Since 2008/ 5/23 . To the deceased wife

わけがありまして「読後かんそう文」一歩一歩書き留めていきます。

妻の生前、展覧会の鑑賞や陶芸の町を見学したりと共にした楽しかった話題は多くありました。
読書家だった妻とそうでない私は書物や作家、ストーリーについて、話題を共有し語り合ったことはありません。
悲しいかな私は学生時代以来・・半世紀近くも小説や文学作品を読んだことが無かったのです。
妻から進められていた本をパラパラとめくり始めたのをきっかけに・・・

先にある”もっと永い人生・・・”かの地を訪れるとき、共通の話題を手土産にと思って。

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<<2024年度・読後感想文索引>>
 
読書順番作家・書店 書名読み切り日
N0.647小川洋子・新潮社□□ 「 海 」    12月 26日
N0.646柳 広司・角川文庫□□ 「 ダ ブ ル ・ ジ ョ ー カ ー 」    12月 19日
N0.645東 直子・講談社□□ 「 さ よ う な ら 窓 」    12月 12日
N0.644柳 広司・角川文庫□□ 「 ラ ス ト ・ ワ ル ツ 」    12月  6日
N0.643三浦しをん・双葉社□□ 「 エ レ ジ ー は 流 れ な い 」    12月  2日
N0.642楡 周平・講談社□□ 「 サ ン セ ッ ト サ ン ラ イ ズ 」    11月 26日
N0.641村上春樹・講談社□□ 「 回 転 木 馬 の デ ッ ド ・ ヒ ー ト 」    11月 14日
N0.640織本泰子・東洋出版□□ 「 君 と い つ ま で も 」    11月 10日
N0.639一穂ミチ・講談社□□ 「 ス モ ー ル ワ ー ル ズ 」    11月  9日
N0.638藤原伊織・講談社□□ 「 雪 が 降 る 」    11月  8日
N0.637重松 清・文芸春秋□□ 「 ト ワ イ ラ イ ト 」    11月  6日
N0.636はらだみずき・小学館□□ 「 海 が 見 え る 家 」    11月  1日
N0.635町田そのこ・中央公論□□ 「 星 を 掬 う 」    10月 28日
N0.634瀬尾まいこ・角川文庫□□ 「 さ よ う な ら 、 あ り が と う 」    10月  5日
N0.633中山七里・双葉社□□ 「 翼 が な く て も 」    10月  1日
N0.632群ようこ・角川春樹文庫□□ 「 今 日 は い い 天 気 で す ね 」     9月 21日
N0.631森沢明夫・角川文庫□□ 「 水 曜 日 の 手 紙 」     9月 11日
N0.630小川 哲・朝日新聞出版□□ 「 君 の ク イ ズ 」     9月  7日
N0.629松永K三蔵・講談社   □□ 「 バ リ 山 行 」     9月  1日
N0.628角田光代・文芸春秋   □□ 「 あ な た を 待 つ い く つ も の 部 屋 」     8月 30日
N0.627一穂ミチ・光文社   □□ 「 ツ ミ デ ミ ッ ク 」     8月 22日
N0.626凪良ゆう・講談社   □□ 「 神 様 の ビ オ ト ー プ 」     8月 16日
N0.625瀬尾まいこ・講談社   □□ 「 掬 え ば 手 に は 」     8月 13日
N0.624朝比奈秋・新潮社   □□ 「 サ ン シ ョ ウ ウ オ の 四 十 九 日 」     8月 10日
N0.623凪良ゆう・講談社   □□ 「 す み れ 荘 フ ァ ミ リ ア 」     7月 30日
N0.622有川ひろ・講談社   □□ 「 み と り ね こ 」     7月 24日
N0.621井上ひさし・文春文庫   □□ 「 イ サ ム よ り よ ろ し く 」     7月 12日
N0.620西條奈加・講談社   □□ 「 亥 子 こ ろ こ ろ 」     7月  7日
N0.619伊坂幸太郎・講談社   □□ 「 サ ブ マ リ ン 」     6月 29日
N0.618仙川 環・小学館   □□ 「 処 方 箋 の な い ク リ ニ ッ ク 」     6月 23日
N0.617青木 俊・幻冬舎   □□ 「 潔 白 」     6月 19日
N0.616宮島未奈・新潮社   □□ 「 成 瀬 は 天 下 を 取 り に 行 く 」     6月 13日
N0.615伊坂幸太郎・講談社   □□ 「 P  K 」     6月 10日
N0.614佐藤誠美・講談社   □□ 「 百 助 嘘 八 百 物 語 」     6月  1日
N0.613村上春樹・講談社   □□ 「 ス プ ー ト ニ ク の 恋 人 」     5月 20日
N0.612塩田武士・朝日新聞   □□ 「 存 在 の す べ て を 」     5月 10日
N0.611原田マハ・文芸春秋   □□ 「 太 陽 の 棘 」     4月 25日
N0.610夏川草介・水鈴社   □□ 「 ス ピ ノ ザ の 診 察 室 」     4月 21日
N0.609青山美智子・光文社   □□ 「 リ カ バ リ ー ・ カ バ ヒ コ 」     4月 12日
N0.608凪良ゆう・講談社   □□ 「 星 を 編 む 」     4月  7日
N0.607津村記久子・毎日新聞   □□ 「 水 車 小 屋 の ネ ネ 」     3月 26日
N0.606原田マハ・幻冬舎   □□「 ゴ ッ ホ の あ し あ と 」     3月 22日
N0.605若竹七海・角川文庫   □□「 遺 品 」     3月 20日
N0.604吉村 昭・講談社   □□「 密  会 」     3月  6日
N0.603川上未映子・中央公論   □□「 黄 色 い 家 」     2月 20日
N0.602中島京子・角川文庫   □□「 ム ー ン ラ イ ト ・ イ ン 」     2月 14日
N0.601雨 穴・双葉社   □□「 変 な 絵 」        1月 30日
N0.600小川 哲・集英社   □□「 地 図 と 拳 」        1月 26日





[No.647] 12月 26日


   新潮社「海」小川洋子
          2016年作・ 159 ページ 

・・・「珍しい楽器なんだね」「はい、たぶん」「どこの国の楽器?」「えっと、日本です。ここです」「古くからあるの?」「いいえ、そんなに古いってわけじゃありません」

暗がりの中で、彼の声は一段とか細く聞こえた。首まですっぽりと布団にくるまり、顔だけこちらに向けているのが薄ぼんやり見えた。「どんな形?」「ラグビーボールよりももう少し膨らんでいて、両手で抱えるのにちょうどいいくらいの大きさです。ザトウクジラの浮袋でできているんです」

「へえ・・・・」「浮袋の表面には魚の鱗がびっしり張りつけてあって、中には飛び魚の胸びれで作った弦が仕掛けてあります。それが振動源にとなって、空気の震えを鱗に伝えるのです」「鱗の種類は決まってるの?」

「できるだけ多くの種類の魚を用いた方が、深みのある音が出るでしょう」メイリンキンとは、鳴麟琴と書くのだと、ぼくは分かった。・・・・・



ぼくたちにとって初めての、泊りがけの旅行は彼女の実家に行って僕と泉さんの結婚の許しを泉さんのご両親から得るためにやってきた。泉さんのご実家は飛行場からバスを乗り継いでやっと来れるほど、そしてご両親とおばあさんと、泉さんの弟が迎えてくれた。

食事を終えて僕の泊まる部屋は泉さんの弟さんの使っている部屋を一緒に寝ることになった。兄弟のいなかった僕は弟さんと話が繋げられるか少し不安があったが珍しい話に盛り上がった。



この本は7編の短編からなっていて小川さんの視点で何となく普段の生活の中でピントをずらした感覚の人生のとらえ方がほほえましい。



今年最後の読書になるのかな。今年は48冊目の本を読みましたが・・あれ?、いつもの年より多いかな。夏の猛暑で家時間が増えたり入院の日もあったりでした。来年もよろしくお願いします。


[No.646] 12月 19日


   角川文庫「ダブル・ジョーカー」柳 広司
          2015年作・ 290 ページ 

・・・無論、陸軍内に今なお根強く「スパイ不要論」なるものが存在することは知っている。陸軍上層部の中には、およそ日清日露の戦争経験から一歩も出ることができず、その結果を基にして、

ーーー我が陸軍は明治建国以来、スパイなどという卑怯卑劣な存在なしに戦ってきた。そう胸を張って言うものが多い。しかも、その二つの戦争がなまじい「勝った」ことになっているので、ことはいっそうやっかいだった。スパイ不要論者の中には、

ーーーわが帝国陸軍の戦略は正々堂々を以て旨とし、姑息な策を弄することは統帥権者であらせられる天皇陛下への侮辱である。

と鼻息荒く主張する者たちさえ存在するくらいだ。だが、日清日露はともかく、科学技術が進歩した今日において、諜報防諜活動を無視したまま戦争を有利におし進めることは不可能に近い。・・・・・



仲根晋吾はアメリカ西海岸のロスアンゼルスにいてサンタモニカ湾を望む丘の上でバードウォッチングに勤しんでいた。日も暮れたのでそろそろ帰ろうかと道具を片付けていると「おい、お前。そんなところでなにをしている!」と二人組の制服警官に呼び止められた。しかも1940年ころのアメリカでバードウォッチングなんかする人はいなかった。

仲根はヨーロッパの識者の間で行われていたこのことで地元有力者の娘に関心を擁かせて結婚もしていた。そんなわけで悠々と自宅に帰ることができた。しかし仲根は陸軍が内密にアメリカに送ったスパイだった。



いまこの日本で平和に暮らし平和ボケしている私たちはテレビ番組のボンドシリーズ(イギリスとロシアの諜報活動)などを見ながらそんなものをゲーム感覚で楽しんでいる。


現代社会ではまさにゲームごっこ‥と思っている。でも現実には目を凝らすとインターネットの社会はまさにその渦の中の様相だ。そうでなくとも闇バイト集団たちは現実社会の中でも白昼堂々と荒らしまわっている。

私たちは今更のように自分たちの平和ボケの中の無防備さを実感してしまう。今でも時々新聞の片隅に「中国で・・ベラルーシで・・日本人がスパイ容疑で拘束された・・」というニュースを目にする。


[No.645] 12月 12日


   講談社「さようなら窓」東 直子
          2016年作・ 202 ページ 

・・・二年前、食事に連れ出されて待ち合わせをしたとき、お父さんの横に、きれいな女の人がいた。あたしをうるんだ大きな瞳で見つめて、はじめまして、いつもお父さんにはお世話になってます、と言って、お父さんには、じゃあ、あとでね、と手を少し上げ、栗色の髪をふんわりとなびかせて去って言った。。

いま一緒に住んでる人なんだ、とお父さんは、その人に手を振りながら、あたしに教えてくれた。

「あいつなら、出ていった。病気が分かったとたん、さっさといなくなった。逃げるみたいに。驚いたよ、女って薄情なもんだな。しょせん、他人なんだな」

お父さんは、ふうーー、と古くなった風船から空気がもれていくみたいに、長いため息をついた。息がもれていくたびに、体が縮んで、皮膚がくすんでしまうような気がして、胸がしめつけられた。・・・・・



きずきの父親は建築関係の仕事をしていたため娘の名前を築とつけた。しかし一向に家に寄りつくこともなくついに母と築を置いて出ていってしまった。母は妻に先立たれて小さな子をもつシンスケさんと再婚した。築はその人をどうしてもお父さんとは呼べなくていた。大学も休んだ形でついに家を出て仲の良かった川島祐亮の所に住まわせてもらって心落ち着かせて住んでいた。ある日実父が余命僅かというところで最期を看取ってくれないかと相談された。

築はそれまで何ひとつ自分からなし得ることができなかった。しかし自分の父親の最後ではあったが僅か3ヶ月の看取りのあいだにひとりの大人としての自覚が芽生えた。



まあ複雑な家庭環境もあったが人間はあるきっかけでいわゆる独り立ちを自覚することがある。築も恋人の佑亮とのきずなもこのことによって更に大人としての自覚が育まれるでしょう。


先ずはそのきっかけは自分の不幸を親だの他人だののせいにしないところの気づきができるかどうかだろう。




[No.644] 12月  6日


   角川文庫「ラスト・ワルツ」柳 広司
          2015年作・ 296 ページ 

・・・ーー踊っていただけけますか。振り返ると、すぐ横に黒いドミノをつけた長身の男が立っていた。顔の上半分を覆う仮面と一続きになったフード付きの長衣。白い手袋。

あの人だ。顕子はそう直感した。無言のまま、軽くあごを引くようにして頷いてみせる。黒いドミノの男の後ろについて、顕子はその日はじめて舞踏室に足を踏み入れた。

音楽はすでに始まっていた。舞踏室のフロアはワルツを踊る人たちで込み合っていたが、黒いドミノの男が進むと、踊る人の壁がさっと左右にわかれて道が開ける。まるで紅海を歩いて渡ったというモーセの後をついて歩いているような気分になる。

いや、そうではない。逆だ。黒いドミノの男がフロア全体に意識を張り巡らせ、踊っている何組もの人たちの次の動き、さらにはその先の動きまでを正確に予測して歩いているのだ。・・・・・



顕子の家柄では皇室に近いゆえにその生活の苦しさは飽き飽きとしてきてことあるごとに家人の隙を見てはダンスホールに通って遊び惚けていた。そんなある日の夜に女友達に裏切られて町のチンピラたちにつかまりそうになった。間一髪のところでとある軍部の将校らしき若者に助けられた。将校は自分は身分と名を明かすことができない身の上サラバ・・といって去ってしまった。

もうそんなことは20年も前のこと・・・あの時の若者はどこで何をしているのだろうか。

顕子は今では陸軍大臣の妻となって暇を持て余している。そして遊び半分に軍部の内情を知りたがっているものに夫のカバンから資料を盗み出してはマイクロフィルムのデータを渡して遊んでいた。

そしてそのダンスホールで黒いドミノの男と踊っている時にネックレスに隠したマイクロフィルムをカスミ取られ気を失った耳元で聞こえた、「二度とこのようなことはなさいませぬように・・」


この作品は5編からなっていて全ては日本、ドイツ、ソ連、イギリスなどとかかわって暗躍するスパイを題材にした作品だ。どれも緊張して読まざるを得ないものばかりであるがどうも私の性格は疑い深いせいか そこは少し無理がありゃせんかい・・と。




[No.643] 12月  2日


   双葉文庫「エレジーは流れない」三浦しをん
          2024年作・ 301 ページ 

・・・まちがいなく、夢の原因はこれだ。餅湯温泉駅前商店街が、いまだに前世紀的感性に基づいて装飾をしているのがいけない。

ナイロン製の紺色のスクールバックを手に、部屋を出た。みそ汁のいいにおいがする。薄暗い廊下を挟んだ向かいの台所で、母親の寿恵が朝食の準備をしていた。怜の家は商店街で土産物屋を営んでいるので、一階が店舗、居住空間は全て二階に詰め込まれたつくりだ。

怜がこれがふつうだと思っていたのだが、小学生のころ、商店街以外の友達の家へ遊びにいくようになってはじめて、一階に居間がある住宅の方が多いのかもしれない、と気がついた。

「ふつう」は一つではなく、いろいろな種類があることこそがふつうなのだと、子どもながらに感じた。・・・・・



穂積玲は古臭い餅湯温泉駅前商店街で土産物屋を営む母一人子一人で過ごす高校二年生だ。しかし色々わかってくる中でどうしてもわからないこともあってよそと我が家の違いについて考えることも多かった。

怜は一週間のうち半分はこの商店街に住む母親の寿恵と過ごすものの、あとの半分は高級住宅街の中にある光岡伊都子という女性のことっもお母さん‥と呼んで過ごしてきたからである。

商店街は古くからみんなが助け合って過ごしてきた。ですからそれぞれの家庭の事情というのはそれぞれが判っていて必要ならその不都合なものは助け合って援助しながら過ごしてきた。このことが怜にとっては古い習慣と自分の感情の中で理解に苦しむ要因の一つではあった。あるとき町の中で明らかに自分そっくりな男と遭遇する。・・・


小説全体の印象はどこの街にもある平凡な暮らしの中でそれぞれの事情も抱えながら暮らしている人々の平安な生活がつづられている。そして怜を通じて同級生たちが青年に成長していく・・・。

余りにもドラマチックな作品の氾濫する今の風潮の中にあって本来の小説ってこうなんだろうな‥って感じさせてくれる。秋のひだまりの中でうつらうつらしながら読んだ至福のひととき。


[No.642] 11月 26日


   講談社「サンセットサンライズ」楡 周平
          2024年作・ 396 ページ 

・・・宇田濱町役場企画課では、二週間に一度、月曜日の昼食からの一時間、全体会議が行われる。四月に入るまでは、職場の一角に置かれた小さな机を課員が囲み、それぞれが担当している業務の進捗状況を課長に報告したのだったが、コロナ感染が地方に拡大するのに伴って役場の三階にある大会議室に場所は移った。

三十人は優に収容できる部屋に僅か六人。宇田濱では、未だ感染者はゼロだといううのに、大袈裟な気もしないではないが、これもまた町内初の感染者にはなりたくないという気持ちの表れというものだ。

初の感染者になろうものなら、どこへ行った、誰と会った、何をやったと、様々な憶測が飛び交い、尾ひれがついた噂となって、あっという間に町内全域に知れ渡る。

感染が拡大しようものなら、恐ろしいウィルスを持ち込んだ張本人として、犯罪者の如く後々まで語り継がれるであろうし、死者が出ようものなら、どんなことになるか分かったものではない。・・・・・



西尾晋作は従業員3万人を擁するシンパルという大会社に勤務する。二代目の社長になってから大胆な事業展開により急速に伸びてきた。そしてここにきてコロナ禍という事態ではいち早く在宅勤務体制を確立し社員もそれに従った。元々晋作は川崎のマンションに住んでいて休みには好きな釣りを好んでいた。テレワークが可能ならどこに住もうが勝手‥と言うことで立地条件の良いところをネットで検索して宮城県の海岸の宇田M町の民家に移り住んだ。

大家の娘は宇田濱町役場の企画課で空き家対策を担当していた。新作は近所の高齢になったお祖母ちゃんと懇意になり親身になっていたがついに亡くなってしまった。そんな時、空き家をどうするか考えた。これは行政だけでは難しい、自分の会社が支援してひいては全国規模の事業展開できないか考えた。


時節がらこの頃はやたらとコロナ禍に対する恨みつらみの作品に接する機会が多くなっていました。しかしこの作品はそのコロナ禍以前に三陸沖の地震・・・まだその復興もままならないときに今度はコロナだった。

そして過疎化の進む町でのもっともな脅威は少子高齢化に拍車をかけている。そんな小さな町にテレワークで移住した晋作はこの町のためにどうにかしたい‥我が社で出来ることはないだろうか・・。

まさに今時流に即した課題を取り上げて長編作品に取り組んだ楡さんの心意気に共感します。そう、私も思う!、地方の活性化は行政だけで解決できるものではない。ある程度の資本投入が必ず伴う、下心があろうがなかろうが大きな資本のある企業はそんな全国規模に展開させられる肝っ玉はないだろうか。


[No.641] 11月 14日


   講談社「回転木馬のデッド・ヒート」村上春樹
          2017年作・ 234 ページ 

・・・もしも水泳競技にターンがなく、距離表示もなかったとしたら、400メートルを全力で泳ぎ切るという作業は救いようのない暗黒の地獄であるに違いない。ターンがあればこそ彼はその400メートルをふたつの部分に区切ることができるのだ。

<これで少なくとも半分は済んだ>と彼は思う。次にその200メートルをまた半分に区切る。<これでーーは済んだ>。そしてまた半分・・・、という具合に長い道のりはどんどん細分化されされていく。

距離の細分化に合わせて、意思もまた細分化される。つまり<とにかくこの次の5メートルを泳いでしまおう>ということだ。5メートル泳げば400メートルの距離は1/80縮まることになる。

そのように考えればこそ、彼は水の中である時には嘔吐し肉を痙攣させながらも最後の50メートルを全力で泳ぎ切ることができたのだ。・・・・・



彼は35歳を迎えた。ことさらに思うことは人生の折り返し点に到達したと強く感じたという。どうしてそんなに強く感じたかというと全てにおいて例えば歯の手入れについてはここまでやっていれば70歳までは持つのではないか。

身だしなみについても肌の手入れや髪の毛の状態のすべては70歳までが目標と考えていたから余計強く感じたのかもしれない。


この小説は5編からなっている。村上さんが日常の生活で友人知人から聞いた話をもとに成り立っている人生観で面白く感じたことを仕立てている。そしてこの一遍は「プールサイド」

私も自分の人生はこれくらいだろうと思ったことがあり私小説にもそんなことを書いたようだったしかしそんなことはとっくに忘れていた。恐らく70歳代の後半で80歳代の夢か希望を語った時だったアメリカに住む私よりかなり後輩の友人から指摘されたことがある。

確かに26歳のころ私は50歳まで生きられれば本望と考えていました。そして35歳くらいには70歳までは‥と思うようになり、今80を過ぎてみると・・・


[No.640] 11月 10日


   東洋出版「君といつまでも」織本泰子
          2023年作・ 150 ページ 

・・・私が君とリアルで会ったのは、六月二十五日が初めてだったけれど、確か,最初に君を見たのは、六月十日だったと思う。君の存在はそれよりも少し前から知っていた。

その日私はアルバイトを終え、午後六時くらいに帰宅した。すると間もなくインターホンが鳴り、モニターにS急便の制服姿の君が映っていたのだ。

オートロックマンションの玄関に、君以外にもう一人、同じ制服を着た配達員がいた。その人が、君に寄り添い、あれこれ指示を出している気配だ。

君はとても若く見えた。正直、子供にさえ思えた。まるでオートロックシステムに興味津々な子供に、親がテンキーパネルの操作を教えているかのよう

そのまま私はモニターに見入りながらも、インターホンには出なかった。・・・・・。



加藤ひろ子は私立大学の医学部を卒業し医者になるための研修医を2年した後で自分に医者は無理と決めてドロップアウトし検診などのアルバイトで飯を食いつないでいくことにした。

そんな時に宅配で荷物を届けに来た若者に大変興味を持った、と同時にどんな人物か調べたくなった。どうやら彼は国立大学の経済学部を卒業し経営コンサルタントを目指しているらしい。

幾度か宅配を通してその彼と会ってみようと決めた。驚いたことに彼もひろ子に惹かれるものがあって会って話をしたい。


この小説のあらすじは面白くもなんともない。加藤ひろ子自体はまあ普通の家庭ではない環境で(父母祖父母・・)育ってそこそこ頑張って医学部を卒業しただけ。

言ってみれば将来に対する展望も人間としての夢も感じられない。ひろ子はもともとボーイフレンドともセックスレスの交際しか求めなかったし自分も母親が医学生だった父の子(婚外子)という事情もあるかもしれない。だから彼氏もそれに意気投合する・・少し寂しい人生だね。




[No.639] 11月  9日


   講談社「スモールワールズ」一穂ミチ
          2023年作・ 338 ページ 

・・・「すいませーん、地元のにこにこテレビのものですがちょっとお話聞かせていただいてもいいですか?入賞は成りませんでしたが、大健闘の四位、おめでとうございます!T シャツといい、ものすごく目立つビジュアルのチームですね、皆さん、どういったご関係なんですか?」

「勇!」「えっ?」「勇、よう聞け、すぐそっちに戻るけえのう、お前が何と言おうがわしゃもう死ぬまで逃がさんぞ、腹括って首洗うて待っとれ!」

「あ、あの」姉が会場中の視線を独り占めしている隙に奈々子と外へ抜け出した。場内の熱気を逃れても、快晴の昼下がりはめまいを誘う暑さだ。屋台でかき氷を買い、歩きながら食べた。

「負けたねえ」いちご味を選んだ奈々子が、さっぱりした口調で言う。「でも、楽しかったからまあいいや。鉄二くんは?」

俺も、とメロン味を片手に鉄二は答える。現実は何一つ変えられない、でも、この夏、自分たちは忘れられない思い出を作った。それってすごいことだと思った・・・・・。



高校の野球部で暴力事件を起こして退部し転校してきた鉄二、あろうことかお嫁に行った姉の未生が出戻って来たのだった。鉄二も体格は良いが姉は更に185cmはあろうかという大きさと迫力があった。

学校ではのけ者扱いにされていた鉄二もただ一人奈々子という金魚屋の娘が親切にしてくれた。ある日姉の嫁いだ先の勇さんの家に二人で訪れて姉に引導を渡した理由を問いただしに行った。

勇さんは難病にかかって‥それで姉には別の人生を・・と離婚してくれとお願いしていたのだと。金魚すくい大会で姉の決意を聞いて誇りに思った鉄二。


六編からなる短編集であるがそれぞれに世界を少し違った方角からとらえ今まで普通の人の視点から見えていなかった部分に光を差す‥そんな作品群。



[No.640] 11月 10日


   東洋出版「君といつまでも」織本泰子
          2023年作・ 150 ページ 

・・・私が君とリアルで会ったのは、六月二十五日が初めてだったけれど、確か,最初に君を見たのは、六月十日だったと思う。君の存在はそれよりも少し前から知っていた。

その日私はアルバイトを終え、午後六時くらいに帰宅した。すると間もなくインターホンが鳴り、モニターにS急便の制服姿の君が映っていたのだ。

オートロックマンションの玄関に、君以外にもう一人、同じ制服を着た配達員がいた。その人が、君に寄り添い、あれこれ指示を出している気配だ。

君はとても若く見えた。正直、子供にさえ思えた。まるでオートロックシステムに興味津々な子供に、親がテンキーパネルの操作を教えているかのよう

そのまま私はモニターに見入りながらも、インターホンには出なかった。・・・・・。



加藤ひろ子は私立大学の医学部を卒業し医者になるための研修医を2年した後で自分に医者は無理と決めてドロップアウトし検診などのアルバイトで飯を食いつないでいくことにした。

そんな時に宅配で荷物を届けに来た若者に大変興味を持った、と同時にどんな人物か調べたくなった。どうやら彼は国立大学の経済学部を卒業し経営コンサルタントを目指しているらしい。

幾度か宅配を通してその彼と会ってみようと決めた。驚いたことに彼もひろ子に惹かれるものがあって会って話をしたい。


この小説のあらすじは面白くもなんともない。加藤ひろ子自体はまあ普通の家庭ではない環境で(父母祖父母・・)育ってそこそこ頑張って医学部を卒業しただけ。

言ってみれば将来に対する展望も人間としての夢も感じられない。ひろ子はもともとボーイフレンドともセックスレスの交際しか求めなかったし自分も母親が医学生だった父の子(婚外子)という事情もあるかもしれない。だから彼氏もそれに意気投合する・・少し寂しい人生だね。




[No.639] 11月  9日


   講談社「スモールワールズ」一穂ミチ
          2023年作・ 338 ページ 

・・・「すいませーん、地元のにこにこテレビのものですがちょっとお話聞かせていただいてもいいですか?入賞は成りませんでしたが、大健闘の四位、おめでとうございます!T シャツといい、ものすごく目立つビジュアルのチームですね、皆さん、どういったご関係なんですか?」

「勇!」「えっ?」「勇、よう聞け、すぐそっちに戻るけえのう、お前が何と言おうがわしゃもう死ぬまで逃がさんぞ、腹括って首洗うて待っとれ!」

「あ、あの」姉が会場中の視線を独り占めしている隙に奈々子と外へ抜け出した。場内の熱気を逃れても、快晴の昼下がりはめまいを誘う暑さだ。屋台でかき氷を買い、歩きながら食べた。

「負けたねえ」いちご味を選んだ奈々子が、さっぱりした口調で言う。「でも、楽しかったからまあいいや。鉄二くんは?」

俺も、とメロン味を片手に鉄二は答える。現実は何一つ変えられない、でも、この夏、自分たちは忘れられない思い出を作った。それってすごいことだと思った・・・・・。



高校の野球部で暴力事件を起こして退部し転校してきた鉄二、あろうことかお嫁に行った姉の未生が出戻って来たのだった。鉄二も体格は良いが姉は更に185cmはあろうかという大きさと迫力があった。

学校ではのけ者扱いにされていた鉄二もただ一人奈々子という金魚屋の娘が親切にしてくれた。ある日姉の嫁いだ先の勇さんの家に二人で訪れて姉に引導を渡した理由を問いただしに行った。

勇さんは難病にかかって‥それで姉には別の人生を・・と離婚してくれとお願いしていたのだと。金魚すくい大会で姉の決意を聞いて誇りに思った鉄二。


六編からなる短編集であるがそれぞれに世界を少し違った方角からとらえ今まで普通の人の視点から見えていなかった部分に光を差す‥そんな作品群。



[No.638] 11月  8日


   講談社「雪が降る」藤原伊織
          2016年作・ 303 ページ 

・・・「雪が降る」のメールを開く。そこにはこんな文面があった。

母を殺したのは、志村さん、あなたですね。なお、父は幸か不幸かこの事実を知りません、念のため。   <高橋道夫>

志村はその画面にしばらく見入っていた。発信者が高橋一幸の息子だったことはすぐにわかった。腑に落ちた。外部からアクセスできた理由だ。

社員名簿には社員番号が併記されている。IDは、社員番号とおなじだ。そして書かれてある内容はそのとおりだった。おそらくそのまま事実だった。

着信時間は、今日の午前零時三十七分。顔を上げると、メール発信者の父親の姿がフロアの向こうに見えた。・・・・・。



志村秀明は大手商社につとめる。高橋一幸と同期の仲良しだけど一幸の方が昇進は少し早く次部長だ。そして同期に短大で入社した一幸の妻陽子とも親しかった。

二人で陽子の争奪戦もしたが志村は大阪転勤を命ぜられ離脱した。志村は大阪で相手を見つけて結婚したが1年と続かなかった。しかし高橋と陽子は志村の結婚を確かめた後結ばれて道夫と云う子を受かった。それから15年は経過しただろうか。

志村も東京に戻って来たがもう陽子には会うこともなかった。そんなある日横浜の映画館で志村は陽子とバッタリ会った。夜になると雪が降り始めていた・・・。その時陽子は志村と約束をした、来年の雪の降る日にお会いしたい。


六編の短編集のうち作品の出来栄えは一番よかった・・と言うことでしょうか。陽子の書いたメールは志村に出されずにファイリングされていたのを4年も経って道夫がファイルを開けてみたら陽子の思いが書かれていた・・。


ファイルを開けるにはパスワードが必要だ、しかしYOUKO と打ったら簡単に開いた。志村や高橋の社ではパソコンの導入はまだ二年もあとだった・・


[No.637] 11月  6日


   文芸春秋「トワイライト」重松 清
          2012年作・ 496 ページ 

・・・エアドーム式のアメリカ館の目玉はアポロ11号が持ち帰った月の石と、月着陸船だった。アポロ12号の宇宙飛行士もアメリカからやってきた。ソ連館も宇宙船ソユーズとボストークを展示していた。

ロンドン橋の形のイギリス館、水中に立っていたオランダ館、ガラス張りのチェコ館‥‥。「万博のテーマは『人類の進歩と調和』だったんだ。ベトナム戦争のこととか全共闘のこととか、公害とか、核実験とか、親父やおふくろが話しているのは聞いてたけど、。そういうのも未来には…二十一世紀にはぜんぶなくなって、世界は平和になって、宇宙にも行けるようになって、ガンで死ぬ人もいなくなってるって、そういう未来が絶対に来るんだって、信じてたんだ。信じることができたんだよ。万博を見てると」

自分でも驚くほど熱の入った口調になった。クサかったかな、と一瞬悔やんだ。だが、優香里は、克也の言葉を微笑みとまぶしそうなまなざしで受け止めた。

「なんか、いいですよね、そういうのって」−−−−皮肉には聞こえなかった。克也はほっとして、いや、安堵するだけでなく、嬉しくなった。身構えていたものが微妙に緩むのを感じた。なんとなくけだるかった。「いかにもオッサンだろ?」

わざと、自嘲するように言った。冷ややかなーーー現実に引き戻してもらうための言葉を待っていた。「そんなことないですよ、ぜんぜん。すごく純粋で、わたし、カッコいいと思う」・・・・・



高橋克也は今年39歳、小学校の時のあだ名はのび太。妻と中学受験を控えた息子との3人暮らし。以前過ごしていたニュータウンと言われた団地は少子高齢化の影響で今は空き家が目立ち何よりもその母校が廃校となって取り壊されると聞いた。

40歳になったらここへ埋めたタイムカプセルを掘り起こそう・・としたのに1年前倒しで回収することになったとジャイアンから連絡があった。

克也はそれどころではない、今日にも部長から社としてのリストラを言い渡されてよくしてくれた派遣社員の優香里を誘って呑みに来て昔のことを呟いていた。40歳は誰にとっても人生の分岐点なのだろうか集まったクラスメートはそれぞれに人生の節目にあえいでいた。


80歳になったら俺たち最後のクラス会をしよう・・と約束したのに幹事役がもうオレはすっかり忘れっぽくなってそれ出来なくなっちゃった・・。というので私が一年遅れの皆が81歳になった今年の早春、小学校最後のクラス会を開いて締めくくった。40歳ってオレからすればまだ人生の半分だよ、これからだよ・・と励ましたい。





[No.636] 11月  1日


   小学館「海が見える家」はらだみずき
          2022年作・ 225 ページ 

・・・夜明けとともに車の荷台からボートを下ろし、砂浜から海に浮かべた。素足で水に入ると、波打ち際から押し出した船尾に飛び乗り、オールをつかむ。しばらく漕いでから、船外機のスクリューを海に降ろし、エンジンロープを引いた。一回、二回、、三回・・・。

四回目で初爆を確認し、チョークを戻し、もう一度ロープを引く。ぶるんと震えたエンジンが小気味よい音を刻みはじめる。ふと、なにかの気配を感じ、顔を上げてしまった。

海の向こう、ずんぐりとしたビワ山から朝陽が昇っていく。山の端が光に照らされ、輪郭を際立てさせる。

記憶に残る花色に似た、その白さに思わず目を背け、二馬力の船外機のスロットルを開いた。持ち上がったボートの舳先が水を切り、青い海を滑り出す。驚いた小魚たちが波間に次々に跳ねる。文哉は沖へ向かった。

ようやく落ち着き振り返ると、海を泡立てたスクリューの航跡が遠く砂浜まで伸びていく。−−−まもなく、あの台風から一年が経とうとしていた。海辺の町にはブルーシートを纏った家がまだ何軒も残っている・・・・・



緒方文也は大学を終えて就職したがあまり馴染めなかった。ちょうど父親が他界してしまったこともありこの房総の別荘で当面の仕事をさがした。父がここで善いことをしていてくれたおかげで地元の父を知る人たちの協力もあって文哉はここで「株式会社南房総リゾートサービス」という別荘の管理会社を始める。

順調だった管理会社ではあったがここ数年の日本経済を象徴する様に世間の景気も冷え込んできた。当然この南房総に別荘を持つ人のあいだにも冷たい風が吹き始めた。それをここぞとばかりに襲った台風を伴った豪雨災害でリゾート色は一気に消し飛んでしまった。さらに追い打ちをかけるようなコロナ禍のなかもう生きるので精いっぱいという生活になってしまった。


まだ文哉はなんといっても若い、いくらでもやり直しは効く。今までは父親の恩恵でここの善意に守られて生きてきたが本腰を入れてこれからの人生は土となって過ごそうと山にあこがれる。

この本の書き出しはまるでボート好きで舟で遊びまわっていた私が文章を書いているように小気味よくって懐かしくって・・・思わず涙が出そうになってしまった。


[No.635] 10月 28日


   中央公論「星を掬う」町田そのこ
          2024年作・ 382 ページ 

・・・彩子さんが恵真さんに便箋を渡す。恵真さんはそれを何度もなぞるように読んだ後、黙って私に回してくれた。中に目を通す。『私の世話をしようなどと思わないでください』思いのほか、しっかりとした筆圧で、書かれていた。

『特に、子どもたち。あなたたちに介護をしてほしいと望んでいません。むしろ迷惑です。何なら、見舞いも必要もありません。ベッド脇で湿っぽく泣くことも、私を衰退していく者として不平等に扱うことも、私の人格を損ねるものでしかありません。なので、絶対にしないでください。これはあなたたちを気遣ってのことではありません。私の人生は最後まで私のものであり、私の意志によって始末するものです。あなたたちの感傷で振り回していいものではないのです』

『嫌な言い方が本当に得意だよね』便箋に目を落としていると、恵真さんがくつりと笑った。『肝心なところでは線を引いて、甘えてくれない。酷いよ』『そういう性格の人だからね』

彩子さんが哀しそうに言う。私も、何度も言ったのよ。せっかくのご縁で一緒に暮らせるんだから、ぎりぎりまでお世話させてって。私はこんな仕事をしてるんだもの。頼ってくれて構わないのに。

わたしはその声を聞きながら、便箋の中の一文を指でなぞった。「子供たち…」・・・・・



芳野千鶴は悲惨な生活苦の中である想い出をラジオ番組に投稿した。あろうことかその内容が評価されて番組で紹介された、しかしそれを聞いていた聴視者からの投稿に番組ディレクターが呼応した。

その彼女から、千鶴さんが母親に見捨てられた後私を拾ってくれたママはひょっとしてあなたの実のお母さまではないでしょうか。さっそく二人はディレクターの仲介で逢うことが実現した。

この物語は義理の父母との確執が発端で母と幼い娘が引き離された。幾年かして娘は結婚したものの粗末な男にDVなどひどい目にあわされいつまでも追い回されていた。そんなときラジオを聞いていた恵真さんが番組に聞いてきたことで更に物語は発展していく。

しかし母はまだ50歳代だというのにいわゆる若年性の認知症に掛かっていたのだった。


しかし、わたしのように老後を何とか楽しく暮らそうと日々努力している人間にとっては重苦しい作品に出くわしてしまった。町田そのこさんの作品は以前にも読んだ気がした・・・、あった、3年前に「52ヘルツのクジラたち」、そのあとに書いた次作がこれだという。いつもシリアスで人生の暗部を突き進む作品に頭が下がる。


[No.634] 10月  5日


   角川文庫「さようなら、ありがとう」瀬尾まいこ
          2010年作・ 188 ページ 

・・・私が働いている中学校は、海に近いせいか、給食に頻繁に鯖が出てくる。みそ煮であったり、塩焼きであったり、時には竜田揚げになって、姿を変えて登場する。実は私は鯖が大嫌いである。皮の模様が気持ち悪いし、腹の部分がぶよぶよしていて食べられない。

給食に出る度、「どうしてもこれだけはだめなの」と泣きつき、生徒に食べてもらっていた。そして私の鯖嫌いは小さな学校ではみんなの知る事実となった。そんなある日、一人の生徒が詩を書いて持ってきた。


僕は嫌いな物がたくさんあります。でも、あまり大きな声でそれを発表できないということに気付いたのです。例えば「鯖」です。でも実は僕はそんなに鯖を嫌っていないのです。ぜひ、ビックリしてください。

僕はこう答えます。「秘密だ」と。以前、ある人が「私は鯖が嫌いだ」と言ったことがあります。そうして僕は気付きました。少なくとも鯖は2人の人に嫌われている。もう二度と大きな声で嫌いだと言わないでおこう。

その詩を読んで以来、私は鯖に立ち向かうようになった。とりあえず、人前で嫌いだということは控えようと誓った。・・・・・



この本には瀬尾さんがかつて中学校の教師を務めていた時の現役時代にその傍らに執筆されたといいます。とうぜんその作品は生徒も見るしその保護者達や学校関係者も読んでいたと思います。

そう言ったある種のプレッシャーの中で自分の気持ちを表現していくというのは私もホームページで日常の出来事を発信していて共通のものを感じます。

そして随所に自分は生徒に教える立場の先生ではあるがそれは国語の授業だ、それ以外のことは生徒と仲間になって共に世間のこと社会のことを学んでいこうという心意気が感じられる。


私がまだ画学生だった60年前、同じ研究所に通っていた彼女が松戸市のある中学校の数学教師をしていた。いつも泣きながら、中学生はまだ子供なのに大人なんですよその二面性に私はついていく自信がなくて・・とよくこぼしていたことをおもいだしました。

ねえ、美恵子さんあなたは数学を教えてあげるだけ、そのほかのことは一緒に学んでいく仲間だと思えば気が楽になるよ。・・って言ってあげられたかな。




[No.633] 10月  1日


   双葉社「翼がなくても」中山七里
          2019年作・ 340 ページ 

・・・「いずれ一ノ瀬さんも自分のチームを作った方が、いいかも知れません。専用の義肢装具士、そして専属のコーチ兼トレーナー」いきなり不意打ちを食らった。

館野の提案は、このところ沙良が秘かに考え続けていることでもあった。だが他人の口から語られると、それがどれだけ夢想じみたものであるかを嫌と言うほど思い知らされる。

「そんな、贅沢ですよ。左足を失くす前だって専属のトレーナーなんて有り得なかったのに。スター選手じゃあるまいし」「スター選手でなくても、一ノ瀬さんは世界を狙っているのでしょう」

「それはそうですけど・・・」「けど?その言葉は言い訳の常套句です。そして言い訳をするような人間は、決して世界なんて狙ってやしません。狙っているふりをしているだけです。ふりだけでも、外野は一目置いてくれますからね。少々辛辣かもしれませんが、これでも私は何人ものアスリートたちを見ています。そして挫折したり挫折する前に諦めたりした人が、全員言い訳の名人であることを知っています。きつい言い方ですが、言い訳と言うのは所詮負け犬の論理なんです」

館野は残酷なことを平然と言い放つ。・・・・・



一ノ瀬沙良は某有名化学繊維メーカーの陸上部に200mスプリンターとして嘱望されていた。良いタイムの兆しが見えて来ていた時、不運にも隣の家に住む幼馴染の相楽泰輔の運転する車の事故に遭い左足を失ってしまった。

失意のうちに退院した時パラスポーツの世界を知る。そして国内では有数な競技用義肢メーカーである館野に依頼して作ってもらうもののまだ自分の成績では世界はとてもではないけれど狙えない。

おりしも世界有数の競技用義肢を手掛けるアメリカのデビットカーターが今東大の研究グループに招かれて来日していることを知り直談判した。


小説では競技義肢の制作には数百万円もかかるのに沙良が次々と履き替える、どこからそんな金を工面できたのだろうか・・そして幼馴染の不自然な殺害事件・・など絡ませながら進む。

義肢メーカーの館野氏の言葉はその中で「・・全員言い訳の名人だ・・」頂点を見極めるためには己の技量、体力、そして金銭面・・でも普段の生活を犠牲にしなくてはならないのがマチュアスポーツなんです。

私もいくつかの言い訳はそのシーンに対して常に用意しています。それがどうした、たかがスポーツ、されどスポーツの魅力という魔術、麻薬かな。


[No.632]  9月 21日


   角川春樹文庫「今日はいい天気ですね」群ようこ
          2024年作・ 161 ページ 

・・・「うーん、おいしい」巨砲を食べ終わり、シャインマスカットもちょっと食べたかったので、三粒もいで食べた。「あー、幸せ」自分は安上がりな女になったな、とキョウコは笑ってしまった。

勤めていた時は、流行のレストランの常連になり、流行の服を着てヘアメイクもおこたりなく、重要な仕事をこなし、年に何回かは必ず海外旅行をし、女性誌のグラビアに載っているようなものを手に入れることが幸せだと思っていた。

しかし今は、いただいたものと、奮発したブドウで幸せになれる。今日、着ている、白地に黒と銀で抽象的な柄が描かれているTシャツも、駅前の古着屋の店頭ワゴンで、五百円で売られていたものだったが、着ているとクマガイさんにもチユキさんにも褒められた。

ちょっとのことで幸せだと感じると、自分は安上がりな女と思うのが、もう習慣になってしまっていた。でもこういう癖は直した方がいいなと反省した。

ブランドのスーツを着ていても、服を誉められた記憶はない。会社の女性たちは、とにかく容姿でも仕事でも彼氏でも、少しでも他の女性社員よりも上でいたいと考えているタイプが多かったので、マウントを取るために、それに必要なものを、どれだけ自分の周りに集めるかが重要だったのだ。

キョウコもその渦の中に一時期巻き込まれていたが、ふと自分の足で立ち止まり、そこから脱出できた。・・・・・



ササガワキョウコは永年一流企業の戦士として働いてきたがいろんな事情に我慢できなくなり目標の金額まで貯金できたことを機会に勤めを辞めて安アパートでひっそりと暮らすことにした。

そして改めて時間に追い回されない、そして近所の人たちとゆったりとした時を過ごすことに大きな満足を感じ始めていた。・・・・


そんな気持ちは途中退社でなくとも定年退職の誰でも一瞬は感じる自由の身についての喜びを味わい満足はする。でもまだ働き盛りのキョウコは生涯それで満足して生きて行けるだろうか。

わたしは収入にはならないけれど人としての仕事・・だと本人はまじめに考えていることをやり続けてきたがもう20年も経ってしまった。終わりのない人生の仕事。


[No.631]  9月 11日


   角川文庫「水曜日の手紙」森沢明夫
          2021年作・ 251 ページ 

・・・「なんて言うか・・・・、それこそ、さっきのオーナーじゃないけど、単純に『遊び心』が勝ったのかも」「遊び心?」そんなもので、会社を辞められるのか?。

「うん。だってさ、人生をいちいち深刻に考えている奴は深刻な人生を送ることになるわけだし、人生なんて遊びだと思って楽しく考えていたら、人生そのものが遊びになるわけじゃん?」

そんな哲学みたいな台詞をカラッとした笑顔で言われると、ぼくの脳みそはフリーズしそうになる。「え、なに、それ‥‥」「だからさ、ようするに、せっかく生まれたからには遊ばなきゃ損だと思うわけよ。やりたくないことばかりやっているうちに人生が終わっちゃうなんて、絶対に嫌じゃん?」「うーん・・・・」

小沼の言葉がやたらときらきらした正論に聞こえてきて、もはやぐうの音も出なかった。でも、ぼくの心の片隅には、とても現実的かつ退屈な反論が見え隠れしていた。

お前だってさ、もしも、人生の「失敗」に気づいたら、そんなカッコイイ台詞は言えなくなるんじゃないの? もちろん、その言葉は、ぼくの中にしまっておく。

「そんな感じだからさ、べつに俺に人一倍の勇気があったわけじゃなくて、単純に遊び心で退社したんだろうなって思ってるんだよね」・・・・・



間もなく30歳くらいの同期仲間で温泉に入りながら会話しています。同じ美術を志して出版社では仲間だったのに片や独立してその道を目指している。片や自分もそうしたいのだが恋人との安定した生活を目指すには大きな賭けである。

人は生活していく中でどうしても他人と比較してしまう。自分が良かれと思っている生活もよその芝生は青々として見えてしまう。この本には二組の悩みとそれを仲立ちにするボランティア郵便局の物語。


「鮫が浦水曜日郵便局」webで検索するとそんな施設郵便局があって自分の悩みや気持ちを水曜日に郵便として託すとランダムにほかの人に届き似た状況の人が励まされる‥と言った展開でしょう。


私もこの青年たちのころと同じ時期大いに悩みました。しかし私は生活の安定を望んで絵描きの道はあきらめてサラリーマンとして過ごしました。若い時には人生は一度しかない・・と思いがちです。

実は私は会社人生活を終えたあと第二の人生をもう二十年も歩んで絵描きになりたかった夢を今果たしていて満足です。しかも健康であれば第三の人生も視野に入れてもっと充実した人生も考えているところです。


[No.630]  9月  7日


   朝日新聞出版「君のクイズ」小川 哲
          2022年作・ 175 ページ 

・・・「ママ、クリーニングは小野寺よ」本庄絆はそう口にした。「え?」思わず僕は声を出していた。極度の緊張で、本庄絆の頭がおかしくなってしまったのではないかと疑った。

横を向いて本庄絆を見た。無表情のまま、まっすぐ前を見つめていた。テレビで何度も見たことのある表情だ。やるべきことをやって、あとは世界が自分に追いつくのを待っている表情。

もしかしてーーーと僕の心臓が高鳴る。回答に自信があるとでもいうのだろうか。しかし、いったいどういう基準で、一文字も読まれていないクイズの答えを出したのだろうか。

僕はMCの顔を見て、それからステージの傍らにいる問読みをしていたアナウンサーの顔を見た。MCは怪訝そうな顔をしていて、アナウンサーは大きく目を見開いて驚いていた。

会場は妙に静まりかえっている舞台袖のスタッフが小さく「どうする?」と口にしたのが聞こえた。「いいのか?」というこえもきこえた。

「ママ、クリーニング小野寺よ」もう一度本庄絆が口にした。それから十秒ほどの間があって、「ピンポン」と言う音が鳴った。・・・・・



クイズ王決勝戦で三島玲央はあと一問の正解で賞金一千万円という快挙を目の前にしていた。早押しクイズでは3回早とちりの回答をすると失格なのに最後の決勝戦の相手である本庄絆は既に2回ミスっている。

そして最後の最後の問いに質問者が一言も発しない前にブザーを押してしまうという明らかなミスを犯してしまった・・と誰しも思った。しかしその答えは正解だった。


三島玲央は学生時代からクイズ研究会に所属し戦い方を極めていた。「クイズは覚えた量を競うものではない、正解する能力を競うもの」と。一方の本庄絆はタレント性もあってしかも東大理科に現役で入学した才媛であるが三島に言わせれば勝ち方は未だだ‥とタカをくくっていたかもしれない。本庄絆はアナウンサーの声を発する唇の形を見てブザーを押した。すっげぇ〜


まあテレビ番組でよく見かける場面のクイズ早押しでしょう。録画であれば修正録画もあり得るのだが生放送となるとそうはいかない、てっきりこれは番組のMCと出演者の間で打ち合わせがない限りの異常事態です。

誰しもがインチキだと感じる場面も冷静になって考えてみると多くの試験問題なども「傾向と対策」などといって参考書が出回る。つまりその最たるものがこの結果だった・・。実に見事などんでん返しに感服。


[No.629]  9月  1日


   講談社「バリ山行」松永K三蔵
          2024年作・ 191 ページ 

・・・やがて左右から蔦が湧きだし、蔦の絡む草木の群生が行く先を塞ぐ。足元にも落葉が溜まって地形もわからない。「ここ狭いから、気をつけて」狭い尾根筋の両側は崖になって落ちている。

覆うような丈の高い草、棘のある細い蔦が絡み、芭蕉のように大きい葉が顔を討つ。前を行く妻鹿さんはピックステッキで枝を払い、邪魔になる枝は手鋸で軽快に音を立てて伐って進む。あたりに草蒸れの湿った臭いが漂う。

蔦に連なる橙や海老茶色の小粒の実が擦れて潰れ、青臭い汁がウェアにのびた。絡まる蔦を払い、草を除けると胞子が朦朦と舞い上がって咽るほどだった。

「冬はね、バリにはいい季節なんだよ。虫もいないしさ。暖かくなるとこれが大変だよ」妻鹿さんは散策でもするように気楽に話しながら進む。冬はいい季節なのか。しかしそもそも、コレの何が面白いのだろう。

纏わりつき絡みつく草を必死に払いながら、私は徐々に気が滅入りはじめていた。確かにあの小滝の連なる峪は良かった。登山道では見られない景色。私にとってそれは貴重な経験だった。・・・・・



やっと転職できた会社で今度こそは職場の融和になじもうと心に決めていた波多は同僚から親睦で六甲付近を登山するグループに入らないかと誘われた。運動不足解消を想っていた時妻からも行ってくれば・・と促された。

登山なんて何年ぶりだろうか、みなスッキリしたスタイルで集合して和気あいあいで楽しかった。同僚の話によるとうちの課にいる妻鹿はこのグループには入らずいつも一人で毎週この周辺の山を楽しんでいるらしい。


しかも人が歩かないところに分け入って下手をすると遭難しかねないかもしれないし自然破壊もあるかもしれないと聞いた。波多はそんな妻鹿に興味があったので近づいた。そこでバリエーション山行と言うことを聞き一度連れていってもらえないか頼み込んだ。


バリエーション山行・・と言う言葉とその意味を初めて知った。確かに六甲のような低山であっても登山道以外の藪を進むことは危険であろう、しかも環境にとっても破壊とも取れかねない。波多の経験したバリ山行のいわばドキュメント版の作品が芥川賞受賞作でした。

私は群馬県で永年放置された山林の開墾をして植林した経験があります。まさしくその作業はバリ山行・・そのものでした。手鋸、鉈、カマなど振るって背丈以上に伸びて蔓延った棘のついた蔦を払いながらの開墾は大変でした。

普段の生活の中では経験できないし体力のまだある時の体験はこの本を読んでいる時、心地よく伝わって来る感動を覚えました。


[No.628]  8月 30日


   文芸春秋「あなたを待ついくつもの部屋」角田光代
          2024年作・ 313 ページ 

・・・ちーちゃん、おとうさんな、浮気してるかもしれん。東京に住む千香恵に、母が電話をかけてきたのは年明けすぐのことだ。

電子機器を扱う会社に勤めていた父は、昨年九月に会社を辞めた。六十歳の定年後、シニアアドバイザーなどという名称で五年働いた。やめてすぐは、「お父さん、毎日家におんの、何話していいのかわからへんのよ」と母は電話で愚痴っていた。

千香恵が子供のころからずっと仕事ばかりで、土日も仕事か接待ゴルフで留守が多く、ほとんど家にいなかった。無口で口べたで、感情をうまく顔に出せない人だというのが、千香恵の抱く父への印象である。

確かにまるまる一日家のなかで顔を合わせていても、話がはずむわけもないだろうと思っていたのだが、年明け早々、その電話である。なんでも母によれば、週に三日、必ず出かけるようになった。

何処へ行くのか聞いても答えない。帰ってくると、なんだか高級そうないいにおいがする。なんだかあやしい、と思っていたところ、母の友人がホテルのロビーで父を見かけたという。・・・・・



結局千香恵がある日父の尾行をしたところ父の向かったのはレストランでも客室でもないホテル別館三階にあるフロントでそこはフィットネスクラブの入り口だった。しかし父はそこでもなく向かった先はプールだった。

ビート番にしがみついて必死でバタ足をしている父親を見て千香恵は笑ってしまった。お母さんも誘ってあげればよかったのに・・と父に言ったところ「い、いえるか、そんなこと・・、オレは金槌なんだよ」


わたしは50代のころ妻が股関節の手術をしてリハビリのためプールに行くことになった。妻もわたしも金槌だったけれど一人で水中歩行に行かせるのも可哀そうと思って週一度はお付き合いして一緒に行くことにした。

毎日通う妻はそのうちに私の目の前で泳ぎ始めたではないですか。「いいな、女は半分脂肪で出来ているから浮くんだろうな」・・横目で見ながら私は水に潜るとそのまま沈んでしまった。

それから30年以上、わたしのプール通いは生活の一部。いまでこそいたって遅い泳ぎですが2kmノンストップで50分間泳いでいます。そして健康のため欠かせない習慣です、妻よありがとう。


[No.627]  8月 22日


   光文社「ツミデミック」一穂ミチ
          2023年作・ 283 ページ 

・・・ぼくはワクチンを3回接種した。でも、安全性の問題については正直よくわからない。地球レベルでの治験の途上だという気もしている。絶対的な信頼は置けないが、拒否しようとも思わなかった。

飛行機に乗る時と同じだ。墜落事故は怖いけれど、自分が搭乗する便で起きるなんて想像できない。

恐ろしかったですねえ、と毛利はおっとり述懐する。「ウィルスと一緒ですよ。何かのきっかけで極端な考えに触れると、一気に全身に回る。ワクチンから始まって、携帯の5Gの電波が有害だとか、水がどうだ、波動がどうだ、食べ物がどうだって‥‥繰り返しになりますが、本当に、そんな女じゃなかったんですよ。

変な石やうさんくさい水や怪しい機械にのめり込めるような…自分ひとりで信じてるだけならまだしも、パート先でもそんなことを主張して回ったもんだから、ほかの人の迷惑だってクビになりました。当たり前ですよね。

でも妻は、我が身を省みるどころかますます意固地になりました。自分の正しさをわかってくれない世の中こそ洗脳されて汚染されているんだって。・・・・・



この作品は6編の短編からなる作品群は第171回直木賞になった作品です。わたしたちは今回の世界的な脅威であった新型コロナウィルス感染はもとより同時流行していたインフルエンザの恐怖ともあわせてパンデミックからツインデミック・・とも呼ばれて恐れました。

この6編の作品すべてがそれらによって今まで積み上げてきた人生経験も何もかも奪い去り、しかもその最期に及んでも親愛なる家族に「さよなら・・」も発することなく人生を終えざるをえなかった。

そんな悔しさや惨めさが収録された作品群でした。


16世紀、ヨーロッパではペストの流行で10万人ともいわれる方が感染して亡くなったと言われていました。しかし当時と違って今は偏西風のように人類は航空機の発達によって瞬時に地球を駆け回ることができるようになりました。それゆえにひとたび中国の山村で発見されたという新型ウィルスはあっという間に世界に広がってしまいました。

わたしはそのためにワクチンは7回も打たされました。拒否して亡くなった方もいましたし生き延びた方もいました。何が正しくて何が間違っていたかより如何に生き延びようかとと言うことが優先していました。この教訓はこれからも生かしていかなければならないことでしょう


[No.626]  8月 16日


   講談社「神様のビオトープ」凪良ゆう
          2017年作・ 283 ページ 

・・・わたしはこのまま横たわっていたい。けれど、お葬式をしないわけにはいかなかった。それが結婚して二年目の夫のお葬式だとしたら、なおさらに。鹿野くんが交通事故で死んでから、まだ一日しか経っていない。

いつものように買い物から帰ってきたら、留守番電話に警察からメッセージが入っていたのだ。理解もも納得もできないまま、どんどん現実が押し寄せてくる。

わたしはそれをお皿みたいに粉々に叩き割ってやりたかった。受け入れない。認めない。でもそれも半日も持たなかった。抵抗することすらできないほど、わたしは弱っていった。

泥水を吸って汚れた綿花を詰められたように重い頭を上げて、のろのろと布団から這い出した。本当に重い。死にそうだ。いっそ私のお葬式も一緒に出してほしい。

ーーーーうる波ちゃん、おはよう。朝ご飯を作っていると、鹿野くんが台所に入ってくる。椅子に腰かけてまだ半分眠っている鹿野くんに、目玉焼き、だし巻き卵、ゆで卵、スクランブルエッグ、温泉卵、どれがいいか聞く。鹿野くんはその日の気分で答えてから、−−ありがとう。と微笑む。毎朝繰り返される、どこの家でもよくあるやりとりを思い出す。・・・・・



業界からもなかなか高い評価も得られず売れない画家・・の鹿野くん。美術大学をでたあと鹿野くんのグループ展で知り合うことになったうる波はそののち結婚した。

まだお互いの呼び方も定まらないうちに鹿野くんは交通事故で突然に無くなってしまった。でもうる波は毎日鹿野くんの亡霊と楽しく過ごしていた。人目を気にしながら会話も楽しんでいた。

美術教師としての資格を有していたのでうる波は高校の美術教師や家庭での画塾で生計は立てることができた。しかしどこにも多くの問題があってその都度鹿野くんの亡霊と相談しながら難局を越えていく。


結婚して二年でしかも突然に夫を亡くしたうる波の心境は恐らくお節介な叔母さんの再婚話も耳にする気はないでしょう。しかしうる波は人の目を気にせずに強く生き延びる決意をする。そう、早い決意が必要だ。

知り合ってから45年、結婚してから35年の妻を亡くした私でさえ立ち直るのに3年は要したと思う。お医者さんに「あなた、このままの数値を放っておくとダメになりますよ」と言われたのがついこの間のことでした。でも17年経ってもまだ時々妻は話をしに来るな。


[No.625]  8月 13日


   講談社「掬えば手には」瀬尾まいこ
          2022年作・ 273 ページ 

・・・河野さんはゆったり「うん、それで」とうなずいてくれている。ぼくは思いつくことから、まとまらないまま話を続けた。

「ぼくはこの通り普通なんだけど、僕の家族ってちょっと変わってて。父はカメラマンで、母はバイオリニストで、姉は画家を目指すとかってアメリカに留学中なんだ」「なにそれ、すごい芸術家一家だったんだ」

案の定、河野さんは目を丸くした。「言葉だけ聞くとね。だけど、実際はそれだけでは食べていけなくて、母は音楽教室で講師をして、父は写真館で働いてて、姉はただアメリカの大学で遊んでるだけ」

「それでも、十分うらやましいよ」「うらやましい?」「うん。刺激的で楽しそうな家」「全然だよ」「どうして?」「その家族の中で、ぼくだけが普通なんだから」「普通って何かわかんないけど」

河野さんは香山と同じようなことを言った。「平凡でありきたりってこと。ぼくは勉強も運動も何時もちょうど真ん中でさ。両親は、やりたいことを仕事にしている自分たちの人生をすばらしいと思ってて、ぼくにも『勉強なんてどうでもいい、匠が好きなことを伸ばせばいい』って子供のころから言ってた。それなのに、ぼくは何にもできないまま大きくなってしまって」。

両親は勉強を強制することもなく、小さいころから、音楽や芸術に触れさせてくれた。自由な発想を大事にしていたから、家中に大きい紙を貼って絵を描かせてもらったこともある。・・・・・



梨木匠はできるだけ家族と離れたかったので神奈川の大学に入って独り暮らしを始めた。匠が中学三年の時、河野さんはいろんな事情から不登校になったのち、意を決して登校してみたが先生に促されても中々皆の中に入って席につくことが出来なかった。そんなとき匠は機転効かせて河野さんが気持ちよくみんなの中に入れるようにしてくれた。高校生になっても匠の機転により助けられた人は随分と居た。河野さんや仲間から匠はエスパーだとおもわれていた。

匠はそんな噂を耳にしながらもひょっとしてそんな才能があるのかも・・と思ってみたもののいざ自分の悩むことについては一向に解決の糸口すら見つからないでいた。でもこんどは河野さんに自分のことを聞いてもらうことによってその悩みも解決に向かいそうであった。


梨木匠は家族の皆と違って普通であることになにも見いだせないでいた。まあはたから見れば贅沢な話で言って見れば全てが平均のどこに不満があるの・・?って言ってやりたい。成績など平均であれば充分であろう・・と私のように及第点ギリギリで生き延びてきた人間は思う。

そう言えば私も82歳になってやっと日本人男子の平均寿命を超えることができました。これって平均以上にこれからも突き進んでいるってことだよね。オレにとってすごいことだと思う。


[No.624]  8月 10日


   新潮社「サンショウウオの四十九日」朝比奈秋
          2024年作・ 150 ページ 

・・・杏は少し下で新しい本に没頭している。五歳以降、杏と意識自体は繋がっていなくても、一つの体で思考も感情も感覚も共有し、それらが意識と意識の間に介在していた。

ただ、体を離れた今では私には何の感覚もない。心臓の鼓動すら感じない。死にかけているのではなく、すでに死んでいる。杏も昔からたびたび一人になりたがっていたから、よいことかもしれない。

死んでみてはじめてわかる。わたしは原因なく死んだ。人が死ぬのに必ずしも原因は必要ない。ただその時が来るだけで死ねる。身体が駄目になって死ぬ人も多いだろうがこんな体で生まれたからには、原因なしで死なないと片方だけ先に死ぬことはできない。

あんちゃん、あんちゃん。祖母のわたしを呼ぶ声が聞こえてくる。もうだいぶ前に亡くなった人間の声が聞こえるのだから私も立派な死者だ。

これが死なら、もうそれでかまわない。体がないから痛くもなく、心臓がないから恐怖もない。純然たる意識と明瞭な思考だけがある。

根のように全身に張りめぐらされたわたしが頭の天辺から離れていったのだから、感覚、つぎに感情が失われた。最後に頭の天辺近くにあるこの思考も失われる。意識だけが輪郭の際立ちを強めている。・・・・・



想えば父も数奇な運命でこの世に授かっていた。伯父である勝彦さんが誕生したあと異常な発育状況になり調べてみるとその伯父の胎内にまだ父が居た。つまり伯父と父は兄弟なのだ。

そんな伯父の胎内から生まれた父の子である私は五歳になった時、父母は説明のしようのない違和感を感じるようになった。永くは生きられないかもしれないと言われていた我が子。それは結合性双生児だったのだ。

私の名は瞬、五歳になって私の体の中に妹が同居していたことに気がつく。考えることも意識もそれぞれ別個、そして初めて出生届が出された妹の名は杏となった。・・・・・・


この作品は芥川賞作品。作者は作家であり医者、この作品の土台になっているのは医学的見地からの発想かあるいは事実性があるかは不明確です。一つの体の中にある二つの命・・数奇な関係。

この春、わたしは心臓手術をしました。人生80年もすると手術中の興味の先は臨死体験ができるかもしれない・・・。2時間以上もあった貴重な体験は何ひとつ思い出せない悔しさしか残らなかった。


[No.623]  7月 30日


   講談社「すみれ荘ファミリア」凪良ゆう
          2021年作・ 349 ページ 

・・・隼人はだるそうに味噌汁をすすった。「なのにインスタでは幸せマン装ってるのがせこいのよ。ほら見て」美寿々はスマートフォンを操作し、画面を見せてくれた。

活き活きとした仕事中の隼人や、大勢での打ち上げの写真が並んでいる。楽しさが爆発しているように見える。「これなに?」「写真を投稿できるSNS。和久井さん、インスタも知らないの?」

知っているが、実際の画面を見るのは初めてだ。しかし写真の隼人と、目の前の隼人には埋めがたいギャップがある。この差はなんだろうと考えていると、美寿々がふっと鼻で笑った。ああ、これはヤバいぞ。月経中の美寿々はいつもの十倍きつくなる。

「実情はよれよれの会社の奴隷のくせに、ぼくちゃん充実した毎日を送ってまーす的なキラキラ写真ばっか載せてさ。隼人くんて、ほんっとプライド高いよね。神田の蕎麦屋の写真は載せるのに、なんで和久井さんのオトン飯は載せないの?」

つまんないオトン飯ですみませんーーー和久井の肩は少し落ちた。「つうかインスタ映えの何が悪いんだよ。やたら上から目線で嗤うやついるけど、そんなん言い出したら化粧も服も根っこは一緒だろ。

裸で外に出るやつなんていないだろ。出るなら一応服や髪を整えるだろ。インスタ映えを嗤うやつって、結局は自分のコンプレックスの裏返しなんだよ。・・・・・」



和久井は体質が弱いため就職せずにこのすみれ荘の管理人の仕事をすることとした。母もそれがいいと決めたがこのアパートは朝晩の食事つきなので和久井がそれらを一切することになる。

今の住人は美寿々、青子、隼人の3人、和久井も歳が近いせいかアパートの住人も居心地がよいため。比較的長く住み着いている。こんなところに和久井が買い物の最中に青年と衝突してけがをさせてしまった。骨折の不自由さもあるので芥と称する作家志望の青年はここのアパートに入ってもらって回復するまで和久井が面倒を見ることになった。


このアパートでも隼人が美寿々にやり込められる場面もある。一件はたから見ると小競り合いに見えるだろうが単なる兄弟げんかみたいな感覚だろう。話題が変われば先ほどまでの言い争いはコロッとなる。

私も20代前半のころ食事つきではなかったもののいつもばあさんの部屋に集まって好き勝手な言い合いを楽しむ下宿仲間と暮らした覚えがある。女子大生ふたり、夜間高校生、カメラマン志望の青年、夜間美術学校に通う私。

凪良さんはこの穏やかなアパートに作家志望の芥なる人物を投入して波立たせる。さてどんな嵐があったりするのだろう。


[No.622]  7月 24日


   講談社「みとりねこ」有川ひろ
          2021年作・ 287 ページ 

・・・「どうしたんだね、一体」病院に行く時間を気にしながら促すと、宮脇は何かを思いつ決めた様子で切り出した。「先生、お子さんたちに奥さんのことを打ち明けてください」

ーーーいったい何を言いだすかと思えば!  子どもたちには妻が死病であることは話していない。上の長男でもまだ小学校六年生だし、長女はそれより四つも下だ。母が助からないと突きつけるのは忍びない。

子供たちに辛い思いをさせないように、最後の最後まで自分一人で背負う覚悟を決めていた。子供たちが知るのは、その時が訪れてからでいい。母親がもう助からない悲しみに苛ませながら見舞いに行かせたくない。

どうか最後の最後まで、母親との触れ合いが幸せな時間であるように。「差し出たことだ!」ほとんど反射のように突き放していた。「先生!」

よりにもよって宮脇が、この期に及んでこんな差し出口を。相手が宮脇だったからこそ怒りは奔騰した。自分の気持ちを一番わかってくれていると思っていた。

だからこそこれほど献身的に手伝ってくれていると思っていた。「人の家庭に口を出すのはやめてもらおう!」・・・・・



久保田は大学のゼミで宮脇を指導していた。とくに宮脇は他の学生以上に自分を理解し他の生徒の範とも思っていた。そんな時久保田の妻が不治の病に掛かり幼い子の面倒もゼミの宮脇が引き受けてくれていた。

そんな時宮脇は先生にそんな提案をしてこっぴどく叱られた。久保田はそれ以来宮脇とは絶縁しているうちに卒業して別れた。ゼミの学生仲間にそれとなく宮脇のことを聞くと、宮脇は小学生のころ両親を交通事故で亡くして両親との別れの言葉は言えなかった。ですからまだ久保田の妻が意識のあるうちに幼い子たちに別れの言葉くらいは‥と提案したことだったと分かった。


この本には猫のいる家族の情景がそれぞれ5編の短編からなっている。有川さんの猫の描写にはやはり実際に飼っていなければわからない猫の習性や特技に心が満たされる思いがする。

身内が不治の病になったときやはり一番傍にいる自分が何とか周囲との間を取り持ってあげなくてはいけない。わたしが妻を亡くした時、妻は万感すべてを静かにして世を去りたい‥との意志を私に伝えていた。

妻の友人知人の多くが妻に合わせろ・・と言ってきたとき私は一人でその責を背負う覚悟を決めていた。


[No.621]  7月 12日


   文春文庫「イサムよりよろしく」井上ひさし
          1972年作・ 258 ページ 

・・・ぼくの働いていたストリップ劇場は踊り子たちを専属させていた。踊り子にそのつもりがあり、劇場側にでもその踊り子を必要にして有用であると判断すれば、そこで契約が結ばれ、彼女たちは劇場にじっくりと腰を据え、しっかりと根を降ろして暮らすことになる。

劇場から劇場へ小屋から小屋へ短期間ずつ移動して歩く巡回制の踊り子たちの暮らしぶりには、根無草の生活者の持つ独特のわびしさやさびしさがあり、それが男たちの心を強く?き立てるのだが、専属性踊り子たちの暮らしぶりはひとつところに根を下ろしているせいかいたって健全で、新橋界隈の一流商社に勤める女事務員のそれとあまり大差がないのだった。・・・・・



浅草六区は映画館のある国際劇場周辺には多くのストリップ劇場があって当時の一大歓楽街であった。そこで踊り子と陰で働く大勢のスタッフ、そしてその踊り子たちの演技の幕間にはのちに活躍する喜劇者たちの苦しくも夢多き未来を目指す人々の姿があった。

この本には六篇の作品がありそれぞれに登場する主人公たるストリップ嬢とそのファンたちに共通する・・いわゆる笑いとペーソスが愛情込めて描かれている。

時代が時代なだけに今では使ってはいけない言葉が随所に使われていて読んでいても恥ずかしくなる表現も多くみられる。そしてそのころ私も浅草とはそう遠くない場所に時を同じくして生活していた懐かしさがあって都会に住む人情ある人々の生活を思い出す。


そういえば若いころ国際劇場の非常口の外に車を止めて置いたら駐車違反でレッカーされた。今では考えられないことですが私の初めての交通違反。ストリップ嬢はいわゆる見せすぎで厄介になった子も数多くいて、私も浅草警察にその時お世話になった思い出の地。(笑)


[No.620]  7月  7日


   講談社「亥子ころころ」西條奈加
          2019年作・ 315 ページ 

・・・ひとつ所で職を得て、家族を守り、様々なしがらみに縛られながらも深い関係を築いてゆく。それがまっとうな生き方だ。十六年もの間、治平衛はそこから外れ、勝手を通してきた。妻を亡くしてはじめて、この先は娘のために費やそうと決めたのだ。

それでも、この歳になってもなお、虫がうずくことがある。東風に乗って、花弁が舞い落ちるとき。晩夏に下町で、潮の香りを嗅いだとき。江戸の柿の色は、どこか薄いように感じられたとき。冬の空が、妙に狭く見えたときーーどうしようもなく、旅に恋い焦がれる気持ちがわき上がる。

知っているからこそ、雲平を止められない。無理を乞えば三年ほどは居てくれようが、あの小さな店に生涯縛り付けておくのは、鳥の翼を切るほどにむごい仕打ちだった。

「雲平にも、その気はねえさ。おまえさんの、鳥り越苦労さ」・・・・・



治兵衛は下級武家ではあったが菓子職人の道に進み妻子を持つ身ながらに地方の菓子職人を渡り歩いて修行に励んだ。そして江戸麹町に間口の狭いながらも菓子屋を営みそれなりに繁盛した。

治兵衛は妻亡きあと娘のお永は嫁いで孫娘のお君を授かっていたものの旦那の不倫で別れたのち治兵衛の家にいてくれた。お君も武家に上がり花嫁修業中であったものの破談となり身を寄せていた。

ひと時平穏に過ごしていたものの治兵衛は不運にも手の骨折という職人にとってはつらい出来事が起こった。どこからか腕のいい職人でも見つけて手伝ってでも‥と思っていた。そんな折、早朝に菓子屋の店先で旅の途中で行き倒れそうな職人を担ぎ上げて介抱した。まさに‥どうしたことか若くて腕のいい菓子職人の雲平と名乗る人物だった。


寛永年間、もうすっかり平和な社会の中で武家の暮らしも質素をもって家督を維持していく時代、庶民もそれなりに泰平の世を謳歌できた。街中で菓子屋が維持できる社会とは文化芸術にも目を向けられるほどに豊かな市民生活が伺える。

ささやかな菓子職人の一家ではあるが実情にはそれなりの波紋もある中で懸命に生きて行く。そんな描写が限りなくあふれた西條作品、直木賞作品「心淋し川」を読んでからもう3年ぶりの人情作品でした。



[No.619]  6月 29日


   講談社「サブマリン」伊坂幸太郎
          2019年作・ 363 ページ 

・・・「大変な感じって何だよ」「両親とも交通事故で亡くなっているんですよ」面接で、彼に投げかけるタイミングが分からなかった話題が、それだ。

四歳の時、家族で高速道路を走行中に前方の車が中央分離帯に衝突した。棚岡佑真の父は、恐らく事故を見過ごして先に行くことはできない性格だっただろう、車を止め、様子を窺いに行こうとしたがそこに後続車両が走ってきた。母親が慌てて父親を引き戻そうとしたところ、二人とも撥ねられたのだ。

その痛ましい事故のことを、僕はニュースで見た記憶があった。遠くのどこか、遠くの誰かのやり切れない事件として受け止め、そういった出来事はすでに十分すぎるほど世の中にあったから、特別の関心を払うわけでもなく、そのまま気に留めることはなかった。

車には一人息子が乗っていた、と言うニュースは伝えてくれていたはずだ。両親を突然失った彼がどういった人生を進んでいくのだろう。・・・・・



棚岡佑真は19歳なのだが無免許運転で車を運転していて歩道でランニング途中の男をはねて死なせてしまった。しかし彼は未成年であったし事の重大性もあったがとりあえずの処分として家庭裁判で判断することになった。

このような少年犯罪に対して近年急増する犯罪者の更生を目的とした家裁調査官により彼らの精神面、これからの更生への手がかりを付けようとこの件について主任の陣内と武藤が割り当てられた。

陣内はちょっと普通の調査官にはありえない破天荒なところもあったが武藤は彼の隠された優れた内面に尊敬の念も擁いていた。


陣内と武藤は事故を起こした少年について調べていくうちに相当に根の深いことに気がつく。4歳の時両親を交通事故で失っている。小学校3年生の時3人で登校中に歩道に乗り上げた車の事故により仲の良かった栄太郎を亡くしていること・・・。

世の中の犯罪には事件そのものもむごいものもあるがその根底には少年期の家庭を含め社会から大きく影響されて歪められてしまった人生のあることも見過ごしてはならない。



[No.618]  6月 23日


   小学館「処方箋のないクリニック」仙川 環
          2020年作・ 290 ページ 

・・・青島は首を横に振った。「そういう意味で、お子さんたちのため、と言ったわけなんです。あなたが検査を受けて緑内障だと判明したら、お子さんたちにはメリットがあります。なぜなら、緑内障の発症には、遺伝的な要因が関係するからです」

青島が何を言いたいのか分からなかった。遺伝する病気なら、メリットではなく、デメリットではないだろうか。父も首を傾けている。「よく分からん。俺が緑内障だったら、娘や息子にも遺伝するということか?」

「必ずしもそうではありません。緑内障の発症には、遺伝以外の要素も関係していますから。ただ、血縁者に患者がいる場合、本人も発症する確率が高いんです」

がんになりやすい体質みたいなものなのだろうか。父もそう理解したのかうなずいている。それを確認すると、青島は説明を続けた。・・・・・



青島家は多摩地域で総合病院をしている家柄だ。父親が倒れてからその後を経営に勝った弟に医院長を任せて兄はもっと患者に寄り添った相談医的な診療ができないかと提案していた。今日も高齢なのに度々小さな接触事故を起こす父を伴って息子はなんとか医者嫌いの父の相談を受けて運転をやめさせようと想っていた。

弟はそんな兄の考え方には真っ向反対し合理的な病院経営は軌道に乗って多摩地域のすぐれた総合病院としてランクインするほどにまでなってきた。


この本では6組のそれぞれの病状に対して患者の病院に対する不信感やそれを何とか真なる医学的見地から医療の必要悪と必要性を患者に理解してもらう努力を示している。

昨今、会社もそうですがお客様のために・・。病院も患者さんのために・・。と言う意識が弱くなり株主のため、病院理事会のため‥と言う色合いが多くなってきている。ことに医療では1分〜3分で診察を終えて十分な説明もないままに薬を処方して終わらせてしまう。

今の医療制度の欠陥を赤裸々に見出して問題視する貴重な視野であると感じる。でも医師不足、医療費負担、現在の問題点は極めようとすると溝が深まるばかりに思える。




   幻冬舎「潔 白」青木 俊
          2018年作・ 287 ページ 

・・・しかもその人物のDNA型が、三村と同じ集合だったという確率は、それこそ何万分の一です。この確率でダメだというのなら、そもそも科学捜査は成立しません。はい、精液の試料を使いきったことですね?

当然ながら、可能であれば残した方がよかった。アメリカでは確かに、再鑑定が可能なように試料を残しておくことが前提になっています。「科学的実験結果を犯罪の証拠とする以上、試料を保存して、誰がやっても同じ結果が出ることが証明できなければならない」そんなご意見も拝聴しました。

しかし、まず結果を出すことが肝心なのではないでしょうか? 慎重のうえにも慎重を期し、確実な結果が得られるまで何度でも実験を繰り返す、それは当然のことではないでしょうか。そのために、試料を全量消費してしまうことになったとしても、やむを得ないと思います。

逆に、試料を残すために十分な鑑定を行わないというのでは、本末転倒ではありませんか?・・・・・



27年前に小樽で起こった母子殺害容疑により三村被告は死刑の判決を受け本人の否認の中で死刑は執行された一件。当時幼少だった三村の娘が成人して父の免罪訴訟に立ち上がるというのを耳にして札幌検察庁は高瀬検事を東京に行かせて当時のDNA検定者に直にあって様子を聞きに行った。

調べていくうちに検察庁の組織的な隠ぺいとひた隠しにした経緯が次第に明らかになってきた。そしてついにはその弁護人から証拠として保管された資料の提出を求められるにいたっては「見つからない!」で押し通そうとする。更には最終審議の前には裁判長を交代させるという非道極まりないことで組織を守ろうとする。


この当時新規に採用されたDNA鑑定はまだ制度が悪くたとえばそれはビールであることは判るもののサッポロなのかキリンなのかと言うところまでの精度は無かった。しかも幾度やり直しても同じ結果も得られないという不確定さもあった。しかし結果を重視する検察庁はそれを盾に事件の解決を急いだ。

これまで多くの免罪訴訟の再審査の請求があっても棄却される体制が多い。それは裁判官も検事上層部もあと二、三年で定年退職し悠々自適を目前にして過去の再審理などぜひとも避けなくてはならない。

こんな欠陥だらけの組織に大きなメスを入れて中身の実態を暴いたと評価したい。「その証拠は隠せ!」と部下に命じる上級官僚の実態は国会答弁でもよく見ることができる。その軋轢に耐えきれず自らの命を絶つ下級官僚もいる、そんな中にも下級検事の高瀬は謀反をして事実を明らかにした。



[No.616]  6月 13日


   新潮社「成瀬は天下を取りに行く」宮島未奈
          2023年作・ 228 ページ 

「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」一学期の最終日である七月三十一日、下校中に成瀬がまた変なことを言い出した。いつだって成瀬は変だ。

十四年にわたる成瀬あかり史の大部分を間近で見てきたわたしが言うのだから間違いない。わたしは成瀬と同じマンションに生まれついた人、島崎みゆきである。市立あけび幼稚園に通ってる頃から、成瀬は他の園児と一線を画していた。

走るのは誰より速く、絵を描くのも歌を歌うのも上手で、ひらがなもカタカナも正確に書けた。誰もが「あかりちゃんはすごい」と持て囃した。本人はそれを鼻にかけることもなく飄々としていた。わたしは成瀬と同じマンションに住んでいることが誇らしかった。

しかし学年が上がるにつれ、成瀬はどんどん孤立していく。一人でなんでもできてしまうため、他人を寄せ付けないのだ。・・・・・



冒頭からいきなりこんな小説だった引用文に出くわしたのは初めてだ。だってこの二人はまだ中学二年生同士だよ・・、いや今の中学二年生の女子たちはこんな会話をいつもしているのだろうか。

主人公の成瀬の常に前向きな姿勢にはどこか男はつらいよの寅さん並みの明るさがあって好感が持てる。いつも新鮮で奇抜なアイデアを出し実践してみる。それは必ずしも成功はしない、しかしそれによって落ち込まないどころか次の冒険に向けてのエネルギーに変換してしまうところが私は気に入った。


中学生で漫才コンビを組むがコンビ名は「ゼゼカラ」、つまり地域に膳所(ぜぜ)と言う駅もあってことごとく地域カラーまる出しっていうのも好感が持てる。思わずgooglemapで地名を確認しながら読んでしまった。

まさか「ときめき商店街・・」だとかは架空だろうと思ったが実際にときめき坂がありそのそばには成瀬たちの通ったときめき小学校はさすがに平野小学校だったりしますが膳所高校も実在していて感激した。

ちなみに西部大津店は地図にもあって「閉店」と断ってあった、画像に切り替えてみると重機がうごめいた更地になっていた。



[No.615]  6月 10日


   講談社「P K」伊坂幸太郎
          2012年作・ 262 ページ 

・・・・「子供を救ったあのニュース、よく覚えています」運転手が興奮を浮かべた。「勇気ある行動だと思いました」大臣は首を傾け、天の位置を探すかのように上を見た。

実際にその場で見えるのは、車の天井に過ぎないのだが、大臣の脳裏にははっきりとその日、その瞬間に自分が目にしたものが過った。「今から思えば」大臣は半分、意識せずに洩らした。「試されていたのかもしれない」

「何を試されたんですか」秘書官がすぐに質問してきた。「たとえば」大臣は少し間を空け、考えた後で、「たとえば、勇気の量を」と言う。「勇気の量を?誰がどうやって試したというんですか」運転手は混乱していた。

「あれは事故だったのではないですか」「事故ではある。うまく言えないが」大臣はかぶりを振った。「ただ、人は時折、巨大な何かに、試される時がある。そう思うんだ」・・・・・



この小説は中編小説の3部からなっているがそれぞれは独立した小説であるにもかかわらず登場人物がダブって出てきたり実際のサッカーの試合とゲーム運びがちぐはぐだったりと不自然なそれぞれの作品です。


でも読んでいくうちにその不自然さが意外と必然性を帯びてくるから‥小説は妙なものなんだな・・とおもう。


PK・・ってサッカーを知る人もさほど知らない人でもそこに集積された場面の大きな意味は分かっています。そこには何万とも知れない観客が居てその結末に一喜一憂しますがことに国際試合ともなると一層のこと意義の大きさも違ってきます。

この作品を通して一個人の勇気の量。そしてそんな勇気は伝染する、ましてや臆病も伝染する。伊坂さんは東日本の大地震に伴っての原発事故、そしてワールドカップ・サッカーでの日本選手の活躍のなかに「個人の勇気」の根源を見ようとしたのかな。



[No.614]  6月  1日


   講談社「百助嘘八百物語」佐藤雅美
          2000年作・ 299 ページ 

・・・・「独り住まいなのか?」「ああ」百助と言う名の爺さんは、首を振って背中からせがむ。「布団を敷いてくれまへんか」隅に片付けられていた、汗くさいせんべい布団を敷いて寝かしつけた。

「それで、医者に診てもらった方がいいと思うのだが金はあるのか?」「おまへんねん」「薬を買う金もか?」「へえ」「一文もか?」「できたら,立て替えてもらえまへんやろうか」せがまれたところで、懐には波銭が十二、三枚と鳥目が五、六枚。あわせて六十文もない。

「おれもねえ」「大の男がようまあ金もなしに」「なにイ!」。どさくさ紛れになにをいいやがる。「お前だって持ってねえじゃねえか」「わてはまあたまたまで、金がないさけえ日雇い取りにでとる。あんさんは見たところ鳶の兄イ。そやのに金がないなんて」・・・・・



辰次は小さい頃から火消しにあこがれていて小頭の五兵衛の所に住み込みできていたがそう度々火事場があるわけでもなく開けても暮れても鳶の日雇いで働くしかなかった。そんな仲間の中に大阪弁を使う爺さんが組に入った。


昼休みが終わったとき爺さんは腹が痛くて動けないという。親方に断って爺さんの住んでいる長屋迄おんぶして運び込んだ。そしてこの爺さんからとてつもない大法螺を聞かされて迷った。


確かに百助と言う爺さんは賭け事については相当なペテン師だということが分かった。しかし辰次はその裏にある百助爺さんの相当な儲け話の方に興味があった。

不思議と百助の爺さんと辰次は馬が合って最後は大金を手にし、こぶ付ではあったが嫁さんまで迎えることができた。ばかばかしい中にもハッピーエンドの娯楽作品は楽しかった。



[No.613]  5月 20日


   講談社「スプートニクの恋人」村上春樹
          2001年作・ 359 ページ 

・・・・ぼくはこの小さなギリシャの島で、昨日初めて会ったばかりの美しい年上の女性と二人で朝食をとっている。この女性はすみれを愛している。しかし性欲を感じることはできない。

すみれはこの女性を愛し、しかも性欲を感じている。ぼくはすみれを愛し、性欲を感じている。すみれはぼくを好きではあるけれど、愛してはいないし、性欲を感じることもできない。

ぼくは別の匿名の女性に性欲を感じることはできる。しかし愛してはいない。とても入り組んでいる。まるで実存主義演劇の筋みたいだ。すべてのものごとはそこで行きどまりになっていて、誰もどこにも行けない。・・・・・



前回読んだ小説の主人公は50人近くいて登場人物の名前はもちろんその素性までメモしておかないと前後の経緯が判然としなくて実に参った。しかしこの小説は主人公がまさに三人しかいない。


それゆえにそれぞれの個性の心情に迫る比重が数十倍もの厚みをもって読者に迫ってきます。

最後はそれぞれが空中分解して終わっても良かった・・のに最終章で・・再会できた?と思わせる数行は無かった方がイイ!。


村上春樹さんの小説を読むのはこれで3回目かもしれません、初めて私は彼の小説になじめそうな気がしてきました。



[No.612]  5月 10日


   朝日新聞「存在のすべてを」塩田武士
          2022年作・ 605 ページ 

・・・・門田は先日、仲のいい販売店の店主と居酒屋へ行った。そこで言われたことが頭の片隅に引っ掛かっている。「孫に『新聞って特別扱いする価値あんの?』って言われたんですけど‥」

焼酎のロックグラスを片手に持つ店主から「こういう時、何て答えればいいんですか?」と聞かれた門田は、言葉に詰まってしまった。思想の左右に社会的地位の上下。ネット社会以前の価値観が揺らぐ中、多くの新聞人は自らの存在意義にまだ無自覚だ。

社会を揺るがす個の訴えが波紋を広げたとき、敢えて報じなかったことに対する批判には真摯に耳を傾けるべきだ。しかし、そんな一部の芯のある告発と暇つぶしや承認欲求、私欲にまみれた虚報を」ネット」という大きな袋に入れてしまう危険性にも目を瞑ってはならない。・・・・・



この作品は、少児・・しかも連続誘拐事件が発生した。警視庁と全国ネットの県警捜査網の連携にもかかわらず未解決・時効となってしまった。報道各社は人命にかかわる事件の場合の報道規制と独自の捜査。そして本題の誘拐事件の加害者側、被害者側それぞれの当事者の事情。大きな3本の柱から構成された大スぺクタルドラマ・・・と言う図式から成り立っているようです。


被害者の少児は二人とも無事保護され一見落着。そして4歳だった子どもは既に30歳の青年画家となって人生を歩んでいる。・・つまりその30年近い年月の間には捜査官、新聞記者それぞれの人生があり代替わりもしている。どの柱に重点を置いても意義深く検証すべき事柄ではないかと感じた。

ですから登場人物でさえ私が傍らに置くメモ紙上でも43人に上り‥実際には50人以上がそれぞれの場面で一個人として活動した痕跡が記録される。


私は報道の新聞屋さんの葛藤に興味を持った。今のネット社会では瞬時に世の出来事は拡散する。言ってみれば嘘も誠もタレ流し状態です。だから敢えて私は新聞を購読している。現代の目まぐるしい情報交錯の世にあってもはやニュース性としては不十分なメディアではあるがこの新聞屋の魂は「足で稼いで真実を伝えるんだ・・」という気概を大切に考えたい。



[No.611]  4月 25日


   文芸春秋「太陽の棘」原田マハ
          2016年作・ 281 ページ 

・・・・ついに、沖縄人の手による、沖縄人画家の展覧会が開催される。画期的な出来事だった。「沖縄タイムス」は、六月から活字印刷になり、規格化の住民たちのもとにも毎朝、新聞が届くようになった。

その紙面に「第一回沖縄開催決定」の文字が躍った。まるで待ちに待ったハリウッド映画がようやく見られるみたいに、誰も彼もが心底楽しみにしているんだーーーと、タイラが興奮気味に教えてくれた。

興奮していたのは、タイラばかりではない。シマブクロも、ナカムラも、ガナハも、ナカザトもーーーニシムイの芸術家たちは、全員、大変な騒ぎだった。

ニシムイ美術村ができてから一年余り、将校相手に肖像画や風景画をこつこつと売り、クリスマス・カードを制作して・糊口をしのいできた。・・・・・



エドワード・ウィルソンは子供のころから絵が好きで見るのも描くのも大変興味を持っていた。しかし素直で純真な彼はうまい具合に父親にコントロールされていつの間にか医科大学の学生になっていた。

  大学院に進み将来は精神科医として活動しようと勉学に励んでいた時戦争が始まっていた。そして軍医として終戦の沖縄に赴任することが決まった。しかし焦土と化した沖縄の山中に絵を描く集団を発見した。


まだアメリカの占領地だった沖縄で米兵の規律として現地の者と親密な関係になることは許されなかった。エドワードとてその軍規に従うべきではあったがその集団と心を通わせることができてしまった。

まさに話す言葉は分からなくてもその意思を十分に読み取ることはたやすかった。彼は結局軍規違反の末本国に強制送還されてしまうが沖縄の画家たちとは遠く離れても心はひとつだった。



[No.610]  4月 21日


   水鈴社「スピノザの診察室」夏川草介
          2023年作・ 292 ページ 

・・・・「浮腫んでいるね」哲郎の声に、看護師が首を傾げた。「そうですか?そんなに変じゃないように見えますけど」「見た目は変じゃないが、もともと脛に骨が浮いているくらいの?せた足の方だよ」

普通に見えることが、この患者の場合は普通ではない。高齢者の診療ではよくあることだ。「おそらく心不全だろう。とりあえずレントゲンと心電図を確認しよう。それからフロセミド0.5アンプルを準備して」

淡々とした哲郎の指示に、看護師は素早く駆け出していった。「食べた方がええかねぇ、先生」「いや、無理しなくてもいいでしょう、きくえさん。人間、食べたくない日だってあります。ただ、おじいちゃんのお迎えはまだかな」

「そら残念や。先生は、こんなおばあちゃんにも、まだまだいろんな治療をするんか?」「動ける人には、それなりに力を尽くすというのが私の方針です」「動けんようになったら?」「そのときは」わずかに考えてから、哲郎は笑った。「静かにおじいちゃんを待ちますか」・・・・・



天下の洛都大学の優秀な医師だった雄町哲郎だったが妹を亡くしてしかもその子、中学生だった龍之介を引き取ることを決めた。そのためには大学の医局を辞めて町の医院に努める必要があった。

  大学病院と町医者では当然診る患者の質は圧倒的な違いがある。町医者としてはまず高齢者がそのほとんどを占めそして看取ることまでを司らねばならないということだ。哲郎はこの町の医院で多くのことをさらに学ぶ。 ・・・。


題名になる「スピノザ・・」ってなんだ?、と調べてみると1600年ころのオランダの哲学者の著による精神論。雄町哲郎は最先端技術を持つ大学病院の中で科学によって人間の病気などの悩みを解決できると信じてきた。

しかし市井の小さな病院にいて日ごろのおじいさん、おばあさんと接してみると・・・いやいや、医療で何でも治せると思っていたものなんてないに等しい。それではお祈りすればいいのか・・?、最先端技術を持つお医者さんの苦悩は続く。



[No.609]  4月 12日


   光文社「リカバリー・カバヒコ」青山美智子
          2023年作・ 200 ページ 

・・・・サンライズクリーニングのおばあさんが言ってたみたいに、ぼくらは生まれてからまだ十年しか経っていなくて、知らないことばっかりで、これからたくさんたくさん、いろんなことに出会って、いろんな気持を味わっていくのかもしれない。

何が好きで、何が苦手で、何が楽しくて、何がつらいのか、試しながら覚えていくんだ。誰かの目を気にして、カッコ悪い自分を見せないように、笑われないようにって縮こまっていたらきっと、それがどんなことなのかわからなくなってしまうだろう。

だから、ぼくがぼくを決めていく。これからもひとつずつ。・・・・・



栃木と東京を行き来していたお父さんの本社勤務が決まったときもうこのまま東京に腰を落ち着けようということになり「勇哉、転向することになるけどいい?」と母親に聞かれたとき勇哉は別に・・とそっけなかった。

  そして5階建てのアドバンス・ヒルと言うマンションに越してきた。勇哉は学校に行ったところこの学校の行事で全校クラス別リレー対抗があってクラスから3人出ることになっている、ふたりは決まっているが残りはくじ引きで決めると先生が告げた。勇哉はくじに当たってはいけないとシップを張ってびっこを敷いて学校に行ってくじは出来ないと申告して逃れた。しかしその日の夕方から別の足が急に痛み出した。

このマンションのすぐそばに公園があって古ぼけたカバの置物があって「このカバの具合の悪いところを触ると治っちゃう・・」とクリーニング屋のおばあさんに聞き・・・。


このマンションの1階から5階に住む住人それぞれの悩みをカバヒコとクリーニングのおばあさんは見守ってきた。

本屋大賞にノミネートされたというこの本、現代社会の人々がそれぞれにひそやかな悩める病を晴らしたい・・そんな希望でもあるのかな。



[No.608]  3月 26日


   講談社「星を編む」凪良ゆう
          2023年作・ 336 ページ 

・・・・いまだって校了明けのへろへろの状態で愛媛に飛んできて宣伝に励み、明日はテレビの収録を終えたら、すぐ東京に戻って会議に出る。

二階堂さんも似たようなものだろう。四十も越せばいろんなことが落ち着くと思っていたけれど、現実は物語のように章立てなどされず、打ち寄せる波のように区切りもなく続いていく。

「櫂くん、わたしたちのこと見て笑ってるかもね」後ろに両手を突いて、二階堂さんが砂浜にサンダルの足を投げ出した。「かもね」−−−二人とも、そろそろ楽してもええんやで。

そう言って笑う櫂くんが目に浮かぶ。ーーーでも櫂くん、ぼくも二階堂さんも、大変なのは嫌いじゃないんだよ。ただひとりの恋人に、ただひとつの星のような物語を遺し、すべての悩みから解き放たれた櫂くんが少し羨ましい。

櫂くんと尚人くんはもういないけれど、ふたりが遺した作品にはいつでも会える。そこには埜櫂と久住尚人と言う人間の魂が宿っている。どれだけ近くに寄り添って物語を共に作ろうと、ぼくたちは星にはなれない。けれどぼくたちは光り輝くそれを愛して、編んで、物語を必要としている人たちへとつなげることができる。ぼくたちは、ぼくたちの仕事に誇りを持っている。・・・・・



この作品は「春に翔ぶ」「星を編む」「波を渡る」の三部からなっていて。北原草介と言う男が家庭の財政状況の悪い中苦学し大学では院まで進んで研究者としての道を進みながらも中退して高校の教師となる。

  しかし生徒を守るために教師を辞め妊娠した子供を自分の子として育てる、住む場所は瀬戸内海に浮かぶ島。島にはいろんな人が移り住むその中に造船所に働く男を追ってついてきた女の子、埜櫂がいて高校生になると特異な創作の芽が出て人気作家になる。そして彼女ができるものの夭折した櫂と一緒になれなかった暁海は島で教師をしていた北原草介と同居する。

一方東京の出版社では若くしてその才能を認められながらも夭折した埜櫂の作品をもう一度世に出そうという動きも出てきた。


こんな作品ってあっただろうか。読んでいるうちに以前読んだ作品とリンクしていることが頭から離れない。…何の本だったんだろう・・、途中で辞めてその本を探した。凪良ゆうの作品だろうと思ったが昨年に読んだ「汝、星のごとく」(No.576)だった。この作品を書く過程でかかわりあった登場人物のそれぞれの生きざまも書いてみたかったというのが作者の弁。



[No.607]  3月 26日


   毎日新聞「水車小屋のネネ」津村記久子
          2023年作・ 650 ページ 

・・・・その場にいる人たちは親しい間柄の人もいればそうじゃない人同士もいたけれども、おおむね楽しそうに話したり、律と同じように静かに座っていたりした。

しばらくの間、自分という人間がおらず、何もしなくていいように感じることを気分良く思いながら、律は去っていった守さんや杉子さんや、この場にいない藤沢先生のことを思い出していた。

彼らもその場にいるような気がした。誰かが誰かの心に生きているというありふれた物言いを実感した。むしろ彼らや、ここにいる人たちの良心の集合こそが自分なのだとという気がした。

律はプリンを食べながら、背中側の壁にかかった杉子さんの絵を見上げた。最後に描いた、菜の花とそれにつかまるてんとう虫が前景に描かれた、菜の花畑の絵だった。何か言葉を思いつくことは無かった。

ただ、満足だと思った。・・・・・


姉の山下理佐は高校を卒業して短大へ行く予定だったその短大からまだ入学金が収められていませんが・・と電話を受けた時わかった、母親が新しい男の事業の資金に使いこんでしまったことを。

  その新しい男というのは妹のまだ小学3年生の律にひどいことを平気でしてしかも、母親はそのことに男をとがめることも出来ずにいるしょうもない体たらくだった。

理佐は妹の律をつれて離れた山間部の蕎麦屋さんの求人広告に誘われて住み込みで働くことにした。蕎麦屋さんの自家製のそばは前日に水車で引いた粉を提供していて味香り共に評判のお店だった。

その水車小屋には先代のお爺さんのときから飼われていたインコ・・に似たヨウムがいてその名を「ネネ」といった。その鳥はとても賢くお話もするし水車の石臼にソバの実を継ぎ足すときソバが減ってくると監視していて「・・からっぽ、だよ!」と教えてくれるので石臼を空運転で壊さない役目もしてくれていた。そして長い月日が流れて30年のあいだにはいろんなことが起こった・・。


30年の間に理佐と律・・ネネの周りの人たちは大きく変わったが唯一ここに集まり離れていった人たちは皆一様に人に対する思い遣りと優しさに包まれた人たちばかりだった。そんな人たちに囲まれてきたおかげで今の自分ができているのかな・・と律が感謝しながら日々を送る。・・・そう、わたし自身もそんな気持ちで過ごしている。



[No.606]  3月 20日


   幻冬舎「ゴッホのあしあと」原田マハ
          2020年作・ 193 ページ 

・・・・「あれ? ゴッホって、全然セーヌ川、描いてないな」って。他の印象派、後期印象派の画家たちの多くはセーヌ川を描いています。パリと言えばセーヌ川。セーヌ川の流れる中心部は景色が美しく、ポン=ヌフの橋などを描けば、パリらしい絵になるからです。

しかし、ゴッホは、私の知る限りでは、パリ中央を流れるセーヌ川を描いていません。描いていても、わざわざ支流に行って、洗濯する人がいたり、馬車がのんびり通っていたり、田舎ののどかな風景です。

パリ市内を描くにしても、当時は畑の広がるモンマルトルの風車小屋、場末のカフェやムーランルージュなど、田舎臭い光景ばかり。折角パリに住んでいるのに、美しいセーヌ川や、街中の大通りなど、華やかなパリの風景はほとんど描いていないのです。

パリという、絶世の美女の眼をまともに見られない。彼女がまぶしすぎて正視できないから、彼女の横顔や指先、後ろ姿ばかりを描いている。

ゴッホに比べると、ルソーははるかに大胆で、セーヌ川に、エッフェル塔。バカにされてもへっちゃら。直球で描いています。きっと、「おお、セーヌ、美しい!一番美しい君を描くよ」などといいながら。「アンタなんかあっち行ってよ!」といわれても全然気にしない。それがルソーの良いところです。

ゴッホは生真面目すぎて、パリと言う世界の中心に受け入れられない劣等感に苛まれていたと思います。最後まで彼はパリのアウトサイダーでした。でも本当は、正面切ってセーヌを描きたかったのです。・・・・・


原田マハさんの作品にまた巡り合いました。原田さんは幼少のころから絵を描いたり見たりすることが好きだった・・と書いていますがほかの作家に比べてゴッホの作品は怖さが先だってしまって絵を見て楽しめなかった・・と述懐しています。

  わたしもほぼそんな感じを幼少のころから抱いていました。それだけ自分の内面を深く掘り進む作品に凄さを感じたのだと思います。

晩年の作品に夜空の星を描いた作品を原田さんが表紙の絵に使いたい・・と言った時編集者さんが「この星の流れはセーヌ川・・じゃない?」。その時なぜか私の気持ちは張り裂けそうになりました。ゴッホのパリにあこがれた気持ちをこれほど代弁した言葉は見つかりません。


奇しくもゴッホと弟の手紙のやり取りはテオの妻と息子によって後世に伝えられましたがゴッホの文学者としての才能も見逃すことはできないでしょう。


[No.605]  3月 20日


   角川文庫「 遺品」若竹七海
          1999年作・ 368 ページ 

・・・・「祖父さんが曾根繭子のパトロンだったとは言ったよな。繭子の母親が祖父さんのまた従姉妹にあたるとかで、祖父さんはそれが縁で繭子の後ろ盾になったわけだ。

もともと祖父さんは独学で英語とドイツ語を身につけたという男で、作家や俳優目指して挫折している分、文化人ってもんにコンプレックスがあったらしい。

当代きっての才媛のパトロンになって得意満面だったんだが、逆に繭子の方にしてみれば、パトロンがいるなんてことはあんまり表沙汰にはしたくない。

祖父さんにもそれがわかるから、自慢したいのをぐっとこらえる。その結果、どういうことになったかというと―――」

孝雄は思わせぶりに言葉を切った。私は不承不承尋ね返した。「どうなったんです?」「祖父さんは曽根繭子の熱烈なコレクターになったんだ」「コレクター?」

生原稿やら写真やら、映画や台本、衣装、そんなものを金とパトロンの地位にものを言わせて集めまくったのさ。繭子が失踪し、自殺したらしいとなった時、祖父さんは集めた資料を銀鱗莊の一室に移して封印しちまった。・・・」



わたしは葉崎市立美術館の学芸員として勤務していた。元々この美術館は地元の名士だった旧家の寄贈された絵の始末に困った果てに政治家が、美術館を建ててそこに押し込んでしまおうと画策したものだった。

  学芸員としての私も各種企画を立て市民のためになる企画を考えていた矢先、市長選挙に革新系市長が当選してから風向きが変わってしまった。

美術館は閉鎖し私は廃品回収の業務に配置転換され即辞表を出して止めてしまった。そこに新たな話として俳優であり作家であった曽根繭子の遺品を系統だてて整理してくれないか・・。


ストーリーとしては大まか私の推理したように進んだが作者はこの作品にオカルト性を込めもっとミステリアンにしようとしたところから私的には作品としての無理・・を感じてしまった。




[No.604]  3月  6日


   講談社「 密 会」吉村 昭
          1971年作・ 313 ページ 

・・・・圭吾が羽田の国際空港を夜の散策の場所の一つとして選んでいるのも、活気のある空港の夜景を楽しむというよりは、子供連れの姿を目にしたいという潜在意識があるためなのかもしれない。

夜間に、子供の姿を多く見ることができる場所は、この都会でもごく限られたところしかないのだ。圭吾は、ロビーの椅子に座って送迎客の動きをあれこれと眼で追いながら時間を過ごすと、チェッカーに硬貨を刺しこんで送迎デッキに出る。

そして、人々にまじって色光の散った空港とその中を昆虫のように発着する航空機の姿を、子供のような眼で飽きることなく見続けるのだ。

その夜も彼は、デッキの真下ですでに乗客を吸い込んだ北極回りヨーロッパ行きジェット旅客機を見下ろしていた。発射準備が完全に整えられたのか、突然エンジンが全開して、煙をまじえた噴射ガスがデッキに凄まじい勢いで吹き付けてきた。

彼は、口をおおうとその風を避けるためにデッキの先端のほうへ小走りに歩いたが、なに気なく振り向くと、不意の風圧に戸惑ってしまったのか顔を覆って立ちすくんでいる一人の女の姿が目にとまった。

彼の足は、自然とその女の傍らに走り寄ると、スプリングコートをはためかせている女の肩に手を当ててデッキの先の方へ連れて行った。・・・



圭吾は化学繊維会社の総務課長補佐、地味な職場ではあったが会社員としての不満はない。しかし妻はお針子を十名近くも抱えて手広く洋裁店を経営していた。

  しかもその収入は敬語のそれを上回り肩身の狭い思いをしていた。それに輪をかけて子供好きの圭吾の意志とは裏腹に小づくりをためらうようになってきた。

そして圭吾は子供の良く見れる空港を訪れるようになっていた。


いわゆる専業主婦にあきたらずその領域を広めていく・・そんな家庭も時としてあるでしょう。そこにはお互いの間でここまでは・・と言う了解のうちで進められるべきではないでしょうか。

圭吾の場合そんな寂しさから空港の散歩、そして見知らぬ女との密会・・・とよりどころを求めてしまう。・・


[No.603]  2月 20日


   中央公論「 黄色い家」川上未映子
          2023年作・ 641 ページ 

・・・・私は黙ったまま何も言えなかったけれど、蘭の言葉に、じいんとしていた。音が聞こえるくらい、じいんとしていた。

たしかに自分はこれまで何度もひどい目に遭ったと思うし、今だって焦りや不安を誰とも共有できない淋しさや、やりきれなさのようなものを感じることがあった。

でも、ちゃんと見ててくれたんだなと思った。わたしの苦労と言うか、そういうのをちゃんとわかって、見ててくれてるんだなとそう思った。蘭だけじゃない。

黄美子さんもおなじように見てくれていたんだ。そう思うとさらに胸は高鳴り、まぶたの周りが熱くなった。

「そんなふうに言ってくれて、嬉しいよ」「うん。でも、べつに花ちゃんを喜ばすために言ったんじゃないよ、ほんとに思っていることを言ったんだよ」

蘭は笑った。「でも、嬉しいって言ってくれて嬉しいよ」・・・・



伊藤花はもう中学生ころになると母親が家に帰ってくることも少なくなり・・いつの間にか気が付くと知らないオバサンが隣に寝ていて‥でも母のパジャマを着ているし。

  吉川黄美子という母の勤めていたスナックの同僚が泊まりに来て居たり‥でもなぜか黄美子には親しみを感じていた。母は時々男友達を変えたりしたが花が高校生になってアルバイトで得てためていたお金をその男に盗られた。

それを機会に花は黄美子を頼って家を出る。縁があってスナックを始めそして同年代の友人二人と4人で奇妙な暮らしを始めた。しかしそのスナックは同居ビル内の失火がもとで失ってしまう。


黄美子の繋がりには所謂大きな裏金を操作するグループがあってそこの手伝いをすることによって生活費をしていたが花たちの目標はあくまでスナックを再建する資金を稼ぎたかった。

しかし未成年で身元も知れない自分たちにそんな再建案は夢物語だと気づき仲間割れとなる。・・


[No.602]  2月 14日


   角川文庫「ムーンライト・イン」中島京子
          2021年作・ 359 ページ 

・・・お返事を、なかなか差し上げずにいたことを、どうか許してください。妹が今朝、天国への橋を渡りました。ご存じのように、もともと体が弱かったのですが、その割には長いこといっしょにいてくれました。

死因は肺炎です。誤嚥性のものではないかということでしたが、少し前に風邪を引いていたので、それが治りきっていなかったのかもしれません。私は一人になりました。

私が何を考えているか、貴女なら分かってくださるでしょうか。もちろん、あまりにばかばかしいとお思いになり、一笑に付してお忘れになるということでしたら、私も貴女の判断に従います。長い時が流れましたから。妹はいい季節に逝きました。

ご存じのように、毎年、私がお送りしている薔薇は、この家で咲くものです。妹と二人で丹精込めて育てていたものが、庭の一角を覆いつくすようになりました。

秋と春と、二回、美しく咲いてくれるのですが、妹が旅立った今朝になって、固く閉じていた蕾がいっせいに咲き始めました。まるで、誰かが指揮棒を振って合図したかのようです。・・・・



中林虹之介さんはまだ信用金庫に努めていてバリバリの銀行マンだった時、お客さんの新藤かおるさんという美しい人に出会った。しかしかおるさんは既に人妻だったことを知り落胆した思い出があった。

  その後、虹之介は病気がちな妹のためを思いサラリーマンを辞めて空気の綺麗な高原の街でペンションを始めた。そしてかおるさんのご家族も何度か来てくれるほどにまでなり親しくお付き合いをしていた。

もうどれくらいの年月が過ぎたのでしょう、すっかり手紙だけのお付き合いになってしまい・・ペンションもやめて・・。そんな時ふとお互いの手紙に・・「私は一人になりました。」が発端だったかな。


もうとっくの昔に還暦を過ぎた人・・・わたしもですが、むかしの善かった人が、一人でいる‥と聞くと枯れかけたトキメキに油を注ぐことも考えられないではない。しかしそのまま燃えるようなことは決してない。

人生のすべての味を知り尽くせばするほどそんな想いが通用しないことをお互いが理解しあう。それが分別ある人生の営みでしょうか・・


[No.601]  1月 30日


   双葉社「変な絵」雨 穴
          2022年作・ 290 ページ 

・・・その部屋の住人、佐々木修平は21歳の大学生だ。普段ならば終活の筆記試験対策や、履歴書の作成に追われているのだが、今日は珍しく、パソコンの画面に見入っている。

「これか‥‥栗原が言ってたブログは…」独り言が漏れる。『栗原』とは、佐々木が所属しているオカルトサークルの後輩だ。今日の午後、大学の食堂でばったり会い、一緒に食事することになった。

ここ最近は終活が忙しく、めったにサークルに顔を出せていなかった佐々木は、後輩との久々の会話を懐かしい気持ちで楽しんだ。お互いの近況報告、サークルの合宿の計画などを一通り話し終えると、当然ながら話題は、共通の趣味であるオカルト方面へ流れていった。

「佐々木さん。最近、情報収集のほうはやってます?」栗原が神妙な顔で言う。『情報収集』とは、言ってしまえば『オカルト系の作品を見たり読んだりする』という意味だ。「いや、時間がなくて全然だな。映画も本もネットも見れていない」「じゃあ、いいの教えてあげますよ。実はこの前、変なブログを見つけたんです」「ブログ?どんなの?」

「『七篠レン心の日記』っていう、一見、普通のブログなんですけど、なんか不気味っていうか‥‥色々おかしいんです。怖さは保証しますから、ぜひ読んでみてください」・・・・



私はシマッタ!。そもそもテレビもそうだがオカルト作品だとかっていうものには全く興味がない・・というか臆病なのかもしれない。そのくせ真っ暗な山の中で一人で寝ていても怖いとか思ったこともないから鈍感なのかもしれない。

  私も絵描きのはしくれです。題名にも変な絵・・と書いてある。変な絵はたくさん見たし私自身いわゆる変な絵も描いてきた。この本の変な絵って何なの?・・で恐る恐る読み終えてしまった。

どうやら絵の中に作者の伝えたかった心理学的な解析・・とこの作家さんのオカルト的感覚で文学的作品にしようとひねくりあてつけて作り上げた作品・・と解釈する。当然殺人事件も絡むのだがそのアリバイは真の迷宮入り殺人者にでもなってみない限りは作品としても成功しない。

ブロックごとの殺人事件を一連の人生の繋がりで結んだとき偶然性に頼った時、それは作品は未熟な失敗作と見える。オカルト作品にはそう言った落とし穴があってオレみたいなへそ曲がりに読ませると「なんだ、結局つまらん!」



[No.600]  1月 26日


   集英社「地図と拳」小川 哲
          2022年作・ 805 ページ 

・・・未来を予測することは、過去を知ることの鏡なのではないか、石本はそんなことを考えた。支那事変の原因は満州にある。満州は日露戦争で手に入れたほとんど唯一の戦果だった。

つまり日露戦争で犠牲になった十万の英霊が支那事変に取り憑いている。日露戦争の原因は日清戦争による朝鮮の独立と義和団の乱によるロシアの進軍であり、その原因は天津条約にある。

一つの戦争や事変がその後の戦争や事変の引き金となり、そうやって歴史は連綿と続いていく。むろん支那事変も、未来に広がった様々な可能性の原因の一つとなるだろう。

過去と未来は対立する二つの概念ではなく、現在という親から生まれた双子のようなものなのだ。では支那事変によって、何が引き起こされるだろうか。

支那は徹底抗戦の道を選んだ。日本はもう、引き返せないところまで来てしまった。支那はドイツに続き、ソ連に助けを求めるだろう。そうなると日本とソ連の対立はより根が深いものになる。日ソ間の直接的な武力衝突を待たずとも、代理戦争が始まるのだ。・・・・



今年初めて読んだ小説、しかも奇しくも私にとっては一つの通過点としての読書。600作品目に巡り合った昨年度の直木賞作品は壮大な超長編作品でありました。

  日本は今でこそ民主主義国家として憚りもなくまだその域に達していない国々の政策を揶揄することもしていて恥ずかしい思いをするほどにまだ幼稚なのです。

この作品は私が生まれた時の環境は日本が軍国主義として世界から恐れられている・・と錯覚しながらもその道をまっしぐらに進んでしまった反省点が込められています。


20世紀の初めから私の物心のつく太平洋戦争の終わりまでに日本はアジア諸国で何を考えどんなことをしてきてしまったのか。小川哲さんは140冊以上の膨大な資料に基づいて足掛け4年の歳月を要して掘り起こされました。

小説の域を超えた小説・・・。わたしのルーツを知った思いになりました。




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