そこで俺は、旅行社現地支店の助言に従い、日本領事館に電話することにした。
ことのあらましを説明したのだが、電話口の女性職員は、
「残念ですが、まず間違いなく詐欺です」とほぼ断定した。しかし、こういった件の担当者が出張中なので、翌日の朝に改めて電話して欲しいというのだ。
この日はもうどうすることもできない。もちろん金もない。所持金は610円。
同僚に紹介されていた男性が、偶然にも今回の旅行社の現地ガイドだということがたまたま分かった、と先に書いた。そして、事情が事情だから今夜から泊まりにおいでと言われていたのだが、さすがに急な泊まり客は失礼だろうと遠慮したので、この日の夕食は610円で済まさねばならない。ボブが貸してくれた100ドル紙幣が1枚あったのだが、そんな金を使うわけにはいかなかった。
この晩も、ホテルのレストランで食事をすることにしたのだが、前夜とは随分と気分の違う食事となった。本来なら、すでに他の島へ飛び、その島の料理を食べていたはずだったのに、詐欺の被害にあって今夜も同じレストランで侘びしく食べていると思うと、いくら予想外の展開を楽しむタイプの俺とはいえ、面白いわけがない。
気晴らしに、外を歩くことにした。そして、玄関ロビーを通り抜けようとすると、アロハシャツのようなインドネシアの綿シャツをきた男性が近寄ってきた。たどたどしい小声の日本語で、
「ミスターkuro○○、どこいく?」
「...、ちょっと海へ」
と俺。だいたい何故俺の名前を知っているんだ?一般客のように見えたが、ホテルの従業員なのだろう。それにしても、外出しようとする宿泊客にいちいち声をかけるとは。俺が、そんなに心配な日本人に見えるのだろうか、それとも不審な人物に見えるのだろうか?
また、この日の晩、同じフロアの廊下に面したトイレを延々と掃除している従業員がいた。その時は、やけに丁寧に掃除をするのだなぁと思っていたのだが、あとから思えば、それらの従業員の動きには、秘密の目的があったのだ。
翌朝、日本領事館に電話した。詐欺事件も担当しているという男性職員は、すでに報告を受けていたようだが、新しい情報を提供してくれた。インドネシアの法律では、「いかさま賭博」に強引に巻き込まれた被害者であっても逮捕されるところなのだが、ちょうど今、警察に捜査協力をすれば逮捕されないという特例措置が講じられているというのだ。この年もすでに何人かの日本人が詐欺の被害にあっており、できれば捜査協力をしてほしいという。
そういえば、ボブは時々、俺のことを「ミスター山田」とか「ミスター吉田」とかと呼び間違えていた。山田さんも吉田さんも被害にあったのかと思うと、ますます腹が立ってきた。あの憎きボブを捕まえるためなら、協力を惜しまない。それに、他の島々をめぐるための金をすっかり巻き上げられ、予定が無くなってしまった俺には、時間だけはもてあますほどあったのだ。むしろ面白い展開になってきたと、ワクワクしはじめていた俺には、その後の苦難など予想できずにいたのだった。