(こ、告白というものをされてしまった)
自覚すると同時に遥奈の頭の中はまた真っ白になった。何回目のことなのかもうわからない。ただ耳元に残る久生の声の余韻が、こうして不毛な繰り返しをさせていた。
ベッドの上で枕を抱きしめながら、閉められたカーテンをじっと見る。僅かな隙間からは柔らかい光が差し込んでいた。その向こうにあるのは、久生の部屋の窓だ。喧嘩をして気まずい思いをしたことも昔はあったけれど、こんな気分でカーテンを見る日が来るとは思っていなかった。
ふいに心臓が高鳴る。
抱きしめている手に力が入った。どこかに隠れてしまいたくなるくらいの恥ずかしさが襲い、うううう、と言葉にならないうめき声が口から漏れる。
と、そのまま30秒。深呼吸を何度もしてようやく落ち着くと、視線はまたカーテンに行ってしまう。
(うわあああ)
何とも言えない感情がまた遥奈を襲った。今度は耐え切れずに布団を頭からかぶる。あうあう、とやはり人語とは思えない言葉がこぼれた。
目を閉じて何も考えない無の境地に行こうとするが、何回目かわからない久生の言葉が思い出されるだけだ。
『お前だよ』
「ああああああああ」
思わず、大声がでた。
その声が階下にも聞こえたらしく、母親の心配する声が聞こえる。
「遥奈ー? 大丈夫?」
「………たぶーん」
身体には何の問題はないのだ。布団から頭を出して力ない声で返事をすると、それ以降声は聞こえなくなった。
静かな部屋の中でこのまま寝てしまえばいい、と思う。
問題の先送りにしかならないが、それが一番の解決策に遥奈には思えた。ぱふん、と仰向けになって目を閉じるが、身体が興奮しているのか眠りにつけない。
羊の数を数えてみるが、さっぱり効果はなかった。それどころか逆に目がさえていくようにも思える。あきらめて目を開いた。そこには机がぼんやりと見える。
その上に置いてあるものを見つけて、遥奈はベッドを降りた。
缶の入れ物の中にある小さい石。
いびつな形をしたそれは、送り主曰くハート型だそうだ。もらった時は投げ捨てたくなったが、やはりこうして持って帰ってきてしまっている。
その答えは唯一つ。
別に考えなくてもわかることである。
「ふつーにOKって言えばいいのに……。なんでこんなに動揺してるんだろ」
ベッドの枕元に放置されている携帯を見つめてため息がもれた。
まだ日付も変わっていない。電話をすればいい。メールでも大丈夫だと思う。何だったらカーテンを開いて呼びかければ、本人そこにいる。
だけど。
(………緊張するよう)
ドキドキする気持ちはなんだか自分ではないもののような、そんな不思議な感覚がする。今までも緊張したりしていたが、それとは本当に別次元だ。
恋愛ってこんなに疲れるものなのだろうか。
柚麻あたりに言ったら、「当たり前よ」なんてさらりと言われそうで相談できない。
(というか、相談することでもないし)
自分の気持ちはわかっているのだ。相手の気持ちもわかっている。
あとは肯定の返事をして、楽しい恋人ライフを送ればいいのだ。
「恋人ライフか……」
憧れではあるけれど、今まで切実に考えていなかった。実際は何をするのだろうと遥奈は想像を膨らます。
朝、メールで挨拶。「おはよう。今日も一日頑張ろうね」
朝食後、学校まで一緒に登校。「おはよう。じゃあ、一緒に行こうか」
学校到着。お昼は一緒にお弁当。「私が作ってあげたの。美味しい?」
下校。「じゃあ、一緒に帰ろう?」
寝る前にもメールで挨拶。「おやすみ。また明日ね」
週に2回はデート。手をつないだり、キスを、したり……。
エトセトラ、エトセトラ。
「ぜんっぜん、考えられない………」
漫画やドラマで見かけた恋人たちの生活を、自分と久生に置きかえてみるが想像力が追いつかなかった。
それどころか気持ちが悪い。そんな生活などできるわけがない。
久生には似合うかもしれないが、自分にはさっぱりだ。
かといって、自分なりの恋愛なんかもっと思いつかない。
朝の挨拶は、会ってから。学校に行くのは、時間が合えば。お弁当は友だちもいるし、きっと別々だろう。お互いを待って帰宅するのはナンセンス。寝る前にメールは、迷惑のような気がする。
週に2回くらいは、今でも会っているし。
変わるのは身体のふれあいだけ?
「それはなんかいや……」
恋愛に夢を抱いていると思われるかもしれないけど、そこは遥奈にも譲れなかった。
もちろん、ふれあいたくないわけではない。
ただそれだけで、終わりたくないだけで。
我が儘なのだろうか。恋愛に「何か」を求めるのは、いけないことなのだろうか。
難しく考えすぎて、片思いの時の方が良かったのかもしれないなどと思う。
(久生はこういうの、慣れてるだろうなぁ)
遥奈はため息をつくと、手のひらに小石をのせた。不恰好なハート。ちゃんとしたいのにできない遥奈の心のようだ。
それを玩びながら、カーテンを見る。
言おうか、言わないでおこうか。どうやって言おうか、何を言おうか。どんな表情をして会おうか。……本当に彼は、私が好きなのだろうか。
迷路に迷い込んだ子どものように同じことをぐるぐると考える。けれどそれは道筋がわかっている迷宮だ。ただ怖くて、まだ出口に辿りつきたくないだけで。
(どうしよう……)
どんなに言い訳をしても、これはただの逃げだ。
とても投げやりだったが、何かのついでのようだったが、あの時の久生の言葉は嘘ではない。遥奈にはそれがわかっている。久生も遥奈がわかっていることを知っている。だからそのあと何も連絡をしてこない。だが、返事を待っている。
たぶん、今、この時も。カーテンの向こう側で。
早鐘を打つ心臓を叱咤し、勇気を振り絞る。小石ごと握り締めた手のひらがじんわりと汗をかき、緊張感が増してくる。
そして、カーテンを睨んで。
「がんばろ」
遥奈はベッドに腰掛けると、携帯を取り上げた。
月がでている。
部屋の中で一人、少女は送信ボタンを押しため息をついた。
数秒後、ほんの少し離れた部屋で軽快な着信音が鳴り響く。
その音に少年は慌てて携帯を掴み、深呼吸をしてメールを開いた。
『窓、あけて』
入ってきたメールはたったそれだけだった。
帰り道に告白をした。
本当ならもっと別のシチュエーションで告白したいと思っていた。あんな帰り道で、売り言葉に買い言葉のように言うつもりはなかったのだ。
ほんの少し後悔と、言った満足感がひどく心を乱した。夕食時に母親には見抜かれていたかもしれない。食後は家族との会話も面倒で、今日は早々に部屋に戻ってきた。
しかし部屋に戻ってもやることはない。それなら寝ようと思ってベッドに横になっていたが、目は冴えて眠れなかった。代わりに10分ごと携帯を確認して、ため息をついている。
久生は、自分が色恋沙汰には強いとは思っていない。
女の子には優しくしないといけないという信念はあるが、それは恋が多いことにはならない。
告白されたことは何度もあるし、もてる方だとは思っているが、自分はずっと一人の少女が好きだったし、他の子を付き合おうと思ったことはなかった。彼女のことを好きだ、と言った相手にはいろいろなことを言ったり、根回しをして直接告白させることはしなかったけれど、それは男が彼女に似合わなかったり、自分の方が優っていたからだ。きっと、彼女に合う男がいたら、その道を譲っただろう。やらなかった今となってはただの可能性には過ぎないけれど。
本当のところを言えば、告白して玄関を開けた時は、幼馴染の少女が告白を本気にしなかったらどうしようかと心配をしていた。けれど、それはすぐに杞憂だと思った。遥奈が久生の言ったことが嘘なのか本当なのかわからないはずがない。
思い切って、青いカーテンを開けた。
ガラガラと音を立てて窓を動かすと、相手の部屋の窓が見える。あけろ、と言ってるのにそっちはまだかい、などと心の中で突っ込みながら、夜空を見上げた。
月がでている。
柔らかい光になんだか苦笑した。柄にもなく緊張している。
遥奈の部屋の窓が開いて、顔がのぞく。
自分の目が悪くなければ、きっとその頬は赤い。何かを堪えてるその表情すら、可愛く思える。
「あのね」
道路一つ挟んで聞こえてきた声は、いつもより擦れてほんの少しだけ高いかった。それは、遥奈の緊張したときの癖だ。
「ああ」
返す声は思ったよりも小さく響き、彼女に届いたのか久生は心配になる。
お互いにいつもとは違う、そんな状況の中。
遥奈は手の中にあったものを思いきり彼に投げつけた。月明かりにきらきらと輝くそれは放物線を辿り、久生の部屋へと届く。
「それが返事!」
先程よりも真っ赤になった顔を隠すためなのか、そのまま遥奈は窓を閉めてしまう。
あまりのことに久生はあっけにとられるが、すぐに投げ込まれたものを探す。それは、すぐに見つかった。
いびつな石。
何かはすぐにわかった。
冗談半分本気半分で彼が彼女に送ったハート型の石のかけらだ。
ハート型をしていたものが無残になった姿で返ってきたことに、かなりの衝撃を受け、久生はその場に立ち尽くす。
それが意味することは、遥奈からの拒絶としか思えなかった。
BEETHOVEN SONATE Op.27-2
ピアノソナタ第14番 「月光」
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