No. 59 静神社と静溜め池

しずじんじゃとしずためいけ

一言メモ 静織の里の由緒ある神社
市 町 村 那珂市
東  経 140.25.25.2
北  緯

36.29.47.7


 詳しい地図↓

 

最終更新日:2003.3.7.

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静神社拝殿


静溜め池


静神社鳥居


参道


全高30mのヒノキ

【ここの概要(歴史、自然など)】

 静織は「しどり」と読む。…知らなかった。「しずおり」と思っていました。(^_^;)
 常陸風土記にも登場する鹿島神宮に次ぐ常陸第2の宮。「人未だ知らざるに初めて機を織った」という静織の里らしい。織物にちなんだ神様・建葉槌命たけはづちのみことをまつっている。境内には県内最大、国内でも第8位という檜の巨木が聳えている。
 ため池というのは、…手持ち資料では全く登場していない。一言メモでも引用されていない。さて?なぜに書かれているのだろう?由来はともあれ、表参道の鳥居から、道を挟んで反対側にあるのがそれだろう。釣りをしている人が結構いる。

【行ってみた感想】 2000.11

 ここは、隣のふるさと公園とはまた別の趣で、季節によらない落ち着いた雰囲気で、参拝者を迎えてくれる。

【看板説明文】

国指定重要文化財 銅印 指定年月日 昭和二十九年三月二十日
 奈良時代後期の作といわれ鋳銅製で、縦横約五cm角、高さ六cmで、「静神宮印」と鋳込まれている。印のつまみは中ふくらみで鶏の頭のような形をして、紐穴をつけてあり、いかにも古めかしく雅致のあるものである。
 この印は、水戸藩主光圀公によって御社殿改築の際、御本殿わきの大木のヒノキの根本から発掘され、光圀公は大そう喜ばれ、これを蜀紅の錦の袋に入れられ、黒漆で、塗られた桐箱に収め、自ら神印発掘の縁起を箱書きされて、寄進した。

県指定文化財 紙本著色 三十六歌仙 指定年月日 昭和三十七年十月二十四日
 宝永二(一七〇五)年、水戸家第三代藩主綱しの公が先君義公の遺志を奉仕じ、静神社の拝殿に「三十六歌仙」の額を奉納された。大きさは、縦四十四cm、横三十cmの杉柾目板に金箔を塗り上に和歌を彫り、下に作者の肖像を精細な彩色をほどこした見事な作である。
 天保十二(一八四一)年の火災の際に一枚を消失、現在三十五枚が保存されている。

町指定文化財 天然記念物 静神社のヒノキ 指定年月日 平成九年三月一八日
 社務所脇の参道を進むと手水舎の先に、ひときわ威風をただよわすヒノキがあり、このヒノキは樹高約三十m、目通り幹周囲七mあり、県内一の巨木である。
 環境庁編 日本の巨樹・巨木林(一九九一年)によると、「ヒノキとしては全国で第八位」にランクされている巨樹である。
  瓜連町教育委員会

● 静神社
一、御祭神
  主祭神 建葉槌命
  ○殿神 手力男命
      高皇産霊尊
      思兼神
 建葉槌命はまたの名を○文神と申し織物の祖神でもあります。
一、由 緒
 静神社は御鎮座の年代が明らかではないが「延喜式神名帳」に「明神大社」として記載されてあり、常陸国では一ノ宮鹿島神宮についで二ノ宮として皇室を始め将軍家一般民衆の尊○を受け、古くから御神威の○大な神社として有名であります。
 水戸藩主徳川家は、当神社を祈祷所と定め、特に崇敬が篤かった。
 奈良時代末期の作と言われる宝物の銅印には「静神宮印」と刻まれてあって、古くは神宮として格式の高い神社であった事がわかります。
一、祭 日
  例  祭 四月一日
  田 植 祭 六月五日
  秋季大祭 十一月二十五日〜二十七日
一、社 宝
  銅   印 國指定重文
  三十六歌仙 県指定文化財
   /昭和四十八年十月吉日

【備考】

 関連サイト: 茨城県林業技術センター  瓜連町商工会    
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