伝説紀行 川上峡の鮎  佐賀市(大和町)


【禁無断転載】

作:古賀 勝

第202話 2005年04月03日版
プリントしてお読みください。読みやすく保存にも便利です

 僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。
 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。

ご法度破りの真犯人は?

川上峡の鮎

佐賀県大和町

資料:鍋島閑叟人物評(読者)


赤い鉄橋が美しい川上峡

 5月の節句が近づくと、嘉瀬川の川上峡を跨いで何百匹もの鯉が泳ぎまわる。写真の赤い橋は「官人橋」といい、むかしから数々の歴史を刻んできた名所だ。流れが止まって見えるのは、すぐ下流がせき止められているためで、そのむかしは佐賀平野に向けて一気に駆け降りる渓谷であったとか。川には鮎が手づかみできるほどに泳いでいて、簗場(やなば)が設けられていた。でも、地元の人がおいしい鮎を口にすることはできなかった。何故か・・・

魚と人を天秤にかける?

 ここは佐賀藩の城下町。幕末のある昼下がりのことである。街角に貼られた()れ絵に町の衆が釘付けになっている。通りかかった深網笠の侍も立ち止まった。絵は、天秤の片方の皿に1匹の魚が、一方には人間がぶら下がっているだけのもの。小さな魚の方が重くて、ぶら下がった人間は天井まで吊り上げられて悲鳴を上げている。
「何じゃ、こりゃ?」
「説明もつけずに絵だけとは…。俺たちにこの謎ば解けちゅうこつか」
「うんにゃ、これは俺たちというよりお殿さまへの謎かけかもしれんナタ」
「それにしても、人間が魚より軽かちゅうのは、いったいどがんかこつかんた?」
 町人たちのガヤガヤを聞きながら、深網笠の侍が静かにその場を立ち去った。侍の名前は蓮池富十郎。佐賀藩にあって、領民の隠れた意見を収集して直接藩主に届ける仕事を承っている。従って彼の行動は変幻自在なのである。あるときは百姓になりすましたり、またある時は商人に化けたりもする。

大名独占の簗場

 蓮池富十郎には、貼り紙の中身について心当たりがあった。最近、河上(現川上峡あたり)の簗場付近で、鮎を獲ったものが川目付けに斬り捨てられる事件があったばかりである。目付け役の山本権六の言い分だと、鮎を捕まえた百姓を取り押さえたら、抵抗したために首を撥ねたという。町奉行は山本の行為は「問題ない」と結論付けた。
 河上の丘陵と渓谷は、藩主鍋島直正がこよなく愛するお漁場であった。許可がなければ何人といえども鳥を撃ったり魚を獲ることは許されなかった。写真は、殿さまの別荘「十可亭」
 蓮池富十郎は、百姓姿に形を変えて、お城から4里(16`)上流の河上に出向いた。官人橋から更に半里ほど遡ったあたりで、野良仕事をしている老婆に話しかけた。

ご禁制破りは打ち首に

 その日の夕刻、蓮池は川目付けの山本権六の屋敷を訪ねた。下っ端武士の山本は、上級侍の突然の来訪に戸惑った。
「その方にちと尋ねたき儀がある」
 蓮池のどんぐり眼に睨みつけられたからたまらない。権六は即座に座りなおして次の言葉を待つことにした。
「何か?」
「その方が首を撥ねたという百姓の一件であるが…」
 ますます権六の緊張度が高まる。
「お役目により、ご法度の簗場で鮎を盗む奴を見つけましたもので…」
「それはわかっておる。だが、儂はまだその方に何にも訊いてはおらぬぞ」
“しまった”という気持ちが、権六の表情にありありとうかがえた。

死んだ鮎で親孝行

「その方が斬った梅吉なる百姓は、本当に鮎を盗んだのだな?」
「それは、もう」
「その時、捕まえた鮎は、生きていたのか?」
「はい、、鮎は生きて川を泳ぐものでございますれば」
 逆襲されたような気になって、蓮池の眉間の青筋が動いた。だが、ここは冷静に…
「儂は今日、梅吉の住んでいた村に行ってきた。そこで、大そうな話を耳にしたのじゃが」
 意味深長な言い回しである。
「先日梅吉の父親が首を吊って死んだそうだな。深刻な病気にかかっていて、息子が亡くなれば生きていても仕方ないと言い残して」
「それが、何か…?」
「すっ呆けるのもいい加減にいたせ、山本! 梅吉が手にした鮎は、既に死んでいたというではないか。鮎の塩焼きが好きだった父に、せめて姿だけでも見せてやろうと拾ったものだと聞いたぞ。梅吉と一緒にいた百姓数人がそのように証言しておる」
「……」
「なぜだ、どうして罪もない百姓を殺した?」

真犯人は・・・?

「嘘です。梅吉は確かに泳いでいる生きた鮎を捕まえたのでございます。拙者は、ただお役目を果たしただけでございます」
「まだシラを切るか、権六。見ていた者の話じゃと、言い訳しようとする百姓に『この間からの鮎泥棒は貴様だな』と、問答無用の成敗だったと聞いたぞ。その時その方が発した『この間からの…』とはいったいどういうことか、申してみよ!」
「それはその…」
 黙ってしまった権六を尻目に、蓮池富十郎は台所に下りて、置いてあった魚籠(びく)(ふた)を開けた。そこには、1尺ほどに成長した活きのよい鮎が詰め込まれていた。
「お許しを。つい、出来心で」
 実はご禁制の鮎を盗っていたのは、川目付け自身だったのである。何とか別の犯人を仕立ようと考えているところに、たまたま梅吉が現われたというものだった。
「そんなことであったのか」
 蓮池富十郎から一部始終を聞いた藩主鍋島直正(閑叟)は、腕組みをしたまま考え込んだ。
「やっぱり、河上の魚を獲るなというほうが無理だったのだ。余が楽しいことは庶民も同じだった。そんなことで人が殺められるなどあってはならないこと」
 その日のうちに河上川(川上川)の禁漁をやめる布令が出されたそうな。(完)

 福岡から佐賀市に通じる国道263号は、いずこも趣があって、車を走らせるのが楽しい。中でも物語の川上峡あたりは、絶景の連続である。お話では、この時の藩主(鍋島直正)は、領民思いの「名君」ということになっている。本当にそうかな?と、ひねくれものの筆者はすぐ眉に唾をつけてしまう。写真は、紅葉時期の十可亭跡
 手づかみでもとれそうな魚の群れを大名だけが独占していた時代だった。その大名が、庶民が描いた皮肉絵を見て過ちを正したとなれば、佐賀の鍋島さまはやはり名君だったのだろう。でも、信じられない。そんな物分りのよい権力者が、江戸時代に存在したなんて。

十可亭

江戸時代、佐賀藩主の狩場の番宅だったところ。河上(川上峡)の全景が一望できることから、最後の藩主となった鍋島直正(閑叟)がこよなく愛した場所だといわれる。
特に、秋には鮎(年魚・香魚)の簗漁・鵜飼いの頃に訪れた建物を十可亭(又は十可山房)という。
十可亭跡説明板より

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