スタッフ
お元気ですか、これから、健康に良さそうな、おもしろい話を治療室だよりとして、皆さんにお出ししていきたいと思います。ご意見ご感想をお聞かせください。
最初は三里の灸の話です。
昔から足の三里の灸は、不老長寿の灸、健脚の灸等と言われてきました。三里の灸を推奨した医師、原志免太郎博士は、100歳を超えて元気に仕事をなさっていました。(享年108歳)
三里の灸は、消化器疾患、神経痛、ひざの痛み、半身不随、冷えのぼせ、ノイローゼ、風邪の予防、疲労回復などに効果があります。
最近は三里の灸は、副交感神経を刺激し、免疫力を向上させて,がん治療などにも良い影響を与えそうだといわれています。長寿の灸と言われるのはこのへんかも知れませんね。
三里の灸は,毎日七壮ずつ据えますが、月の始めの八日灸というのもあります。自宅で据えて結構ですが、つぼのとりにくい場所なので、始めは治療院で覚えてください。足の三里の位置は、ひざの下に指を4本並べたぐらいのところで、けい骨という骨の外側2センチ位の押して痛いところに取ります。ここは足が疲れた時などにもんで気持ちのいいところですし,お腹の調子も良くなります。(H.15.4月)
天地殺獅フ気ー寒邪
殺氏iさつれい)【厳しい、荒々しい】という気ー寒邪(冷え)は、症状は風邪と似ていますが、汗が出ないのと、症状が激しいと言う特徴があります。
現代人の80%が冷えていると言われています。
冷えの原因は、薄着、冷房、食べ過ぎ、飲みすぎ。最近気になるのは、水の取りすぎでしょう。巷では、血液をさらさらにする為に、水を飲めと言います。水を飲んで本当に血液がさらさらになるのでしょうか?
水分を取りすぎると、身体は冷えてしまいます。基礎体温を測って36.5℃なければ冷えです。36.5℃以上無ければ免疫力が低下しています。水分を控えて体温を上げましょう。
50歳未満で、小便の回数が、男性なら1日4回、女性なら1日3回が目安です。色はビール色が理想です。
当院では、冷え取り療法を行っています。夜間頻尿、足腰の冷え、便秘、生理痛、花粉症、不妊症、リューマチなどが緩和されます。 (平成15年7月)
万病の元ー風邪
風邪は皮毛を犯す。これを感冒といいます。これが更に深く入って内臓を犯すと、あたる(中る、中風)といいます。昔の人は脳卒中を、風邪が内臓を冒したと考えたのです。
熊本県の菊池養生園の竹熊医師は「にわとり裸足で風邪ひかぬ。」つまり、鶏は夜更かしをしない、食べ過ぎないので風邪をひかないとおっしゃっています。
中風も現代は動脈硬化だ血圧だといいますが、若い人の卒中は過労が原因のようです。つまり、昔の人の言うように、風邪に中ったと考えて良さそうです
では風邪をひかないようにするにはどうしたらよいでしょうか。まず、疲労を残さない。食べ過ぎない。ストレスをためないということになります。
では不幸にも風邪をひいたらどうしましょう。
簡単に言うと、二日間食べずに寝ていれば治ります。食事は内臓に負担をかけますし、薬ももっと負担になります。風邪に効く薬などありませんから飲まないことです。風邪のひき始めだけ葛根湯でしょうか?
お灸もひき始めには良く効きます。首を前に倒して、首の付け根のところに一番とびだした頚椎の下の凹みを大椎といいます。このつぼに30〜50壮のお灸を据えると一晩で治ってしまう事もしばしばあります。
大椎というつぼは、解熱、扁桃(免疫)強化、咳、鼻水などに良く効きます。風邪をひいたかなと思ったらお灸をしに来ませんか。 (平成15年12月)
医は食にあり
医は食にあり、食は土にありと言われます。食事によって、病気にもなり、また治療にもなるのです.そして環境を抜きに食を語ることはできません。レイチェル,カースンの「沈黙の春」が環境汚染を強烈に批判してから30年近く経とうとしていますがいまだに農薬は撒き放題、消費者の目をかわすような,「減農薬」などと訳のわからない表示が大手を振ってまかりとおり。それをまた有り難がって高い値段で買っていく。「減農薬」と言うのは,「農薬をたくさん使っていますよ。」と言う意味です。
食品添加物の問題もまだまだこれからでしょう。
私は自宅の治療院の前に,少しばかり畑を借りて野菜を作っています。農家がやっていた頃の残留農薬のことを考えたら暗い気持ちになりますが,それでも農薬たっぷりの野菜を買うよりはマシかなと思いつつ作っています。
お米は地元のみどりの里で無農薬の米を購入しています。
体は食べ物によって出来上がっております。食べ物によって形作られているわけです。そして食べ物がかたよると、病気になったりするわけです。
食は、薬にもなり毒にもなります。
「はしりの物や時期はずれのものを食べない。」これは、冬場に夏野菜などを食べれば、体を冷やすという事です。
「身土不二」とか、「三里四方の野菜を食べろ」ともいいます。つまり自分の生活圏の食べ物をとりなさいということです。はるばる南方のほうから運んでくる食べ物は、体に合わないということになります。
食医といわれた、石塚左玄は、
「春苦味夏は酢の物秋辛味 冬は油と合点して食え」
と歌っています。
つまり、季節ごとの旬のものを食べていれば間違いが無く、味も栄養も申し分ありません。
「腹八分目に医者いらず」・・・といいますが、豚が食事をすませると、目の前に餌があっても、決して食べる事は無いそうですが、その時の豚の胃の中には八分目の食べ物があるそうです。人間のように100%以上も食べる事はないのです。
オランダの名医、ベールハーフェ博士は不老長寿の秘法を屋敷内の鉄の箱に入れました。後年これをイギリスの大富豪が、全財産をはたいて買い取りました。鉄の箱の中には、紙辺が1枚はいっていました。そしてそこに書かれていたものは、
第1条 頭を冷たく足を暖かく。
第2条 お腹にものを入れすぎぬこと。
リレー随想 なっちゃん
平成元年の春に鍼灸治療院を東京.板橋区の商店街に開業した。昔はかなりの人通りで栄えた商店街だったが,地下鉄有楽町線の開業以来、人通りは激減。すっかりさびれた商店街になっていた。なっちゃんは治療院の真向かいの桶やさんのおばあさんであった。もうじき80歳になろうかといった年齢だった。小柄で痩せて少し背中を丸めて歩き、治療院の回りの雑草を抜いたり,回りを掃いたりしてくれていた。近所の和菓子屋さんで餅菓子を買ってなっちゃんに御礼をしてからよく治療院に遊びに来るようになった。後で知ったがなっちゃんは餅菓子が好きではなかった。食べ物にあまり興味がなかったのである。 「お〜い、先生いるか〜。夜中に足がぎゅうっとつれるんだ,痛くてよー。そうかいお灸がいいのか、じゃお灸してもらおうか。」こんな調子でやって来る。灸を据えながら世間話をしていく、近所の昔話や、終戦後の話を良くしていた。 「お〜い、先生、このまえの灸は効いたなあ、すっかり足がつらなくなったよ。実は前から腹の具合が良くないんだよ、お灸で何とかならないか。」しばらく灸を続けると、大量の粘液を吐いたそうで、その後、胃の具合がすっかり良いと言って喜んでいた。以来、なっちゃんは近所の人に治療院の宣伝をしてくれるようになった。「他の人はわからねえけど、俺はここで随分良くなったんだよ。まあ、1回試してみなよ。」といった具合である。お蔭様で患者も増えてなっちゃんにはお礼の言いようもなかった。なっちゃんは若い時に散髪屋をやっていて、ご主人と知り合ったのだそうだ。「俺は、若い時はもち肌でナ、若えのがいっぱい言い寄って来たんだが、あいつが一番働き者だったんで結婚してやったんだ。」と言っていた。
なっちゃんは食べ物や着物などには全く興味がなく、いつも自分で縫ったような前掛けを下げて汚い格好をしていた。興味というか、趣味というか、生活そのものというか夢中でやっている事は博打であった。それも競艇だけ、競艇の新聞は眼鏡なしで読めるのだそうだ。昔は競馬も競輪もやったそうだが今は戸田の競艇場に行くのを唯一の楽しみにしていた。昔は相当大きく賭けていたらしく、近所の布団屋のおばさんに言わせると、「なっちゃんは、おじさん(ご主人)が仕事した後から集金に回って、そのお金を持って博打に行っちゃうんだ。名古屋の方まで行った事もあって、ひと月位帰らなかった事もあったんだよ。よくまあ家に入れてくれたもんだよ。桶屋さんは以前、貸家を三軒持ってたんだけど、それもなっちゃんの博打で無くしちゃったんだよ。この辺じゃ有名な話さ。男だってやらないような事を好き勝手に生きて大したもんだよ。自分じゃ苦労したんだなんていってるけど、おじさんがよく追い出さなかったもんだよ。」これが近所の人のなっちゃんに対する大方の評価である。勿論なっちゃんは博打で大負けした事などは僕には言わない。儲かって金を隠すところがなくて庭に穴を掘ってそこに金を入れ、上に蓋をかぶせておいたが気になって気になって一晩寝られなかった、翌朝一番で銀行に持っていったら、大口の預金だったので午後から支店長が大そうな御礼を持ってきたものだから家の人にばれてしまった。など、面白おかしくはなしてくれる。時々関東大震災と東京大空襲がごちゃ混ぜになったりするけれど、なっちゃんの話は総じて面白かった。
なっちゃんが紹介してくれた患者さんで隣の町から来る電気屋のおばあちゃんがいた。毎日治療に来てなっちゃんと喋って帰宅するというパターンで生活していた。帰りにいつもなっちゃんを自宅に誘うが、なっちゃんは商店街のはずれまで送っていくが、なぜか商店街から出ようとはしなかった。そんななっちゃんがたった一度だけ電気屋さんの家まで遊びに行った。そのとき運悪く電気屋さんの家の濡れ縁から落ちて、下のコンクリートに腰を打ちつけてしまった。幸い骨折はしなかったが、しばらく歩くのに不自由であった。なっちゃんは外に出ることも少なくなっていった。しばらく来なかったなっちゃんが久しぶりに来院したが、元気がなかった。「先生よ、悪いんだが、きぐすり屋で紙おむつを買って来てくれないか。」
好きな競艇にも行けなくなり、なっちゃんには急激に痴呆の症状が出ていた。やがてなっちゃんは治療院に顔を見せなくなった。時々おじさんがなっちゃんを抱くようにして病院に連れて行く姿を見かけた。
悪い事は続くもので、おじさんが自転車で転倒し足首を捻挫してしまった。さらに、そうしたなかで、なっちゃんが餅菓子を喉に詰まらせて、救急車で病院に運ばれ、そのまま亡くなったと家の人に聞いた。
「何で急にあんなことしたんだろう。餅菓子なんか食べた事もなかったのに、少し頭がボケていたからねえ。」
なっちゃんは、家族の人たちと一緒にいたが、皆が気づかない一瞬の間に、目の前にあった餅菓子をいくつもいくつも口に押し込んだのだそうだ、家の人が気づいた時にはすでに息を詰まらせていて、慌てて救急車を呼んだがそのまま亡くなってしまった。
博打好きで、奔放な性格のなっちゃんだったが、もうこれ以上ご主人に迷惑はかけられないと考えた上での覚悟の行為だったのだろうか?僕にはそのように思えてならない。
随想 雷山小渦の女性
治療院を始めたばかりの頃、患者さんはほとんど無く、友人と毎晩飲み歩いては家に帰れなくなって治療院に泊まっていた。治療用のベッドが二つしかないので、友人も泊まると、幅70センチのベッドに寝ることになる。寝返りなどとてもうてそうにないが、案外落ちないものである。体が端に来て落ちそうになると目が覚めるのである。結局のところ熟睡していないのかもしれない。
ある朝、二日酔いの頭に電話のベルが鳴り響いた。
「ふぁ〜い、鎌田治療院です〜。」
「もしもし」
「はいはい。」
「朝尾と申しますが。」
「鎌田です。」
「私ではないのですが、家の者が、歩けなくなってからもう数週間がたちます。」
「はあはあ、どこか痛むのですか?」
「何処も痛いところはありませんが、歩けないのです。病院に入院していたのですが、変化が無いので退院して来たのです。こう云うものにはお灸がよいのではと思いお電話したのですが。」
「ああ、そうですか、ではいついらっしゃいますか?」
「それが歩けないものですから。」
「ああそうか、じゃ出張治療ですね。。」
「申し訳ありませんが、お願いできませんでしょうか。」
「分かりました、午前中はちょっと無理なので・・・・・・・・」
「先生のご都合のいいときで結構です。」
「では、午後一時頃でよろしいですか?」
「結構です、どうぞよろしくお願いします。」
午前中から仕事は何も無かったが、二日酔いでとても仕事など出来そうに無かったのと、多少なり行く前に下準備をせねばという知恵がはたらいたのである。慌ててすぐに行って、よっぽど暇なんだと思われても良くない・・・などとくだらない事を考えながら、『足が痛いのかな?やっぱり年だから、腰かな?痛くないといっていたけど・・痛くないのに歩けない?ちょっと難しいんじゃないの・・この患者・・・・。』
あまり考えたって分からないものは分からない、当たって砕けろ、無手勝流だ。
午後になって、朝尾さん宅。結構大きな家の立ち並ぶ中、庭も広いしかなり立派なお宅である。
「こんにちは。こんにちは、鎌田です。」
「先生、どうもすみません。どうぞおあがりください。こちらです。」
1階の日当たりの良い部屋に、小さなおばあちゃんが、少し背中を曲げて座っていました。年のころは、72〜3かな?といったところでしょうか。若い時は美人だったろうなと思わせるおばあちゃんでした。
「起きていても大丈夫なんですか?」
「ええ、起きていても平気です、ただ長く坐っていると腰が痛くなってきます。」
力の無い声でポツリポツリと苦しそうにしゃべる。
「歩けないのは、いつからですか?」
「もう、ひと月位になるかしら。」
あれこれ話をしたがなぜ悪くなったのか、何処がどう悪いのか皆目見当もつかなかった。腹を触ってみたが皮膚はしわがよっていたが、腹直筋は硬かった。
脈を診てみる。はっきりいって自分は脈診は得意ではない。しかしながら情報が少なすぎるので脈診にでもすがるしかない。肝、心、脾、肺、腎の中で、脾がいちばん弱いような気がした。『まあいいや、脾虚証ということにしよう。』
「どうでしょうか?先生、治るでしょうか?」
「腹を診、脈を診たところ、脾虚証のようです。脾虚というのは憂鬱な事があって、思い悩み更には食欲まで無くなり、肌肉まで衰え足に力が入らずに歩くことも出来ない状態をいいます。」学校ではまあまあ成績も良かったので、このぐらいの事はすらすらと出てきた。
「脾の働きは、胃腸で吸収した栄養をいろいろな臓器に分配する働きがあります。鍼灸することによって、胃腸の働きをよくして、体中の栄養をよくして足にも腰にも力が入るようになります。」
二人のおばちゃんは顔を見合わせていたが、小声で話し合っていたと思ったら。
「先生!どうか助けてください。」
つまりこの婦人は、最近ご主人が亡くなり、子供も無く財産とこの家がご主人から残されたものだったのですが、遺言状にはこの家も、財産も、ご主人の会社も全て、その会社の社員だった人に渡されるようになっていたのだそうです。つまり遺言には婦人に何も残されていなかったのです。これじゃご婦人も困ってしまいますから、今、面倒を見ている従妹さん夫婦を頼んで異議を申し立てたわけです。相手の人も良い人でありましたので、ご婦人の主張は通って、生活には困らなくなったのですが今度はその後継をめぐって問題が起きたわけです。詳しいことは省略しますが、なんとなく私が出まかせで言ったことが当たっていたわけで、大いに信用されてしまったということです。
それからほとんど毎日のように治療に伺うようになりました。そして婦人も元気になって歩けるようになってきました。やがて、散歩がてら治療院まで通うようになったのです。
話は変わりますが、そのころ治療に通ってこられる患者さんの中に易者の先生がいました。中年の女性で僕に易のことをよく教えてくれたのです。
易と漢方薬と鍼灸はセットになっているのだから、一緒に勉強しなさい、と言う人もいるくらいで、易にも興味はあったのですがなかなか全部に手が回らないのが現状です。でも治療をしながら先生が教えてくれるのですから、 その先生が千葉に引っ越していかれるまでの数ヶ月の間に易をかじり、そして易の不思議さを見たのでした。
この易の先生に、この婦人のことを話をしたことがありました。少し興味をもたれたようで「ちょっと易をたててみて。」というので、筮竹を振ってみました。上卦は雷、下卦は山。
二つあわせて『雷山小過』といいます。これが出たときに先生は「ああ、喧嘩しているんだわ。」「誰がですか?」「その人と、従妹のだんなね。」
何故そんなことが分かるのかという説明は、後でできればしますがとりあえず省略します。婦人のことを従妹夫婦で面倒を見ていたのですが、結局ご主人のほうは自宅に帰ってしまったそうです。
歩けるようになってから、治療院に通うようになり、面倒を見ていた従妹の方も自宅の鎌倉に帰ってしまい寂しい状況が続いていた婦人が、この日は嬉しそうに「明日、○○ちゃん来てくれるの。電話があったのよ。」と行って帰っていった。
その後に来た、易の先生に、「従妹の人明日来てくれるそうですよ。○○さん嬉しそうでしたよ。」と言うと、また易をたてろという。筮竹を振ってみる。
なんと、また「雷山小過」である。
「向こうのご主人が怒ってる状態だから、来られないね。」と先生はぽつりと言う。
雷は陰、陽、陽とコウと云うものが並ぶ、これに対して、山は陽、陽、陰と逆に並ぶ、つまり形から見ると、こちらの人と、あちらの人は背中合わせということで喧嘩をしている状態と見るのだそうだ。
翌々日、婦人がやってくるがあえて自分からは聞かなかった。
「○○ちゃん、来れなくなっちゃったの。」寂しそうに婦人が言う。
「そうですか、残念ですね。」かわいそうだと思いながら、『すげ〜また当った。』
その日の易の先生、「雷山小過の人どうだった?」
「やっぱり来れなかったそうです。」
先生に言わせると易と言うのは85%以上の確立で当たるのだそうです。
結局、彼女はしばらく一人で暮らさねばならなかった。見かねて元ご主人の会社の人の奥さんが時々手伝いに来るようになっていた。
つづく。
診療時間
休診日 日曜、祭日
診療時間 平日 9:00〜12:00 15:00〜18:00
木曜日(午後休診) 9:00〜12:00
土曜日(午後休診) 9:00〜12:00
TEL,FAX, 048-472-3355 駐車場あります
メール
料金 はり灸治療 初回 4,000円 2回目以降 3,000円
(当院の鍼は、全て使い捨ての鍼を使用しています。
鍼以外の備品は、全て高圧蒸気滅菌しておりますので、安心して治療をお受けください。)
4月8日(水)午後休診 9日(木)休診いたします。