雑感書評

今まで読んだ本 その5




『黒いスイス』 福原直樹


新潮新書
 凄い題名である。毎日新聞元ジュネーヴ特派員の著者が記した素顔のスイス、というような暢気な話ではなく、本書を読めば、永世中立国で平和で自然が豊かでというような、牧歌的なスイス観は悉く覆される。仕事でちょこちょこ行っていたため、スイスは私にとって日本、英国に次いで総滞在時間が第3位の国だが、本書を読んで私のスイス観もそこそこ覆った。
 本書では、ユダヤ人差別、ジプシー(今風に言うと「ロマ」)差別、外国人差別、相互監視社会、核開発、マネーロンダリング等と、スイスの暗部が盛り沢山に語られている。勿論、著者とてそれを肯定している訳ではないだろうが、さりとて殊更に批判めいた調子ではなく、どちらかと言えば皆に知らしめようとするのが第一の目的であるかのように客観的に叙述されている。
 で、詰まるところ、スイスはかなり勝手な国なのである。そう考えると、2002年にとうとうスイスが国連に加盟したのは、かなり凄い出来事だと思う(ただ、相変わらずEUには入る気配がないが)。そして「平和で豊かな国」を守る為には、それ相応にやんなきゃいけないことがある、ということでもある。と言うことは、映画「第三の男」でオーソン・ウェルズ扮するハリー・ライムが、イタリアの混乱がルネッサンスを生み出したという話に続けて「スイス500年の平和が何を生み出したか。鳩時計さ。In Switzerland they had brotherly love - they had 500 years of democracy and peace, and what did that produce? The cuckoo clock ..."」という有名な台詞を吐いているが、果たしてその通りでしょうか? (5/5)


『AV女優』 永沢光雄


文春文庫
 雑誌に連載されていたAV女優へのインタビューを纏めたもの。総勢42名で655ページにもなる大書だが、一気に読んでしまった(但し、インタビューの中には、古いものでは平成4年のもあるから時代を感じないわけではない)。そんな本書の読後の感想を一言で表すなら「色んな人生があるなあ」に尽きる。専らインタビューは彼女達の生い立ちに焦点を当てているが、いや〜世の中本当に色々な人々がいるものです。その辺は実際に読んで味わうしかないっす。
 この本のツボは、永沢光雄というインタビュアー(=著者)の技。基本的に或る程度の距離感を保って、淡々と彼女達の生き方を抉り出しているのだが、時折下心が見えたり、変に同情してしまったり、挙げ句の果てにはインタビュー中に交際を申し込んだりしている。そうした絶妙さは、毎月の連載が一冊の本に纏められたことで、より明確になってるんじゃないかな。
 あと一応言っておくと決してやらしい本ではないので期待しないように。(4/30)


『日本国債(上下)』 幸田真音


講談社文庫
 著者は実際にディーラーをやっていた人だけあって、専門知識も豊富でディーリングの場面なんかは緊迫感がある。国債の「未達」が起きてプライマリー・ディーラー制への移行が検討されるという筋書きがその後実際に起こったことでも話題となった。
 前半で伏線張りまくりだが、謎解きという程の謎解きはない。それでも日本国債市場というあまり馴染みのない分野をミステリ風味に仕立て上げたというのは新鮮。因みに、文庫版の解説はアタック25の司会でお馴染みの児玉清。あと「幸田真音」というペンネームは「買うた、マイン」であると藤巻健史が著書の中で紹介していたが、著者本人がラジオで語ったところでは「ああだ、こうだ」の「こうだ」らしい。 (2/16)


『著作権の考え方』 岡本薫


岩波新書
 著者は前の文化庁著作権課長。私も著作権絡みの仕事をしていたので、この人の話は何度も聞いたことがあるため、ああまたいつものことを言っているなという感じだが、著作権について知りたいという人には良い入門書になると思う。ただ、前半は著作権制度そのものの解説だが、後半は契約ルールや国際情勢の話になるので、いきなり読むと辛いかも知れない。
 著者は、著作権問題は著作権法問題ではなく著作権契約問題であると言う。つまり、法律が悪いのではなく、きちんとした契約をしない当事者が問題を起こしているというものだ。また、権利を強めたい権利者と弱めたい利用者の百年戦争は政府が仲裁すべきものではなく、当事者間で合意形成を目指すべきだという主張も随所で出てくる。これは結局は、著作権というのは単なるルールであって、モラルでもマナーでもない、よって政府は誰にどういう権利を与えるかという点については中立的であるべきだということである。これは至極その通りだと思う。尚、著者は(この本の中ではあまり触れていないが)「著作権は人権だ」という言い方をよくする。それだけはあまり関心しない。
 最後にアメリカの著作権政策を紹介しよう。これは私も某所の講演で喋ったことがあるが、実は元ネタは岡本前課長であることを今更だからばらしてしまいます。すいません。でアメリカの著作権政策というのは単純で、アメリカが沢山作っているものは他国でコピー出来ないようにしよう、他国が沢山作っているものはアメリカでコピー出来るようにしよう、というものである。これぐらい明快な国家目標を我が国も持てれば、国際社会でしぶとく生きていけると思うのだが。 (2/16)


『東電OL殺人事件』 佐野眞一


新潮文庫
 そもそも著者は何の為にこの事件を追い掛けているのかがよく分からない。一体何をしたいのか。いや確かに犯人とされたネパール人・ゴビンダの無実を証明したいということは何度も言われているが、かと言って調べた事実を警察に提供したり或いは弁護士と共闘したりするでなく、裁判を傍聴しては、私もそれには気付いていた、と1人得心しているだけだ。相変わらずの物凄い取材力で色々と調べ上げているし、わざわざネパールまで行っているというのに。なんかこう折角なんだから、もっと社会に働きかけても良かったんじゃないの。確かに『新潮45』に発表はしてたんだろうけども。
 本書の帯には「エリートOLは、なぜ娼婦として殺されたのか」という問い掛けがあるが、残念ながら、結局のところ何故被害者が売春を繰り返していたかは、よく分からないままだ。著者は被害者の父親の影響を重要視しているが、それはこじつけというものでは?それに、明らかに著者は本書の中で、この問に答えようとするよりも、ゴビンダの無実を証明する方に遙かに多くの労力を割いている。それが残念。ま結局、死者の気持ちはよく分からないので、しょうがないと言えばしょうがないが。
 尚、単行本では時期的な関係で一審判決の前までしか書かれていないが、文庫本ではゴビンダには無罪判決が出て目出度し目出度しで終わっている(本書によれば、裁判長は居眠りしまくり)。しかしながら、その後最高裁で有罪が確定してますけどね。
 それにしても、被害者の売春客とか、事件の目撃者とか、全部実名で書かれているけど、いいのか? (2/12)


『タイヤキのしっぽはマーケットにくれてやる!』 藤巻健史


日経ビジネス人文庫
 前著の『外資の常識』と併せて読まないとよく分からない部分はあるにしても、かなり面白い本。著者は元モルガン銀行東京支店長で「伝説のトレーダー」と言われていたらしい。残念ながらマーケットで勝つ秘訣そのものが明らかにはされているというわけではないが、それでも外銀のトレーダー或いは外銀そのものがどんなものか分かって興味深い。基本的に、市場関係者に送っていたFAX通信の付録部分を集めたものらしいので、全体的な統一感には欠けるが、話の端々から伺えるのは随分と自分に自信が有るんだろうなということと随分と儲けたんだろうなってこと。因みに、「タイヤキのシッポ」とは、儲け損ねた小さな利益のこと。 (2/12)


『すべてがFになる』 森博嗣


講談社文庫
 著者の森博嗣は現職の理系の助教授だけあって、この話には理系研究者が大勢出てくるし、世間的にも「理系ミステリ」と言われている。私が文系だからというわけでもないが、どうも犀川&西之園コンビのキャラが面白くない。特に、西之園は所謂お嬢様という設定なのだが、随所に盛り込まれる世間知らずぶりと親戚に偉い人がいる話が、殆ど意味が無く、はっきり言えば要らない。そうしないとキャラ付け出来ないようでは筆が甘い(偉そうな言い方)。その後のシリーズを全て読んでいけば、また感想は違うのかも知れないが。第1回メフィスト賞受賞。(2/12)

 「すべてがFになる」については、やたら15、15と言うので、16進法のことだなぐらいは検討が付いた。でも、子供を産んだとか、父親は新藤所長だとか、そんな確信をどうやって犀川は持ったのか。ネタの作り込みが深いのは認めるが…。儀同世津子が実は犀川の妹だったという設定も強引。


『さらば外務省!』 天木直人


講談社
 小泉外交を批判したために馘首された(と本人は主張)前レバノン大使の天木氏による告発の書であり、その義憤と私憤の入り交じった怒りは文面からよく伝わってくる。しかしやはり「腹いせ」に書いただけあって、色々な人々を悪し様に罵っており、その内容については一方的な思い込みに基づく記述の可能性を常に念頭に置いて読まないといかんなと思う。そういう極めて主観的な本だという前提に立てば、外務省の裏側と一外交官の考え方が分かって面白い読み物となっている。
 一つ紹介したいのは「ノンキャリアの体質」と題された部分。
 キャリアの中にできが悪い者が存在することは事実である。しかし、ノンキャリアはそれ以上にできが悪い。/そもそも制度上、キャリアとノンキャリアの試験がべつに設けられているのだから、優秀な者や志の高い者がキャリアの試験を受けるのは自然である。最初からノンキャリアの試験を受けるような奴は、歩留まりを見越した敗北者なのである。(pp.208-209)
 ここまで言えてしまうのは正直言って凄すぎるが、そのすぐ後には、キャリアとノンキャリアを厳然と区別する制度は明らかに外務省職員の心を屈折させていると言っており(自分もだろ)、更に、キャリア・ノンキャリアの試験制度は廃止すべき等と主張しているので、結局何が言いたいのかよく分からない。
 その他、他省庁から大使館への出向者全般(或いは他省庁そのもの)を小馬鹿にしている点や在外選挙権は「物好きな一部の邦人の主張」としている点がどうもねという感じ。一方、岡本行夫は結局何者なんだという点には同感。
 それにしても「いつまでたっても何の連絡もこない」の表現が何度も出てくるのが気になる。   (12/20)


『地を這う虫』 高村薫


文春文庫
 高村薫には珍しい短編集。どの話も中身はひたすら暗く、謎解きの爽快感も更々ない。それでもやっぱり読んでしまうのは筆力の成せる技。こういう草臥れた中年の元刑事を書かせたら高村薫の右に出る者はいないねえ。
 因みに、以前NHKではこれらの短編を強引に1つの長編にしたドラマをやっていた。主演・奥田瑛二。 (11/26)


『立法の復権―議会主義の政治哲学―』 J・ウォルドロン


岩波書店
 訳者に名を連ねている友人から謹呈されたため読ませていただいたもの。分野で言うと法哲学の本。大学の生協では売れているようだが、やはり専門書なので難解な部分も少なくなかった。
 ウォルドロンはニュージーランドの法哲学者で、本書はケンブリッジ大学での講義を下敷きにしたもの。で基本的には、「立法」に対してもっとプラスの評価をしようよという本なのだが、そもそもその主題の立て方からして理解が難しいかも知れない。ここで思いを馳せるべきことは、英米法の国では慣習法(コモン・ロー)の体系が存在する、ということである。この慣習法は実定法と違って立法作業により作られたものではない。にも関わらず(或いはそれ故に)裁判等では実定法よりも尊重されることが多い。これが本書の前提。
 そして本書では、アリストテレス、ジョン・ロック、カント等の主張を取り上げ、立法作業を構成する各部分(選挙、合議、評決等)について考察していく。特に、本当に一人で考えるより多数で考えた方がより良い結論が得られるのか、本当に多数決で決めることは自明なのか(少数派が多数派の決定に拘束される理由は何か)等の点について、その正当性を哲学的に追求していくというプロセスについては新鮮な感動がありました。 (11/19)


雑感書評