甘い水が母の病を癒した
甘水山金水寺伝説
朝倉市甘木
関連伝説:第95話 伝教大師と薬師如来
甘水の汲み場
筑前町(朝倉郡旧三輪町)から秋月に向かう途中、道端に「甘水の銘水」と書いた看板が目に入った。今流行りの飲料水を作る工場だろうと考え、ハンドルを左に切ったが、それらしい建物は見当たらない。代わりに、蛇口のついた水汲み場が備えてある小屋が建っている。蛇口の傍には、「銘水の由来」が述べられていた。
何でも、今から1200年以上も前の平安時代、この地を訪れた最澄(伝教大師)が見つけた「甘露のように甘くて清らかな水」がそれだとか。掌ですくって飲んでみた。そう言われれば、そんじょそこらの水道水とは一味異なる気もしないではない。
最澄伝説とは別に、「甘水」には親孝行息子の話も語り継がれていると、説明板には添え書きされていた。
孝行息子が京都から
夜須の郡の白川村(現朝倉市甘水)に、旅姿の若者がやってきた。若者は、小川で大根を洗っている婆さんに、「このあたりに、万病に効く甘い水が湧くところをご存知ないか?」と尋ねた。婆さんは、直角に曲がった腰を精一杯伸ばして立ち上がった。
甘水付近から見上げる目配山
「その水なら、ほらあそこに見ゆるお寺の井戸のことじゃ。して、あんたさんはどちらからおいでなさった?」
「はい、私は京都の美山というところから50日かけてやって来た桃之助という者です」
「そんなに遠かとこからかい、さぞかし難儀じゃったろない」
寺に着くと、住職が寺男の万兵衛を伴って現れた。
「当寺は、甘い水が湧き出るところから、『甘水山金山寺』というんじゃ」
桃之助は、住職に勧められて、汲み上げたばかりの水を口にした。「母より先に飲ませていただくなんて、もったいなくて…」と大粒の涙を零した。
如来さまが教えてくれた
「・・・して、そなたは、どうしてこちらの水のことを知ったのかな?」
住職は、遠路遥々水を求めてきた理由を尋ねた。
「ある日、母の夢枕に立たれた如来さまから、『九州の筑紫国には病に大変よく効く水が湧き出ている』と教えられたそうでございます。病気に苦しむ母は、水は欲しいが自分の足では無理だし・・・」
「それで、息子のそなたに頼まれたというわけか」
「いかに我が子でも、150里も先の筑紫国まで行ってくれとも言えず、一人悶々としていたそうです。そんな母に気づいて私が問い質したところ、如来さまのことを話してくれました」
桃之助の親を思う気持ちに感動する住職。
「荷車と水桶をさしあげるほどに、運べるだけ汲みなされ。ほれ万兵衛、手伝ってさしあげなさい」
住職の温情にまた涙した桃之助は、黙々と釣瓶を上下させた。間もなく桶いっぱいに達しようとしたとき、手に持った釣瓶の縄が動かなくなった。無理やり引き揚げてみると、水瓶の中に一抱えもある金塊が入っている。桃之助はそれを住職に届けた。
「これは、親孝行者のそなたに、仏が授けた御褒美じゃよ。ありがたくいただいておきなされ」
桃太郎は、住職へのお礼もそこぞこに、荷車を曳いて夜須の郡を跡にした。
お礼に、田畑を寄進した
それから20年もたったある日、金山寺に、恰幅のよい男が数人の若衆を引き連れてやってきた。あの時甘水を求めて京都の美山郷からやってきた桃之助とその家人であった。そして曳いている荷車は、住職が水を運ぶために与えたものだった。
桃之助は、お世話になった住職に、改めて礼を述べるためにやってきたのだった。だが、既に住職はこの世になく、寺男の万兵衛が一人、畑を耕しながら金山寺を守っていた。
「持ち帰った甘水のお陰で母の病が全快し、90歳で寿命を閉じるまで、それはもう元気でした。いただいた金塊を元手に始めた木材業も当たり、今では京都で指折りの商売人となれました。この姿を和尚さんに見てもらいたかったのに・・・」
旧秋月街道
桃之助は、人はばかることなく号泣した。そのあと、家人に曳かせた荷車の上のみやげを下ろした。帰り際には、周囲の田畑を買って金山寺に寄進もしたという。(完)
甘水の水汲み場は、福岡市民の水瓶である江川ダムから流れる小石原川に沿ってる。だが、物語の「金山寺」は存在しなかった。役場の人に訊いたら、「あれは伝説上の寺ですから」と簡単に片付けられた。古人の温もりといえば、僅かに秋月の城下に向かう旧街道と古い神社だけだった。
「甘木」と「甘水」の関連性を探ったが、今のところ成果なし。少し離れた集落(小白川)内に祭られている石仏を眺めていると、大むかしから、ここの人々は神仏を深く信じてきたのだなと実感させられる。だから、神仏は、この地方に甘い水を与えてきたのか。一杯5000円もする飲料水とか「なんとか蒸留水」しか飲まない怪しげな農水大臣には、とてもわからない庶民の感覚がここにはあったのです。
水汲み場の裏手から見上げる目配山だけが、歴史のすべてをご存知なのかもしれないな。
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