大分県由布市(庄内町)
第75話 九重の朝日長者
浄水寺の観音堂
湯平温泉から黒岳方面に南下する県道「長湯庄内湯平線」の途中、内山という集落が見えてくる。大分県でも最も山岳地帯の深部に位置する難所である。集落を見下ろすようにして、久住連山の時山(958b)と花牟礼山(1174b)が聳える。内山村の人々は、古くから村中の浄水寺の観音さまを深く信仰してきた。お陰で、家族の願い事は叶うし、安産や牛馬の繁殖も順調。こんな慈悲深い観音さまは、日本全国探して
浄水寺の観音像
もめったにおいでにならないと、自慢の種だ。
この物語は、自然が厳しい久住の麓に暮らす人々の、暮らしの中心におられる観世音菩薩さまの話し。
観音堂が丸焼けに
時は、戦国の世の天正年間。内山村の富八が、夜中に何かが焦げるような臭いを感じて飛び起きた。観音堂から火の手が上がっている。
「大変だ!観音さまが危ない」、言葉にならない言葉を吐きながら駆けた。村中から集まってくる人で狭い境内がごった返した。村長の勘左衛門さんが頼りない足取りで到着したとき、観音堂はほぼ丸焼けの状態だった。
「見当たらない」、焼け跡をうろついていた富八が首をうな垂れて戻ってきた。ご本尊の観世音菩薩像のお姿が見えないというのだ。
「お堂は焼けても、祭壇のあたりはまったく燃えちょらんが…」、 ほかの者が言い出した。「それでは、観音さまはいったいどこさん行かれたか。まさか…」
村長を真ん中に、村中のものが首をかしげている。
花牟礼山と内山集落
「誰だ!そこにおんのは?」
元気者のトラ婆さんが叫ぶと、草むらから見知らぬ男が顔を出した。ついぞ見たことのない髭面の男だった。
観音さまは自力で脱出
男は、伐株山(玖珠町)での戦場から脱走してきたのだと言う。寒さを凌ぐために観音堂に一夜の宿をと上がりこんだが、祭壇に祭られている金色の観音像を見て、ありがたさよりその美しさに見惚れてしまった。戦で手柄をたてれば褒美をいっぱい持ち帰れると家族に大見得をきって実家を飛び出した手前もある。見事な仏像をどこかに叩き売れば相当の銭が手に入ると考えた。身の丈1尺ほどの仏像をわしづかみにして持上げようとするが、びくともしない。
「敵に背を向けた俺を馬鹿にしているのか」、男は仏像に八つ当たりをしながら足蹴にした。
「痛てて」、すると後頭部を鈍器で殴られたような痛みを感じて床に叩きつけられた。「舐められてたまるか」、男は、枯れ草を堂内に持ち込んで火をつけた。たちまち堂内は火の海に。
その時である。世にも不思議な出来事を男は目撃した。観音さまが祭壇から降りて、表の障子を開け、何処かへ立ち去ったのだ。呆然と見送るうちに、男も火だるまになってしまったのだと白状した。
「観音さまが、自分のお力で出て行かれるなんて、そんなの嘘だ。お前がどこかに隠したに違いなか」、村の衆は、男の言うことを信用しない。そうこうするうちに、男は全身に負った火傷で息絶えてしまった。
実は、この観音様…
「観音さまが罰を与えなさったとじゃろ」と、トラ婆さんが真っ黒な歯をむき出しにして笑った。
「笑っとる場合じゃなか。観音さまは村には欠かせん宝じゃけん。早よう捜せ」
勘左衛門さんが指揮しても、なかなかみんなが動かない。
「村長さん、いっぺん訊こうち思うとりましたが、ここの観音さんはよその仏さんと、どこがどげん違うとですか?」、富八が、日頃気になっていたことを尋ねた。
そこで勘左衛門さん、「先祖代々から受け継いでいる由来だ」として、浄水寺の観世音菩薩さまのそもそもについて話し始めた。
敏達天皇の御世というから、遡ること1000年もむかしのこと(西暦560年頃)。ここ久住の山裾は朝日長者が富と支配を独り占めにしていた。長者は、時の帝に宝物を献上して「朝日」の称号を手に入れた男である。ある日、伝手を使って都から高僧を招いた。その名を日羅といい、朝鮮半島の百済から渡ってきたお人であった。
日羅上人は都に帰る際に、朝日長者のたっての願いを聞いて、百済から同道した観世音菩薩像を置いていった。長者は、久住の山麓がますます栄えることを確信して、内山の里に観音さまが住まわれるお堂を建てた。それが浄水寺の観音堂である。
村人の善意で再びお堂が
「卑しくも、内山村の観音さまは、日本一のありがたい仏さまなのじゃ。お前らが、こうして平穏に暮らせるのも、みんな観音さまのお陰じゃぞ。夜明けまでに探し出せ」
勘左衛門さんは、不自由な足を直立させて、集まった村人に号令した。だが、観音さまの行方はつかめず、年月だけがたっていった。その間、山火事は起こるし、子供がわけのわからない病気で亡くなるし、村では悪いことばかりが続いた。
そして5年がたった。富八が今日も山に入って材木を伐りだす仕事で汗を流した帰り道、彼方から一条の光が飛んできた。
「何だ、あれは?」、発光する草むらをかき分けると、そこに探し求めた観音さまが。嬉しさのあまり、気がおかしくなるほどだった。
喜んだ村人は、焼けたままになっていたお堂を新築し、そこに安住してもらうことにした。それが、今日の浄水寺観世音菩薩と観音堂だという。それからというもの、、内山村に頻発していた災難や悪病などがぴったり途絶えたということ。(完)
「こんなにありがたい仏さまはいない」と評判が評判を呼んで、浄水寺の観音さまには参詣客が押し寄せたという。何せ、道路が整備され車が発達するまでは、街との交流さえままならなかった山中である。
取材で出かけた日は、抜けるような秋の青空の中に聳える久住の山々に見とれっぱなしだった。朝日長者の支配範囲がこんなに広かったことをはじめて知った。霊験あらたかな神仏と、強力な支配者があって、人里離れた山中で生きる人々の心のバランスが保たれていたのだと、つくずく考えさせられた。
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