伝説紀行 朝日長者 九重町


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第075話 2002年09月01日版
再編 2016.10.09 2018.07.29
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

九重高原の朝日長者

大分県九重町


朝日長者屋敷跡で先祖を偲ぶだんご祭り

 JR久大線の豊後中村駅から絶景の九酔渓を登りきり、有名な大吊橋を渡ったあたりが「千町無田」である。眼前に広がる田園地帯が、明治期に筑後の人たちによって拓かれたところだということを知っている人は少ない。何百年前からたくさんの人が開墾を試みたそうだが、それまではけっきょく無駄骨を折るだけだったとか。それは、神が人間を寄せ付けなかったからだと、土地の人々は信じて疑わなかった。

せせらぎが喧しい

もう千数百年もむかしの話。九重高原の田野地方(飯田高原)には朝日と名乗る長者が君臨していた。「朝日」とは、天皇から授かった称号で、本名を浅井長治(あざいのながはる)といった。長治は高原全体を支配し、数千人の使用人をこき使って、後千町前千町(うしろせんちょうまえせんちょう)と呼ばれる広大な田畑を耕させていた。収穫はそのまま長治の財宝に変り、財宝は人々を長治に跪かせる道具になった。彼は高台に黒木御殿と呼ばれる豪華な屋敷を構え、山から流れ来る川を捻じ曲げて自分の庭園に引き込むほど傲慢(ごうまん)だった。


朝日神社

(やかま)しいなあ、川の音、何とかならんか」
 長治は、3000坪もある庭に引き込んだ川の音が耳障りだと怒っている。家来たちは主人の(つぶや)きが絶対的な命令であることを知っていたから、無理やり川の音を鎮めようとする。音無川(おとなしがわ)が、音もたてずに静かに流れているのはそのためだとか。


音無川

 長治のりはそれだけではすまない。稲の収穫が大詰めを迎えた夕暮れどき。「陽が早う沈んで仕事にならん。引き戻せ、太陽を天空に」と無理難題。「それは無理です」とでも家来が言えば、「それなら使用人は寝ずに働け」と命令した。

男池の竜王に雨乞い

「どうしたことじゃ、このところ雨が降らんではないか」
 そう言えば、1年近く飯田高原に雨が降っていない。これでは農作物は全滅する。
「神に頼んでみましょう」
 家来の麦有は白鳥神社の神官に雨乞いをさせた。
「ほかの土地はどうでもよいのです。浅井長治さまの農地にだけ雨を降らせ給え」
 勝手なことを言うのも、逆らう者が一人もいない長者の威厳からくるものだった。それでも雨は降らない。川下では大水が出るほどに降っているというのに。
「こうなったら最後の手段じゃ。男池(おいけ)の龍王に頼んでみるか」
 長治は家来を従えて黒岳の麓にある男池に出向いた。龍王とは自然界の水を管理する神のこと。だが、その正体は長治ですら知らない。


男池

「南無、八大龍王さま、どうか私の田んぼにだけ雨をください。私には年頃の娘が三人います。もし、龍王さまがお望みなら、そのうちの一人を捧げましょう」
 家来たちの不安をよそに、長治は大声で約束した。財宝を膨らませるためなら、かわいい我が子でも平気で取引きに使う長治であった

突然大粒の雨が

 お祈りを済ませて長治一行が田野の館にたどり着いた頃、バタバタと音を立てて雨が降り出した。雨はたちまち田んぼに吸い込まれ、枯れかけた稲穂を甦らせた。
「雨だ、雨だ。ありがたや」
 喜んだのは長治だけではない。雨が降らないのも使用人のせいにされて、これまでに何人の首が刎ねられたことか。
「ご主人さま、それで・・・、龍王さまとのお約束はいかがなさいますので?」
 恐る恐る麦有が尋ねた。


竜王が棲むという黒岳

「そうじゃったな。そんなことを約束したような気もするな」
 あんなに降雨を待ち望んでいたのに、いったん危機が去るともう忘れてしまう長治である。「天はわしの威光を無視できずに雨を降らせたのじゃ」と(とぼ)ける始末。

末娘を生贄に

「お父上、それでは八大龍王さまにひどい仕打ちを受けましょう。生贄(いけにえ)なら私が参ります」
 父のあまりの強情さに恐れをなした長女の豊姫が進言した。
「おまえには婿を迎えて跡を継いでもらわにゃならんし・・・、困ったものじゃ」
 長者はほんとうに困っていた。影で父と姉の話を聞いていたのが末娘の千鳥姫。姉思いで一族の幸せを誰より願う千鳥は、自分の身を八大龍王に捧げる決心をした。
 このことを誰かに話せば止められるに違いない。父に相談すれば、「そうか、おまえが行ってくれるか。父は嬉しいぞ」とひと言で片付けられるのがわかっている。それもまた悔しい。

 千鳥姫は真夜中に館を出た。もう二度とここへは戻れまいとの覚悟であった。星の明かりを頼りに音無川を遡っていき、男池に着いた。池の水面は墨を流したようにどす黒く、さざ波一つ立っていない。あまりの静けさに体が凍りつきそう。
 千鳥は懐から日頃信心を怠らない観世音菩薩像を取り出すと、膝の前に置いて熱心に念仏を唱えた。そのうちに千鳥の心は観音さまと一体になり、もう怖いものはなくなった。

観音さまが竜王を叱る

 しばらくして、突然上空に稲妻が走り池の水面が青白く照らし出された。やがて水面が盛り上がり、これまで見たこともない大きな蛇が、体を宙に浮かせてくねらせた。まるで歓喜の踊りを披露しているよう。大蛇は耳まで裂けた大きな口から紅蓮の炎を吐きながら次第に千鳥姫に迫ってきた。
 千鳥は「南無観世音菩薩」を唱えながら大蛇に向かって言い放った。
「我らは、龍王が自然を尊び、人類を幸せに導くものと信じて崇めてきた。それなのに、雨を降らせた見返りとして生贄を要求するとは言語道断なり!」
 その声は千鳥姫のものではない。観世音菩薩が卑しい龍王を諌めておられる姿であった。
 だが、龍王も諦めない。間もなく千鳥姫の体をおうとするその瞬間であった。千鳥の手にあった観音像が強烈な光を放った。そして、光は火の玉となって迫り来る大蛇の口の中に飛び込んだ。龍王はたまらずにのた打ちまわり、うなりを上げて池の底に沈んでいった。
 呆然と立ち尽くした千鳥は、そのまま館には帰らず、いずこかへ消えていった。

長者没落

 一方、長治は千鳥の書置きを読んで、娘が龍王の生贄になったと安堵した。そしてまた以前の傲慢さが戻った。
 その年の長者の田んぼは大豊作。屋敷では使用人にも酒肴が振舞われて大賑わいとなった。長者も超ご満悦。興に乗ってか床の間に飾ってある特大の鏡餅に向かって矢を放った。すると鏡餅はたちまち白鳥に変身し、いずこへともなく飛び去っていった。
 それからというもの、高原一帯では稲も野菜もまったく育たなくなり、間もなく長者一族は大きな災難にあって滅亡した。一説には、男池から忽然と姿を消した千鳥姫だけは他国で幸せに暮らし、朝日の血筋を絶やさなかったとか。

 この地を「千町無田」と呼ぶようになったのもそんなことがあってからである。(完)

長者の館跡と言われる場所は千町無田を見下ろす高台にあり、そこでは毎年収穫が終わるとだんごをたくさんつくって神(年の神のだんご祭り)に捧げる。村の中央にある朝日神社には、年の神といっしょに久留米の水天宮と110年前に開墾を指導した久留米出身の青木牛之助氏が大明神として祀られていた。
 拙著「大河を遡る・九重高原開拓史」の中で、このあたりのことは詳しく書いたのでぜひご一読を。

 最近、千鳥姫が八大龍王と戦った男池を訪ねた。飯田高原から長湯温泉に通じる山道の途中に黒岳が聳えていて、その麓に「男池」はある。そこは人の手が着かない原生林。ブナやオヒョウ(ニレ科)など大木が堂々たる貫禄を示して立っていた。しばらく歩いたところに見える直系4〜5bの小さな池が男池。想像した池はこの100倍くらい広かったのに。だが、湧き出る水はまったくけがれを知らず、手のひらですくって飲んだら甘い感じでとてもさわやかな気分になれた。
 朝日長者の物語に登場する気味悪い池とはずいぶんイメージが異なる、と売店の主人に話しかけたら、「大昔はもっと大きな池だったそうですよ。龍王が棲めるような」だと。この池、別府湾に流れ込む大分川の水源であるが、すぐ西側には筑後平野に向かう水が湧き出ている。
 長者原には、まだまだ面白い話が隠されているようで、暇ができたらまた出かけよう。

ページ頭へ    目次へ    表紙へ