともなくメリーナは聞いてみた。 生真面目すぎたイレウスには、荷が重すぎると判断してレクサンドは咳払いをしてメリーナの注意を引く。 
「相変わらずかどうかは知らないが、ここまで大笑いされれば充分に失礼だと思うよ」 
「グランは大抵、失礼な人ですわ。おまけにこちらが怒っていて少しも堪えませんし、反省も謝罪もしませんわね」 
言葉は丁寧であっても、内容は容赦がないメリーナの言いぐさに 
「護衛士の失礼は、主たる精霊士の失礼に当たると思うよ」 
「確かにグランは私の護衛士ですが、この年になるまでの人格形成に責任は持てません。第一グランに躾を必要としたとき、私はまだこの世に生まれてません。あまり無理なことを仰らないでください、レクサンド卿」 
「無理じゃなくて、今からでも躾てみては?」 
「どうやってですか、本人が必要としないものを押しつける方法は、学院でも教えてはくれませんのに。もしご存じでしたら教えて欲しいものです。」 
きっぱりと言い切ったメリーナに、ファリク殿下達は口を噤むしかない。今までこの帝国内で、彼らに対してここまでぞんざいな扱いをする者はなかったし、そんな扱われ方をされたこともない。それぞれに名を上げなおかつ頭も切れる青年達の頭を掠めたのは、新しい精霊士は人前に出なかったのではなく、出されなかったのではないかと言うことだった。 その中で、気を取り直したキャリアルマは改めてメリーナに問いかけた。当然この少女精霊士が一筋縄ではいかない相手だとふまえた上で。 
「精霊士メリーナ、聞きたいことは二つです。どうして私を知っているのか、また何故水が突然襲ってきたのか、答えて貰えませんか」 
「はい、キャリアルマ様。皆様方のことは水精達が教えてくれました、それに水精達は皆様方を襲ったのではなく、自慢したかったようです」 
「何が、自慢したかったって?」 
キャリアルマは顔が引きつるような気がした。事実ひきっつていた。 
「ですから、水精達ですわ。皆様、精霊達に好かれていますし、風精など思い切りファリク殿下の自慢をしていました。ですから風精に引かれて水滴は皆様方の方へ行きました」 
「つまり、精霊達は君に我々の自慢話がしたかった訳か」 
「どうも、その様ですわ」 
キャリアルマでなくても、げんなりとする言い分だった。 ファリクにしても精霊達の自慢話の為にずぶ濡れにされたのかと思うと些か引っかかるものはあるが、しかし破天荒さに掛けては並ぶもののない皇子にとってこの少女は、ここ数日の憂さを吹き飛ばす程興味深い存在となった。 
憮然とする友人達を後目にファリク殿下は話しかけた。 
「メリーナ、お前面白いやつだな」 
「別に、おかしな事を申し上げた覚えはありませんが?」 
「いや、そうじゃなくて。お前の性格が面白いと言ったんだ」 
「ありがとうございます、殿下」 
メリーナは微笑みながら膝を折りお辞儀をしたが、ファリク殿下の友人一同はイレウスとダレンが 
「殿下!!」
 キャリアルマとレクサンドが 
「誉めてるんじゃない!!」 
と異種二重奏の悲鳴を上げた。 殿下と精霊士はきょとんとした表情で四人の顔を見返したが、彼らが更に言い返そうとする前に事態の収拾をするべく最年長に当たる護衛士は口を挟むことにした。 
「ファリク殿下。ご歓談中相済みませぬが、皆様方お召し替えを為された方がよろしいかと存じます。寒くはございませんが、濡れたままでは体が冷えましょう」 
先ほどの大笑いを忘れさせるグランの穏やかで洗練された口調の話しぶりは、五人の青年達よりも上品なものだった。 しかし、この場を取り纏めようとしたグランの努力は、メリーナによって台無しにされることになる。 
「あら、グラン。着替える必要なんか無いわ。殿下が大好きな風精達に頼むから」 
メリーナの話が終わらぬうちに、ファリク達は体の周りをいくつもの風が取り巻き衣服の間をすり抜けていくのを感じれば、既に五人の衣装は元のままに乾いていた。 
「ほら、乾いたでしょ」 
得意満面で語る少女の頭に、グランは軽く拳をお見舞いした。 
「いきなりそういう事をするなと、セルヴィアスに厳重注意を受けてただろう」 
「痛いじゃないの。」 
「痛くない。大体自分の言ったことを否定してどうする」 
自分の胸までしかない少女の目線に併せるように屈み込むと、メリーナの視線をとらえる。 
メリーナは実に独特な感性の持ち主であり、シラス学院の教師達や、師匠であるセルヴィアスがどうやっても教えられなかったことがある。 少女の目に映る現実と、普通の人々の目に映る現実が決して同じものではないと言うことだ。精霊士達が単なる事実として認識していることが、極普通の人間にとってそれが途轍もない魔法として驚愕するということ。しかし、精霊士達や、教師達にもメリーナの目の中にどれ程のものが映るのかが解らないため、視覚の違いがとうとう理解させられなかった。 
メリーナにとって精霊達はそこに存在していて目に見えるもの。 目に見えて、言葉を交わすことが出来るから、精霊達に簡単に頼み事が出来るメリーナは学院や神殿にとって喜ばしい反面今までの常識を尽く覆す困った存在だった。 
「何時私がそんな事をしたの、私は風精達に頼むといったわ」 
キャリアルマ達は我が身に起きたことについて、何も語る言葉は見つからなかった。
先ほどまでに考えていた、新しい精霊士を探りに行こうなどとはとんでも無いことだったと大いに後悔した。 
今日これから、この精霊士がお目見えするともなればザタール帝国社交界内で大騒ぎが起きること請け合いだと痛感し、キャリアルマ、イレウス、レクサンド、ダレンは自分達が未来の主ときめた皇子の表情からその騒ぎに否応もなく巻き込まれていくだろう予感を感じた。 
ファリク殿下にとって新しい精霊士の少女は、退屈な宮廷暮らしを一掃してくれるありがたい存在になっていた。 この少女が巻き起こすであろう騒ぎが今から楽しみで期待に瞳を輝かせたが、お仲間の四人が不安を感じていることには気がつかなった。 
護衛士グランは取り澄ました表情のしたで、少女の師匠セルヴィアスにどう釈明したものかと考えを巡らせた。あれほどきつく、ファリク殿下に会わせるなと言われていたのに、寄りにもよって園遊会に出席する前に出くわしてしまったと素直に言ったところで、頑固で融通の利かない男がすんなり納得してくれる筈が無く、また延々と嫌みを聞かせられることになるのかとウンザリしていた。 
そして、園遊会はまだ終わる訳でもない。会場側の庭園で、五人と一人の男達はこの後の展開について、各々考えを巡らせるばかりだった。

          


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