initiative motion(小石・しずく)

 噂話というものは、聞きたくないものに限ってすぐに耳に入ってくる。
 遥奈がその話を聞いたのは、3時間目の放課だった。次の化学の支度をして時に、教室の後ろに集まっていた少女たちの話していた内容が聞こえてきたのだ。
 いつもならそんなことはない。
 柚麻や友だちと話していれば、そんな会話は耳に入らないからだ。けれど、化学を選択しているのは遥奈と柚麻しかいなかったし、柚麻はお弁当を忘れたらしく購買へ行っている。
 「お弁当の時間に買ってきなよ」と忠告した言葉は、「地獄になんか行きたくないわ」と一蹴された。確かに人混みが酷いお昼時に比べれば、多少ラインナップが貧しくても楽に買える方がいいのかもしれない。
 ともあれ、遥奈はその噂を聞いてしまった。
『7組のあの子が、今泉久生に告白をした』と。
 いつものことだと思っても、どうしても気になってしまう。
 告白したした7組のあの子には思い当たる節もある。前から話は聞いていた。久生の会話にも1、2回出てきたことがある少女だ。
「ええー。それって、あの美少女?」
「バカ。大きい声ださないでよ。……ほら、いるんだからさ」
 後ろを見なくても彼女たちの視線が自分に向いているのがわかった。こういう時、幼馴染は不利になる。本人に直接話が行きやすいため、噂の類いは彼女にはなかなか回ってこない。仕方なく、遥奈は聞いてない素振りをするために、鞄からペットボトルを取り出し一口お茶を飲んだ。ついでに携帯でメールを送る……ふりをする。
「……気づいてないみたい。もう、気をつけてよ」
「ごめーん」
 からからと笑っているところをみると、なんとかごまかせたらしい。
「でね、その美少女なんだけど。その告白の場面ね、結構見てた人が多いみたいで」
「どうして〜?」
「階段の踊り場らしいよ、告白場所」
 思わず息を呑んだ。携帯を持つ指にも力が入る。今まで久生が告白された場所の中で一番目立つところだ。
「すごーい…。それって自信ありってことだよね」
「そうに決まってるでしょ。それで、それで?」
「……それがね。その場でさっぱりきっぱり」
 授業の始まりを告げる鐘が鳴る。柚麻がパンの袋を鞄に詰めて、こっちに向かって手を振った。それにぼんやりと手を振り替えしながら、背後の声を受ける。
「ふったらしいよ。好きな子がいるからって」
 案の定、化学の授業は全く頭に入ってこなかった。


「どうしたの? 午後の授業まったく聞いてなかったみたいだけど」
 放課後の教室。ほとんど生徒がいなくなった場所で、遥奈は綾人に声をかけられた。
 少し放心していた遥奈は、あわてて顔をあげると笑顔を見せる。
「ううん。何でもないよ」
 その返事に綾人はあいまいな笑みを浮かべて、遥奈の前の椅子に腰掛ける。教室を出ようとした男子生徒が「椎に言いつけるぞ」とからかっていくのに対して「公認だから」とうそぶく姿は見ていて力が抜けた。
「……公認なの?」
「さあ」
「もしかして柚麻に何か言われたから話しかけてくれたの?」
「柚麻が気にしてたからってのも理由だけどね」
「あはは」
「けど、友だちを心配してるって思ってほしいな。僕は柚麻以外のことじゃなかなか動かないんだから」
 妙なことを胸をはって言われながらも、それが本心だということがわかって遥奈は礼を言う。
「ありがと。そんなに変だった?」
「変だったよ。理由は……なんとなくわかるけどね」
「バレバレかぁ。久生にもバレちゃったかなぁ」
 机に突っ伏しながらため息をつくと、頭上から声が降ってくる。達観という言葉が似合う声だ。
「いやあ、久生も柚麻もそういうことに関しては馬鹿がつくほど鈍感だからね。全く気づいてないよ」
 顔を横にして下から綾人の顔を見る。その顔は嘘を言っているようには見えない。けれど、遥奈としては信じられなかった。
「いや、でも。いくらなんでも久生は」
 その続きは勇気がなくていえない。遥奈が言わなくても告白された事実は変わらないのに、何故だか怖くなるのだ。
 だが、察しの良い綾人は飲み込んだ言葉もくみ取り首を横に振る。
「甘いなぁ。告白と望月さんがイコールでつながるんだったら、今頃幼馴染の関係はなくなってるって」
「……それって私のことは気にしなくなってるってこと?」
「そういえば、望月さんも鈍いよね」
 綾人は重いため息をつく。何よ、と顔をあげると綾人はすでに席を立っていた。これ以上遥奈に構っているつもりはないのだろう。
「まあともかく、久生は全然気づいてないから。理由に関しては」
「……わかった」
「でも、心配はしてるよ。ついでに僕が先を越したからやきもきしてるんじゃないかな、今頃」
「え?」
「今のは特別サービスだよ。まあ少し考えてみて。結構簡単だし」
「あ……うん」
 にっこりと笑われて遥奈は頷いた。
 考えてみるのもいいのかもしれない。今まで怖くてしてなかったことを、してみるのも。
 その答えに満足したのか綾人は、きれいに微笑む。今まで見たことがないその顔にほんの少し目を奪われて。
「僕がここまでするなんて、本当になかなかないんだからね」
 去っていく綾人に返そうと思った遥奈の言葉は彼が消えてからしばらくたった後だった。
「でも言うほど簡単じゃないと思うよ。矢田くんじゃあるまいし」
 だけど、いいかもしれない。
 水面に小石が投げられて波立つように、遥奈の心も何かが動いていく。


 昇降口で靴を変えると、そこには久生が立っていた。
「よう」
「どうしたの?」
 声をかけると、何か戸惑ったように久生は考え込む。
(もしかして、待っててくれたとか)
 ありえないと思おうとして、はたとやめる。たまには自分に都合よく考えてみよう。綾人だって久生が心配していると言っていたことだし。
「もしかして、待っててくれたの?」
「………なんか午後お前変だったし」
 肯定の言葉がとても嬉しかった。だから素直に言葉がでる。
「大丈夫だよ。けど、心配してくれてありがと」
「大丈夫だったらいいけど。無理するなよ」
「うん。じゃ、帰ろ」
「ああ」
 今までだったら考えられないほど自然に誘えた。それも相手が告白されたこんな日に。前に告白されたと聞いた日は、柚麻と2人でやけ食いをしに行って、3日くらいまともに顔も見れなかったのに。
 でも今日だけは少し自惚れていよう。
(好きな人が、私のこと心配してくれて待っててくれたんだもん)
 その事実が乾いた地面に落ちたしずくのように心を落ち着かせる。いつもならイライラする言動がすんなりと受け入れられていくのが自分でもわかった。
 自転車に乗りながら交わす会話も楽しい。
(……久生に彼女ができてもこんな時間を過ごせるかな)
 『久生の好きな人』に対しても寛大になれる気がする。
 だからあっという間にたどりついた家の前、別れ際にさらりと遥奈は口にした。
「今日、告白されたんだって?」
「………ああ」
 ぶっきらぼうに答えるのには、少し照れがあるのだろう。
「それも階段で。すごいよね、私も見たかったな」
「………」
「断っちゃったんだって? あの子でしょ? もったいないの。かわいいのに」
「…………」
 久生が黙ったのをみて、少しからかい過ぎたのかもしれないと思う。けれど、どうしても言いたくてそのまま続けてしまう。
 素直になりすぎたのかもしれない。今日なら許されると思ったのかもしれない。
「好きな人がいるって嘘までついちゃってさ。そんなに彼女できるの嫌なの?」
「お前だよ」
「え?」
 突然言われた言葉に反応ができなかった。思わず顔を凝視したがいつもの顔だ。嘘を言っているようにもみえないが、本気だとはまったく思えない。
「好きな奴がお前って言ったの。じゃ、告白したから。そういうことで返事よろしく」
「…………」
 そういい終わるのと同時に、久生は自転車を家に向けた。そのまま遥奈の言葉を待つことなく、乱暴に自転車を止めると玄関口へと消える。
 その光景をぼんやりと眺めたまま、遥奈は動くことができなかった。

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