ふゆやすみとけいかく
冬休みと計画
朔と望−月下奇談(陽の巻)/幽閉ロゴ
 期末テストが終わり、後一週間で冬休みという十二月半ば。窓際の自席でぼんやり外を眺めていると、隣から理沙(りさ)が声をかけてきた。
「ね〜いな。冬休み何か予定ある?」
 昼下がりの時間、程好い睡魔に身を委ねながら、寧奈(ねいな)は小さく首を振った。
 高校一年生として真面目に学校へ通う傍ら、魔を封じる一族・梓川(あずさがわ)家の末裔として封魔術師をやっている彼女には、休みなど有って無きが如しものだ。大抵は術の修行の明け暮れで終わってしまう。しかし、別段苦痛には思っていない。それは与えられた宿命なのだから。
「年末年始の行事と宿題だけ……かなぁ」
 換気のために開けられた窓から冷たい風が躍り込み、細く滑らかで癖のない髪を軽やかに撫でてゆく。寧奈は髪を押さえながら、のんびりと眠たげな眼差しを巡らせた。
 見るからに、おっとりとして鋭さがない。いかにも可憐で弱々しいこの少女が、一族最高峰の力と技を有する術師と言われても、俄かには信じ難いだろう。
「じゃあさぁ、一緒に旅行しない? ……てか、ついて来て。お願い」
 いきなり両手を合わせて、理沙が寧奈を拝み出した。いつもなら悪戯っぽい笑顔が真剣な表情なのはどういったわけか。何やら切羽詰った悩みでもあるような。
 理沙は小学校以来の親友だ。少なからず梓川家の事情を知っていて、寧奈がどんな役割にあるかも或る程度は理解してくれていた。明るく積極性があり、行動力も抜群で、クルクルと良く動く瞳は常に好奇心に満ちている。勝気な性格の賜物か、少々跳ねっ返りでお節介なのだが、寧奈には心強い存在だった。
 何しろ、頼りない親友を外敵から守ってやろうと、いつも理沙自身がアピール満々だったから。寧奈も普段は彼女に守られている反面、いざとなったら力になりたいと考えていた。
 その理沙が、この世の終わりかという表情を浮かべ、お願いポーズで頼み事をしているのだ。寧奈が面食らうのも無理はない。雪どころか雹(ひょう)が降らなければ良いが。
「ついて来て……って、旅行に? 冬休み、何処か行くの?」
 何事かとびくびくしながら尋ねると、
「行くのよ。彼氏の田舎」
 言葉短く意外な答えに、寧奈は戸惑いを隠せない。彼と旅行をするのなら、普通は二人きりになりたいと思うものではないのか。
「彼と旅行なら、お邪魔でしょ?」
 素直に疑問を口にした。
「バレたの。男の子と旅行するってのが。別に最初から二人きりで行くなんて決めてなかったし、行くのは彼ン家の田舎だよ? 彼の妹も一緒だって言ったんだけど今イチ信用なくってさぁ。でね、寧奈も一緒に行くってコトにしといたの」
「しといたの……って、そんな勝手に決められても、私、都合つくかどうかわからないわ」
「そこを何とか都合つけてよ。だって寧奈ってばウチの両親のお気に入りなんだもん。信用度もNo.1だしさ、ついてってくれなきゃ困るぅ〜。もちろん雪平(ゆきひら)さんも一緒でいいから。ね?」
 強引だ。積極性は理沙の長所でもあるけれど、今は短所の方に傾いているかも。
 だいたい、特別な理由もなく急に旅行に行きたいなどと申し出て、簡単に許してもらえるほど梓川の家は甘くない。しかも雪平込みで出かけるなら相当の理由が必要だ。
 雪平というのは、封魔術師を守り、共に魔と戦う役割を持つ守護の一族・小埜江(おのえ)家の末裔である。寧奈の守護戦士として闇の者と戦っている。とはいえ、実のところはその枠を越えて、切っても切れない仲なのかも知れない。
 さて、どうしたものやら。雪平まで担ぎ出すとなれば、かなり知恵を絞って言い訳を考えなくては――と、寧奈が眉間に皺を寄せかけた時、理沙が首を捻りながら言葉を続けた。
「それがさぁ、最初はその場しのぎの言い逃れだったんだけど、彼氏に寧奈のコト話したついでに余計な話までポロッとしちゃったのね。ほら、ややこしいの退治してる……みたいな話ね。そしたら、急に彼氏が寧奈と会いたい、是非田舎に来てもらいたいって乗気になっちゃって。ちょっち妬けるぅ〜ってカンジなんだけどぉ、来てくれるよねー?」
 言葉尻と同時に可愛く小首を傾げ、小刻みに瞬きながら上目遣いで見上げてきた。結論を急がないでと言いかけて、寧奈は一拍置いて問いかける。
「あの、私が特殊な役目を持ってるって聞いて、彼氏が会いたがってるの? だとしたら理沙の彼、何か困った事でもあるんじゃない?」
 よくぞ聞いてくれました、とばかりに理沙が何度も頷く。徐に携帯電話を取り出して液晶画面に視線を当てた。
「アイツさぁ、何かヘンな夢、見るみたいなの。それも毎晩だよ。決まって田舎の家の夢だってさ。でね、昔、蔵かなんかで幽霊見たらしくって、その体験談を寧奈にしたいんだって。できれば一緒に田舎行って、目撃した場所を見てもらいたい、って言ってんだよね〜。どうする? 今日会っとく? 放課後呼び出そっか?」
 こういう場合の彼女は、驚くべき行動力を発揮する。ついでに言えば止めても無駄。つまり、会うかと訊かれれば会えってことなのだ。
「お、お任せするわ……」
 意気揚々と携帯を耳に当てる理沙に苦笑を向ける。直後、昼休み終了の予鈴が聞こえてきた。
 
 待ち合わせ場所は理沙の家の近く。寧奈の家からもそう遠くはない。狭い路地に面した喫茶店は、少々入りにくい印象があった。
 扉を開けたとたんに鈴が鳴り、ジャズとコーヒーの香りが漂ってくる。カウンター越しに、少し離れた席の客とマスターが話し込んでいるなど、見たところ客層が常連っぽい。余り商売っ気のある店には思えなかった。
 入るなり、理沙が窓辺に向かって手を振る。彼氏は既に待っていた。二人して歩み寄ると、ここいらでは見慣れない制服の少年が立ち上がって会釈をした。
「初めまして。天谷隆志(あまや・たかし)です。いきなり呼び出してすみません」
 礼儀正しく謝られ、寧奈は恐縮した。
「いえ、そんな。あの、梓川寧奈です」
 深々と頭を下げる。ぎこちない彼女の様子に、隆志の方が緊張を解したようだ。実際、魔物封じをする女子高生なんて得体が知れない、と構えていたに違いない。
「あ、とにかく二人とも座って。え、と、コーヒーでいいかな、理沙?」
「いいよね、寧奈?」
「あ、お願いします」
「じゃ、コーヒー二つね、マスター」
 会話が一巡してカウンターのマスターにまで飛んで行った。意外なことに、彼の態度はこの店の常連だと物語っている。
 改めて三人は席に着く。コーヒーが来るまでの間、理沙が彼について軽く説明してくれた。
 違う高校に通う隆志は現在二年生、十七歳だ。成績は上の中くらい、まずまずの秀才らしい。得意科目に偏りはないが、どちらかと言えば好みは文系だそうな。昔話だの不思議話だのには目がないという。顔も性格も良いので結構モテる。顔立ちは端正でいて愛嬌があるし、性格は真面目すぎずふざけすぎずで付き合いやすい。少々学校が離れているので心配――と、余裕の笑みで理沙は彼氏自慢を続けている。
 寧奈はちらりと彼を見た。確かに標準以上の顔立ちだ。大きな瞳も、整った鼻筋も、愛嬌のある口元も、素晴らしく理沙の好みに適っていた。全体的に落ち着いた印象が、年齢より上に見せている。
 窓から差し込む西日が彼の顔を照らした時、ほんの僅か、違和感を覚えた。言い知れない感情が胸を揺さ振った気がしたが、コーヒーが運ばれてきてうやむやに暈されたため、すぐに忘れてしまった。それが余りにも一瞬だったので。
「何から話せばいいかなぁ?」
 冷めかけたコーヒーを口に運び、隆志が寧奈に訊いた。
「そうですね。取り敢えず、体験したお話を聞かせていただけますか?」
 事の起こりは隆志が小学三年生の夏休み。祖父が道楽で集めた古文書から抜粋して語ってくれた話に、幼いながら甚だしく感銘を受けたそうだ。内容、登場人物が実在のものかは確かめようがない。しかし、現実の出来事だと彼には思えて仕方がなかった。
 
 遥か昔、戦国の頃、祖父の先祖は山奥の領主だった。当時、領地を我物顔に荒らし回る鬼のせいで、ほとほと困り果てていた。
 鬼は悪道の限りを尽くしていた。家を壊し、田畑を荒らし、女を攫(さら)って弄んだ挙句、血肉を啜る。やりたい放題に振舞っていた鬼だが長くは続かなかった。鬼を封じる行者が現れたからだ。
 鬼は訳もなく封じられ、行者は一人の娘を助け出した。鬼に攫われ唯一生き残った娘。古文書によれば領主――つまり、祖父の先祖の娘だったらしい。
 娘は鬼と交わったと忌み嫌われ、蔵の地下にある牢に幽閉された――死ぬまで。殺すには忍びないと両親が憐れんだからだが、殺されるよりも無残な仕打ちだったに相違ない。
 鬼の出現がなくなったため、領民たちも寛大になっていた。領主の申し出通り、娘を殺さず幽閉を黙認したのだ。
 しかし、間もなく誰もが愕然とする。夜な夜な娘のもとに通う者が現れたから。
 その者、姿形は人だが明らかに人外の者。娘は一夜の例外もなく、その者と睦み続けた。囚われの身となり未来のない娘には、刹那だけでも空虚を埋めてくれる唯一の存在だった。
 領民たちは行者に魔物退治を依頼した。だが、何故か行者にはその者を封印できなかった。恐怖に駆られた領民たちは、遂に人の道に外れた行動に出る。禍の元凶である娘を嬲り殺しにしたのだ。皆で寄ってたかって。娘は再び陽の目を見ることも赦されず、暗い地下牢で最期を迎えた。
 そして、牢に放置された娘の亡骸を見て、その者は姿を消した。二度と領地に現れなかったという。
 
 娘の幽閉された牢が蔵の下にあると聞き、退屈しのぎに隆志は探検に出た。やはり怖かったので妹を連れて。そこで見てしまったのだ。鉄格子の向こうに浮かぶ白い影を。声まで聞いた。
 彼は直後に熱を出し、三日三晩も苦しんだ。面白半分に地下牢を荒らしたせいで娘の亡霊に呪われた――と、子供心にも本気で思い込んでいたのだ。
 熱を出すほどの強烈な印象を伴う経験に、その後も度々この出来事を夢に見た。年に数回だったのが月に一度となり、そのうち週一となり、近頃では毎晩になった。夢で体験を繰り返すために、年月が経てば薄れるはずの記憶が益々鮮明になってゆく。
 不思議なのは、夢の中に登場する隆志はいつまでも子供なのに、いつしか、それを見て冷静に分析するもう一人の自分がいるのに気がついた。小学生の頃には思いもしなかった詳細な部分が蘇るのも、自分が成長している証ではないかと、彼自身は考えている。
 振り返れば、影を女だと直感できたのは、祖父の話が潜在意識にこびりついていたからなのかも知れない。けれど声は確かに女だったし、彼だけに聞こえたのも事実だ。鉄格子を越えられない白い影は、どう考えても嬲り殺された娘だとしか思えない――。
 疑問混じりの溜息で、隆志は話を締め括った。
「呼ばれているのでしょうね、その声に。一度その地下牢を調べさせていただけますか?」
 夢を見続ける現象に対して、寧奈が率直な意見を伝えると、
「そうしてもらえると助かるよ。田舎の祖父にも話しておくから」
 明らかに隆志が安堵の息を吐いた。
「じゃ、決まりー! 寧奈も一緒に旅行ね。おっけ〜、改めてパパとママに言っとかなくっちゃ。これでもう、ゴチャゴチャうるさいコト言えないわよ」
 まだ家人に話していないのだから保証はできないのに。と思いつつ、この手の理由なら説得できるという不確実な勝算もあった。
 唯一つ気になることがあり、寧奈は隆志に向かう。
「あの、一つだけ言っておきたい事が……」
 隆志が愛嬌のある表情で、ほんの少し首を傾げた。
「実は私、魔を封じる事が主体なので邪な者以外は封じかねます。そこのところ、踏まえておいていただきたいのですけど」
 彼は首を傾げたまま、曖昧に頷いた。
 きっとわかっていないだろう。とは思うも、説明するのは難しい。封魔術の有り方から説明しなければならないからだ。
 躊躇していると隆志が口を開いた。
「それにしても、本当に女性の行者っていたんだ。話の中だけかと思ったよ」
「えぇ〜、何ソレ?」
 理沙が頓狂な声で笑う。
「だって古文書では、鬼を封じた行者って女の人だったんだから」
 これには寧奈も驚いた。梓川では当然だが、闇に埋もれた一族だから一般的には知られていない。通常の修行場は女人禁制が多いのだし、一般の女行者というのは、戦国時代では非常に珍しいのではないか。
 心の重荷が多少軽くなったのか理沙と談笑する隆志に、寧奈は肝心な箇所の訊き忘れに気づき、慌てて声をかける。
「え、と、天谷さん。声が呼ぶ名前を覚えていらっしゃるんですよね?」
 照れ臭そうに彼は頭を掻きながら、
「あ、隆志でいいよ。寧奈ちゃんって理沙の友達だし、いつも話を聞かされてるから何だか初対面って気がしなくてさ」
「はぁ。では、声は隆志さんを何と呼んでいたのですか?」
「疾風丸(はやてまる)だよ。疾風と書いて、はやてって読むんだ。何故かは知らない。でも漢字まで頭に残ってる」
 一瞬、心の中で寧奈は首を捻る。だがすぐに、
「わかりました。それも合わせて調べておきます。どのくらいお役に立てるか、まだお答えできませんけれど……」
 と頷いて、言葉を記憶にしまい込んだ。
【説得と助言】へ続く
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