雑感書評

今まで読んだ本 その6




『坂崎幸之助のJ-POPスクール』 坂崎幸之助


岩波アクティブ新書
 「J-POP」と銘打っているが、書いたのが坂崎幸之助と来れば、当然フォーク中心に決まっている。
 坂崎氏と言えば、大のフォーク好き。吉田拓郎とKinki Kidsが出ていた「ラブラブあいしてる」で、石川鷹彦にいきなり「「りんご」のスリーフィンガー弾いて下さいよ」と言い出して、石川鷹彦がさらりと弾いた場面が特に印象深い(ここの件、分かんない人は分かんなくていいです)。
 全体としては、坂崎氏が中学入学からアルフィー結成ぐらいまでの自分史と、その当時彼が影響を受けた歌手とか歌について思い入れたっぷりに語った言葉を本にしたもの、という感じ(実際、これはNack5で放映されていた番組の1コーナーを新書化したもの)で、フォークの歴史の勉強には非常に有益。ただ、口述筆記のせいか、もう少し突っ込んでくれればいいのに、という感がないわけではない。
 私などは、坂崎氏の語るフォークへの熱い思いが読みたかったので満足だが、現代のJ-POPと呼ばれる音楽については全く語っていないので、そういうのを期待して読む人は要注意。そういう人には、近田春夫の『考えるヒット』(文春文庫)のシリーズをお薦めします。 (7/5)


『大本営発表は生きている』 保阪正康


光文社新書
 大本営発表と言うと、何となく自分に都合のいいことしか発表しないとか、嘘ばっかり発表するとかいうような漠然としたイメージがあるが、実態はどうもそれ以上だったらしい。極端な話では、海軍が発表した嘘の内容を陸軍が信用し、それを元に作戦を練っていたというのだから、日本が戦争に勝てる訳はなかったということが、こういうことからも分かる。
 大本営発表をさらに「装飾」していたのは、新聞であり言論人でもあったと著者は繰り返し述べている。特に新聞については、大本営発表がどのように伝えられたかを、紙面を頻繁に図版で収録して解説しており、大本営発表の片棒を担いだ責任を鋭く追及している。
 尚、題名からすると、現在の報道の在り方を戦前の大本営発表に擬して批判していく本のようにも思えるが、本書の内容の殆どは本物の大本営発表のみを分析した内容となっている。勿論、それはそれでとっても面白いのだが、結局「生きている」という書名とするほど、現代について言及されていないのはやはり残念。 (7/5)


『間違いないっ!』 長井秀和


KKベストセラーズ
 独特の口調で毒を吐きまくるピンのお笑い芸人・長井秀和のオフィシャル・ブック、っつーかネタ本。今までのネタが色々と盛り込まれている。但し、決め台詞の「間違いないっ」と「気を付けろっ」が省略されてたりするので、適宜自分の頭の中で補いながら読む必要がある。帯の「字だけで解る」というのは、いつもここからを意識しているのか、それとも鉄拳か。
 因みに、この本とは直接関係ないけど、「エンタの神様」に司会は4人もいらねーだろ。 (5/27)


『だめだこりゃ』 いかりや長介


新潮文庫
 先日、惜しまれつつも世を去った、ドリフターズのリーダーいかりや長介の自伝。亡くなったせいで、本屋では急遽平積みされていたりする。DVDもここにきてアマゾンで売り上げ1位になったりと、ドリフの人気は衰えていないようだ。多分、日本人はドリフを見て育った世代とそれ以後の世代とで断絶を起こしているに違いない。自分はつくづくドリフに間に合って良かったと思っている。
 それはともかく、本書はページ数的には多くないが、丁寧に書いてくれてあるため、内容的にはかなり濃いという印象を受ける。メンバー集めの秘話と著者のメンバー評、そしてドリフとドンキー・カルテットの分裂といったところが本書の中の読みどころでしょう。芸にうるさかったという父親との交流も、そこそこいい話。
 とにもかくにも、亡くなる前に書いてくれてて有り難うと言いたいものです。 (5/27)


『AV女優2 おんなのこ』 永沢光雄


文春文庫
 『AV女優』の続編。又しても、総勢36名、全619頁に及ぶ大作である。今回は、平成8年からのインタビュー集なので、全作よりは少しだけ新しくなっている。そういう点で、彼女達の発言内容も微妙に変わってきており、何だか人類学のフィールドワークの研究と言えなくもない、まやっぱそこまでは言えんか。
   相変わらずの永沢式インタビューは健在。そしてまた、色んな人生を生きてきた人々もやっぱり健在。今日も社会の片隅では、本書の中で語られているような出来事が起きているのかと思うと、あれこれ複雑な心境になってしまう。 (5/27)


『69』 村上龍


集英社文庫
 なにげなく読もうと思って本屋に買いに行って表紙を見たら、いきなり「映画化決定」となってて驚いた。なんでまたこうタイミングよく映画化されるかね、もう20年ぐらい前の本だと言うのに、ということで、それを読もうと思った自分と映画化しようとした世の中とのシンクロに勝手に驚いてみたりする。
 さて、主人公のヤザキは、全く以て村上龍そのもの。学校も佐世保北高校と堂々と実名を出しているし、殆どノンフィクションと言ってもいいんじゃないの?台詞も佐世保の方言でみんな喋っているのがいい味を出している。
 そのヤザキは、女の子、特に松井和子の気を惹きたいというのが全ての活動のエネルギーである。それが講じてバリケード封鎖までやってしまう。何だか楽しそうな高校生活だ。最後はちょいと消化不良だが、「実話」なのでしょうがないか。
 ところで、実名といえば、本書の中で、或る教師が佐賀大学の国文科卒であるというだけで、もの凄い扱き下ろし方をされている。ヤザキのこうした一方的な決め付けが本書の醍醐味の一つなので引用しておきます。
「シミズは佐賀大学の国文科出身だ。日本で最も地味な大学の、それも、国文科だ。佐賀には県庁前の七色噴水と、あとはお城の跡と、田んぼしかない。ラーメンもまずいし若い女も少ない。福岡と長崎に米を供給する農業県だ。そういう派手なところのまったくない県で国文学を学んだ人間が、松井和子のような美しくて勇気のある女子高生に何かものを言う権利など、あるはずがない。」(pp.124-125) (5/27)


『毎日かあさん カニ母編』 西原理恵子


毎日新聞社
 毎日新聞に連載中の西原理恵子の子育て漫画日記。サイバラの自画像も、かつてのおかっぱスカート姿から、割烹着姿に変身し、表情も常に険しい。
 当初は、夫である鴨志田穣も登場して一家4人で団欒してたりもするのだが、段々と登場回数が減り、いつの間にか別居していつの間にか離婚している。が、子育て漫画のせいか、その辺の事情については触れられていない…。
 登場する子供は兄と妹。この兄がかなりの曲者である。もし自分んとこにこんな息子がいたらと考えると背筋が寒い。個人的には、たまに登場する早期教育の精霊が最もお気に入りのキャラ。
 ところで、狂ったように何かで遊んでいる状態を指す「〜の霊が光臨している」は便利な表現なので、育児中の人は是非使ってみよう。 (5/7)


『週刊少年『』』


太田出版
 CSのフジテレビ721で放映されていた同名の番組を単行本化したもの。「しゅうかんしょうねんかぎかっこ」と読みます。番組の構成としては、漫画家に100の質問をして答えてもらうというだけのもの。登場した順に、荒木飛呂彦、車田正美、宮下あきら、福本伸行、ゆでたまご、高橋よしひろ、島本和彦、永井豪、板垣恵介、藤子不二雄A(本当は丸で囲まれたA)という10人。そして、インタビューをするのは俳優の船越栄一郎。船越氏は番組を見る限り、とっても漫画好きのようなので、まさに適任。
 本書ではその100の質問と答えが要領よく記載されており、番組の復習に最適。なぜジョジョという名前になったのかとか、ゆでたまごが嫌いな超人は誰でその理由はとか、そういう話、好きな人は好きだと思う。CSを見られなかった人も是非読んでほしい。世代的にはジャンプ世代がジャストミートする筈。全体のコンセプトもジャンプを意識しており、海賊マークが船越の顔になっていたり、本の題名のロゴがジャンプ風になっていたり、あと紙も単行本のくせにジャンプみたいな質の悪い紙になってる(そのくせ980円は高いんじゃないのか)。
 それにしてもふと気づけば、最近は昔の漫画の続編ってのが多いですよね。しかも前作の子供が主人公ってやつ。例えば「キン肉マン2世」「リングにかけろ2」「暁!!男塾」「銀牙伝説〜ウィード」など。当時の読者を取り込もうとする作戦が見え見えなんだけど、つい乗せられて読んでしまう。逆に言えば、今の世代の新しい読者は獲得できているのだろうか。 (5/5)


『東電OL症候群』 佐野眞一


新潮文庫
 『東電OL殺人事件』の続編。今回は、平成12年4月の一審の無罪判決から翌年末ぐらいまでのルポ。事実関係は前作で散々洗いまくったため、特段の新事実は出てこない。だから、その後の裁判の実況や前作を出した世間の反応なんかが中心となっている。
 後半では、一人の裁判官がクローズアップされている。再勾留請求を否決したと思ったら、一転して再拘留を決定したという、村木という裁判官である。そして彼はその後少女買春(あまり好きな言葉ではないが便宜上使います)で逮捕される。著者は、またしても村木の「ルーツを探る」ということで、彼の生家に行ってはあれこれ調べ上げ、東電OL事件との「暗合」に勝手に慄然としているのだが、もうええっちゅうねん。更には、村木を尾行してその行動を逐一報告するような部分は、流石にやりすぎの感がある。 (5/5)


『終りなき夜に生れつく』 アガサ・クリスティ


ハヤカワ文庫
 アガサ・クリスティの推理小説だが、単発の作品なので、ポアロもミス・マープルも出てこない。かと言って他の誰かが探偵という訳でもない、なかなか掴み所のない本。推理小説だと思って読み進めると、ちょっと苛々するかも知れません。私も予備知識なしで読み始めたので、かなり苛々した。一応、クリスティ自身はこの作品を随分と気に入ってるらしい。
 ではなぜこの本を読むことにしたのかと言えば、単にジプシー差別の実態がよく分かるらしいから、というもの。確かに、現代ではとても書けないだろうな…。尚、ミステリとしては成立はしているが、と言うのが精一杯。余談だが、邦題は「終り」「生れ」と送り仮名の付し方がどっちも古い。 (5/5)

 「ぼく」が犯人というのは、それほど意外というわけではないが、それにしても、これが本当に推理小説なのかというところでやや疑問が残る。犯人は誰か当ててみろと言うよりは、普通の小説として筋書きを楽しめということなのかも知れない。でもやっぱり釈然としない。
 


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