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末期王朝時代 第26王朝

プサメティク3世(プサンメティコス)

Psamtik V/Psammetichus

在位年代;前526-525年
誕生名; プサメティク
即位名; アンクカァエンラー 'Ankhkaenre'
(太陽神ラーの魂に生命を齎すもの)
ギリシア語名; プサンメティコス
治世;6ヶ月くらい


王朝の首都;サイス 埋葬地;不明(スサ周辺?) 出身地; サイス

家族構成; 父 イアフメス2世 息子 イアフメス

Data;
ペルシャは、エジプトの政権交代の隙をついて攻め込むことを選んだ。東部デルタのペルシウムの戦いで大敗を喫したプサメティク3世はペルシャの首都スサに連行され、わずか6ヶ月で王位を失う。プサメティク3世はペルシア宮廷に連行されるが、紀元前522年ごろ、王座に返り咲こうと画策していることが発覚したとされ、ペルシャのカンビュセス2世によって処刑されてしまう。

余談だが、ネコによる攻防戦が起きたと伝えられるのが、この王の時代である。(史実かどうかはともかく)


この王の死後、エジプトはペルシャの属州として統治されることになる。第一次ペルシャ支配の始まりである。
メンフィスでは、篭城して抵抗した市民2000人の公開処刑が命じられ、その中には王の息子イアフメスもいたという。市民から反感を買ったことはいうまでもない。のちにヘロドトスがエジプトを旅したときに聞いたペルシャ軍の極悪非道ぶりというのは、こうして人々の記憶に刻まれていくことになった。