2005年5月11日
「柴田勝家ゆかりの地巡り
(しばたかついえ・ゆかりのちめぐり)
名古屋市名東区
地図
撮影 OLYMPUS E-10

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うちから車で10分ほどの名東区上社(かみやしろ)
というところで柴田勝家は生まれた。
柴田勝家がどの程度有名なのかは
もうひとつ判断がつかない。
戦国野郎なら当然知ってるだろうけど、
学校の教科書では
どの程度出てきていたんだったか。
今回その勝家ゆかりの地を少し巡ってみた。
まずは勝家が建てたといわれる神蔵寺へ。
本堂などは新しく、500の歳月は感じさせない。
特に柴田勝家絡みの何かがあるというわけでもなく、
実際訪れても、自分の中で感慨にふけるしかない。
勝家は最初、信長の弟信行の家臣だったのが、
信行の反逆やら何やらすったもんだの末、
信長の家臣となり、信長の死後、
賤ヶ岳の合戦で豊臣秀吉に敗れて自害するまで
勇猛な家臣として信長を支え続けた。
武勲という点では、信長家臣団の中でも一番
だったかもしれない。
(ゲーム「信長の野望」でも大活躍)
すぐ隣に貴船神社がある。
このあたりは貴船という地名だけど、
貴船神社というのは全国にたくさんあるようだ。
どういう由来なのかはよく知らない。
ここの場合は、明治時代の神仏分離令で
分けられただけかもしれない。
少し離れた貴船社も寄ってみた。
ここは勝家とは直接関係ないようだけど、
せっかくだからついでに。
多少は関係あったりするのか。
柴田勝家というと、一般的なイメージとしては
北陸軍団長として北陸北の庄の人
というイメージなんだろうか。
前田利家が完全に加賀の人のイメージ
が定着してるように。
けど、信長も秀吉も、利家も勝家も
みーんな名古屋っ子なのだ。
最後に明徳寺へとやって来た。
柴田勝家の生誕地ということで、
今回のメインはここだった。
現在は普通のお寺さんとなっている。
登ってすぐの右側に、
下社城址の石碑が建っていた。
柴田氏の居城で、ここで勝家が生まれた
というわけか。納得。
小高い丘のような場所に建っていて、
昔は周りがよく見渡せたのだろう。
勝家が北の庄へ移ったときに
ここは廃城になってしまったらしい。
柴田勝家出生地の石碑と説明板があった。
お、ちゃんとあるんだ、と思った。
何も残っていなくても、とりあえずこういう碑が
あると納得するし、訪れたかいがあったと思える。
思ったほどは何もなかったけど、
勝家が生まれた場所も分かったし、
満足して帰ることにした。


 ご近所さんシリーズは久しぶりだった。前田利家ゆかりの荒子観音以来だろうか。
 その前は豊臣秀吉と加藤清正の中村公園だった。徳川家康の岡崎城へも行ったんだった。
 けど、考えてみたら、肝心の織田信長ゆかりの地はまだ行ってない。大須の万松寺や大須観音など、近いうちに行かないと。

 柴田勝家ゆかりの地巡りは、そんなにおすすめできるほど何があるってわけではない。
 近所の人は、こんな近くで生まれたんだなと思えるくらいのものだから。
 もし行く場合は駐車場がないところがほとんどなので注意が必要だ。短い時間なら路上駐車できるけど。

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