かけいとなりわい
家系と生業
朔と望−月下奇談(陽の巻)/幽閉ロゴ
 放課後まで理沙(りさ)にベッタリと貼りつかれ、
「どうだったの? 行ってもいいんでしょ?」
 と、朝から顔を合わせる度に迫られた。
 息もつかせぬ念押し攻撃を掻い潜り、何とか寧奈(ねいな)の一日は終わったが。
 どうやら理沙にとっては死活問題にまで発展したらしい。一人娘の宿命か、両親に相当口うるさくされたと見える。おまけに、旅行に関して即答を避けたせいで彼女は不信感を抱いたようだ。駄目押しに先程から携帯メールがバシバシ入っていた。
 しかしながら本日の寧奈は忙しい。これからが正念場なのだ。適当に返信して切り上げ、とにかく家路を急いだ。榊(さかき)の御機嫌を損ねないためにも言いつけ通り真っ直ぐに帰らなくては。
 帰るや否や、清めを済ませて屋敷の中央にある修行堂へ向かう。これは術師の日課。夕べの行を修め、本日の締め括りとするのだ。
 本家の術師たち全員で行に勤しんだ後、寧奈には朔の儀式の準備が待っている。念入りに身支度を整えて時間を待つばかりとなったが、やはり気が急いているのか何事も手早くなり、かなりの間が空いてしまった。
 それならば――と、昨日から思案していた行動を起こす。一族の文献を収めてある蔵から心当たりの書物を幾つか持ち出した。もちろん無断ではない。文献管理担当者である蔵係の許可を得なければ、古典文書は貸し出しどころか閲覧も不可能だ。
 寧奈の部屋は屋敷の奥にあった。瀟洒な中庭に面した南向きの六畳間を書斎に使っている。窓の障子を少し開けると、既に辺りは闇に包まれ、星々が我先にと瞬いていた。朔の夜は暗夜。月は闇に紛れている。
 文机に書物を広げ、彼女は読み耽った。放っておいても儀式の時間になれば誰かが呼びにやって来る。それまでは、憧れの御先祖様の人生に没頭するのも悪くない。
 一人静かに。誰にも邪魔されずに。
 
 生涯、諸国を放浪した封魔術師・詠風姫(よみかぜひめ)。その名の通り風の属性を持つが故、一つ所には留まれない習性があった。
 文献によれば、姫は丹後の里に生まれ、幼い頃から鬼が棲むと噂の大江山で修行を積んでいた。その力、魔と聖を即座に見抜き、聖に属する者を惹きつけて止まない。たとえ相手が鬼でも蛇でも、悪以外に彼女が力を駆使することはなかった。
 大江山には、有名無名を問わず数多の鬼が存在している。疾風丸(はやてまる)はその中の一人だ。美しい心と美しい姿を持つ彼は、不死の宿命と力によって、人からは異形の者と扱われていた。彼は悪鬼とは格段に種類が違う。しかし、人は理解の範疇を超える者を全て悪鬼と見なした。従って、彼も忌み嫌われる存在なのだ。
 詠風姫にとって疾風丸は幼馴染みにも等しい。いち早く彼の本質を見抜き、彼と一族を庇護する目的で側に置いた。
 慈悲の心を持ち、慈悲の力によってのみ命永らえる闇の眷属――彼らは一人の例外もなく、あらゆる物を癒す力を持っていた。その気質や習性を示唆し、聖なる息吹を護る者であるから《聖護(せいご)の鬼》と呼ばれていた彼ら。本当はたくさんの人々の役に立つ存在だったにも拘らず、彼らは誰にもその性質を知られることなく、ひっそりと山に隠れ棲んでいた。ただ、大江山の霊気を守るためだけに。
 やがて、恩義ある詠風姫の伴として、疾風丸は旅に出る。大江山に残された者たちは、梓川(あずさがわ)の一族が姫の意志を継いで守り続けた。ここから封魔・守護一族と聖護一族との互助関係が始まっている。
 さて、肝心の話だが。と、詠風姫の偉業の歴史を紐解いてみた。姫と戦士と疾風丸の旅は長きに亘っている。隆志(たかし)の話と似通うものは、疾風丸の名が登場する最後の逸話だった。
 概ねは彼の話と合致している。けれど梓川の歴史書の方が遥かに詳細だ。何しろこれは、当の封魔術師本人が書き残した物なのだから。こちらを読めば細かい部分で幾つかの違いが見られるのがわかる。後半部分も随分と違っていた。
 いや、克明と言うべきか。どれほどの違いがあるかは、彼の祖父が所有する古文書を調べてみなければわからない。
 子孫として、梓川の歴史を学ぶのはとても重要だし興味深い。立場が違う者の視点で角度を変えて見てみれば、同じ歴史の出来事はいかに様変わりするのだろうか。是非、自ら調べてみたいと知らず知らずのうちに熱が篭った。
 寧奈は顔を上げ、ふと思う。
 もう少し自分に積極性があり、先見の明と行動力があり、誰にも曲げられない意志の強さがあったらと。皆を納得させられるだけの確かなものを持っていたらと。人の言動に左右される今の寧奈にはないもの。そして、詠風姫はそれ以上のものを、たくさん持っている人なのだと思えてならない。だから強く心惹かれてしまうのではなかろうか。まるで古の疾風丸のように――
 思考が飛んでしまい、うっかり時間を失念したが、傍らの時計では儀式に充分間に合う頃合いだ。耳を澄ませても誰も呼びに来る気配はない。ならば切りの良いところで出かけようと、彼女は立ち上がった。
 儀式の部屋は修行堂の南に位置する。朔と望の夜には、寧奈と雪平(ゆきひら)以外は誰も近づかない。儀式を行う場といっても仰々しい祭壇があるわけでなく、ただ中央に床が延べられているだけ。
 一つ床に枕が二つ。
 つまり、それが儀式――。
 足を踏み入れると、雪平の姿はまだなかった。
 寧奈は気が抜けて、着物をかけておくのに使う衣桁(いこう)に羽織っていた打掛をかけた。白い単衣(ひとえ)姿で床に正座したとたん、無意識に溜息を吐く。光源は枕元にある灯りのみ。異様に薄暗く感じられるのは――何故だろう。
 程なく、するりと襖が開く音がして雪平が現れた。寧奈と同じ、儀式のための正装である白の単衣に身を包んでいる。徐に歩み寄り、躊躇せず彼女の正面に座った。
「宵の行で、お婆はどのような様子だったか?」
 開口一番、彼は榊について尋ねた。寧奈が見たところ、行の前に少し考え込んでいた素振りはあったが、特に変わった点は見受けられなかった。そこで感じたままを率直に告げると、雪平は喉の奥で含み笑う。
「お婆は顔には出さんから外見だけではわからんが、さて、これから如何様(いかよう)に変わるかは結構な見物(みもの)になるのではないか。そうだな、明日の朝にでも仕掛けてみるか。儀式の報告に訪ねた折に」
 首を捻り、無言のまま彼を見つめた。
「おまえはただ泣きそうな顔で俯いていろ。訊かれても、何もない、とだけ答えるんだ。後は俺に任せろ。お婆の態度が一八〇度変わるぞ」
 自信満々に断言する。こういう場合、素直に頼りにすると良い。冷静に状況を判断できる彼の計算は滅多なことでは狂わないのだ。
「お任せします。期待していますから」
 寧奈はにっこりと微笑んだ。雪平も笑みを返すと枕元に手を伸ばし、灯りを消した。
 
 太古の昔より、梓川の娘だけに脈々と受け継がれてきた封魔の力。それは余りにも強力で、闇の者に限らず魔を帯びる者には太刀打ちできはしない。神より授かりし力によって、梓川家は代々、魔を封じる事を生業(なりわい)としてきた。
 同じく太古の昔より、小埜江(おのえ)の男子には守護の力が受け継がれてきた。優れた戦闘能力を持ち、自らが内包する力で、己に最も適した武器を生み出し、魔と戦う。その力は梓川の術師たちを守るために発揮されてきた。
 両者は互いがいなければ不完全でしかない。何故ならば、術師は力が絶大であればあるほど物理的に己の身を守れない。戦士は術師との絆がなければ魔に対抗する力が鈍いまま。封魔・守護、二つの力が融合し、深い絆で結ばれてこそ彼らは真の力に目覚められる。そして梓川と小埜江の力を完璧に高めるには、朔の儀式が必要不可欠であった。
 朔の儀式――それは、梓川の娘が十六を迎えた後、最初の朔の夜に行われる。
 新月の夜、十六になった梓川の娘は、選ばれた小埜江の男子と一夜の契りを交わさねばならない。互いの力を融合させ、強力な封魔術師と守護戦士となるために、避けては通れない重要な儀式だ。
 ひと度強い絆が生まれれば、術師は守護の結界に守られ、身に危険が迫った場合も戦士の力によって救われる。戦士は封魔の結界に守られ、術師の力を以て己の能力を何倍にも増幅させて戦う。その絆は永遠で、どちらかが死に絶えるまで揺るぎなく続くのだ。
 術師と戦士は唯一度の契りで生涯の絆を結ばなければならない。血の純粋性を求める余り、梓川と小埜江が婚姻関係になるのは禁忌とされているからだ。古くから連綿と伝わる一族の因習。暗黙のうちに横たわる鉄壁の掟。
 ところが、寧奈と雪平だけは通例に当て嵌まらなかった。二人は幼い頃から共に育ち、儀式の組み合わせとしては不適当だったのだ――心の部分で。
 力の部分ではこれ以上はないくらいの組み合わせだった。術師に対する力の釣り合いで戦士は選ばれるが故に。封魔一の力を持つ寧奈に見合う者は、当代の小埜江家には雪平しかいなかった。戦士を選ぶ役目の長老たちが、躊躇なく彼を選んだのも無理からぬことだ。一抹の不安を抱いていた榊以外は。
 儀式に選ばれる戦士は初対面の者が良い。互いに個人の感情が生まれにくいからだ。朔の儀式は神聖なもの。力の融合のみを目指すもの。そこに私情を絡めてはならない。特別な感情を抱いたりしては、儀式を台無しにする。
 心を押し殺すのは、戦士として精神も肉体も鍛え上げられた雪平には雑作もない。だが、幾ら精神を鍛えていても、寧奈に完璧を求めるのは無理だった。兄と慕っていた人を、いつしか一人の男性として見るようになった彼女に、心を無にすることなどできはしない。処女を喪う夜、その相手が想う人なのに動揺せずにいるのは不可能に近いだろう。
 一番近くで寧奈を見ていた榊の懸念通り、儀式は不完全に終わった。永遠の絆は結べたが、永遠の力の融合は果たせなかった。
 二人は儀式の継続を要求された。すなわち、朔と望――新月と満月の夜が来る度、契りを交わさなければならなくなった。でなければ寧奈と雪平の力は微妙に分離してしまう。月の力が最も強大になる夜に、再び融合を目指すのだ。
 儀式を重ねるに連れ、心は否応なしに変革する。寧奈は己の心が一族の掟を裏切るのを怖れ、雪平は彼女の人生を変えてしまったと後悔していた。
 互いに思うところを告げられず、秘めて苦しむ二人を救ったのは榊の言葉だ。黴の生えた因習など若い者が気にする事はない、と榊は言う。一族の誰が反対しても二人の味方をやめない、とも言った。その上、過去に事例がなかったわけではない、と教えられた。詳しくは聞かされなかったが。
 敬愛する大師匠のお蔭で、少なからず二人の重荷がなくなった。今はただ、流れに任せている。将来の姿など誰にもわからない。明日を憂えるよりも、当代一の封魔術師と守護戦士として使命を果たし、互いを思いやる気持ちを忘れなければ良い。
 以来、寧奈も雪平も、そして密かに榊も、同じ想いを抱いて日常を過ごしていた。
 
 翌朝、儀式の報告に訪れた愛弟子たちを見て、榊は怪訝にならずにはいられなかった。彼らの険悪な雰囲気はいったい何なのか。
 いつもは榊から見て右に寧奈、左に雪平と、余り間を置かず仲良く並んで座る二人。が、今は全く違う。寧奈は始終項垂れていて泣き出しそうな顔をしているし、雪平に至っては似つかわしくないほど不機嫌な顔をしている。しかも二人の距離が腑に落ちない。そんなに端と端に座られては、目線を動かすのに忙しないではないか。
「朔の儀式は滞りなかったか?」
 咳払いを繰り返し、便宜上訊いてみると、
「一切、曇りなく」
 揃いも揃って当たり障りのない答えを返す。
「曇りがないようには見えぬ。何があったのじゃ、寧奈?」
 寧奈は答えない。いや、ちらりと雪平を盗み見て漸(ようや)く口を開いた。
「何も……何もございません」
 何事もないという表情ではない。榊は重ねて訊ねた。少し、叱る時の口調で。
「そのような顔をして、何もないはずはなかろうが。包み隠さず申すが良い」
「いいえ。何もございません」
 意外にも、寧奈は頑なに口を閉ざした。雪平がいるところでは話せない内容なのか。
「雪平。そなたには含むところはないのか?」
 責める眼差しを向けてはみたが、彼は仏頂面を改めもせずに答える。
「お婆。曇りないと申し上げたではないか」
 榊は溜息を吐いた。どうやら二人纏めてでは真相の解明はできないらしい。
「もう良い。寧奈、そろそろ行の時間じゃ。修行堂で皆が待っておるぞ」
 取り敢えず寧奈に席を外させようとしたのだが、続いて雪平も立ち上がろうとしたため、榊は慌てて引き止めた。
「雪平、待つのじゃ。そなたにはまだ話がある」
 彼は暫し躊躇ったが、指示に従い大人しく座り直す。榊は何度も空咳をして、数珠を握り締めながらどう訊き出そうかと思案を始めた――。
 障子を閉め、背中で二人の様子を窺っていた寧奈は、思わずほくそ笑んだ。
 上手い具合に榊は雪平の計略に嵌ったと見える。尊敬する大切な師匠を騙すのは実に心苦しい。けれど、雪平が寧奈のために考えた方策だという事実が嬉しさを齎し、あっさりと心苦しさに勝ってしまった。後は何もかも彼に任せておけば良い。遅くとも日暮れまでには決着がつくだろう。
 
 夕刻、寧奈が部屋に戻ると中庭に雪平の姿があった。辺りをぼんやりと照らす燈篭の側で、窓から覗く彼女に向かって笑顔を見せた。
 彼の計画に抜かりはなかったようだ。
【大学生と中学生】へ続く
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