プレゼントをあなたに(小石・ちょっとまて)

「遥奈ちゃん。私、今朝……見てしまったのだけれど」
 昼休み。
 いつも通り教室でお弁当を食べていると、友人が何かのついでのように言った。
 不意をつかれたことになった遥奈は、飲んでいたオレンジジュースを喉に詰まらせ咳き込む。涙目になりながら友人をにらむと、相手はにこにこと笑っていた。
 全部知ってるのよ、と言っているような顔だ。
 高校生とは思えない大人びた容姿が、余計にその表情を際立たせる。
「違うって! あれはそういうんじゃなくて…」
 遥奈が慌てて言い返した言葉も彼女、椎 柚麻の前では何の効果もなかった。
 2人は、小学校からの付き合いだ。どちらかというとのんびりした性格が多かった環境の中で、浮いていた存在同士は自然に仲良くなり、高校に入って環境が変わってからもその関係は変わらない。
 だが仲良くしていても、遥奈にとって柚麻という存在はとても不思議だ。
 基本的な性格は、容姿と同じく大人びている。けれども、ふとした瞬間、高校生とは全く思えない子どもの反応をする。
 だから、普段は遥奈が頼って、いざという時には柚麻が頼るという構図は自然にできた。
 お互いがお互いの足りないところをフォローする良い関係だ、と遥奈は思っている。
「そういうのって……」
「別に、あの子に対する牽制のために、2人乗りしたわけじゃなくって! 久生の自転車のチェーンが外れて自転車奪われたんだから仕方ないじゃない!」
 柚麻の言葉をさえぎって、遥奈はあわててまくしたてる。その様子に、少しぽかんとした表情をした柚麻だったが、事情を察するとその口に妖しい笑みを浮かべた。
「へぇ…。私は2人乗りなんて見てなかったのだけれど、遥奈ちゃんもなかなかやるわね」
 余分なことを言った、とわかった時にはもう遅い。
 知らない人から見れば、天使の微笑みのような表情を浮かべて、柚麻は迫ってくる。
「よかったじゃない。やっぱり嬉しい?」
「な、なんの話よ。だーかーらー、あれは不可抗力というかなんというか」
「嬉しい?」
「………そりゃ嬉しかったけど」
 柚麻相手に隠し事をするのは、すごく苦手だ。遥奈の本当の気持ちも、柚麻相手にだったら、あまり躊躇せずに言える。
 柚麻に「私に素直でも意味ないじゃない」とからかわれる原因になっているが、遥奈にとってはとてもありがたかった。
 自分にとって一番身近で気になったいた異性が、あんなトラブルメーカーに成長してしまったことは、遥奈にとってそれまでの人生を覆すほどの事件だった。
 今でこそ笑ってやり過ごすことのできる出来事も、初めて目の当たりにした時には、かなりのストレスとして遥奈を襲った。その愚痴をじっと聞いてくれて、自分の気持ちが揺れ動くのを最後まで見守ってくれたことには、どんな感謝をしてもたりないと思っている。
「ラブラブ登校風景、見てみたかったわ」
「何それ」
「自転車で2人乗りはかなりのラブラブだと思うのだけれど」
「違うって!」
「だって牽制ってさっき言ってたじゃないの。ようやく、遥奈もそういうのに目覚めたのかって……」
「違うって違うって」
 少しだけ意地悪なのは、遥奈の行動が歯がゆいのだろう。
 幼馴染という切り札を最大限に使っていかなくちゃ駄目よ、と何度となく言われている。けれど、遥奈にしてみると、それは切り札ではなく、ジョーカーだ。出してみなければ、どんなことになるのかわからない。それが怖くて、使えない。
「まあ、冗談はこれくらいにしておいて。でも、その二人乗りを誰にも見られなかったとは限らないし。そうだ、ちょっと聞いてみようか」
「はい? あ、柚麻、やめてよ!」
 柚麻が立ち上がって、教室内を見回す。何をしようかとしているのがわかって、慌てて止めに入るが、それよりも先に柚麻がある人物を探し当てる方が早かった。
「綾人くん」
 一人の男子生徒がその声に気づいて席を立つ。まだその隣に、彼に話しかけている友人たちがいるのにだ。けれども、その友人たちも、声の持ち主が誰かということはわかったのだろう。何事もなかったのように、会話を続けている。
「どうしたの? 柚麻」
 矢田綾人。高校からこの学校に入ったいわゆる外部組なのだが、そのことを全く感じさせないほどにこの学校に馴染んでいる少年だ。
 柚麻とは、小学校からの付き合いらしく仲が良い。口さがないクラスメイトからは、綾人が柚麻にベタ惚れで何でも言うことを聞く、と噂しているが、本人たちはそのことを否定しない。それどころか、確かにそうかも、と苦笑している。
 久生とも、去年からのクラスメイトだからなのか仲が良い。性格はどちらかと言うと正反対だと思うのだが、それが逆に仲良くしている要因なのかもしれなかった。
 遥奈にとっては、とても苦手な人間だ。底が知れない奥深さをたまに感じて、怖くなる。いつもにこにこしていて、影ですべてを操っている印象を受けるのだが、たぶん本当にそうなのだろう。今までもどこからか仕入れた情報を使っていろいろなことをしているのを見ている。
「今日の朝のことって知ってる?」
 柚麻が訊ねると、綾人が遥奈を見ながらにっこりと笑った。
「ああ、久生と望月さんの2人乗りのこと? もちろん、知ってるよ」
 何当たり前のことを、と言わんばかりの口調に、柚麻がにっこりと笑う。
「それってどこまで知られてるの?」
「んー。朝早かったからあんまり、と言いたいところだけど、久生が言い回ってるから、結構な数に知られてるよ」
「数字としては?」
「全体としては40%かな。2年だけだと60%ってところでしょう。ちなみにこのクラスの男子はみんな知ってる」
(久生の馬鹿〜!!)
 遥奈が頑張って隠そうとしているのに、どうして久生は言ってしまうのか。100M前で自転車を降りて、一生懸命走って、そんな事実はなかったと思わせることができたと思っていた努力と自信が、がらがら崩れていって跡形もなくなくなってしまう。
(やっぱり帰りは歩いて帰ろう)
 時間はかなりかかると思うけど、これ以上話題になるのは避けたい。この学校に何人かいる久生のファンとか隣のクラスにいる猛烈アタック中の少女の反感を買うのは、あんまり嬉しくない。
(いつ呼び出しもらうか、わかんないし)
 大勢の女の子に囲まれていろいろ言われるのはさすがに嫌だ。
 だいたい久生のために、なぜこんなに苦労しているのか、たまに疑問に思ったりもする。トラブルを解決して、そしてトラブルのもとには恨まれ、羨ましがられて。
 他校生として過ごしていた中学生時代の方がずっと楽だったけれど、どちらが楽しいかと言われれば……もちろん今の方がいい。
 複雑な乙女心というやつだ。
「あ、噂をすればって本当だよね。久生だ」
 綾人の声に心臓が跳ね上がるが、振り返らずに遥奈はストローを啜る。目の前では、柚麻が手をふっていた。こっちに呼ぶらしく、綾人も入り口の方を向いて、片手を上げている。
「おう。どうしたんだ、そろって?」
 久生の声がする。けれど、後ろを見ることはできない。
 ひたすらに、オレンジジュース。
「ん。お前の話をしてたとこ」
 隣から、綾人が告げる。すぐ後ろに人が立つ気配がした。
 ドキドキする気配、だ。
「そうそう。今泉くん聞いたわよ」
「なにが?」
「今朝の話」
 楽しそうな2人の会話を聞いていられなくて、遥奈は無くなってしまったオレンジジュースのパックを握りつぶした。
「うわ、遥奈。すげー」
 久生の驚いた声が耳に届く。こんな姿見せていながら、振り向いて欲しいなんて思うのは、やっぱり過剰なお願いだろうか。
「どいて」
 椅子を後ろに押して立ち上がると、ちらりと久生の方を向いて通告する。理性で何とか笑おうとしても、斜め下からの視線はどうしても睨んでいた。
(駄目な、私)
 素直になれないどころか、怒っていてどうするんだろう。
 けれど、行動を今さら変える気もなくて、久生の横を通り過ぎ、ゴミ箱へ向かう。席に戻る気にもなれないので、そのまま廊下にでも行こうか、などと思っていたら。
「ちょっとまて、遥奈」
 すぐ後ろで、また声がした。
「な、なに?」
 ゴミ箱にパックを捨てながら、自分の不利を知る。教室の隅であるこの場所は、逃げることができない。
「何怒ってんだよ」
「怒ってないわよ」
「じゃあ、なんでこっち向かないんだよ」
「私は今、ゴミ箱と語りたいの!」
「話すな。俺と話せ」
「嫌」
「嫌っていうな。こっち向いて、手をだせ」
「嫌よ」
 いきなり、久生に肩を掴まれ、ぐるっと後ろを向かされた。突然のことに、相手の顔を真面目に見てしまった遥奈は、その表情に何も言えなくなる。
 目の前で開かされた掌の上に落ちたのは、いびつな形をした小石。
「プレゼント」
「なに、これ」
 言われた単語も想像してなくて、思わず凝視する。
「ハート型に見えないか? それ」
「そう?」
 そう言われれば、そうかもしれない。けれど、言われないと、わからないレベルだ。
「で、プレゼント。遥奈に」
「な、なんで?」
 上擦っている声が恥ずかしくて足元に視線を落とす。遥奈と久生の上靴がもう少しでくっつきそうだ。その上、ハート型の石をプレゼントするなんて、まるで恋人同士みたいで。
(もしかして、久生も―――)
「今日の朝のお礼。帰りもよろしくな」
「…………ただのお礼ね。アハハ」
 ゴミ箱に捨てたくなる衝動を抑えながら、遥奈は小石を握り締め、ため息をついた。

Back        Title        Next