伝説紀行 新・鍋島怪猫伝  佐賀県白石町


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作:古賀 勝

第310話 2007年07月22日版

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 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

七代祟られて
新・鍋島怪猫伝

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佐賀県白石町


秀林寺の猫塚

 JR白石駅近くの秀林寺境内に、「猫大明神」なる祠が建っている。明治初期に祀られたそうで、化け猫を埋めた「猫塚」だそうな。高さが1b足らずの小さな石の祠には、白い猫の彫刻が納めてある。よく見ると、猫の尻尾の先は七つに分かれている。猫塚の横には、佐賀藩初代藩主鍋島勝茂を供養する塔も立つ。寺の説明だと、秀林寺を起したのが勝茂公だとか。
 夏場の映画館には欠かせなかった「鍋島の化け猫騒動」の筋書きは、実はこの白石町から発せられたんだと。

男児誕生がない理由は

 幕末の佐賀藩、ところは白石村(佐賀県白石町)。千布家の七代目当主久右衛門は、成人してから迎えられた婿養子であった。結婚して10年が経過し、妻・千絵との間には5人の女の子が生まれた。そんな折、佐賀の本城に勤める幼馴染の吉永数右衛門が訪ねてきた。
杵島(きしま)くんだりの田舎住まいでは寂しかろうと思うてな。今夜は飲み明かそうではないか」
 相変わらず減らず口を叩く数右衛門である。
「ところで、お前のところでは未だ世継ぎに恵まれんと聞いたが」
 一番気にしていることに食いついてくる友である。この時代、家督を継ぐものは男子に限られていた。義父に尋ねたら、この三百年来、千布家に男子は誕生していないとのこと。「世にも不思議なことよ」と、これまた婿養子である義父は笑い飛ばすが、久右衛門の心は穏やかではない。
「佐賀の物知りに聞いた話だが…。千布家の難事は、どうやら御二代目(鍋島光茂)期の化け猫の祟りではないかと」
 数右衛門は、飲みかけの盃を脇に置いて、語り始めた。

藩主の警護に当たった先祖に

 千布の家系を辿り、佐賀の二代藩主である鍋島光茂の時代まで遡る(江戸時代初期)。そんな折、佐賀藩士の千布本右衛門は、家老から重大な任務を仰せつかった。光茂公が静養のために出かける白石の秀屋形(ひでやかた)の警護である。写真は、白石町の秀林寺
 最近の城内は、何やら気味の悪い出来事が多すぎる。殿のお傍につく女中の相次ぐ変死もその一つ。死骸には爪で引っ掻かれたような痕が残り、形相は苦しさで醜く歪んでいる。そしてお世継ぎの突然の死。
 そればかりか、最近では光茂公の体も弱る一方である。家老は、「大きな声では言えないが、殿のお命を狙う何者かの仕業だとみる。特にお豊の方から目を離さないよう」厳しく言いつけた。秀屋形周辺は、十重二十重に警戒網が敷かれた。
 夜も更けて、一陣の生暖かい風が屋形内を吹きぬけると、警護に当たる武士たちの中の一人、また一人が首を垂れ、高鼾(たかいびき)をかきだした。指揮官である本右衛門も急激な睡魔に襲われた。
「このままではとんでもない事態を招く」、本右衛門は脇差を自らの足の甲に突き立てた。気を失いそうな痛みを堪えながら、藩主が休む部屋に気持ちを集中させた。
「う〜ん」、お豊の方が入室してすぐ、藩主・光茂が異常なうめき声を上げた。怪しいと睨んでも、相手は殿の愛妾であり、滅多なことはできない。傷つけた右足の痛みも激しくなってくる。

七代祟ると化け猫が

「あっつ!」、思わず本右衛門の口から、驚きの声が漏れた。障子に映ったお豊の方の姿が人間ではなかったのだ。大きな耳を逆立て、耳まで裂けた口を広げて誰かに吠えている猫であった。本右衛門、愛槍を小脇に抱えると、藩主の部屋に踊りこんだ。
「千布殿、気でも狂われたか!そこは殿さまのお部屋であるぞ」、遠巻きにしていた者から、制止する声が飛び交った。
「殿のお命を狙う化け物め」、行灯(あんどん)に照らされたお豊の方の胸をめがけて、本右衛門の長槍が一突き。「ぎゃーっ」、お豊の方は倒れながら本右衛門に鋭い眼光を向けた。
「憎っくきは鍋島ぞ。鍋島に手を貸す千布には七代祟ってやる!クロ、必ず仇をとるのだぞ」、 息絶えながら絞り出す声で、呪い節を唱えるお豊の方。
「千布殿が乱心でござる。一大事でござる」と駆け寄る武士たちの前に、体長が5尺(150a)にも及ぶ三毛猫が一匹横たわっていた。  更に一同驚愕したことは、巨大猫の尻尾(しっぽ)が付け根から七本に分かれていることだった。「ギャーッ、化け猫だ!」、日頃強がっている武士たちも、腰が()えたようにその場にしゃがみこんだ。
 素早く化け猫の死骸を片付けさせると、ようやく目を覚ました藩主・光茂が、身辺に何が起こったのかわからぬままに、目をキョロキョロさせた。

権力闘争の果てに

「300年も前の話でござる」、話し終わった数右衛門が、飲み残しの盃をすすり上げた。
「お前も知っておろうが、龍造寺隆信公の戦死以後、藩祖鍋島直茂公と初代勝茂公が佐賀藩を背負われることになった。だが、藩主の座に未練を残す龍造寺家では、折につれて鍋島方に詰め寄ったらしい。二代目(光茂)になり、龍造寺家直系でただ一人生存する又一郎殿が、些細なことでお手討ちに遭われた。その時、主人の生首を咥えて屋敷に戻ってきたのが、愛猫のクロであった。
「クロは、愛妾の喉をかき切り、生き血を吸ってお世継ぎと女中たちに喰らいついた後に、殿の身辺に近づいたのだ」
「その時の化け猫が、代々の千布家に祟っていると申すのか、数右衛門」
「本右衛門殿から数えてお前が丁度七代目に当たろう。尻尾の数だけ祟り通そうとする龍造寺殿の執念だと思えないか、久右衛門」
 数右衛門は、化け猫の祟りを治めるためにも、早く手を打つよう勧めた。そこで藩内の絵師に頼んで、尻尾が七本に分かれた猫を描かせて懇ろに供養した。そのお陰もあってかどうか、久右衛門夫婦に間もなく男の子が誕生したそうな。
 時代は徳川の世から明治の新しい世に。久右衛門は、秀屋形の鬼門に当たる場所に祠を建て、中には「猫大明神」の文字と七尾の尻尾を持つ猫を彫らせて祀った。これが、今日白石町福田の秀林寺境内にある「猫塚」の始まりだそうな。(完)

 白石町は、有明海の干拓地にできた町である。町の西方には、いくつもの出城跡が残る。戦国時代の龍造寺の勢いを思い知らされる。
 第166話で龍造寺の怨念と鍋島のその後を語っている。龍造寺から鍋島へ、無血クーデターの例として歴史に残るが、舞台裏はそんなに生易しいものではなかったのだろう。
 手持ちの地図には、秀林寺の猫塚の在り処を、「化け猫騒動ゆかりの地・鍋島家屋形跡」と記してある。佐賀城の出先だということはわかるが、藩祖が起したといわれる秀林寺と屋形跡が同一なのかどうか、もう少し調べてみないと。
 有明海周辺をさるく(歩く)と、筑前や筑後とは一味も二味も異なる歴史や文化を知ることができる。勢いで鹿島市の祐徳稲荷まで足を伸ばした。久しぶりにおキツネさんに出会って、先ほどの七尾の尻尾を持つ化け猫と重ねあわせてみた。

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