「可愛い」の効力(扉・しずく)

「ねぇ、柚麻? やっぱりこの格好恥ずかしいよ」
「恥ずかしいと思ってるほうが恥ずかしいわよ。可愛いから自信もちなさい」
「もてないってばぁ」
 キャミソールのワンピースのすそをひっぱりながら、遥奈は柚麻に何度目かの訴えをした。気のせいだとわかっていても、通行する人の視線が痛い。
 今からでも着替えた方がマシなのでは、なんてことを思うくらいだ。
「そりゃあ柚麻はさ、パンツだし、上もちゃんとシャツ着てるし。私もそっちの方がいい」
「パンツっていってもひざ丈のデニムよ? シャツだって脱げばキャミだし」
「じゃあ、脱いで」
「嫌よ」
 あっさりと拒否をされて遥奈は下を向く。
 10時にきた柚麻がこの服を決めるまでに要した時間は1時間半。黒いワンピじゃ可愛さが足りないからと、オレンジのキャミソールをアンダーに着るように言われたり、胸元寂しいからと雫型のペンダントをつけられたり、髪をいじられたり、色つきリップをつけられたり、と普段の遥奈からは考えられないような支度をした。
 見送ってくれた母親のびっくりした顔が、遥奈の羞恥心を大きくさせている。
「下見ると、余計に目立つわよ?」
「…………っ!!」
 慌てて上を向くと柚麻がくすくすと笑っていた。だまされたと思って、遥奈は隣の少女を睨む。
「……ごめんなさい。そう怒らないで、ね?」
「知らない。着替える。TシャツにGパンにしてくる」
「せっかく似合ってるのに。それに、前見てる方が可愛いわよ」
「うそつき。可愛くないもん」
「そんなことないわよ。……ほら、あそこに背の高い男の人がいるでしょ?」
 いきなり話題をそらされて、気勢を削がれた遥奈は柚麻の目線がさす方向を向いた。
 そこには、大学生くらいの男性が2人立っていた。片方は痩せていて、もう片方はがっしりとしている。2人ともシャツにGパンというラフな格好だが、それがだらしなく見えない。
 2人で何かを話ながら、通りすぎる人たちを見ている。
「うん」
「黒いシャツの人いるでしょ?」
「あの、痩せてる人?」
「そう。さっきから遥奈ちゃんばかり見てるのよ」
「………へ?」
 改めて男の方を見ると、ちょうどこちらを見ていたと思われるその男と目が合う。にこり、と笑われてあわてて遥奈は驚いて目をそらした。
「どうしたの?」
「目が合って笑われた。きっと変な格好してるから」
「それは違うと思うけれど。……やばいわね。ナンパされると面倒くさいし」
 早く今泉くんたち来ないかしら、とポツリと洩らした柚麻の言葉は耳に入らない。
(やっぱり変なんだよ、この服。じろじろ見られてるのもそのせいだ、きっと)
「帰ろう、柚麻」
「何言ってるの。せっかく可愛くおめかししたのに、今泉くんに見てもらわないでどうするの?」
「久生は関係ないってば」
「何、俺がどうかした?」
 突然の声に遥奈の動きが止まる。
 それとは反対に、柚麻が落ち着いた様子で声の主に向かい口を開く。
「あら、今泉くん。遅かったわね。約束5分遅れは喫茶店のケーキセットよ」
 にっこりとした笑顔に、反対意見は出ることはなかった。


 とりあえず映画から、ということで4人は映画館へ向かっている。
 久生が連れてきたWデートのお相手は、遥奈も顔を見たことがある同級生だった。柚麻とは面識があるらしく簡単な会話をしていたが、遥奈はその前のパニックのこともあって「初めまして。どうぞよろしく」程度のことしか話していない。
 しかし、だからと言って前を歩いているその彼に興味がないといえば嘘になる。友人のことが好きで、友人に彼氏がいてもあきらめられない同級生なんて綾人以外ではめったにいないからだ。
(綾人くんは、なんか違うっぽいし。高校生の恋愛じゃないっていうか…)
「ねえ、柚麻」
「なに?」
 隣を歩く友人にこっそりと話かける。
「谷原くんってどういう知り合い?」
「委員会でちょっとね。ちょっと驚いたけれど、なんとなくわかるわね」
 1人で頷く柚麻に、遥奈は何のことだか分からずに聞き返す。
「何が?」
「こっちの話。……まあ、その時は中学からの彼女の話とか聞いてたのだけど、こういうことになるってことは別れちゃったのね」
「へぇ……。どんな彼女だったの?」
「何? 遥奈ちゃん、興味あるの?」
「興味あるよ。だってさ、ほら、柚麻のこと好きって言ってるわけだし……」
 そうポツリと返すと、柚麻はびっくりしたような顔をして遥奈の方を見ていた。
「…………」
「柚麻?」
「………あ、ごめん。というか、それって何のこと?」
「聞いてなかったの? ……だって谷原君って柚麻のこと好きだからこのデート組んだって久生が」
 できるだけ小さな声で答えると、怪訝な顔をしていた柚麻が腑に落ちた表情になる。
「ちょっと聞いてたのと違ったから驚いたのよ。まあ、谷原くんには直接聞いてみなさい」
「な、ちょ、柚麻!」
 そう言い残すと、柚麻は前の2人に話しかけ、久生の横に納まってしまった。代わりにあぶれた谷原が遥奈の横に並ぶ。
 久生以外の男の子と並んで歩くことがめったにないので、緊張しながら歩いていると、谷原の方から話かけてきた。
「ごめんね。無理矢理誘っちゃったりして」
 柔らかい声は、ほんの少しだけだが緊張を溶かす。遥奈は、笑顔をつくるのにようやく成功すると、谷原に返した。
「ううん、大丈夫だよ」
 谷原も笑顔を浮かべる。
「望月さんって、そういう服も着るんだってちょっとびっくりした」
「これ……? やっぱり似合わないよね」
 ふう、とため息をつきながら遥奈が言うと、谷原はそれに反論する。
「ううん! そうじゃなくて。すごく似合ってるって。その、なんて言うか美人系っぽくて」
「本当?」
「本当。すごく可愛いと思うよ」
「……ありがと」
 遥奈は心からにっこりと笑う。お世辞とはいえ、ここまで言ってもらうと悪い気はしない。
 しかし、その顔を見た谷原はさっと前を歩く2人に視線を移し、露骨な話題替えをする。その頬は少し赤い。
「あ、あのさ。映画って好き?」
(……照れてるのかな? でも、何に? もしかして『可愛い』とか言ったのが照れくさかったとか。気を使ってもらっちゃったなぁ)
 遥奈はそう考えつくと、同じく前の2人に視線を動かした。そのままてくてくと歩く。
(照れ屋さんなんだ。なんか、珍しい)
 周りにいる久生や綾人があまりそういうことを気にしない人間なので、遥奈は何か新鮮なものを感じる。
「好きかな。やっぱり、映画館ってテレビよりも大きいから」
「そうなんだ。僕もさ、映画館好きなんだけど、1人でなかなか行けなくて」
「じゃあ、今日は谷原くんの見たい映画なの?」
「うん。あ、その、嫌だった?」
 今日見る映画は、映画雑誌で話題になった作品で、少年が森の中で扉を見つけたことでいろいろな事件が起こるというものだ。サスペンスとホラーの中間らしい。
「ううん。そんなことない」
 極度のホラーでないかぎり、大丈夫なはずだ。自分では見に行かない映画だから、興味深い。谷原とそんなことを話していると、意外なほど話が盛り上がり、あっという間に映画館が見えてきた。
 腕時計を見ると、上映の15分前。
 映画館に入ると、外の暑さが嘘のように涼しかった。チケットは購入済みらしく、久生が財布の中から取り出し3人に配る。
 財布を出したついでのように、久生がジュース売り場の方をさした。
「何飲む?」
「僕、コーラ」
「アイスコーヒー」
 谷原と柚麻が即答するが、遥奈は迷う。早くしないと決めた2人の分だけ買ってくると久生が言いそうで、遥奈はあせるが決まらない。仕方なくその場で考えるのをあきらめた。
「………並びながら考える」
 谷原がその答えを聞いて一瞬寂しそうな表情を浮かべる。しかし、それを振り払うように明るい声で2人に言った。
「わかった。それじゃ、僕たちは席をとってるね」
「はーい」
 返事をして、遥奈は久生と一緒に列に並ぶ。オレンジジュースにしようかミルクティーにしようかの二者選択はなかなか難しい。
「……遥奈」
「何?」
 久生の呼びかけも、半分上の空だ。
「さっき谷原と何話してたんだ?」
「んー。映画の話」
「映画だけ? 他には何にも言われてないのか?」
「何にもって。あとは可愛いね、とか」
「可愛いってお前信じたのか?」
 呆れたように言ってくる久生に遥奈はきっと睨んだ。
「お世辞ってことくらいわかってます」
 きっぱりと言う遥奈は、久生は苦笑いを浮かべる。
「そんなこと言ってないだろ? 遥奈ちゃんは可愛いよ」
「…やっぱオレンジかなぁ」
 からかってくる言葉を無視し、遥奈はもう一度メニューの方を見る。
「お前、信じてねえだろ」
「信じるはずないでしょ。ねぇ、ポップコーン買っていい?」
「……買えよ」
 呆れたように久生はつぶやくと、大きくため息をついた。前の客の清算が終わり、自分たちの番になる。
「コーラとアイスコーヒーとオレンジジュースとポップコーンのSと、……久生は?」
「アイスコーヒー」
「じゃあ、もうひとつアイスコーヒーください」
 にこにこ笑っている遥奈を斜め下に見ながら、久生はもう一度ため息をつく。
「なんでこんな奴……」
「お会計、全部で1700円になります」
 呟いた言葉は、店員の明るい声にかき消された。

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