*今のところ、名簿はあまり充実していません。ほぼ自分メモ。
自分がよく見かける名前を適当にピックアップ。何か間違いやご要望がありましたらTOPページのメールフォームか掲示板からどうぞ。
項目が増えたらそんときはそんときだ!
【ア】
アフメド・ファクリー
1905-1975 埃及
1900年代半ばを代表するエジプト考古学者の一人。
自らはベドウィンの子孫と称するファイユーム地方の出身で、特に砂漠での発掘に力を入れていた。
アメリア・エドワーズ
アメリア・アン・ブランフォード・エドワーズ
1831-1892 英国
小説家、エジプト愛好家。ロンドンに生まれ、大衆小説のベストセラー作家として財を成す。その後、友人とのエジプト旅行中にエジプトに魅せられ、詳細な旅行記を出版。1882年には彼女の出資によって「エジプト調査財団」が設立されることになる。
財団が最初に援助したのは、フリンダース・ピートリとエドワール・ナヴィル。ピートリはアメリアの遺言に従ってイギリスに始めてのエジプト学講座を開き、教授職に就任している。
ウィニーフレッド・S・ブラックマン
英国
ルーシー・ダフ・ゴードンの後を継いで、上エジプトの民俗学研究を成した女性学者。王立人類学協会所属。
収穫、豊穣を祈る儀礼、結婚式、葬式など民間伝承的な信仰と、古代エジプトとの関連についての著書を出している。
エドメ・フランソワ・ジョマール
仏国
シャンポリオン弟と、ヒエログリフ解読を争った人物の一人。ヴェルサイユに生まれ、モンジュの創設した理工科学校の第一回卒業生となる。ナポレオンのエジプト遠征にも従い、測地学的な調査を元にしたエジプトの地図作成を行っている。エジプト誌の編纂にもかかわっている。ヒエログリフ解読計画をたてたが先を越されてしまい、そののちは嫉妬のためかシャンポリオン弟の出世を阻み続けた。
オーギュスト・マリエット
1821-1881 仏国
元ルーブル美術館職員。サッカラのセラペウム発見等。1863年、カイロのブーラーク(ブーラク、ブラークとも)地区に、現在のカイロ考古学博物館の前身となるブーラーク博物館を建設。収蔵品が増えたため、1902年にタハリール広場に新しく建設したのが現在のカイロ考古学博物館(2008年時点/再移転の計画在)。エジプトからの遺物流出を食い止めるための法案を作ったことで知られる。
【カ】
ガストン・マスペロ
1846-1946 仏国
エジプト考古学者。マリエットの跡をついでエジプト考古庁の最高責任者を務め、カーターの友人として便宜を図っていた。
王家の谷のロイヤル・カシェを発見したことで知られる。
ガスパール・モンジュ
1746-1818 仏国
ナポレオンに同行し、エジプトの調査を行った学者の一人。エジプト遠征時には高齢だったが、ナポレオンの強い要望によりエジプトに向かうことになる。
刃物磨ぎ師の家に生まれ、のちに士官学校に入学。数学的な才能に優れ、士官学校の数学教師を経て科学アカデミーの会員となる。また、海軍大臣ともなる。ナポレオンとの縁は、この軍とのつながりから生まれた。
カーナーヴォン
カーナーヴォン伯爵ジョージ・エドワーズ・スタンホープ・モリノー・ハーバート
1866-1923 英国
カーターのパトロンとして知られる。ツタンカーメン発見時、41歳。30歳前半の頃、自動車事故で半死半生になり、人生について考え直すようになる。1903年、医師のすすめでエジプトへ渡り、古代エジプトに興味を持ち始める。
1906年、エジプト政府から「王家の谷」の発掘許可をとり発掘を開始するが、知識が足りず失敗。専門家の力を借りようと探していたところ、知人からカーターを紹介される。呼吸疾患の持病があったため、ツタンカーメン墓発見直後に死亡。
【サ】
ジャン・バチスト・ジョゼフ・フーリエ
1768-1830 仏国
「フーリエ級数」で有名な数学者。仕立て屋の息子として生まれ、のちに士官学校に入れられる。平民出身は出世できないため、その後は修道会が経営する学校の数学教師として働く。アカデミー会員として認められてからは、モンジュの指導下にある理工科学校の数学教授として着任し、エジプト遠征に同行する。エジプト誌の編纂委員をつとめる。
シャンポリオン(兄)
ジャック・ジョゼフ・シャンポリオン/シャンポリオン・フィジャック(筆名)
1778-1867 仏国
シャンポリオン兄弟の長男。書籍商の家に生まれる。ナポレオンのエジプト遠征調査に志願するが参加は果たされず、代わりにグルノーブルで古文書の収集・管理の職を得る。
のちグルノーブル館長。ナポレオンの支持者だったため、フランス革命でナポレオン失脚とともに職を失うが、のちに学者として認められパリの国立図書館保存官となる。早世した弟に代わり、結局、生涯エジプトにわたることは無かった。
シャンポリオン(弟)
ジャン・フランソワ・シャンポリオン
1790- 1832 仏国
シャンポリオン兄弟の末子。ヒエログリフの解読者として知られる。
1828年〜29年にかけて、エジプトとヌビアの調査旅行を行うが、調査内容をまとめる前に死去。彼の死後は兄が報告書をまとめて出版している。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルツォーニ
1778-1823 伊国
怪力自慢としてロンドンで見世物小屋に立っていたが、のち英国総領事に雇われエジプトへ。エジプトから多くの財宝を運び出し1810-1850年にかけて現在の大英博物館のエジプト・コレクションの基礎を作り上げる。略奪とも呼べる少々乱暴なこの行為は、のちにフランス人のオーギュスト・マリエットに阻止されるまで続いた。
セオドア・デーヴィス
米国
アメリカの資産家。王家の谷の多くの墓を発掘したことで知られる。(ただし新発見ではなく古代に盗掘済みだったもの)
セリム・ハッサン
1886-1961
ギザ地区における数々の発見で知られる人物。ギザで「第四のピラミッド」と称されるケンタカウエス王妃のピラミッドを発見している。大著「ギザの発掘」を著した。
【タ】
トーマス・ヤング
1773-1829 英国
シャンポリオン弟と、ヒエログリフ解読を争った人物の一人。言語学に対する才能に優れ、多くの言語を扱うことが出来た。物理学者としては「光の波動説」を発見している。ヤングはカルトゥーシュの役割や文字を読む方向などについて正しい推論を持ち、1819年に論文を発表。シャンポリオン弟がヒエログリフ解読法を発表する3年前である。
ドロシー・イーディ
ドロシー・ルイーズ・イーディ(本名)/ブルブル・アブドゥルメギード(アラブ名)/オム・セティ(通称)
1904-1981 英国
古代エジプト人の生まれ変わりを称し、人生の後半を生前の「家」であったとするアビュドスで暮らした女性。
エジプト人を夫に選び、息子にセティと名をつけ、「セティの母」を意味するオム・セティの名を名乗った。
ただ生まれかわりを自称するだけならばよくある話だが、彼女は若い頃からエジプト学を熱心に学び、美術学校に通い、エジプトに渡ってからは製図などで発掘の手伝いをした。エジプト考古局の初の女性職員でもある。
彼女はきわめて理性的にエジプト学をこなしながら、セティ1世の時代に生きた女神官の生まれ変わりであるという「記憶」を信念をもって貫き、死ぬまでアビュドスの神殿で自らを女神官として暮らした。その記憶が本物であったのか、豊富なエジプト学の知識によって構成された真剣な願望であったのかは、永遠の謎である。
【ナ】
【ハ】
パーシー・E・ニューベリー
英国
ハワード・カーターを最初に指導した人物。カイロ大学のエジプト学講師。大英博物館でも働いていた。
ベニ・ハッサンの調査を行った。
ハワード・カーター
1873-1939 英国
ツタンカーメン王墓の発見者。動物画家の家に生まれ、模写画家として活動していた。考古学的な遺産の模写の仕事から、エジプト学の知識を得る。あんまり知られてないが、最初はフリンダース・ピートリに雇われていた。1903年、遺跡にやってきたフランス人グループといざこざを起こし、謝罪を拒んだことでイギリスとフランスの国際問題になりかけ、調査団を解雇される。1907年、カーナーヴォン卿と出会い、考古学顧問になる。なお、ツタンカーメン墓以外には、トトメス4世、ハトシェプスト女王、イウヤとチュウヤの墓の発見に携わっている。
ハーバート・E・ウィンロック
メトロポリタン美術館のエジプト部副主事をつとめ、1932年に館長となった人物。
ピエール・ラコー
仏国
ガストン・マスペロのあとを継いで、エジプト考古庁の長官となった人物。それまでの発掘許可制度を見直し、外国の資産化に自由に発掘品を持ち出せる状況を改善しようとした。
フリンダース・ピートリ
ウィリアム・フリンダース・ピートリ
英国
秩序だった考古学の手法をエジプト学に持ち込んだ最初の人物。間違いなく19世紀におけるエジプト学の第一人者と呼べる人物。「日本考古学の父」と呼ばれる濱田耕作の師匠でもあり、京都大学博物館のエジプト・コレクションのもともとの持ち主でもある。
【マ】
【ヤ】
【ラ】
ラビブ・ハバシュ
1906-1984
1900年代半ばを代表するエジプト考古学者の一人。
ルーシー・ダフ・ゴードン
1821-1869 英国
ルクソールで医師として(ただし、医師資格を持って派遣されたわけではない)暮らした、アマチュア民俗学研究者。
エジプトでの暮らしをまとめて出版する前に亡くなっている。かわりに「エジプトからの書簡」という本が出版された。(1865年、1875年)
ルイ・クロード・ベルトレ
1748-1822 仏国
33歳で学士院入りを果たした異色の化学者。貴族出身だが家は貧しく、有力者からの出資を受けて学校に通っていた。
化学を修めたのち医学を学び、医師としても働いていた。ナポレオンのエジプト遠征にあたり調査団メンバーの選考を行った。
モンジュとは仲が良かったが、ナポレオン失脚とともにたもとを分かつ。
【ワ】
【主要な出来事】
・1798年 ナポレオンのエジプト遠征開始
・1799年 ロゼッタ・ストーン発見
・1809年 エジプト誌 第一巻が出版
・1822年 シャンポリオン弟によりヒエログリフの解読法が発表される
・1828年 エジプト誌 完成
・1922年 ツタンカーメン王墓の発見
・1940年 日本語で初めてエジプト語文法書が出版される
・1954年 日本オリエント学界設立
・1978年 東京国立博物館で古代エジプト展が開催される