国武喜次郎伝の執筆にあたって

「小説くるめんあきんど物語」も、締め括りの4作目に入りました。今回は、久留米絣を世に広めて、商都久留米を確実なものにした明治の功労者・国武喜次郎の生涯を描きます。
 私が「くるめんあきんど(久留米商人)」に注目したのは、彼らの商売に対するひた向きさです。必要とあればどこにでも出かけ、役立つことは貪欲に取り入れていく姿勢でした。
 第1作の「たび屋の雲平」では、典型的な久留米商人である現㈱ムーンスターの創始者・倉田雲平の生涯を追いました。主人公は、持って生まれた職人気質を武器に、久留米におけるゴム産業の礎(いしずえ)を築きました。
 第2作の「織屋のでん伝」は、久留米商人の気迫の源を形づくった井上傳女史の一代記です。お傳さんは、都から遠く離れた九州の城下町にあって、国(藩)と家を守る宿命を背負わされながら、知恵とエネルギーを振り絞って久留米絣を産み出し、かすり織りの技術を筑後一円に普及させた女性です。
 第3作の「まぼろしの久留米縞(くるめじま)」では、久留米の商業に多方面から新風を吹きこんだ、小川トク女史の生きざまを観察しました。遠く武蔵国(むさしのくに)(関東地方)に生まれた彼女は、明治維新時に見知らぬ他国(久留米藩)に降り立ち、人並み外れたセンスとふるさとで身に付けた技術を武器に、庶民が喜ぶ縞織物をこの地に定着させたのです。
 そして今回の第4作「明治を駆けた木綿売り」。主人公国武喜次郎は、日本列島を久留米絣の売り場に見立てて、明治という激動の時代を駆け抜けました。商都久留米を築き上げたことでは、ゴム産業の倉田雲平や石橋徳次郎(二代目)・正二郎兄弟と合わせて、忘れてはならない歴史上の人物です。
 あきんどが金儲けをする(経営)というのはどういうことなのか。儲けた金をどう活かせば世間は納得するのか。商売を展開していくうえで、商品の価値の見立て、同業者との連携、顧客の好みの先取りなど、かつての近江商人の哲学に学びながら考えました。
 国武喜次郎のあきんど人生を通じて、明治維新以後の商人活動の総括を試み、大正時代から平成の今日までを展望します。
 執筆にあたり、国武喜次郎氏の子孫である国武秀敏さん、久留米絣問屋のオカモト商店会長野口敏男さんなど多くの方々のご協力をいただきましたことを書き添えます。前三作と合わせて、久留米商人の歴史と本質をお汲みいただき、皆さまからの遠慮のないご批判を頂戴したく存じます。

今後ともご指導のほどよろしくお願い申し上げます。

 2016年2月20日

古賀 勝

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