伝説紀行 有馬怪猫伝  久留米藩江戸屋敷  久留米市


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第223話 2005年08月28日版
再編:2019.03.10
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことや人物目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所で誰彼となく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときとでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

江戸屋敷の異変
有馬怪猫伝

【関係資料:久留米藩史】

福岡県久留米市

 今回の物語は、舞台を旧久留米藩の江戸屋敷(東京三田)。江戸時代末期に市中の寄席や芝居小屋を沸かせた「有馬怪猫伝」がそれである。「有馬」とは、筑後国は久留米藩主の有馬氏のこと。舞台となる場所は現在の東京都港区三田赤羽あたり(下段地図参照)。怖ろしい化け猫騒動の話だが、実名などを微妙に避けながら展開する。「仮名手本忠臣蔵」と同じ手法である。


写真:旧久留米藩邸の石垣(神明坂付近)

 我が郷里の旧久留米藩の話であるのに、地元で話題になることは少ない。「鍋島」「岡崎」と並ぶ日本三大化け猫騒動だというのに。
 講談調で申しますれば、おおよそ次のとおりでございま〜す。

宴の席に野犬飛び込む

 時は天明年間(1781〜89)、今から遡ること200年以上もむかしのことでございます。ところは、三田赤羽の久留米藩江戸屋敷の奥座敷。藩主の有馬中務(ありまなかつかさ)候が、大勢の美女を(はべ)らせて賑やかな時間をお過ごしでございました。
 そこに突然庭先から、一匹の子猫を追って獰猛(どうもう)な野犬が飛び込んできたものですからさあ大変。一同びっくりといったものじゃありません。上を下への大騒ぎとあいなりました。猫がお殿さまの背後に隠れますと、野犬は牙を剥いてお殿さまに飛びかかろうとします。もともと、無菌培養のお城でお育ちの殿さまでございますよ。目を白黒させて、気を失ってしまわれました。


写真:久留米藩邸奥座敷があったあたり(三田国際ビル中庭)

 殿さまが我れに返ったとき、座敷は何事もなかったかのように静かで、女中たちも元の位置で待機しておりました。殿さまに飛びかかった野犬の姿などどこにもなく、逃げてきた子猫だけが片隅で震えておりました。

妬みに負けて愛妾が自殺

 野犬は、控えし女中が手水鉢(ちょうずばち)にあった鉄製の柄杓(ひしゃく)で一撃して殺し、死体を速やかに片付けたものでございました。
 殿さまは、「気色が悪い。そこな猫も殺せ」と言いつけられます。野犬を征伐した女中が進み出まして申しますには、「どうか、この子(猫)の命だけはお助けを」。
 猫の助命を嘆願する女中を愛しく感じた中務候は、その夜のうちに彼女を側妾(そばめ)の一員に加えました。女中の名前は「お滝」と申しまして、それはもう美人で気立ての優しい女でございます。
 そうなると、お殿さまの愛の分割をやっかむ他の側妾衆が黙ってはおりません。女中頭の岩波の指揮のもと、陰に陽にお滝の方への嫌がらせが激しくなりました。お滝の突然の出世が面白くない他の女中連中も、嫌がらせに加わります。
 いたって心根の優しいお滝の方は、その都度泣きの涙で過ごし、ストレスが募っていきました。

飼い猫が仇の喉笛に

 ある日の午後のことでございました。お使いから戻った女中のお仲が、不吉な予感を覚えて部屋に飛び込むと、一面が血の海に。お滝の方が自ら首筋を切って倒れているではありませんか。
「タマ、お方さまの血を舐めるのです。そして仇を討つのです」
 タマとは、危ういところをお滝の方に助けられた、あの子猫のことでございます。お仲に促されてタマは、座敷に顔をこすりつけながらペロリ、ペロリ。顔中を血糊で染めたタマが、一瞬にして部屋の外に飛び出します。
 お滝の方に忠誠を誓うお仲は、短剣をかざして仇の岩波に飛びかかりました。ですが長刀(なぎなた)の名手として知られる岩波でございます。そうやすやすと小娘に討たれる女ではございません。長刀をかざして返り討ちに出られたその時でございました。廊下の障子を突き破って飛び込んできた子牛ほどもある怪獣が、岩波の喉笛に食らいついたのでございました。「ぎゃーっ」と一声、間もなく岩波の息は耐えました。
 それから後も、中務候の側妾や女中の不可解な死が相次ぐようになりました。いずれも、岩波とともにお滝の方を(いじ)めた方ばかりでございました。

櫓の上で化け猫退治

 そんな折、側妾の一人お豊の方がめでたく懐妊されました。候の喜びようは並みではありません。そんなめでたい最中でも事件は勃発いたします。お豊の方の膨らんだ腹が食い破られて、中の水子ともども(はらわた)が荒らされたのでございます。
 藩邸警護役の山村大膳が奇怪な化け物の警戒中でございました。中庭を散歩中の中務候に、木の陰から突然怪獣が襲いかかりました。大膳は持っていた木剣で獣の眉間を一撃。「ぎゃーっ」と鳴き声を残して、獣の姿は消えてなくなりました。大膳が屋敷に戻ると、年老いた母上の眉間に新しい傷が見えます。


写真:広重が描いた久留米藩邸。奥に見えるのが火の見櫓

 腑に落ちないものを感じた山村大膳は、殿が抱えられれている力士の小野川喜三郎に、母の身辺を見張るよう言いつけました。すると間もなく「火の見櫓(ひのみやぐら)に母上が…」と知らせがまいります。
 駆けつけると、櫓に上る小野川に、上から大膳の老母が鋭い牙を剥いて威嚇しているではありませんか。眉間に傷を持つ母上は、実はタマが変じた化け猫だったのです。素早く櫓の梯子を登った山村大膳は、力士小野川と力を合わせて化け猫を追い詰め、退治したというお話しでございます。(完)

 化け猫騒動の舞台となる旧久留米藩の江戸上屋敷は、別掲「久留米縞の小川トク伝」で詳しく取材した場所である。東京芝公園の南側に位置し、赤羽小学校や東京済生会中央病院など近代的な建物がひしめくところ。このあたり、江戸時代には並み居る大名の江戸屋敷街であった。
 山村大膳が化け猫を退治する火の見櫓は、久留米藩が徳川家菩提寺の増上寺を護る役目を負って造られた、江戸名所のひとつでもある。当時江戸屋敷には4千人の藩士と家族・中間などが住んでいたという。
 劇中の有馬中務候は、第8代久留米藩主の頼貴を模したものだといわれる。世継ぎがなければお家断絶になった時代。久留米藩では、藩内の大庄屋の幼児を亡くなった世継ぎの替え玉に使ったこともあるとか。また、参勤交代中の藩主が、瀬戸内海の船上で近侍に殺害される事件も起きている。
 一方、久留米藩邸に祀られている水天宮
(筑後川畔の久留米水天宮から分祀・蛎殻町にある水天宮の前身)が、毎月5日、庶民に解放されることから、江戸中の安産を願う善男善女が集ったことでも有名な場所である。現在、赤羽小学校の体育館隅には「猫塚」が祭られているとも聞いた。
 そんなこんなで、人の口端に上りやすかった久留米藩邸だったから、講釈師(こうしゃくし)
戯作者(げさくしゃ)が、化け猫の舞台にもってきやすかったのかもしれない。久留米市民や筑後川をふるさとにして暮らすものにとって、「日本三大…」はよいとして、「化け猫」のモデルにされるのは、あんまりありがたくないな。

久留米藩江戸屋敷があった三田赤羽あたり
黄色塗りつぶし部分


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