![]() 新潮新書 |
![]() 本書では、ユダヤ人差別、ジプシー(今風に言うと「ロマ」)差別、外国人差別、相互監視社会、核開発、マネーロンダリング等と、スイスの暗部が盛り沢山に語られている。勿論、著者とてそれを肯定している訳ではないだろうが、さりとて殊更に批判めいた調子ではなく、どちらかと言えば皆に知らしめようとするのが第一の目的であるかのように客観的に叙述されている。 で、詰まるところ、スイスはかなり勝手な国なのである。そう考えると、2002年にとうとうスイスが国連に加盟したのは、かなり凄い出来事だと思う(ただ、相変わらずEUには入る気配がないが)。そして「平和で豊かな国」を守る為には、それ相応にやんなきゃいけないことがある、ということでもある。と言うことは、映画「第三の男」でオーソン・ウェルズ扮するハリー・ライムが、イタリアの混乱がルネッサンスを生み出したという話に続けて「スイス500年の平和が何を生み出したか。鳩時計さ。In Switzerland they had brotherly love - they had 500 years of democracy and peace, and what did that produce? The cuckoo clock ..."」という有名な台詞を吐いているが、果たしてその通りでしょうか? (5/5) |
![]() 文春文庫 |
![]() この本のツボは、永沢光雄というインタビュアー(=著者)の技。基本的に或る程度の距離感を保って、淡々と彼女達の生き方を抉り出しているのだが、時折下心が見えたり、変に同情してしまったり、挙げ句の果てにはインタビュー中に交際を申し込んだりしている。そうした絶妙さは、毎月の連載が一冊の本に纏められたことで、より明確になってるんじゃないかな。 あと一応言っておくと決してやらしい本ではないので期待しないように。(4/30) |
![]() 講談社文庫 |
![]() 前半で伏線張りまくりだが、謎解きという程の謎解きはない。それでも日本国債市場というあまり馴染みのない分野をミステリ風味に仕立て上げたというのは新鮮。因みに、文庫版の解説はアタック25の司会でお馴染みの児玉清。あと「幸田真音」というペンネームは「買うた、マイン」であると藤巻健史が著書の中で紹介していたが、著者本人がラジオで語ったところでは「ああだ、こうだ」の「こうだ」らしい。 (2/16) |
![]() 岩波新書 |
![]() 著者は、著作権問題は著作権法問題ではなく著作権契約問題であると言う。つまり、法律が悪いのではなく、きちんとした契約をしない当事者が問題を起こしているというものだ。また、権利を強めたい権利者と弱めたい利用者の百年戦争は政府が仲裁すべきものではなく、当事者間で合意形成を目指すべきだという主張も随所で出てくる。これは結局は、著作権というのは単なるルールであって、モラルでもマナーでもない、よって政府は誰にどういう権利を与えるかという点については中立的であるべきだということである。これは至極その通りだと思う。尚、著者は(この本の中ではあまり触れていないが)「著作権は人権だ」という言い方をよくする。それだけはあまり関心しない。 最後にアメリカの著作権政策を紹介しよう。これは私も某所の講演で喋ったことがあるが、実は元ネタは岡本前課長であることを今更だからばらしてしまいます。すいません。でアメリカの著作権政策というのは単純で、アメリカが沢山作っているものは他国でコピー出来ないようにしよう、他国が沢山作っているものはアメリカでコピー出来るようにしよう、というものである。これぐらい明快な国家目標を我が国も持てれば、国際社会でしぶとく生きていけると思うのだが。 (2/16) |
![]() 新潮文庫 |
![]() 本書の帯には「エリートOLは、なぜ娼婦として殺されたのか」という問い掛けがあるが、残念ながら、結局のところ何故被害者が売春を繰り返していたかは、よく分からないままだ。著者は被害者の父親の影響を重要視しているが、それはこじつけというものでは?それに、明らかに著者は本書の中で、この問に答えようとするよりも、ゴビンダの無実を証明する方に遙かに多くの労力を割いている。それが残念。ま結局、死者の気持ちはよく分からないので、しょうがないと言えばしょうがないが。 尚、単行本では時期的な関係で一審判決の前までしか書かれていないが、文庫本ではゴビンダには無罪判決が出て目出度し目出度しで終わっている(本書によれば、裁判長は居眠りしまくり)。しかしながら、その後最高裁で有罪が確定してますけどね。 それにしても、被害者の売春客とか、事件の目撃者とか、全部実名で書かれているけど、いいのか? (2/12) |
![]() 日経ビジネス人文庫 |
![]() |
![]() 講談社 |
![]() 一つ紹介したいのは「ノンキャリアの体質」と題された部分。 キャリアの中にできが悪い者が存在することは事実である。しかし、ノンキャリアはそれ以上にできが悪い。/そもそも制度上、キャリアとノンキャリアの試験がべつに設けられているのだから、優秀な者や志の高い者がキャリアの試験を受けるのは自然である。最初からノンキャリアの試験を受けるような奴は、歩留まりを見越した敗北者なのである。(pp.208-209) ここまで言えてしまうのは正直言って凄すぎるが、そのすぐ後には、キャリアとノンキャリアを厳然と区別する制度は明らかに外務省職員の心を屈折させていると言っており(自分もだろ)、更に、キャリア・ノンキャリアの試験制度は廃止すべき等と主張しているので、結局何が言いたいのかよく分からない。 その他、他省庁から大使館への出向者全般(或いは他省庁そのもの)を小馬鹿にしている点や在外選挙権は「物好きな一部の邦人の主張」としている点がどうもねという感じ。一方、岡本行夫は結局何者なんだという点には同感。 それにしても「いつまでたっても何の連絡もこない」の表現が何度も出てくるのが気になる。 (12/20) |
![]() 文春文庫 |
![]() 因みに、以前NHKではこれらの短編を強引に1つの長編にしたドラマをやっていた。主演・奥田瑛二。 (11/26) |
![]() 岩波書店 |
![]() ウォルドロンはニュージーランドの法哲学者で、本書はケンブリッジ大学での講義を下敷きにしたもの。で基本的には、「立法」に対してもっとプラスの評価をしようよという本なのだが、そもそもその主題の立て方からして理解が難しいかも知れない。ここで思いを馳せるべきことは、英米法の国では慣習法(コモン・ロー)の体系が存在する、ということである。この慣習法は実定法と違って立法作業により作られたものではない。にも関わらず(或いはそれ故に)裁判等では実定法よりも尊重されることが多い。これが本書の前提。 そして本書では、アリストテレス、ジョン・ロック、カント等の主張を取り上げ、立法作業を構成する各部分(選挙、合議、評決等)について考察していく。特に、本当に一人で考えるより多数で考えた方がより良い結論が得られるのか、本当に多数決で決めることは自明なのか(少数派が多数派の決定に拘束される理由は何か)等の点について、その正当性を哲学的に追求していくというプロセスについては新鮮な感動がありました。 (11/19) |