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第三中間期 第22王朝

ショシェンク2世

Shoshenq U

在位年代;前873年頃
誕生名;ショシェンク・メリアメン
(シェションク、アメン神に愛されしもの)
即位名;ヘカケペルラー・セテプエンラー Heqakheperre' Setepenre'
(太陽神ラーの出現を支配するもの、アメン神に選ばれしもの)
治世;共同統治のみ


王朝の首都;タニス 
埋葬地;タニス 
出身地; ブバスティス or タニス

家族構成; 父 オソルコン1世

父オソルコン1世と共同統治で、父よりわずかに早く亡くなったらしい。第21王朝から続く二重構造で、首都タニスをおさめ、「軍の総司令官」の肩書きを持つファラオと、テーベのアメン大神官の地位をもつ執政のような役割の人物による共同統治が行われてていた。この場合、前者がオソルコン、後者がシェションクになる。
彼の墓はプスセンネス1世と同じ場所で、1939年に発見されている。手付かずで、さまざまな豪華な副葬品が発見されているが、中でも黄金のマスクが有名。


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