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時の話題
2004-9〜3
2004-10-01
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◇印は《日々雑感》より転載
塾と学校(04/9/24〜30) ◇「九条の会」への期待(04/9/24) ◇こころの時代?(04/9/24) ◇夜間中学の識字学習(04/9/13) ◇チェチェン問題の真相は?(04/9/12) ◇9.11事件への疑問(04/9/11) ◇沖縄国際大への米軍ヘリ墜落事件(04/9/2〜8)


【塾と学校】vol.228《新掲示板レスより》
◆ある方の投稿にあった「教師辞めて塾にでも行け」という表現は、「塾を見下すかのような表記」ではありますが、文章全体から汲み取ると、こうなります。この方が見聞きしている学校では、「本来すべての児童生徒を大切にし、人権教育にもきっちり取り組むべき教員」が、一部の生徒の存在をないがしろにし、人権教育にも真剣に取り組んでいないことから、「地域のすべての子どもたちを相手にしなくても、人権教育にきっちり取り組まなくても成立する塾」でなら、つとまるかもしれないと皮肉ったわけです。決して、すべての塾がそうだとはこの方も言っていませんが、現実には「選別された子どもだけを相手にし、学歴差別を助長するかのような教育活動」をしている塾があるのも事実です。もちろん、そうではない「塾」が、そのような「学校」から切り捨てられた生徒を支えているのも事実です。この方が強調したかったのは、「地域のすべての子どもを大切にし、人権教育にもしっかり取り組むことが重要な設置目的でもある、公立の義務教育機関である小中学校」においては、そのような教育活動は許されないという点です。とはいえ、塾を引き合いにだし、「塾を見下すかのような表記」をされたのは言葉不足でした。
 そこで僕は、この方の投稿に対し、「塾でもそんな教員は子どもに害です」と書き、「せっかくの書き手の批判意図が、有害無益な刃となりかねない」とも書いたわけです。ここで釈明しますが、僕の「塾でも」という表現は、「塾もまた子どもを相手にする以上、学校と同様、あずかった子どもの一部だけを大切にしたり、人権教育的観点を無視した教育活動をすべきではなく、そのような教員は学校においてと同様、塾においても子どもに害である」という意味です。
 (中略)学校であろうと塾であろうと、子どもたちと向き合い格闘すべき教育活動だと思いますし、教育労働者の自負をもって取り組むべき仕事でもあるはずですね。(塾講師さんへの掲示板レス、04/9/24)
◆僕は高校教員ですが、クラブ活動などと通塾の兼ね合いが問題になる場合があります。また、不登校生徒や中途退学生徒の「受け皿」としてフリースクール・塾・通信制高校や時には夜間中学などが機能している現実もあります。我々高校教員がどのような視線で学校外の組織と人々を見つめ、人としてどのような関係を結ぼうとしているか、改めて問い直したいと思います。(塾講師さんへの掲示板レス、04/9/25)
◆「学力を低下させることで、塾の繁栄があり、天下り先が保証される?」(RAさんの投稿より)という、塾(※)と文部官僚の癒着は、リクルート事件のころから目に余るようになってきていたように思います。
【※「塾」という言葉もまた、「言葉は普通、全体を表すものだけれども、しかし1つの側面でしかない部分もある」(同上)わけで「本意と関係なく一人歩き」(同上)すると塾講師さんのような立場の方に大きなショックを与え偏見をあおってしまうので、「一部の大手予備校や受験産業などの経営者」と補足しておきます。】
 三浦朱門(前教育課程審議会会長)が、いみじくも、「限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえればいいんです」(斎藤貴男『機会不平等』)と語ったように、公教育では従順な労働者養成を最大の目的にし、別途、一部のエリートを養成するという文科省の魂胆は「心のノート」や「ゆとり教育」の中身をみれば明らかですよね。そしてすべてを覆う「体制批判は容赦しない」という圧力。軍産複合国家化に抗うためには、愚民化に加担しないよう、自らを引き締めることも大切だと心してこれからも頑張ろうと思います。(RAさんへの掲示板レス、04/9/26)
◆僕は「塾」にもいろいろあるとは思っていましたが、やはり「つながる」ことより「つながりを断つ」ことのイメージの方が強かったように思います。確かに進学熱の強い地域の小中学校なんかでは、塾の勉強以外は極力させない指導をしていたり、学ぶ喜びより中学・高校受験のための効率的な点取りテクニック指導に走るあまり、人権学習はいうに及ばず、クラブ活動も委員会活動も禁止させ、友達づくりも学校行事も邪魔者扱いして、担任の進路指導さえ聞き流すように強要するところさえあります。勤務校の所在地の関係でかつて僕も所属していた県内のある市同教でも、中学受験進学塾の弊害がさかんに取り上げられていました。一方、個別に手厚くフォローをしてくださる塾もあることは、目の前の生徒達と話をすれば見えてきます。塾ではありませんが、僕もかつては、かまやつひろしの「我が良き友よ」にでてくる「子ども相手に人の道」を語るような家庭教師をしていましたから、人として子どもによりそうプロの塾講師や家庭教師もいるはずですよね。
それに、塾はそもそも「在野の学徒仲間」といったものだったはず。そんな「塾」が、いろんな形で存在するのは楽しいことですよね。本来の学びやつながりを復権させるために「塾ルネッサンス」なんてことが叫ばれるようになるかもね。(フーセンの羊さんへの掲示板レス、04/9/30)[→9月目次]

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