【情報教育】vol.142《
日々雑感より》
◆奈良県教育研究所のコンピュータ活用リーダー研修会に参加。情報教育の現状と課題・セキュリティと著作権についての一線の研究者の講義や、現場教員の実践報告など密度の濃い一日だった。2005年度までに全国全ての小中高の全ての普通教室にネット接続ができるPCを設置し、全ての児童生徒に多様なITリテラシーを身につけさせる国の施策が進行中だが、教員にはPC操作スキルのみならず、ネットマナー・プライバシー・著作権などの指導やネットワーク管理等の能力が求められている。子どもたちの習得力は極めて高く、我々の課題は緊急だが、森も見失うまい。(388、03/7/31)[→7月目次]
【長崎幼児誘拐殺害事件と無神経な教員の言動】vol.141《
日々雑感より》
◆長崎幼児誘拐殺害事件に関わって、ある小学校教頭が、担当する図工の時間に忘れ物をした児童に「裸にして突き落とす」と発言。またある中学校教員が公民の授業中、あるインターネット掲示板に12歳の少年の写真だとして掲載された画像をプリントアウトして、「人権侵害の例」だとしていたものの、子ども達に回覧してみせていた。また小テストで「成績がよくて切れやすい子は誰か」と小テストで出題した中学教員もいた。時期的にクローズアップされた面もあるが、やはり根本的に間違っている。「分かりやすく具体的に」というのが現場の教員の苦慮する点なのだが、子どもを萎縮させるものであったり、人間不信を助長するものであってはいけない。当然、いじめの手ほどきになるものであってもいけない。むしろ、そうした無神経な言動を敏感にとらえ、深い自己洞察と他者理解、そしてなかまづくりを支援しなければならない。しかしクローズアップされない数々の問題が日々の学校現場に埋もれているように思う。最大の教材ともいわれる教員自身の言動が、「隠れたカリキュラム」としてもたらす功罪を今一度慎重にえぐりだしたい。足を踏む側の鈍感さと訣別すべきだし、教員自身の自己変革がまた教材になるのだから。(383、03/7/22)[→7月目次]
※vol.139 鴻池発言を問う
【教員の夏休み】vol.140《
日々雑感より》
◆実質今日から夏期休業だ。ただし教職員は通常出勤である。普段なかなか使えない有休休暇をある程度は消化すべきだが、補習・クラブ活動・会議・出張などで、実際はあまり休めない。学期中と同じく深夜自宅でも仕事をするのだが、正規の勤務時間内に職場を離れるには、厳しい条件をクリアする研修計画と詳細な報告書が必要だ。「今日はこの本を読もう」「こんな資料を作ろう」という場合も、どうしても職場を離れなければならないと認められない限り、自宅でできる仕事も職場ですることになる。通勤時間と燃料、公費による照明代が無駄な気もするが仕方がない。(382、03/7/19)
◆教員の時間外労働はクラブの公式試合等、手当の対象となるものもあるが、いわゆるサービス残業が過労死限界値すれすれという調査もある。ただし、教材研究や資料づくりは自宅でもできるものが多く、深夜自宅でこつこつと仕事をしている教員が多いため、教員の超過勤務の実態はあまり知られていない。かつての長期休業中は、特に出勤しなければならない日でなければ「自宅研修」という届をだして通勤時間を浮かし実際に仕事をする時間帯も裁量で融通をきかせていたり、普段はとれない有給休暇を消化したり、官公庁週休五日制導入以後は土曜日出勤の代休をとったりと、結局は自宅で仕事をしていても必ずしもフルタイムで出勤しなくてもよかった。だが、「平日昼間に教員が遊んでいる」という世間の批判が高まったことと、「学校五日制」の導入によって代休がなくなったことによって、長期休業中に出張以外で職場を離れることはできなくなった。盆休みの代わりに夏期保健休暇・夏期特別休暇があわせて6日程度保障されているが、有給休暇と同じく、平日昼間に出歩くことはとても気が引けるのだ。本当のゆとり教育を推進するためには、教員が背負っている見えにくい負担を軽減してもらいたいと願っている。家族の負担も避けたいが、現場の子どもへのしわ寄せは何としても避けなければならない。(2003/7/20筆)[→7月目次]
【鴻池発言を問う】vol.139《
日々雑感より》
◆鴻池祥肇防災・青少年問題担当相が、長崎幼児誘拐殺害事件の「加害者の親は市中引き回しのうえ打ち首」と発言。また、東京小学生監禁事件の「少女4人も加害者か被害者かよく分からない」と発言。前者については数百通の激励メールが来ているという。責任ある大人の発言とは思えないし、まして彼は青少年問題担当相だ。政局の混乱よりも、偏狭で無責任で屈折した言説が言いたい放題にまかり通るのを助長する点をこそ問題視したい。昨日も差別貼紙を、今日もネット上の誹謗中傷を身近に聞いたばかりだが、社会的災害や青少年の屈折を導く政治家は要らない。(381、03/7/18)[→7月目次]
※vol.141 長崎幼児誘拐殺害事件と無責任な教員の言動
【太田発言・森発言を問う】vol.138《
日々雑感より》
◆太田誠一自民党行革推進本部長が「集団レイプする人は、まだ元気があるからいい」と発言。性犯罪やセクハラを許さない姿勢など全くない。被害者の側に立つ思考のできない人間がどんな行革を推進するというのか。同席した森喜朗前首相も「子どもを作らない女性が年取って、税金で面倒をみなさいというのは、本当におかしい」と発言。子どもを産めない女性・産まない女性には存在価値がないとする重大な差別発言だ。石原慎太郎都知事も同様の発言をしたことがあるが、今回の森発言もまたマスコミは大きく取り扱わなかった。また、国内市場や納税者・労働力を確保するための少子化対策なら、まるで古代ローマのコロナートゥヌスだ。これは古代ローマ時代、領土拡大(奴隷獲得)が限界に達したので、新規奴隷を確保するために奴隷の結婚出産を許可した制度のことだ。男女の多様な生き方を認め、不安定雇用を解消し、安心して育児もできるように家庭支援をしていくことが、税金本来の使い方ではないのか。軍事大国をめざして、「産めよ増やせよ」と呼びかけているようにも思えるkurochanである。(379、03/7/17)[→7月目次]
【麻生発言・山中発言を問う】vol.137《
日々雑感より》
◆麻生太郎自民党政調会長が「創氏改名は朝鮮人が望んだ」と発言。七奪とも言われる民族弾圧の一つとして、姓を重んじる朝鮮人に当時どれほどの屈辱を与えたか、中には先祖に申し訳ないと墓で自死した人たちもいた事を忘れてはなるまい。物心両面の脅迫で創氏改名を受け入れさせたのであり、それは今も多くの在日朝鮮人が通名で生活しているという特異な差別状況につながっている。これを受け山中貞則元通産相が「台湾でも抵抗はなかった」と発言したが、霧社事件を始め、台湾人の激しい抵抗を数々の部族・集落絶滅虐殺で封じてきた歴史を無視するものだ。(378、03/7/16)[→7月目次]
【長崎の幼児誘拐殺害事件に思う】vol.136《
日々雑感より》
◆誰を・何を責めるべきなのか?長崎の幼児誘拐殺害事件で、12歳の加害者のプライバシーを暴く掲示板書き込みに対し、警視庁が削除を依頼したとの報道。報道自体が宣伝効果を持つと思いつつ、のぞいてみた人は多かろう。そしてその報道についてのスレッドでは、当然、報道への批判投稿がある。この事件では様々な問題点や課題が導かれ始めている。無責任を批判されるべきは誰なのか?12歳の少年か、その少年に関わってきた・関わって来なかった大人たちか?事件を防げなかった長崎県警か?幼児を守れなかった大人たちか?匿名を隠れ蓑に悪ノリする投稿者か?そんな掲示板の管理者の問題か?少年法の問題か?不十分なネット規制の問題か?表現の自由の侵害の問題か?モラルハザードの問題か? その前に、あなたが、この俺が、他人の無念や淋しさに思いを馳せ、そして、自らの責任をも含めて厳しく問い、自らが他者と関わっていこうとする決意が欠落していないかを、kurochanは一番に問いたい。世界を一人背負うなどと大それたことは言うまいが、己の免罪を前提にして、苦しむ一人の子どもにも連なることなく、気取った評論や罪のなすりつけなどはしたくない。心からの本当の叫び声を聞け!本気で叫び声をあげろ!(374、03/7/10)[→7月目次]
【インターネット掲示板差別書き込みについて考えるプロジェクト会議】vol.135《
日々雑感より》
◆インターネット掲示板差別書き込みについて考えるプロジェクト会議第6回学習会に参加した。同会議は奈良県の啓発連協が立ち上げたインターネットステーションの事業で全国初の組織的な試みとして注目されている。部落差別・外国人差別・障害者差別・性差別・アイヌ差別・HIV感染者差別・学歴差別・刑を終えて出所した人への差別等様々な差別が実在し、それらに対する取組が現実社会ではなされてきた。しかし、ネット上では差別的な掲示板投稿やサイトへの対応にはプロバイダー規制法も有効性がなく、野放しの状態であり、良心的な個々人の取組には限界があった。差別語を意図的に多用したり、差別的情報を流布したり、差別を煽る言説を繰り返したりするなど、悪質な投稿やサイトへの対処が求められているのが実態だ。そこで実態調査や反論投稿等の取組を重ねた結果、奈良県内の様々な団体の責任者やサイト管理者100数十人をスタッフとして、法的措置も視野に入れて組織的取組を間もなく本格稼働させることになっている。kurochanは、この取組に賛同し、協力を惜しまない者である。(371、03/7/3)[→7月目次]
【サブリミナル効果】vol.134 《クイズ第85問解説と解答より》
◆1956年、コカコーラ社がある実験をしました。アメリカのニュージャージー州のドラブインシアターで、同じ映画ですが実は微妙に違う2本の映画を観せたのです。片方の映画には、1秒24コマの映画フィルムに、5秒に1コマ、「コカ=コーラを飲もう!」・「ポップコーンを食べよう!」というメッセージを繰り返し入れてありました。もちろん観ている人は気がつきません。しかし、その映画が終わったあとの売店の売り上げがぐんと増えたというんです。ポップコーンの売り上げは約19%・コカコーラの売り上げは58%増加したと報告されています。
こういう心理的効果をサブリミナル効果といいます。サブリミナルとは無意識下・潜在意識という意味で、サブリミナル効果は、無意識に与える影響が意識を左右することをさします。
実は、この話は広告効果測定学なる分野、または情報操作に関わる研究分野では、伝統的な実験なんですが、最近ではデッチ上げだとか、関係者がウソを暴露したとか、様々なことが言われているいわくつきの実験のようです。細部に関しても様々な食い違いがあります。コカコーラとポップコーンの売上増加率の数値が逆であったり、実験があったのは1960年代とされていたり、メッセージではなく砂漠の絵を見せたのだとするものや、他の実験との比較からサブリミナル効果そのものを疑問視する報告さえあります。インターネットで得られる情報には、ウソもかなりの比率で含まれており(当サイトではそのようなことがないように心がけていますが)、即断はできませんが、この実験が実際になされたのかどうかについては、疑問視されていると述べておきたいと思います。ただし、kurochanとしては、コカコーラ社に限らず、特に映画・テレビ業界や、多額の広告予算を計上している食品業界・薬品業界・化粧品業界などにとって、サブリミナル効果についての認知が広まることにはマイナス効果も予想されるだろうことや、アメリカなどでは、宗教の勧誘や選挙活動などに利用されたことから法規制がされていることもあり、そうしたことから対抗戦略として、事実もみ消し・効果の否定という可能性もあるのではないかと、勘ぐっているところです。
これまた否定されかねない話ですが、この効果を取り入れたところ急に視聴率がアップしたのが「刑事コロンボ」であるという話も有名です。ドラマの最初の段階で、てきぱきした他の警官とは対照的に、じっくりと現場を検証するコロンボ刑事が写る場面で、室内ならば壁・室外ならば空や塀に犯人の顔を一瞬だけ写すというのです。もちろんテレビを見ているものには分かりません。しかし、無意識のうちに認知したその顔が、やがて絞られていく容疑者たちの中に確認されるや、「あいつが犯人のような気がする」という意識をもたらして、じりじりと証拠を揃え、推理を重ねて「その顔」の容疑者を追い詰めていくコロンボに共感してしまうという仕掛けだというわけです。これは、日本のテレビ番組やCMなどでも、様々に応用されていると思われます。
テレビドラマが面白くなるだけならまだいいとして、これが宗教の勧誘や商品購入の心理操作、選挙をはじめとする政治的マインドコントロールに悪用されると、恐ろしいことになりますね。フランスのミッテラン大統領の再選をかけた選挙期間中に、同国のテレビに何度もミッテラン候補の顔写真が放映されていたことが指摘されたことは広く報道された有名な話ですね。この時は、一部の支持者が勝手にしたこととされましたが。
さて、特に、心が動揺した時の記憶は強く残るとされます。正しくは、記憶を呼び戻しやすいというべきですがね。幼い頃の記憶であっても、嬉しかった時や悲しかった時の話が、いつまでも脳裏に焼き付いているのはこのためです。戦争体験、特に捕虜体験や大災害が心に与える影響を無視できないのもこのためです。これはPTSDとして、阪神淡路大震災などの時にも広く紹介されましたね。
日々の生活で、特にテレビを見ていて心が動揺する時とは、ドラマのクライマックス、プロ野球でのホームラン、マラソンやF1レースのデッドヒート、など様々ですね。背景の広告やテロップ、主演俳優の衣装や持ち物、ユニフォームの企業名など、特に意識して見ていなくても、感動シーンとともに潜在意識に強く焼きつくと考えられます。プロ野球の巨人軍のユニフォームにかかれていたローマ字の文字が最近変ったことに気づかれている方も多いと思います。巨人軍の場合はいまさらという気もしますが、少しは効果があるのだろうと思います。
ただし、こうした効果の程を測定するのはとても難しいようです。最初に「広告効果測定学」なる言葉を紹介しましたが、テレビ放映に限らず、雑誌や新聞広告の、ページに占める位置や大きさ・色・人物か風景か文字ばかりかの違い・女性と男性・大人と子ども・活字の大きさや色や書体、またはCMの放映回数と視聴率の掛け算でのテレビ局とスポンサーの取引、店頭での商品配置など、様々なことが研究されていますが、実際の売上の増減との相関関係は明確には把握できないので、さまざまな課題も指摘されているようです。
こうした分野は面白いのですが、財界や政界などの戦略も絡んできますので、正しい情報・正しい認識が実に難しい分野であるともいえます。まさに「メディアリテラシー」「情報民主主義」が求められているといえますね。(03/7/2)[→7月目次]