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新王国時代 第20王朝

ラメセス3世

RamessesV


在位年代;前1187−1157年
誕生名;ラメセス(ラーの創りし者)
通称;ヘカイウヌ(ヘリオポリスの支配者)
即位名;ウセルマアトラー・メリアメン Userma'atre' meriamun
(ラーの正義は力強い、アメンに愛されるもの)
別綴り;ラムセス Ramsses/Ramses
治世;31年

王朝の首都;テーベ 
埋葬地;王家の谷(KV11) 
出身地;テーベ

家族構成;
父/セトナクト 妻/イシス、ティティ、ティイ 息子/カエムワセト、パラヒルエンエムエフ、セトヘルケプシェフ、ラメセス4・6・7・8世  娘/ティティ ほか

「ラメセス」の名を冠するが、前王朝の偉大なファラオの名を借りただけで、この王から後に続くラメセスたちは19王朝のラメセス2世とは直接的な血縁関係になかったと考えられている。ただし、本人は個人的にかなりラメセス2世に傾倒していたようで、即位名をラメセス2世に合わせてたり、息子たちの名前を同じにしていたりする…。

エジプト王国最後の繁栄を築いた王であり、西方リビアからの侵略を退けるとともに、北方からの混成異民族集団を退け、戦利品によって国を富ませた。また、カルナクに巨大な娯楽施設を建てている。

北方からの侵略者たちを退けるに際し、国家神であるアメン神に加護を祈るのは当然のことだった。
結果、戦は勝利に終わり、アメン神の威光は強まる。多くの戦利品が神殿に捧げられ、アメン神官団は権力だけでなく、財力も手に入れていった。
これが、のちの「神官国家」時代への伏線となっていくのだが…。

●王の暗殺

「宮廷陰謀パピルス」と呼ばれる、王妃による陰謀とその結果を記録したパピルスが残されている。この陰謀は、下位の王妃ティイが自分の息子ペンタウラーを王位につけようと一部の家臣たちを抱き込んだことによるものとされ、結果、多くの者が罰せられ、処刑された。

2012年、ミイラのCTスキャンが行われたさい、王のミイラの喉元に、実際に致命傷となる傷跡が発見され、ラメセス3世が暗殺によって命を落としていたことが明らかにされた。次に続くラメセス4世、5世、6世の治世が、いずれも短期間で混迷のうちに終わっているのは、ラメセス3世死後の後継者争いが混乱していたことを示しているのかもしれない。

ラメセス3世陛下のご遺体を調べたら暗殺された証拠が出てきたらしい
「鷹の首」を得るには何人の裏切り者が必要か。ラメセス3世暗殺と、「後宮陰謀パピルス」のあらまし

また、謎めいた「叫びのミイラ」と呼ばれるものが、ラメセス3世の暗殺にかかわった王子なのでは、とする説もあるが、空想力を逞しくして出した結論であり、確固たる証拠があるわけではない。エジプト考古学は科学的事実の部分と、空想でストーリー作られた部分がしょっちゅう混在するため、少し慎重に判断したほうがいいだろう。

ラメセス三世暗殺と、「叫びのミイラ」に隠された謎

なお、王子たちのうちプレヒルウェネフとカエムワセトという二人は、陰謀に関わった王妃の子かもしれないとされている。


●対外状況
地中海文明の動乱とリンクする時代。ヒッタイト滅亡後、「海の民」の到来がこのあたりの時代と考えられている。ただし、「海の民」という名称は近代のもので古代の記録には存在せず、実際は多数の民族名が書かれていることに注意してほしい。それら混成民族による侵入を受け、エジプトでは陸と海とで国境防衛のための大規模な戦闘が行われている。しかし同盟国であったヒッタイトのほうは滅びてしまったらしい。

「海の民」との戦いはエジプト人の不得意な海戦を含んでいた。と、いっても実際は海の上ではなく、ナイル下流の地域だったようだが、エジプト側は、(おそらくナイルの水位が大きく変わる特性も利用して)陸から矢を射掛けることによって勝利したようだ。エジプト独特の海戦の仕方といえるかもしれない。

近代になって「海の民」と呼ばれることになる多数の民族名などは以下のリストを参照。ラメセス3世の時代に突然あらわれたわけではなく、アクエンアテンの時代から既にいくつかの部族名は記録に見える。また、エジプトに雇われて国内に住むようになった民族もいる。

「海の民」の発生と紀元前1300年東地中海古代世界 オマケでサントリーニ島の噴火の話
今更だけど「海の民」についてちょっとだけまとめておく。これは民族名ではないですよ。


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