サイトTOP別館TOPコンテンツTOP

新王国時代 第20王朝

ラメセス4世

RamessesW

在位年代;前1156−1150年
誕生名;ラメセス(ラーの創りし者)
即位名;ヘカマアトラー・セテプエンアメン Heqama'atre' setepenamun
(真実を統べるはラー、アメンに選ばれしもの)
治世;7年

王朝の首都;テーベ 
埋葬地;王家の谷(KV6) 
出身地;テーベ

家族構成;
父/ラメセス3世 母/イシスorティティ 妻/テントオペト 息子/ラメセス5世

父ラメセス3世は第19王朝の大王、ラメセス2世に傾倒(あるいは心酔)しており、彼もまたその傾向があった。オシリス神の聖地・アビドスに、オシリス神に捧げた、「ラメセス2世のように長寿を」と祈る碑文が残されている。しかし願いとは裏腹に、彼は長生きできなかったようだ。
この王の墓はかなり古い時代から知られ、入り口にコプト語の落書きがしてある。にもかかわらず、壁画や石棺は残されている。

最近の説で、父の晩年に誕生し、若くして即位したのでは? というものもあるようだが、次の代が息子となっており、死亡年齢がミイラからかなり正確に推定されているので年齢計算が合わない。よって、彼も即位した時はおそらくそれなりの年齢だったはずで、在位年は短いものの、平均寿命的には妥当だった可能性がある。
(次の代を息子ではなく弟とすれば年齢計算の辻褄は合わなくもないが、その場合は、ラメセス3世が晩年になってから何人もの子供を持ったことになり、若い頃の子供が全員さきに死んでいることになってしまう)

この代からが第20王朝の斜陽の時代と言われることが多いが、先代が築いた栄光が急激におとろえるようなことはなく、シナイ半島にある鉱山への遠征や、紅海ぎわにあるワディ・ハンママートへの石材調達の記録、南部ヌビアへの遠征の記録が残されている。


前へ     時代の索引へ     次へ