甘い・ワナ(自転車・ちょっとまて)

 映画館を出ると、蒸し暑い空気が迎えてくれた。
 2時間の映画も終わり、遥奈はかなり満足している。期待半分の映画は、遥奈のツボにぴったりと合い、最後まで楽しめたのだ。
 包装の袋からパンフレットを取り出し、ちらちらと見ながらにんまりする。
 それを隣で見ていた久生はあきれた表情をした。 
「犯罪者っぽいぞ、その顔」
「何とでも言って。……かっこよかったぁ。ね? 久生もそう思うでしょ?」
「何が?」
「……なにそれ。ねえ、かっこよかったよねぇ?」
 後半は、後ろを歩く2人に言ったものだ。にこにこと笑っている柚麻と、やはり同じように笑う谷原は遥奈に肯定の言葉を返す。
「そうね。かっこよかったわよね」
「うん。僕もそう思った」
 それに満足した遥奈は、「だから何がかっこよかったんだよ」とわめいている久生は無視をして、もう一度パンフレットに視線を落とした。
 さっきまで見ていたいろいろなシーンが頭によみがえる。景色の綺麗さ。主演俳優や少年役のかっこよさ。クライマックスシーンでの会話のやりとり。
 そんな余韻にひたっていると、突然久生に肩を引き寄せられた。
(きゃあっ)
 突然のことで何をされたのかわからないままバランスを取り戻すと同時に、すごい勢いの自転車が遥奈の真横を通りすぎていく。
「……あぶねえなぁ」
 久生が呟く声を聞いて、ようやく遥奈は我に返った。そして今の状態も理解する。
(うわうわうわうわ〜)
 顔が自然に赤くなるような気がした。ドキドキ、と心臓がなる。
 久生にとっては当たり前のことなのかもしれないが、遥奈にとっては一大事だ。
「まったく、お前もそんなもんちんたら見てるからだぞ」
 そう言うと、久生は遥奈の手からパンフレットに手を伸ばす。ぼうっとしていた遥奈はなすすべもなく、あっさりと取られてしまった。
「あ、ちょっと!」
 大事なものを取りかえそうと必死に手を伸ばすが、身長差があるため届かない。それでもなんとかしようと思って必死になっていたら、あきれたようなにパンフレットで頭を叩かれる。
「危なっかしいんだから、少しはやめとけ。喫茶店で返してやるから」
「………はい」
「よし」
 しぶしぶ返事を返すと久生はにっこり笑ってきた。
(不意打ちだ)
 そんな顔向けてくるなんて許してない、と理不尽なことを考える。
「仲良しさんねぇ」
 そんな言葉が後ろから届いて、遥奈は思わず2歩久生から離れた。後ろを振り返る。
 案の定にっこり笑ってる柚麻と、なぜか苦笑している谷原の顔を見て居心地が悪くなった。
「そんなんじゃないって」
「そうそう。久生がいじわるなだけだもん」
 久生の否定に追随すると、余計に2人の笑みが深くなっていく。これ以上どう言っても無駄だと思って、遥奈は柚麻の腕をとる。
 久生とのことを言われないためには、久生と歩かなければいいのだ。
 谷原は柚麻の隣にいたいかもしれないが、この際それはあきらめてもらおう。ここまで一緒に歩いたことだし。
「柚麻、いこ。お茶は駅前のトルシュでいいよね?」
 なぜか苦い顔をしている久生に告げると、遥奈は柚麻とともに前を歩き出す。
 引っ張られながら、柚麻は男性陣に向かって口を開いた。
「ごめんなさいね。お二人さん」
 それを聞いて、久生と谷原はお互いの顔を見る。同じような表情をしているのに気づいて2人で笑うと、彼女たちの後ろを歩き出した。


「だいぶ暗くなったね」
「うん、ごめんね」
「なにが?」
「いや、付き合ってもらっちゃったって。つまんなかったでしょ?」
 お茶の後に服が見たいと言って、ウィンドウショッピングをした結果、かなりの時間が経ってしまっている。ビルの窓から見える風景は夕刻だ。
 ビルの中のベンチに座りながら、クレープを片手に遥奈と谷原は会話を交わす。
 久生は本を買いに行くと言って少し前にこの場を離れた。柚麻は「ちょっとごめんなさい」と言ってビルの自動ドアの向こう側だ。携帯で何かを話しながら、たまにこちらに手をふってくる。
「ううん。けっこう楽しかったよ」
「だったらいいけど。久生はいつもこうやってどっか行っちゃうからさ」
「ついていかないの?」
「うーん。あんまり。ついていくと邪魔になるかもしれないし」
 そう言うと、遥奈はチョコバナナを一口食べる。
「でも、谷原くんはちゃんと女の子に付き合ってあげるっぽいよね」
「そう?」
「うん」
 クレープを口に運ぶ。
「でも、好きな女の子のためだったら、そうかもしれない」
「やっぱり」
 遥奈が笑うと、谷原は苦笑を返す。ちらりと柚麻の方に目をやると、携帯電話に向かって冷ややかな表情をしている。会話は終わったらしい。
 タイミング良くエスカレーターからは久生が降りてきた。
「望月さん」
「なに?」
 まだ久生には会話は届かない。柚麻もようやく自動ドアが開いたところだ。
「僕、実はね。甘いもの苦手なんだ」
「え?」
 谷原の言葉の真意をはかりかねて、遥奈は聞き返す。しかし、谷原はあいまいな笑みを返すだけで口を閉ざした。
 久生と柚麻が傍にくれば何も聞けなくなり、結局そのまま遥奈は谷原と軽い挨拶を交わして別れた。


「一口」
「嫌」
 柚麻と一緒に歩いた道を、久生と帰る。クレープは半分をようやく過ぎたあたりだ。
「けち」
「けちだもん」
「太るぞ」
「今だけダイエット停止」
「なんだそれ」
 クレープを食べる。
「遥奈」
「あげないってば」
「……そうじゃねえよ」
 ため息をつきながら返されて、ようやく遥奈は久生を見る。しかし、一抹の不安は拭い去れていない。クレープをなるべく久生から離す。
「じゃあ、何?」
「谷原に言われたか?」
 真剣な目をされて、遥奈は少したじろぎながら頷く。
「あ…うん」
「そっか。……で、どうするんだ?」
 苦笑いを浮かべる久生に、遥奈は真剣に考える。
(……どうしよう)
 実はそんなに深刻に考えていなかった。別れた時も谷原が怒っている様子ではなかったからだ。
 けれど久生の様子からすると、かなり真面目に考えなければいけないらしい。
「どうしたらいいかなぁ?」
 わからなくて久生に尋ねても、少し怒ったような顔をされるだけだ。
「知るか。自分で考えろ」
「わかんないから聞いてるのに」
 拗ねたように言う遥奈に対して、久生は諭すように言いかける。
「お前と谷原のことだろ。まあ、俺はお前が決めたんならどっちでも…」
 しかし、遥奈の言葉が最後まで言うことを遮った。
「そんなこと言っても、甘いの苦手なんて知らなかったんだもん」
「………は?」
 問いかけてくる久生に構わず、遥奈は言葉を続ける。
「久生も行っちゃったし、柚麻も携帯かかってきたし。2人きりで間が持たなかったのもあるし」
 必死に言っているうちに、足は止まる。久生の方に身体を向けると、さらに遥奈は言い募った。
「クレープ美味しそうって言ったら、じゃあ買おうかって話になったから、てっきり甘いもの好きなのかなって思っちゃうじゃん」
「………」
「そしたら甘いもの苦手って言うし。どうしたらいいかな? 学校で謝った方がいい?」
「ちょっとまて」
「何?」
 脱力しきった様子の久生が、遥奈の肩に手を置くと顔をのぞきこみながら聞いてくる。
「何言われたんだ?」
「え? 女の子に付き合ってあげるタイプだよね、って言ったら……甘いもの苦手って言われた」
 はああ、と久生が長いため息をつく。「こいつ、やっぱり鈍いかもしれない」とこっそりと呟く声が聞こえるが、遥奈には意味がわからない。
(鈍いって何よ。今日初めて会ってすぐに甘いの苦手って気づけっていうの?)
 確かにお茶をした時は、コーヒーに砂糖は入れてなかった気がするが、それで気づく方がすごいだろう。世の中にはブラックコーヒーを飲みながら、甘いケーキが好きな人間もいるのだから。
 例えば、遥奈の目の前にいる人物はそういうタイプだ。
「まあいいや。ほら帰るぞ」
「わかってるわよ」
「お前のせいで疲れた」
「何でよ」
「何でも。もらうぞ」
 そう言うが早いか、遥奈の手首を掴むと、そのまま自分の口元へクレープを運ぶ。
 そのまま、大きく一口。
「ああ〜!!」
 抵抗しようとしても、掴んでいる力は強い。それよりも、この状況のことを考えると、そんなことは構ってられないような気がする。
 だけど気にしてはいけない、期待してはいけない。
 相手は、あの久生なのだから。
 知らない女の子にも、こういうことをやってるのに決まっているのだ。
「ごちそうさま」
 ぱっと手を離されても、一口食べられたクレープは遥奈には重すぎた。いくら相手がそういうことに慣れているといっても、遥奈は慣れていない。案の定「間接キス」という言葉が頭の中をぐるぐる回っている。
「もういらない。あげるっ」
 どうにもならなくて、久生に手渡した。顔が赤くなってるかもしれないが、構わず手のひらを上に差し出し一言。
「420円」
「なんだよ、それ」
「クレープ代」
 あのな、と言いながら久生はクレープを食べ終わる。あっという間だ。
 感心していると、久生は左手をズボンではらって、なぜか遥奈の差し出した右手に絡めながら歩き出した。
 それが、なぜかあまりにも自然で。
 遥奈もつながれた手に何も違和感をおぼえずに、足を進める。
 いつもだったら騒ぐ心臓もおとなしい。さっきまで赤かった頬も普通に戻りはじめる。
「420円」
「しつこい」
「クレープ。私のクレープ。チョコバナナだったのに」
「また今度な」
「……絶対だよ?」
 ぎゅっと少し力をこめて握れば、それに応える力を感じた。
「ああ」
 嬉しくなってにっこりと笑う。
「クレープ。チョコバナナ、生クリームのトッピングつき。今度久生のおごりね」
「……なんか増えてるぞ」
「気にしない、気にしない」
 そんなことを言いながら、遥奈は考える。
(そういえば前に手をつないだのはいつだったっけ…。中学校? 小学校…?)
 答えは思い出せない。けれども、その時の安心感と変わらないものが隣にあることに気づいて、遥奈は頬を緩ませた。
「ベリーベリーのアイストッピングでもいいなぁ。久生は?」
「ダブルチョコ」
「甘そう」
「人のこと言えるか」
 声はどこまでも続いていく。

Back        Title        Next