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新王国時代 第18王朝

ハトシェプスト女王

Hatshepsut

在位年代;前1479-1458年
<共同統治による。
 自身は正式な王でないため、実際は治世が存在しない>
誕生名;ハトシェプスト・クヌムトアメン
(最も高貴な婦人、アメン神と結ばれし者)
即位名;マアトカラー Ma'atkare' (真実とラーの魂)
治世;22年

王朝の首都;テーベ 
埋葬地;王家の谷 KV20 
出身地;テーベ

家族構成;父/トトメス一世 母/イアフメス 夫/トトメス2世 娘/ネフェルウラー 姉妹/ネフェルウビティ

男性の王に代わり王権を乗っ取ったことで有名な女王。夫・トトメス2世は息子を次の王にと言い残したが、トトメス3世はまだ幼かったため、結果的にハトシェプストが摂政の座につくことに。
(※厳密には王を名乗り始めるのは摂政についてしばらく経った後だが、ここでは摂政についた時点からを治世年と数えている)
何故か「古代エジプト初の女王」と書いている資料もたまに見かけるが、初ということなら古王国時代のセベクネフェル女王のほうが先なので、初でも唯一でもない。

古代エジプトの王位継承は「女系」ではない。父から息子へが正解。


●公的な歴史からの抹消

壮麗な葬祭殿など多くの建造物を残したが、その多くは、のちに打ち壊され、碑文も隠されてしまった。
ただし、破壊が始まったのはハトシェプストの死後しばらく経ってからのようで、かつて考えられていたように王権の簒奪者として憎まれていたわけではなく、「父から子への王権伝達」という伝統を壊さないために記念碑等の抹消が行われたのだという説が最近では有力視されてきている。女が王位についたことが許せず彼女の業績を抹消しようとした人々もいたのだろうが、義理の息子・トトメス3世の残した母への賛辞から、少なくとも息子との仲は最悪ではなかったようだ。ちなみに母同様に女性摂政の座を目指した娘ネフェルウラーの名も、ハトシェプスト同様、死後には消されてしまっている。


●ミイラの発見

ハトシェプスト女王のミイラは、2007年6月にザヒ・ハワス博士らのチームによって特定された。CTスキャンの結果、ハワード・カーターが発見した王家の谷の墓に残されていたミイラに欠けている歯と、ハトシェプストの銘いりカノポス壷に入っていた奥歯が一致したことが、最終的な決定打になった模様。これにより、ハトシェプスト女王の死はかつて考えられていたように暗殺ではなく、50歳くらいで病死していたことも判明した。もっとも、ほかのミイラ鑑定の場合と同じくこの分析には異論もあり、今後覆る可能性がないわけではない。


●信仰と伝統

王は太陽神の息子(ホルス)と同一視されるため、父は太陽神でなければならなかった。かつてその太陽神とはラーだったのだが、新王国時代はアメンになっている。ハトシェプスト女王も、アメン神を自らの父として崇めていた。トトメス3世が対外遠征でエジプト史上最大の版図を築く一方、ハトシェプストは内政の力を入れており、エジプトは「世界帝国」と呼ぶべき繁栄を教授する。この時代に国家主神であるアメン神をまつるカルナック神殿は、かつてない壮麗さを誇るようになる。(それ以外の神々の神殿も、相対的に派手になっていく。)

関連

即位してた頃のハトシェプスト女王ってけっこうイイ年なんやで。という話
少女マンガなんかだと、やたらと若いハトシェプストが「王になる!」と決意する…みたいなストーリーが多いんですが、実際は40歳くらい(ギリギリまで若くみつもっても30歳は越えている)で王になってます。当時としては成熟した年齢です。何故かよく採用される男嫌いだったという設定にも裏づけとなる史実はなく、ふつーに結婚・出産して、娘を嫁がせた妾腹の息子である王子の後見人についてからが政治家としての表立ったキャリアの始まりです。

ハトシェプストの「男装の女王」というイメージは作られたものであるという話
女性としてのハトシェプストの像もあるからね…。

ハトシェプスト女王は戦争を行わず交易で平和的に統治した って言われて「は?」ってなってる
ハトシェプストの統治時代にも対外戦争はバリバリやってます、主に息子のほうが。

かつてハトシェプスト女王とされていた老婦人のミイラ
古い本では別人のミイラがハトシェプストのものとされてました。夢ぶっこわれますが現在のハトシェプストのミイラは肥満体の老婦人で死因も自然死です…。


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