アイスランド・サガ −ICELANDIC SAGA

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ケニングの使用例(2)

ギースリの殺害告白


 「ギースリ・スールスソン(スールの息子ギースリ)のサガ」は、運命に取り付かれたように不運に見舞われ、一生を波乱の中に過ごすギースリの物語だ。追放されてなお命を狙われつづける危険な人生を送る点においては、「グレティルのサガ」のグレティルと同じ。サガの中の豪傑たちは、命の危険にみまわれることが多い。

 ここに紹介するのは、ギースリが、姉の婿…つまり義理の兄ソルグリームの殺害者となってしまい、そのことを、実の姉ソールディースに見抜かれる切っ掛けとなる”運命の歌”だ。
 何気なく口にしたケニングの比喩が、彼のその後の人生を、復讐に燃える姉に追われるものへと変貌させるのである。
 その歌とは、以下のとおり。 



 『巨人殺しグリームの墓塚に
  雪が溶けて 我は見たり
  みどりの若芽のふき出すをば
  ガウトの戦闘の輝きに 一撃を与えつ

  槍の衝突の戦士は兜のスロートを殺め
  安らぎの土地を求めつる者に
  かれを呑み込む
  土地をば与えつるなり』

ギースリ・スールスソンのサガ/東海大学出版会/大塚訳より



 これだけでは何のことだか分らないと思うので、解説を抜粋しよう。

 「巨人殺し」とは、トール神のこと。トールはアイスランドの発音で「ソール」(ソル)となる。つまり、「巨人殺しのグリーム」=ソル・グリーム、となり、被害者である義兄ソルグリームのことを指している。

 ガウト、スロートはオーディンの別名で、ガウトの戦闘の輝き、兜のスロートとは、戦士のことを指す。
 この戦士というのが、殺されたソルグリームを指している。
 槍の衝突の戦士というのは槍の使い手を指すのだが、そもそもソルグリームは寝ているところを槍で突かれて死んでいるので、ここではソルグリームの殺害者、ということになる。


 上の歌から、すべてのケニングを取り去って、ダイレクトな表現に直してみよう。

 『ソルグリームの塚に雪が溶けるのを見た
  私はソルグリームに槍の一撃を与えた
  そして、ソルグリームに墓という土地を貸し与えた』

 パッと聞いただけでは死を悼む歌に聞こえそうなものだが、もちろん周りに人のいる中で、堂々と殺害を告白するわけにもいかない。
 その場にいた中で、その歌の隠された真意に気づいたのは、歌を記憶したギースリの姉・ソールディースだけだった。
 春になり、ソールディースは、旅立とうとしている、亡き夫の兄ボルクルにそのことを話してしまうのだった。

 ソールディースが裁判を起こそうとしていることを知った、ソールディースとギースリの兄、ソルケルは、弟ギースリにそのことを告げた。
 ギースリの返答は、こうだ。



 ヴェール 美しく着飾れる
 我が姉に
 ギューキのむすめグズルーンの
 強き心はあらざりき

 わたつみ(海)の炎 こがねの女神(原文ではサーガ)の
 グズルーンは
 兄弟の復讐を胸に
 夫の命を奪いけり


 ここで引き合いに出されているのは、ニーベルンゲン伝説の原型とされる物語のひとつ、「詩のエッダ」に歌われる、ギューキ王の娘グズルーンである。古代北欧では、血のつながりは夫婦のつながりよりも強いのが一般的で、たとえ夫であっても、兄弟を手にかけた場合は復讐の対象になるものだった。

 伝説に歌われるグズルーンは、兄弟の絆を重んじて、最初の夫シグルズの殺害に復讐しない。また、再婚して嫁いだアトリが、兄弟たちを殺害した時、復讐のために夫アトリと、アトリとの間に出来た息子たちを、ともに殺害する。

 だが、ソールディースは、そのグズルーンとは裏腹に、夫の復讐のため実の兄弟を追い込もうとしている。ギースリは、当然あるべき兄弟の絆が裏切られたことを知り、上記のように、飄々と歌い上げたのだった。

 ギースリは機転に富んだ男だった。だが、多くの葛藤と、不運を抱えた男でもあった。
 彼は裁判で追放の刑を受け、13年ののちに壮絶な最期を遂げるが――、この歌は、物語の始まりに過ぎない。



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