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末期王朝時代 第25王朝

ピイ(ピアンキ)

Piya/Pi'ankhy

在位年代;前753-723年
誕生名; ピアンキ・メリアメン
(ピアンキ、アメン神に愛されしもの)
即位名; メンケペルウラー Menkheperre'
(太陽神ラーの永続する顕現)
治世;31年


王朝の首都;ナパタ王国/ジェベル・バルカル 埋葬地;エル・クールのピラミッド(K17) 出身地; ナパタ周辺

家族構成; 父・カシタ(カシュタ) 息子or弟・シャバカ

Data;
かつて植民地として支配されていたヌビアの王国が台頭し、エジプトへ侵攻。第25王朝の王たちは、エジプト人よりも肌が黒く、中央アフリカ的な特徴の強いヌビア人である。すでに先の時代までで、エジプトは内乱と分裂を繰り返し、統率力を失っていた。
しかしヌビア人たちは、植民地化された恨みから侵攻したのではない。彼らを突き動かしていたのは、歴史を持つエジプトへの「憧憬」であり、「畏敬」である。各王たちは、失われたエジプトの栄華を取り戻すため、身勝手な為政者たちにお灸を据えるべく動いたという。それはタテマエだけではなくホンネの大部分でもあるように思われる。彼らヌビア王たちはエジプトに秩序を回復し、古来の神々の祭りも再開した。ほとんど抵抗が無かったことからも、民衆に歓迎されていたことが伺える。
世の中の支配と被支配の間には、敵と味方、憎しみと怒りしか存在しないわけではない。こんな関係もあるのだということは歴史上、実に面白いところである。

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ピイ王は、最初にエジプトに侵入した、カシタ王の後継者。父カシタはアスワン(エルファンティネ)に侵攻して碑文を残すにとどめたのに対し、ピイはさらに兵を北上させ、テーベのアメン神殿に献納、さらに北上してメンフィスまで迫る。このとき対峙したのが、第24王朝のバクエンレネフ、ルドアメンをはじめとする諸王たちの連合だった。

支配の完了は治世21年頃だったとされ、ヌビアのジェベル・バルカルに残された碑文によると、オソルコン4世(タニス)、ニィマァレト、イウプト2世(レオントポリス)、テフナクト(ヘルモポリス)がそれぞれ降伏し、ピイ王に領土を捧げたことになっている。

ヌビア人王朝では、王たちはピラミッドに埋葬されている。「メロエの黒いピラミッド群」とも呼ばれるこれらは、エジプトのピラミッドを模したものだが傾斜が急で規模も小さい。中身は、王の遺体と、ヌビアで算出された金で作られた製品のほか、ヌビア人が珍重した馬が大量に見つかっている。たとえ重要な動物であっても、王の墓に動物を納めるという風習はエジプトでは一般的ではない。(別の墓に納めることはあった)
これらのピラミッドは、近代まで無傷で残っているものも多かったが、ここ数百年の間に宝探しと称して片っ端から壊されてしまい、現在は大半がガレキの山になってしまっている。