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末期王朝時代 第26王朝

イアフメス2世/アハメス/アマシス

AhmesU/Amasis

在位年代;前570-526年
誕生名; イアフメス・サァネイト
(月は生まれる、ネイト女神の息子)
即位名; クネムイブラー Khnemibre'
(太陽神ラーの心を喜ばせる)
ギリシャ名; アマシス
治世; 45年


王朝の首都;サイス 埋葬地; 出身地; サイス

家族構成; 

Data;
名前にある「ネイト女神」とはサイスの守護女神で弓を持つ戦の女神。サイス出身なのだろう。

リビアのキュレネで発生したリビア人とギリシャ人の戦闘において、第26王朝の王アプリエスはリビア側について大敗を喫するという判断ミスを犯した。現地に送り込まれたエジプト人兵士たちの不満は募り、やがて王に対する反乱となる。そこに送り込まれたイアフメスは、反乱軍によってかしらに祭り上げられ、アプリエスから王位を簒奪することになる。ギリシャ人傭兵団とともにヌビア遠征をしたこともある人物なれば、ギリシャ人との間に人脈もあったのだろうか。

求心力を失っていたアプリエスに対し、軍人上がりのこの王様は民衆の人気を勝ち得ていたといわれる。アプリエスの娘のひとりと結婚することによって王家と王朝を存続させ、ギリシャとの関係強化にも励んだ。その結果、ナイルデルタの交易都市ナウクラティスは栄え、エジプトで初めての通貨も、この都市限定ではあったが使われるようになる。また彼は、デルフォイの神殿が燃やされたとき、その復元に1000タラント(タラントは銀の重さ)を寄付したと、ヘロドトスによって伝えられている。
同じくヘロドトスによれば、庶民上がりのファラオであるイアフメスは、大酒のみで女好きという軽い性格だったそうだ。

そんな彼のもとでも安定して国が運営されていたのは、それだけ優秀な官僚が揃っていた時代ということなのだろうか。


イアフメスは、東はキプロス、西はキュレネまでで強い影響力を持っていた。
新バビロニアの侵攻は以降も続くが、彼はそれを退け、力をつけ始めたペルシャに対しては、ギリシャとの関係強化で対抗しようとする。しかし、やがて来るペルシャの恐ろしい軍勢の前に、その備えも無駄に終わってしまうのだが。