■ニーベルンゲンの歌-Das Nibelungenlied |
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【基本データ】
成立年代;紀元1200年頃(正確には1203年〜1204年頃と推測される)
著者;不明の詩人
(ハインリッヒ・フォン・オフテルディンゲン、コンラート・フォン・フッセスブルンネンなどを著者とする説がある。その他、多数者による共著説なども)
使用言語:中期高地ドイツ語
【基本資料】
岩波文庫『ニーベルンゲンの歌』前編、後編 相良守峯 訳 1955初版
お手軽に手に入る完訳。資料によって、固有名詞は多少異なります。
(例 ウォルムス→ヴォルムズ、ウォルムズ)
「ニーベルンゲンの哀歌」について (2024/1/7追記分)
原典の紹介で出しているA、B、そ、3種類の写本のいずれにも付随された、本体とは別の作者による「外伝集」のような位置づけのもの。
成立は「歌」本体とほぼ同時であり、本体を書かせたパトロンが、それを世に出すにあたりキリスト教的な要素を付け加えるべく別の作者(おそらく聖職者)に依頼して書かせたものではないかとされる
あまりにも異教的かつ北欧神話寄りの価値観になっている本体の「歌」写本に対し、補足的な意味で新しい伝承を付け加えている。また、本編でブルグント一行が通過していたパッサウの町の司教が情報源だとすることにより、伝説が歴史的事実だったかのように構成されているため、「歌」本編に残る北欧神話的な要素は「哀歌」では故意に省かれている。
。
具体的にどうキリスト教化されたかというと、本編の「歌」では、教会はプリュンヒルトとクリエムヒルト、二人の王妃の争いのためだけの舞台だったのだが、「哀歌」では司教やミサが登場する。
本編終了後の物語がメインなので、エッツェル王の宮廷に積み上がる死者たちがキリスト教的な手続きに則って埋葬されるところからスタート。本国で悲劇の顛末を聞いたプリュンヒルトがイエス・キリストについて語り、グンテル王との間に出来ていた息子が戴冠する。異教徒の国であるエッツェル王の国はその後、跡継ぎもなく消滅する。
★大変ありがたいことにB写本付随分の邦訳が出ました。
本編を読んだあとにこれを読むと、訳者の言う「野生児にキリスト教の法衣を着せ付けて、中世の世にデビューさせる役割」という言葉の意味が分かると思います。
【邦訳資料】
鳥影社『ニーベルンゲンの哀歌』 岡崎 忠弘 訳 2021初版