伝説紀行  茂えむどんと大蛇  九重町


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作:古賀 勝

第299話 2007年04月29日版

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             【禁無断転載】
        

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物が目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

茂えむどんと大蛇

【関連物語】
第270話 菅公御神体伝説

大分県九重町(菅原地区)


菅原村から仰ぐ湧蓋山

 大分自動車道を下りて九重町に入り、国道387号を小国に向かってしばらく行くと、左手に大きな鳥居が見えてくる。菅原道真公(ゆかり)の菅原神社参道である。九重町(引治)から小国(宮原)まで走ったかつての国鉄宮原線が、ここ菅原村を経由していたことを知る人も少なくなった。
 この地域には、湧蓋山(わいたさん)(標高1500b)に関わる面白いお話しが伝わっている。朝な夕な、人々が神と崇める湧蓋の霊峰。それが人間の力の遠く及ばない存在であることを肝に銘じて生きろとの教訓なのだろう。

水面に蛇の怪物が

 現在の菅原地区を「葦谷村」と呼んでいた大むかし(約1100年前)のこと。谷間(たにあい)の僅かばかりの畑を耕している定吉が、背中を伸ばして遠くに目をやった。それまで晴れ渡っていた空が一転黒雲に蔽われたかと思うと、激しい雷鳴が鳴り響き、四方八方に稲妻(いなづま)が飛び交った。大粒の雨が地面を叩き、たちまち周辺の小川が氾濫して、田も畑も水浸しになってしまった。
「クワバラ、クワバラ」
 定吉は、地べたにへたり込むと、頭を抱え込んだ。
「ウォーン」、聞きなれない薄気味の悪い鳴き声が、あたりの空気を振るわせる。恐る恐る顔を上げてみると、すぐ目の前の南ノ池の水面から、体長が10メートルはあろう蛇のような生き物が吠えながら浮かび上がった。頭には(たてがみ)が棚引き、鋭く尖った2本の角を空に向けて水面に立ち上がっている。よく見ると、その怪獣には4本の足があり、鋭い爪が空中を引っかくようにしていきり立っていた。
 怪獣は、水面から飛び跳ねると、降りてきた雲に乗って、湧蓋山のある南方に飛んでいった。

龍の湧蓋詣で

「どかーん」
 その直後、耳を(つんざ)く落雷の音で定吉は完全に気を失った。どのくらい時間がたったろう。目を覚ますと、母親が心配そうに覗き込んでいる。
「苦しい」、頭が割れるように痛い。母親は泣き出しそうな顔で、「何があったのか?」と質した。定吉は、高熱ではっきりしない頭脳を振り絞るようにして、失神する前の出来事を思い出した。
「その生き物は、南ノ池に()む龍だわ。わしが子供のころに、死んだ祖父ちゃんから聞いたことがあるけん」
 日頃は池の底で静かに眠っている龍だが、いったん大雨が降ると、目覚めて水面に顔を出す。龍族にとって絶対的存在である湧蓋の神に詣でるためだ。用を済ました龍が再び南ノ池に戻ると、それまでのいかずち(雷)はおさまり、また平和な葦谷村になる、と言う。
「それより、母ちゃん。俺の頭の痛いの、何とかしてくれ!」
 子供のように泣き叫ぶ定吉に、母親は冷たく突き放した。
「あの龍を実際に見たものは、その日から激しい頭痛に襲われるんだと。10日間は熱が下がらんていうから、我慢するんだな」

友が敵討ちに乗り出した

 定吉の親友の茂えむが見舞いにやってきた。茂えむは、村一番の力持ちで大飯食らい。その分、よく働くし、人の面倒もよくみるよい男。欠点を探せば、こうと思い込んだら、脇目も振らずに突進することくらい。そのために、これまでどれだけ失敗したことか。
 親友の母親から龍の話を聞いた茂えむどん、黙って引き込む道理がない。
「そんなら俺が、定吉を苦しめる龍ば退治しちゃるけん」と言い出した。
「だとも、龍は人間の何万倍もの力を持っとるんだよ。いくらお前が力持ちでも、あの龍の鋭い牙で噛み付かれたらひとたまりもねえが」
「そこが茂えむさまの、ほかの人間とは違うところよ。みておいてくれ」写真は、菅原地区の佇まい
 親友を(いじ)める化け物をやっつける作戦を考える茂えむどん。いよいよ決戦のときがきた。湧蓋の頂上に黒雲がかかり、激しい雨とカミナリが村中を揺すぶったその時、茂えむどんは湧蓋山の麓の枯れ草に火をつけた。火の手は瞬く間に山を取り巻き、頂上へと燃え上がっていった。
「これで、湧蓋に登った龍もお終いだ」
 火は、全山を燃やし尽くした。その間5日5晩、ようやく燃えるものが尽きると、山の頂上付近で、黒こげになった龍らしい生き物の焼死体が見つかった。

龍と神の祟りが

 ことは、万事良好とはいかなかった。それから10日もたって、今度は茂えむが高熱にうなされ、頭が変になった。茂えむの病気の進行に合わせるように、龍が棲んでいた南ノ池は干上がってしまい、湖底には途方もない大きな亀裂が入った。
「ナンマイダ、ナンマイダ」
 村人は、池の水が干上がることの恐ろしさを百も承知だ。神聖な湧蓋に火をつけた罰と、焼きうちに遭った龍の祟りだと考えた。そこで、天台宗のお坊さんに、焼け死んだ龍の供養をお願いした。人々は、湧蓋山に守られて生きていることに感謝し、朝晩手を合わせて詫び続けたという。(完)

 物語の菅原地区は、宝泉寺温泉郷を過ぎて間もなくのところにある。地名の由来は、菅原道真公が大宰府に左遷される際、この地に立ち寄られたことにあるそうな。そのためか、天満神社の構えも立派なものだ。
 龍の祟りを鎮めるために登場する「天台宗のお坊さん」がそうなのかどうかははっきりしないが、菅原地区には「白雲山浄明寺」という貫禄十分の天台宗のお寺さんが建っている。
 寺から見える湧蓋山は、やっぱり美しかった。それに、何人も汚すことを許さない、威厳のようなものを感じた。

 ところで、神奈川県に住む菅原先輩から、「俺は菅原道真公の子孫」だと告げられたことがある。「菅原村で生れ育ち、菅原という苗字を持っていることが何よりの証拠」だと、胸を張られた。待てよ、もう一人いたぞ。佐賀県鳥栖市にお住いのお坊さんもそうだった。いやいやもっといた。あの有名な歌手の菅原洋一さんも…。
 菅公が生きた時代から、既に1000年以上もたっているのだから、子孫がねずみ講的に増えていても、何も不思議ではない。子孫の皆さん、太宰府天満宮同様、湧蓋山の神さまのほうもよろしくお頼み申します。

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