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第三中間期 第24王朝
Bakenranef
在位年代;前728-723年頃
誕生名; バクエンレネフ
(太陽神ラーのもとで実現されるもの)
即位名; ワァカーラー Wahkare'
(太陽神ラーの魂は永遠なり)
ギリシャ語名:ボッコリス Bochoris
治世;6年
王朝の首都;サイス
埋葬地;
出身地;サイス
家族構成; 父 テフナクト
ギリシャ語のボッコリスは彼の別名だとされている。
ディオドロスはこの人物を「エジプトの優れた6人の法律家」の一人として数えているが、破格の好意的な扱いの裏には、バクエンレネフが彼の同時代の多くのギリシャ人に好意的に接していたためと考えられている。バクエンレネフの銘入りの遺物のひとつは、当時ギリシャの植民地だったナポリ近郊のギリシャ人の墓で見つかっている。
また、ローマ人歴史家タキトゥスの書き残す、「ユダヤ人を追放した」という伝説についても、考古学的な物証はないので詳細は不明。
バクエンレネフの最期は悲劇的なもので、再び南下してきたヌビア人王朝(第25王朝)の二代目、シャバカ王によって捕らえられ、生きながらにして火あぶりにされたという。デルタ地帯を支配したほかの小国の王たちはスルーされているのと比較すれば、テフナクトおよびバクエンレネフが支配者として優秀だったため、潜在的な脅威として排除される必要があったためかもしれない。
エジプトよりもギリシャで知られた王で、異国人の残した多くの伝説に対し、エジプトに残された記録は、ほとんど見つかっていない。
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