No. 26 若宮八幡宮

わかみやはちまんぐう

一言メモ 佐竹氏の隆盛を偲ぶ八幡宮
市 町 村 常陸太田市
東  経 140.31.26.6
北  緯

36.32.23.4


 詳しい地図↓

 

最終更新日:2004.8.14.

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神社


けやき


正面鳥居


境内


水戸八景「山寺晩鐘」から見た若宮八幡
(左手奥の緑の丘)

【ここの概要(歴史、自然など)】

 常陸太田市の中心部は丘になっている。この南の中町や東海村あたりから起伏は出てきているが、目立ってくるのはこのあたり。ここで関東平野が終わるんだなぁと、いつも考えてしまう。この神社は丘の北西方向の傾斜面にある。神社の敷地は細長い。高台にあるので、景色が良い。樹木の感じも良い。駐車場が狭い上に、カーブの途中にあるので、駐車するのはよいが出るときに気を使うのが難点。

【行ってみた感想】 2001.1

 今年の1月、写真を撮影するために、ずいぶん久しぶりに行ってみた。記憶だけで何とかいけると思っていたが、1回目は探した末に見つからなかった。2回目は比較的すぐに見つかった。手間取った原因は、場所を丘の北西の方角ではなく、南東と勘違いしていたため。
 新年あけてすぐだったため、参拝の仕方がイラストで表示されていた。分かり易くていいですね。
 余談だが、ここは、西山公園や水戸八景の「山寺晩鐘」から遠目に見ることができる。

【看板説明文】

● 若宮八幡宮/太田稲荷神社 御由緒
御神域 舞鶴城二の丸跡地 茨城観光百選
     大欅(県天然記念物 樹齢六百年〜八百年)林立
若宮八幡宮御由緒
 両社は、応永年間(一三九四〜一四二八)佐竹十三代義仁公が鎌倉鶴岡八幡より居城舞鶴城中に勧請守護神とす。その折、神女鶴子が供奉して来り数世紀祭司を司った。慶長一四年、水戸威公七歳の時、駿府にあり病を得、当社に祈り、日ならずして快癒した。
 宝永五年中山備前守釣命を奉じ両社を今地に造営す。往年は、毎年久慈浜鎌坂に磯降りの神事が行われた。『新編常陸國誌』に「若宮八幡神体は絵像」とある。即ち義仁公、当社勧請の時、鶴岡八幡の尊像を写し、本絵と共に持参し今に在り と伝えている。
 明治一四年郷社に列せられる。例祭五月一五日。
御祭神 大鷦鷯命おおささぎのみこと)(仁徳天皇) 理想の聖帝と称えられる。
太田稲荷神社御由緒
 鶴岡八幡の宮地松ヶ岡に稲荷神社あり。因って丸山に遷し祀った故事に倣い同社とした。元禄五年義公城中に桜花を尋ね、稲荷の御神体を拝し幣礼した。『新編常陸國誌』に「稲荷明神神体は石剣宝物」とある。
御祭神 倉稲魂命 五穀の祖神と称えられる。
御宝物
 絹本着色僧形八幡絵像 稲荷大明神石剣形宝物
 軍扇(伝新羅三郎義光所持) 両社縁起(丸山可澄書)
 扇類 若宮八幡宮御神号掛軸(有栖川熾仁親王御書)
境内社
 天満宮 源義家公奥州征伐の武運を祈る。
 宮司 浄階 特級 和田 義男 撰文
          小園  真 謹書

● 若宮八幡宮のケヤキ
 所在地 常陸太田市本町二、三四四番地
 管理者 若宮八幡宮
 昭和四十六年一二月二日 県指定
一、樹囲(目通り)八・三五m
     根 元一四・〇五m
一、樹高      約三〇m
一、枝張り    八・〇〇m
一、推定樹齢    六〇〇年

 茨城の名木・巨樹の保全を図るため「緑と水の森林基金」の助成を得て、樹勢回復手当を実施しました。
 平成七年五月
  茨城県緑化推進委員会/常陸太田市・同教育委員会

【備考】

 関連サイト: 常陸太田市  茨城県林業技術センター      
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