メンフィスからダラスへ向かうバスに乗り込む。乗客がみんな乗って、そろそろ出発の時間だ。しかしバスはなかなか出発しない。出発時間から15分くらい経過した時に、運転手ではなくてポリスがバスの中に入ってきた。乗客に長々と説明を始めてる。何の事かよく分からなかったけど、そのうちに乗客全員の身分証明書と、バックの中身を調べ始めた。ぼくの所にも来て「日本人?」、「観光?」、と2、3の質問をして、パスポートとバックの中身を調べた。かなり細かく調べている。特に怪しいものも持っていなかったので、ポリスは「いい旅を!」と言い残し、後ろの人を調べに行った。全ての人に異常がなかったみたいで、乗客に丁寧にお礼を言って、出て行った。この近くで凶悪犯罪でもあったのだろうか?ここでも英語が分からず、何故ポリスが来たのかが分からなかった。本当に何があったのだろう?
ダラスに着くと、そのまま空港まで友達を迎えに行った。しかしダラスの空港はとてつもなく広いのだ。世界第2位の広さを誇るという。友達に無事会えるかが、ずっと心配だった。友達はぼくを当てにして来るのだ、もし会えなかった時のことを考えると、心配で心配で・・・。飛行機の到着時間の2時間前には空港に着く。本当に広い。何度も何度も航空会社、便名、到着時間を確認して、到着ゲートで待っていた。・・・誰もいない。この飛行場は航空会社別に到着ゲートがあるらしく、飛行機を降りた瞬間の、あの異様なまでのお出迎えはないらしい。この到着ゲートにはまだ誰もいない。この空港に着くほとんどの人は乗り換えの乗客が多く、またすぐに飛び立ってしまうらしい。・・・時間が長い。なにもすることがない。ポツポツとお迎えらしき人がきた。日本の旅行会社の人なのか、日本人の名前を書いた紙を持っていて、携帯電話を片手に日本語をペラペラ喋っている。しかも英語もペラペラだ。そして到着の時間になった。お迎えの人はぼくを入れて5人くらいしかいない。・・・さびしい到着になりそうだ。
海外旅行に来て、飛行機を降りると、まず、あの異様なまでのお出迎えに合戦に驚く。何十人、何百人という人が自分の知り合いじゃないかと思って、降りてきた人をじっくりとにらみつけるのだ。見られた方はたまったもんじゃない。一人に対して何百人だ。恥ずかしくて、顔を上げることも出来ない。降りた人も、お目当ての人がいるのならまだいいが、それでも降りた人の方からその人を探すことなんて到底できない。お目当ての人がいない場合は、みんなが感動の再会で抱き合っている中を"ぼくはどうせ一人なんだ、ふん!"、と半分いじけた気持ちで通り抜けて行く。・・・ぼくはいつも後者の方だ。
それにしてもダラスの街は蒸し熱い。かなりの都会だが、ダウンタウンでの観光ポイントは少ない。だからと言って、郊外に観光名所があるわけでもないのだ。しかし、ここダラスは、ケネディが暗殺された場所だ。ぼくはこのアメリカ旅行に来る前に、落合信彦さんの「2039年の真実」と「アメリカを葬った男」という本を読んでいた。2039年とは今まで謎に包まれていたケネディ暗殺に関する機密文書が公開される年なのだ。本の内容は難しくて、完全には理解出来なかったが、ケネディの暗殺事件に凄い興味を持った。そしてそれに関わるアメリカの裏の姿に驚いた。真相はどうなのかよくわからないが、とにかくこの地を自分の目で見たかったのだ。それだけを見に来たといっても過言ではない。
すぐに外に出てダウンタウンをうろつく。完全なビジネス街だ。ビシッとスーツを来た人ばかりいる。ケネディ暗殺に関する所はダウンタウンの中心から歩いてすぐのところにある。しかしそこは次の日にゆっくり観たかったので、今日はダウンタウンを歩くだけにした。シャワーを浴びて、久しぶりにフカフカのベットで就寝。
いよいよケネディ尽くしの一日が始まる。まず、最初はシックス・フロアに行く。ここはあのリー・ハーベイ・オズワルドがケネディを撃ったとされるビルだ。名前も単純。6階から撃ったので、シックス・フロア。多分、合っているだろう。当時は教科書倉庫だったらしいが、今は暗殺に関する博物館になっている。チケットを買いにカウンターまで行く。「おはよう」と気軽に挨拶をするが、相手は無反応。そして友達とチケットを2枚購入するが、お目当ての日本語オーディオツアーは午後にならないと無いのを、買った後になって知った。かなりショック。仕方ないので、そのままエレベーターに乗って6階に行くことにした。
6階に着く、最初はケネディの生い立ちから、大統領選挙、ベトナム戦争など、大統領時代のケネディの軌跡を辿る。途中ケネディ自身の映像や、関係者の証言などがあり、かなり生々しい。分からないなりにも、かなり頑張って英語を理解しようとする。そしていよいよケネディがダラスに到着する。ビデオも上映されており、結果はわかっているのにすごい迫力だ。あのオープンカーに乗ったケネディの姿が、拡大された連続写真で写っている。まさにあの瞬間の写真だ。下手な映画よりもはるかにスリリングで迫力がある。生々しすぎて、気持ち悪くなってくる。そして、その近くにガラスで覆われた一角がある。それが狙撃現場となる窓なのだ。その周りは当時のままに復元されていて、中に入ることが出来ない。隣の窓から外を覗くと、あの場所が見える。今はただ車が行き交っているだけだ。しばらく窓の外をボーッと見ている。
その後、シックス・フロアの中にある、お土産屋に入る。当時の新聞とガイドブックに書いてあったマジック・ブレット(魔法の弾丸)が気になったのだ。当時の新聞はいろいろな種類があるが、魔法の弾丸はどこを探しても見つからない。新聞だけ買って、ディーリー・プラザに行くことに。
ディーリー・プラザは暗殺された、その場所だ。多くの観光客がいる。道路に×の印がある。うん、あそこか。シックス・フロアに行ったばかりで、頭がケネディ・モードになっている。近くにあった、ハイテンションな露店のおっさんに誘われるまま、ホットドックとレモネードを買って、芝生で昼食。ホットドックが妙にうまい。ケチャップだけではなく、玉葱を刻んだやつからチーズやらをお好みで入れてくれる。他の外人さんも同じように芝生に座ってボーッとあの場所を見てる。
1963年11月22日、ぼくはまだ生まれてなかったが、この場所はテレビの映像や映画、そして本の中で何回も見た。真相は誰も分からないが、2039年には何か変わるのだろうか?
とにかく、本当に観光したというのは、ここぐらいだろうか。あとはウエストエンド地区、そしてトロリーに乗って、マッキニーアベニューなどに行った。ウエストエンド地区は毎晩のように行って、そこで演奏している、カントリー音楽を聴きながら酒を飲んでた。演奏者もテキサスだけに、カウボーイハットにウエスタンブーツそしてGパンにもの凄くでかいバックルだ。
友達もほぼ3日間の予定だったので、楽しめたかどうかは疑問だが、テキサスの日差しを浴びて、真っ黒になって帰っていった。そしてまた一人になっってしまった。