伝説紀行 だんご柳 東峰村(小石原)
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僕は筑紫次郎。筑後川のほとりで生まれ、筑後川の水で産湯を使ったというからぴったりの名前だろう。年齢や居所なんて野暮なことは聞かないでくれ。 筑後川周辺には数知れない人々の暮らしの歴史があり、お話が山積みされている。その一つ一つを掘り起こしていくと、当時のことが目の前に躍り出てくるから楽しくてしようがない。行った所でだれかれとなく話しかける。皆さん、例外なく丁寧に付き合ってくれる。取材に向かうときと、目的を果たして帰るときでは、その土地への価値観が変わってしまうことしばしば。だから、この仕事をやめられない。 |
だんご柳 福岡県東峰村(旧)小石原村
小石原川(筑後川の支流)の源流小石原村に、柳の枝にだんごを刺したような珍しい植物が自生している。 修験の山を攻めた大友宗麟 ざっと400年以上もむかしの戦国時代。九州制圧の野望に燃える豊後(大分県)の大友宗麟(おおともそうりん)が、国境(くにざかい)の彦山(※)に4000人もの兵を繰り出して攻めたてた。一大勢力となって脅威を感じる彦山の僧を制圧するためである。僧たちも仏の山を守るべく武装して抵抗し、戦いは7年間に及んだ。 ※彦山…平安初期までは「日子山」と書いたそうだが、嵯峨天皇の勅命により(810年)「彦山」と改められ、その後江戸期に入って(1680年)、霊元天皇から「英」の尊号を貰い「英彦山」と書くようになった。もともと仏教を会得しようと集まってくる修験僧の山だったが、明治以降神仏分離令で「仏」の霊仙寺は麓に退けられ、英彦山神社を柱とする神の山となり、今日に至っている。昭和50年に、英彦山神社は「英彦山神宮」に改められた。 僧兵が峠の茶屋に 国道211号線と国道500号線が交わる小石原村の中心部を、少し甘木方面に向かった村営住宅のあたりの合坂峠(ごうさかとうげ)。400年前には見事な枝ぶりの神輿(みこし)の松(まつ)が聳えていた。
お杉婆さんが思ったとおり、彦山中に点在する本堂や修験道場・数百にも及ぶ宿坊に大友勢が火を放ったのだ。 だんごを一串突き刺して 「彦山は何人(なんぴと)たりとも犯すことのできぬ神聖な山である。それを大友め・・・」 遺言残して… 翌朝お杉婆さんが表の障子をあけて仰天した。神輿の松の下で三人の僧が川の字になって死んでいた。寝間には、遺言らしい置手紙が。 小石原には何度も足を運んだが、だんご柳のことは聞いたことがなかった。「むかしはだんご柳が村中に生息していたそうですが、最近は少なくなりました。そうそう、保存のために公民館の裏庭に植えてありますのでご覧になりますか?」と役場の人。 |