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新王国時代 第18王朝

トトメス1世

ThutmoseT
綴りはバラバラ→ Thutmosis Tuthmosis Thothmes


在位年代;前1493−1483年
誕生名;トトメス(トト神に生み出されしもの)
マネトー名;トトモシス Thutmosis
古代エジプト語(より古い読み方);ジェフティメス Dhwtymess/ジェフウトモス Djhutmose
即位名;アアケペルカラー 'Akheperkare' (偉大なるラーの魂)
治世;12年/13年 (未確定)


王朝の首都;テーベ 
埋葬地;王家の谷KV20、KV38 
出身地;テーベ

家族構成;妻/ムトネフェルト、イアフメス 息子/ウアジュメス、アメンメス、トトメス2世 娘/ハトシェプスト、ネフェルビティ

有名なハトシェプスト女王の父にあたる。
先代となるアメンヘテプ1世との関係は不明だが、アメンヘテプ1世の兄弟のひとりアハモセ・スィパイリが父ではないかという説がある。これが正しければ、先代王の甥ということになる。
軍人王であり、南方、北方両方に海外遠征を行い、はじめて戦争の記念碑を立てた王。軍人出身だけあって、在位が短かったわりに多くの戦争を行っている。

なお、「古代エジプトは母系社会のため王女と結婚することによって王位を継がなければならなかった」というのは古い説であり、実際にはエジプトの王家は男系である。アメンヘテプ1世→トトメス1世の王位継承が男性への移譲であることからもそれは見て取れる。
この王家に特別に近親婚が多いのは、王家の女性を外に出して有力な外戚を作らないためだったり、おそらくは血統主義が高まった時代であることと関係している。


●軍事活動
国土の再統一がなされたとはいえ、まだ完全に安定したとは言いがたい時代。
この王の時代にヌビア(クシュ)まで遠征し、ヌビアの王を殺したという話が家臣の墓に記録されている。また、第12王朝センウセルト3世時代の運河を浚渫し、遠征しやすくもしたとされる。
ただヌビアの反乱はその後も続き、「クシュの提督」と呼ばれる代理統治人を置くことで解決した。この地位は、のちに皇太子など高位の王族が務める重要な役目になっていく。

また、シリアにも遠征し、ユーフラテス川の近くで象狩りをして石碑を置いたとされる。(この石碑は発見されていない)
ナイル川は南から北に流れるのに対し、ユーフラテス川は北から南へと逆に流れるため、エジプト人は「逆さに流れる川」と認識した。ちなみにエジプトでは、ナイルの流れと方位の呼び方が一致しているため、「北=下流」「南=上流」。エジプト人にとっては、まさに「逆さの川」だったのだ。


●宗教の変遷
先王の時代に造営が開始されたカルナック大神殿が、さらに増築され、大きくなっていく。それにつれて、カルナックのアメン神官団の権力も増大する。
また、この時代あたりから、よく知られている「アムドゥアトの書」が墓の内部に見られるようになる。かつての太陽神ラーが、アメン神の一部として引き続き崇拝されていたことがうかがえる。


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