ひかりとやみ
光と闇
朔と望−月下奇談(陽の巻)/幽閉ロゴ
 数珠を握り締め、寧奈(ねいな)は叫ぶ。
「天地神明、悪鬼尽滅! 我、封魔の術師・梓川(あずさがわ)。魔を闇に帰(き)すべく、今、封魔の力、解き放たん! 禍々禍々(まがまが〃)――彼(か)の者を戒めよ、縛呪!」
 寧奈の手元から光が飛び出し、縛るべき相手に真っ直ぐ向かって行った。しかし闇が突然伸び上がり、対象との間を遮って術を吸収した。再び何事もなかった様子で、武者の背後で渦を巻く。
「面倒な……奴と闇は別物だ。あれにはおまえの術は通用せんぞ」
 雪平(ゆきひら)が口早に囁いた。
「心当たりがあるのですか?」
 寧奈が尋ねると、
「梓川の文献で読んだ覚えがある。あれは闇妖鬼(おんようき)。闇そのものの異形ゆえ、光を吸収する。光の術では太刀打ちできんだろうな。武者の方はわからん。おそらくは下級魔族。厄介なのは闇だけだ」
 冷静な分析だった。動揺を知らない無表情さが、却って寧奈を落ち着かせる。
「戒められないのなら、早めに手を打ちましょう。何事も先手必勝です」
 と、徐に上着のポケットに手を入れた。出てきたのは、出発の朝、榊(さかき)から渡された玉(ぎょく)だ。それを掲げ、倒れている佐緒里(さおり)に、と言うより彼女の中の陸(りく)に向けた。
「果々倖々(かかこうこう)――聖なる魂(こころ)を護られたし。陸姫よ、これへ。玉呪!」
 佐緒里から光が浮き上がり、離れたと思う間に、見る見る玉に吸い込まれる。陸の思念が抜けた身体が奇妙な引きつけを起こしていた。壊れたおもちゃを連想させられ、何処か痛々しい。
「しっかりして! 佐緒里ちゃん!」
 意識の戻りかけた佐緒里を、理沙(りさ)と隆志(たかし)が支え起こす。抜かりなく、寧奈は彼らにも結界の術をかけた。
 視線を元に戻すと、禍々しく淀む闇がこちらを威嚇していた。寧奈にとって絶対的な光の術が通用しないとなれば、奴には他の手を使わざるを得ないのか。
 とは言うものの、もしあの闇が陽の気を全て吸収するなら、寧奈には勝ち目がないかも知れない。だが、最初から可能性を捨ててしまうのは愚の骨頂だ。一戦交え、様子を見ながら打開策を練るしかない。
 何よりも、陸の魂が奴らの側にあるのが問題だった。彼女を取り戻すことが先決だ。
「雪平、闇妖鬼を引きつけてください。武者から封じます」
 無言のまま雪平が飛び出した。迷いなく下級魔族の背後を狙ってゆく。息を呑む速さで光剣を振り翳し、振り下ろす。光が風となり、竜巻となり、闇を呑み込もうとした。
 案の定、瞬時に闇が形を変え、分散する。竜巻の合間を擦り抜け、体よく遣り過ごすとまた元の位置に収まった。
 奴を斬れないのは先刻承知とばかりに、雪平は次の攻撃に出る。闇妖鬼を翻弄し、できるだけ長い間、自分に引きつけておくために。一瞬でも気を逸らさせてはならない。寧奈が首尾よく武者を封じるまでは。
 敵も馬鹿ではない。闇だけを狙うのに気づいた武者が雪平に襲いかかった。獰猛な刃が脇を掠めたが、素早く光剣が薙ぎ払う。隙を衝いて寧奈が加勢すると、悟りの悪い下級魔族も、ようやっと己の相手を認識できたようだ。怒声を上げ、大きく刀を振り立て突進してきた。
「禍々禍々――彼の者の道を鎖せ、盲呪!」
 突然、地から光が湧き出して武者の行く手を遮った。不意を食らった敵の足が止まる。ところが、奴は間際まで寧奈に迫っていた勢いで、強引に刀を振り下ろした。
「壊呪!」
 数珠の光が応戦する。接触点が激しく火花を撒き散らし、根元からぽっきりと刀の命は絶たれた。驚愕と激怒に溢れた呻き声が響く。
『おのれ、おのれぇっ! 武士の魂を何とした! 封魔術師め。何処まで儂を愚弄するか!』
 空気を振動させる怒号は、吐き気がするほど耳障りだ。怒りに任せて喚き散らす武者を止めようと、寧奈が数珠を掲げたその時、
『我等が手に入れんとする魂に細工を弄するとは、何人たりとも許せぬ! 憎き術師に戦士、坊主共、悉(ことごと)く地獄へ送ってやるぞ! ……おお、闇に堕ちたはずの聖護(せいご)の鬼よ。よもや蘇るとは思わなんだ。今度こそ、二度と逃れられぬ闇に囚われるが良い!』
 武者の言葉で全てが読めた。
「彼の者よ。そなたが疾風丸(はやてまる)を陥れたのか」
 不快な笑い声が轟く。
 奴は疾風丸を陥れただけではなかった。姦計を弄して領民たちを操り、陸を嬲り殺させた。闇に染めた後で手に入れる心積もりの魂を、容易く癒してしまう存在が目障りだったから。手っ取り早く魂を手に入れるために獲物の息の根を止め、邪魔者は消滅へと追い込んだ。
『術師と坊主が余計な事をせねば、人の世は、とうに我等の物だったのだ!』
 詠風姫(よみかぜひめ)の力なら完璧に魂を護り切れただろう。されど慈安寺(じあんじ)の初代住職が行った術は、考えればかなり効果的だ。思念と魂が切り離されている限り、二つを手に入れなければ意味がない。未だに魔を粉砕する破邪の札に阻まれて、奴らは五百年以上もの間、手立ても得られず結界の綻びも見出せはしなかった。しかも陸の心は今、寧奈の手中にある。
「彼の者よ、諦めるが良い。心が伴わぬ魂では、そなたたちの目論見は果たせぬ」
 改めて、玉を強く握り締めた。
 強固な鎧の下で赤い光が燃え上がる。武者の怒りの表れか、ぎらぎらと眼が滾り、呻き声が空気を震わせた。それまで握っていた刀の柄をいきなり放り投げる。寧奈の足元にガシャリと落ちた。
『恨み重なる封魔一族め。だが、これまでだ……漸(ようや)く大願が成就する時が来た。我等が王の蘇る時がな……この魂魄さえ手に入れれば、闇に君臨する王が何もかもを暗黒に塗り替えてくださるのだ。闇の世も、人の世も、我等が王の物となる。これは王へのささやかなる捧げ物だ。もう誰にも儂を蔑ませはせぬぞ……ククククク……』
 突如、刀の残骸が浮き上がり、天を目指して駆け抜ける。僅かに残った刃が一直線に寧奈を狙っていた。欠けた刃先が上着の裾を掠め、袖口を掠め、耳元の髪を掠めた。幾本かの髪が舞い落ちる。間一髪で避け切れなければ心臓を抉られていた。
 息を止めて辺りを見る。柄はまだ生きていた。目線と同じくらいの高さを泳いでいたかと思うと、再び心臓に狙いを定め、妖しく刃先を煌かせた。と、次の瞬間には予想外の速さで寧奈に迫る。
「滅呪!」
 数珠から放たれた光が、宙を舞う柄を捉えた。危うく眼前数センチのところで、力を失い地に落ちる。柄はただの残骸となった。
『小賢しい封魔術師め……』
 武者からは呻き声でなく歯軋りが洩れている。寧奈は鋭く敵を見据えつつ、武者が勇猛な姿の割には大した力も持たないと読み取っていた。
『最早あの女の魂は我等の物。愚かにも封印を解いた事を後悔するが良い、封魔術師よ』
「言いたい事はそれだけですか?」
 静かに呟くと、寧奈は武者を睨めつけた。
「では、在るべき場所へ還りなさい」
 言うが早く、数珠を握り締め高々と掲げた。
「禍々禍々――彼の者よ、己が世界へ立ち戻れ。闇の世界へ立ち戻れ。封呪!」
 明らかに武者の表情が変わる。
『おおぉおぉー! 闇妖鬼ぃぃーーー!』
 断末魔の叫びが闇を呼んだ。
 だが闇は雪平に阻まれ間に合わず、数珠から溢れ出た光が武者を容赦なく包み込む。閃光と共に渦を巻き、空間を歪め、異界へと武者を送り込んだ――在るべき場所へ、有るべき姿へ。
 やがて異形を包み込んでいた光が強烈に輝きを増し、直後には跡形もなく消えていた。光だけでなく、武者の痕跡も。
『武魂骸(ぶごんがい)め……口ほどにもなかったわ……』
 ざわりと地を這う声――いや、音と言った方が近い。音が洩らした武魂骸というのが武者の呼び名だったらしい。
『坊主を殺め、魂を手に入れたまでは誉めて遣わそう。だが、やはり大した力も持たぬ下級魔族、当てにはならぬわ。所詮は捨て駒に過ぎぬ』
 辛辣で横柄な口調だった。格が違うとでも言うが如く。確かに下級魔族とは違い、この闇は油断のならない相手ではあるが。
「彼の者よ。そなたが武者の従う王か?」
 寧奈の問いに、地の底から湧き上がる音が震えた。さも可笑しいという様子で。
『我が王なら、汝(なれ)は何とする? 我を封じるか? 出来るものならやってみよ。我に光は通じぬぞ』
 悔しいが、光の術が効かないのは最初に目にした通りだ。ならば矢継ぎ早に術を駆使したとしても、自らの消耗を早めるだけで終わってしまう。他の術では決定的なダメージを与えられない。寧奈の心に迷いが生まれ、行動を鈍らせる。
 それを悪鬼は見て取り、大胆にも、懐に陸を包み込もうと蠢き始めた。
 させてはならない――永遠に彼女の魂を闇に埋没させてはならないのだ。
 寧奈は数珠を掲げた。
「禍々禍々――闇に光を投じよ。星呪!」
 光の雨が闇妖鬼に降りかかる。
『片腹痛いわ!』
 悉く闇が光を消滅させた。漆黒の礫と化した闇の断片が反撃に出る。凶悪な牙を剥き出し、寧奈に襲いかかってきた。
「滅呪!」
 瞬間的な閃光が礫を消滅へと導く。しかし全てを消し去るには無理があった。掠める礫が背後に流れる。その方向には理沙たちがいるが、ある程度の距離があるし、封魔の結界は強力だ。おいそれと破られたりはしないはず。
 けれど、寧奈は――。
 礫を防ぎ切れない!
 無数の塊が途切れることなく襲いかかる。やがて寧奈の頬を掠め、腕を、足を掠めてゆく。薄っすらと浮かぶ血の痕――もはやこれまでか。
 と、礫の根源を断ち切るために、雪平が真っ向から闇妖鬼に斬りかかった。光剣を振り下ろすと、あっと言う間に闇は四散し、すぐに元の形を取り戻す。すかさず刃を振り下ろしたが、また闇は四散した。雪平が絶妙の位置を狙ってゆくにも拘らず、闇は掠める寸前に四散して、決して斬り込まれたりはしない。光の属性である限り、どうあっても闇には通用しないのか。
 もしかしたら――。
 闇の様子を窺う寧奈が結論に至る前に、何者かが背後から脇を擦り抜けて行った。いつの間にか闇妖鬼の前に立ちはだかる影があり、後ろ姿だけでも間違いなく隆志だとわかった。何をする気かと蒼白になった彼女をもっと驚かせたのは、急激に慌てふためく様相を呈した闇妖鬼の姿だ。
 隆志が叫んだ――その声ですぐに悟る。隆志ではないのだ。
「邪悪な者! 神を畏れよ。聖なる大気、聖なる空間、聖なる力に触れてはならぬ! 神願!」
 隆志が――疾風丸が両腕を高く掲げた。辺りの気が一瞬にして清浄さに彩られる。聖なる大気が駆け巡り、空間に息づく数多の精霊たちを呼び覚ました。聖なる力、神の力が時空を支配する。見るからに闇妖鬼は怯えていた。
 疾風丸が肩越しに、ゆっくりと振り向いた。寧奈を認めると目を細めて笑う。
「姫。陸は私の妻となるべき娘。己が手で連れ戻します。姫は玉を構えておられよ。決して闇を近づけは致しませぬ」
 呆然と彼を見つめていた寧奈は、慌てて気を引き締めた。今は彼の言う通り、玉に陸の魂を導かなければならない。
 両手を広げ、疾風丸が歩を進める。その身に朧な光を纏って。
 それは光でありながら光ではない。滲み出る慈悲の心の証なのだ。闇はびくびくと引きつり避けようとするが、無意味に身を捩るだけで位置を変えることができない。闇妖鬼は彼の力に捕らえられている。それでも逃れようと必死で後退りをした。邪な者にとって、聖なる力は驚異でしかないから。
 少しずつ、闇が陸から離れてゆく。雪平も疾風丸と共に悪鬼に忍び寄っていた。二人が陸の間近まで迫った時、疾風丸の手が彼女に触れた。
 汚されかけた魂が癒される。疾風丸と同じ種類の光を帯びて、陸が徐々に煌き始めた。合図を受け、寧奈は玉を掲げる。光る魂に向けて、真っ直ぐに――。
「果々倖々――神の力よ、陸姫の魂をこれへ導き給う。玉呪!」
 陸の姿が吸い込まれる。離れ離れに久遠の時を過ごした思念と魂が、玉の中で再び一つとなった。千年に一度の清い魂。疾風丸だけの陸姫――。
『お、おのれ! 聖護の鬼め! 大江山で燻りおれば良きものを! またもや我の邪魔をするとは、最早許せぬ!』
 闇が怒りに打ち震えた。寧奈が手にする玉に悪鬼の気が集中している。邪悪な気から隠そうと強く玉を握り締めた。彼女を二度と奪われないよう。
 疾風丸と陸、今度こそ二人を結びつけられなければ、詠風姫の無念は晴らせない。永遠に。
『もう一度、奪い取るまでだ。先ずは封魔術師、汝の息の根を止めてやろう。それからじっくりと魂を取り込めば良い……ククク……』
 疾風丸にあれだけ怯えていながら、寧奈には随分強気に向かってくる。けれど既に闇妖鬼の弱点を見切った彼女には、何も恐れる必要はなかった。
「愚か者。思念も魂も、ただ取り込めば良いというものではない。陸姫の心が伴わなければ無用の長物に過ぎぬ。そなたには永久に手に入りませんよ。陸姫の心は、疾風丸と一つになる事しか望んでいないのだから」
 正面の闇妖鬼から寧奈を守るために、両脇で雪平と疾風丸が隙なく身構えていた。
 共に戦う彼らを信じる限り、怖気づいてなどいられない。彼らも信じてくれている。たとえ闇が光を吸収しようと、放つ術が片端から弾かれようと、最後には必ずこの手で闇を封じてみせる――寧奈は自らに強く言い聞かせた。彼女を信じてくれる皆を守るために。
 ふと寧奈が背後を一瞥すると、信じられない面持ちで隆志の背中を見つめる理沙が、まだ朦朧とする佐緒里を抱えたまま蹲っていた。
【浄化と昇天】へ続く
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