だいがくせいとちゅうがくせい 大学生と中学生 |
現地には車で向かう羽目となった。 時期的に帰省ラッシュで予約が殺到している。今からでは当然、列車のチケットなど取れはしない。 よくよく考えれば予測できた結果だ。元々計画性のない旅だったのか、首謀者に計画性がなかったのか定かではない。もしここまで計算に入れていたとしたら首謀者は相当の策略家だと言える。発案したのが誰かなど、寧奈(ねいな)はとうに気づいていたが。 予定のメンバーには、合法的な運転手は一人しかいなかった。多少無謀に思えても、それが雪平(ゆきひら)なら全く問題はない。彼の精神力と野生の勘が常人並みではないからだ。 出発の前日、どうしても気にかかって寧奈は雪平に問いかけてみた。どんな手を使って榊(さかき)を懐柔したのか知りたかったのだ。 彼は多くを語らない。薄笑いを浮かべて寧奈を見つめると、 「年の瀬に望月が来る。その日までにおまえが戻らなければ儀式が滞るだろう? だから、俺がついて行くなら行かせても良い、とお婆が妥協した。それだけの話だ」 あっさりと言い放つ。だけど、そんな単純な経緯ではないと寧奈にはわかっていた。彼は言葉巧みで知恵も回るが、あの榊を言い包めるまでには、かなり口も頭脳も駆使したに違いない。問い質したところで簡単に白状する男でないのもわかっていた。 「お婆はおまえが心配でならないらしい」 同じ想いを雪平も抱きながら、顔には決して出しはしない。けれど、そこはかとなく伝わる温かさは隠しようがなかった。絆の証が切に感じられ、寧奈は黙って微笑んだ。 出発の朝、庭に雪がちらついていた。榊はいつも通りの貫禄で二人を前にして頷く。寧奈が席を立つ寸前に手を取り、小さな水晶の玉を握らせて。 「この玉(ぎょく)を持って行くが良い。役に立つであろう」 片手で包み込めるほどの小さな玉が掌で煌く。封魔術の道具の一つで、主に空(くう)に関する技に使うのだ。空間を超えたり歪めたりと自在に操れる便利な代物。対象は物体だけでなく精神にも通用する。榊の願掛けにより、修行堂にある御神体と繋がっていた。 御神体とは、空術用の玉より何十倍もある水晶の玉だ。代々、梓川(あずさがわ)家の象徴として伝わっている。 「榊様、どうぞご心配なく。雪平がついていますから。必ずや吉報を持ち帰りましょう」 気遣う表情を隠しもしない榊に、寧奈は少しばかり後ろめたさを感じた。気づかれていようがいまいが、雪平と申し合わせて仕組んだ計略には違いない。それなのに、わざわざ玉に願までかけて見送ってくれたのだ。これは精一杯任務に従事しなくては、生半可な働きでは気が咎めるというもの。 門前で屋敷を振り返る。己の使命の重大さを再確認すると、決意も新たに、寧奈は雪平と共に車に乗り込んだ。 理沙(りさ)たちとは駅前広場で待ち合わせている。二人が到着した直後にはまだ誰の姿もなかった。それもそのはず、約束通りにしては時間が大幅に余っている。別に間違えたわけではなく、寧奈が心配性すぎるが故に、余裕を持って行動する癖が普段から身についているだけだ。有難くも、巻き込まれた雪平は文句一つ言わなかった。 苦笑しながら顔を見合わせ、車の外で二人は佇む。ほんの数分間にも拘らず、厚手のコートを通して冷え込みが凍みてきた。雪が降るほどの気温だから道理と言えば道理だ。 更に数分が経ち、鼻がむず痒くなったと思ったら小さなくしゃみが一つ。と、寧奈は急に暖かさを感じ、驚いて顔を上げる。雪平の大きなコートが彼女を包み込んでいた。 「いけません。あなたが風邪を引きますよ、雪平」 ところが彼は聞く耳を持たない。 「失敬な。俺をそんな軟弱者だと思っているのか」 こう来られては言い返せまい。寧奈は仕方なく、引き摺りそうな裾をたくし上げながら、素直に雪平の温もりと残り香に包まれることにした。本当の気持ちは少し――と言うよりすごく嬉しくて、心の中ではにこやかに笑ってしまっていたのだけれど。 我慢し切れずに寧奈の頬が緩み始めた頃、漸(ようや)く待ち侘びた連中の姿が視界に飛び込んできた。どんな山奥に行くつもりなのかと問いたくなるほど、理沙と隆志(たかし)は重装備だ。その後ろにくっついて来る小ぢんまりとした影が話に聞いていた隆志の妹だろう。大きな瞳が目標を捉えると、人懐っこい笑みが輝いた。兄をせっつくようにして走ってくる。 「ちょっと寧奈ぁ。雪積もってるよ、ほら。いつからここに立ってたのよぉ」 挨拶よりも先に驚きの声を上げた理沙が、寧奈の頭に積もった雪を軽く払った。 「え、と……三十分くらいかしら」 「バッ……カねぇ。車ン中で待ってりゃいいじゃないよぅ〜。もぉ〜、風邪引いちゃうよ」 言いながら、少しばかり目線の下にある寧奈の頭を更に払っている。そのまま雪平に眼差しを移すと元気良く笑った。 「雪平さん、お久し振りでーす。今日からしばらくお世話になりま〜す」 と、根っから明るい調子でペコリと頭を下げる。 雪平は無言で微笑と会釈を返した。次に彼は、目だけで問題の兄妹を示して問う。寧奈も隆志の妹とは初対面だ。 口数の少ない雪平に慣れている理沙は、何の戸惑いもなく隆志と妹を紹介した。紹介された隆志は丁寧に挨拶と礼を述べ、妹の背を押し出すと彼女にも頭を下げさせた。殊勝に兄に従っていた妹は、頭を戻したとたんにテンションの高い声を上げた。 「初めましてぇ〜。小埜江(おのえ)さんって大学生なんですよね、ステキぃ! 理沙ちゃんからいろいろ聞いてましたぁ。でもぉ〜、こーんなにカッコイイ人だなんて思わなかったけどぉ」 理沙に輪をかけるほど砕けた話し方と甘ったるい声。中学三年生という話だが、年の割にこのはしゃぎようは幼すぎる。もしや逆に、年齢の割に媚びているのかも知れない。兄のやんわりとした制止も聞かずにきゃあきゃあと一人で大騒ぎをする彼女は、遠慮もなく雪平の側に寄り添って、遠慮のまるでない申し出をした。 「あ、助手席に座ってもいいですかぁ? いいですよねぇ。地図見るの得意だからナビ務めますよぉ。おじいちゃんの家までは車で何度も行ったことあるしぃ〜。問題ないですぅ〜」 問題があるのはおまえだ――と唇を噛んだのは理沙だ。寧奈を押し退けて口を挟む。 「ちょっとちょっと、佐緒里(さおり)ちゃん。助手席は寧奈の指定席なんだからね。あんたは後ろ!」 「やぁ〜ん、そんなの横暴だわぁ。理沙ちゃんったらイジワルぅ〜」 唖然とする寧奈と隆志を前にして、二人は一歩も譲らず押し問答を繰り返す。雪平は無表情のまま事の成り行きを見守っていた。しかしながら、原因の発端は彼が担っていたのではなかったか。 結局は、寧奈が譲歩することで騒ぎは丸く収まったかに見えた。実のところ、理沙の腹の虫は全く治まっていなかったのだが。 理沙は知っていたからだ。佐緒里がいかに鼻持ちならない性格かということを。 惚れっぽい上に独占欲が強く、相手が女と男ではからっきし態度が変わる二重人格者。実の兄でさえ独占の対象で、慣れるまでは、かなりの暴言及び暴挙にも出られたのだ。恋人の妹であってもチャンスがあれば一発お見舞いしてやろうと狙っていた。 その生意気娘が雪平に目をつけたのだから黙って見過ごせるわけがない。強引で躊躇ない小娘に親友を傷つけさせてなるものか、と理沙は使命に燃え始める。寧奈大事の彼女は佐緒里に眼を飛ばしながら、『できるだけコイツの側を離れずにいてヤツの毒牙から彼を守るのだ』と一大決心をした。 理沙が力強く拳を握り締めている隙に、当の雪平は荷物をトランクに詰め込み、てきぱきと出発準備を終えていた。 「佐緒里さんは助手席ですね。じゃあ、隆志さんと理沙はこちらへどうぞ」 寧奈は運転席後部のドアを開ける。ところが理沙はそこに寧奈を乗せ、自分たちは逆側のドアを開けた。 「いいのよ、寧奈はそこで。運転席の後ろが一番安全なんだから。一番死亡率が高いのは助手席なんだってねえ」 ちらりと佐緒里の顔を見て大声で言う。一瞬、むっとしかけた佐緒里だが、すぐに笑顔に戻ると、 「理沙ちゃんったら小埜江さんに失礼じゃなぁい。小埜江さんってばとっても運転が上手そうだものぉ。事故ったりなんてしないですよねぇ〜♪」 結果、むっとした顔になったのは理沙だった。不機嫌かつ乱暴に隆志を押し込むと、助手席の後ろに乗り込んで荒々しい音でドアを閉める。ぎりぎりと歯軋りまで聞こえてきそうだ。 一触即発の彼女たちを、寧奈はハラハラと見守るしかなかった。この調子で目的地まで嫌味の応酬が続くのだろうか――などと、一抹の不安に慄いていたら、どうやら同じ危惧を隆志も抱いているらしい。こちらは身内だけに、可愛い彼女と可愛い妹の板ばさみで抜き差しならない。寧奈の横で人知れず溜息を吐いていた。 いざ車が走り出すと、前後で世界が分かれてしまい、案じていたほど女二人の戦いは長続きしなかった。が、寧奈にとっては別の意味で気がかりな事態ではなかろうか。理沙の懸念通り、佐緒里が雪平を一人占めし始めたのだ。 身体を雪平に向けて横顔を眺めつつ、佐緒里は間断なく喋り続けている。会話は一方的で、雪平の相槌は「ああ」とか「ほぅ」とか曖昧この上ない。気を入れて話を聞いていないのは一目瞭然である。それなのに、少しもへこたれずに楽しげに語っている。学校や受験や友達、趣味の話――恋人という存在について等々。年端も行かない少女のくせに駆け引きの真似事をしている。 無意識に聞き耳を立て、寧奈は恐る恐るバックミラーへ目を遣った。強い眼差しで見据える佐緒里と視線が重なり、慌てて俯いた。 目が合ったのはほんの一瞬だが、佐緒里という少女がとても綺麗で印象強い女の子だと、まざまざと感じさせられた。兄が標準以上の容姿を持つのだから妹だって当然なのかも知れない。男性の目には、彼女はどんな風に魅力的に映るのだろうか。 雪平から見れば佐緒里は子供だ。真剣に向き合う相手にはなり得まい。だが寧奈と彼女は一つ違い。大して変わりはないのに手放しで喜べるわけがない。彼の態度は普段通り。無表情で無駄口もなく、まるで気のない相槌が続く。相手が人並みはずれた美少女だろうが、心を動かされるとは微塵も考えられない様子だ。 だからといって安心できる要因がない。人の心はふとした弾みで変わるもの。雪平だって、榊が二人の味方だと宣言した時から、随分と寧奈に対する姿勢が変わった。未来にいったい何が起こるのか、自分自身についてでも確信はできまい。 それに、心は物ではないから誰の所有物にもならないのだ。現在雪平の心が寧奈の近くにあったとしても、明日も同じだと言い切れるだろうか。言い切れないからこそ、後ろ向きに考えたりしたくない。せめて、今この時点での刹那の感情を信じたい、信じることしかできない――と。 悶々と、寧奈が謂れのない不安に抗う最中、理沙は雪平の態度を見てほくそ笑んでいた。自分が知る彼よりも格段に冷たい素振りから、きっと佐緒里の図々しさに辟易しているからだと解釈した。 これなら大丈夫だ。どんなにコイツが強引なアプローチに訴え出ようと阻止できるに違いない――己の直感に自信のある理沙は、『佐緒里め、ザマアミロ』と心の中で舌を出していた。 狭い車中、密かに胸の内でバトルが繰り広げられ、思惑は絡み合い、少女たちはそれぞれの想いを噛み締めていた。男二人は気づいているのかいないのか。雪平の掴みどころのない飄々とした態度は変わらず、隆志の溜息の数は増すばかり。 すると、佐緒里の話題がこれから訪れる祖父の家に、それから祖父の思い出話に、連想が進んで祖父のコレクションである古文書にまで波及した。寧奈たちが一番知りたかった件(くだん)の古文書の情報と来れば、気のない相槌も一変するのは当たり前。 「その古文書、君の御祖父さんはまだ手元に置いているのか?」 相手が初対面だろうが目下だろうが老若男女に拘らず、誰に対しても雪平の横柄さはほとんど変わらない。多少、屋敷にいる間とは言葉遣いに違いは見られるが。 「ええ〜とぉ、良くわかんないけどぉ。でもねー、お兄ちゃんが幽霊を見たっていう地下牢の伝説は特別なんだって言ってたわ。だからぁ、大事に或る所へ預けてあるんですってぇ。ねー、お兄ちゃん。おじいちゃんそう言ってたよねー?」 初めてまともな言葉が返ってきたため、俄然、佐緒里は勢いづいた。妹の話を受けて、隆志が雪平に話しかけていても全くお構いなしだ。一応、これまでは若干の遠慮というものをしていたらしいが、遂に箍(たが)が外れたと言うべきか。ここから先は一瞬の隙もなく彼にべったりで、のべつ幕無しにくだらない話を喋り続けるのは想像に難くない。 「なるほど。手元にはないのか……」 何気なく、サイドミラーに目をやると、雪平が鏡越しに寧奈を見つめていた。彼女の視線を捉えて瞳が微笑んでいる。古文書の行方を探ろうと語っていた。寧奈も無言のまま、瞳で頷く。 それからは、また雪平の相槌は気のないものとなった。 だが時既に遅く、佐緒里は留まるところを知らない。途中のパーキングエリアでも所構わず、寧奈を近づけまいとするかの如く、雪平の側を離れようとはしなかった。『もう私の男よ』とでも言いそうな、勝ち誇った笑みを浮かべながら――さすがに寸暇を惜しまず食らいつく理沙にはめげていたが。 しかし、寧奈の不安は早くも脳裏から消え去っている。雪平と視線を絡めた瞬間から、かけがえのない灯火が胸の中で揺らめいていた。彼の心に触れ、刹那の感情を確信したその時から。 【疾風丸と陸姫】へ続く
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